魔女の来訪(1)
木菟の耳羽亭は日暮れ頃に店を開け、夜更け頃に閉める。季節や客の入りで多少は変わる事もある。
父さんは市場が出る日──イーストガーデンがそこそこ大きな町だとはいえ、毎日市場が出ているわけではない。週2回程度──は店が終わった後、朝を待って食料の買い出しに出かける。買い出しが終わってから昼過ぎまで寝て、起きたら開店まで仕込みの時間。
私の場合は、店を閉めた後から昼前まで睡眠。起きたらケイトん家のパンの買い出し。それから開店準備。照明の準備だとかテーブルを拭いたりだとか。もう少ししたら調理用とは別に暖房に使う用の薪の用意もしなくちゃね。
そんな感じで父さんに比べれば、私の一日はまあまあ余裕がある。レイジが来てからは私を手伝ってくれるのでなおさらだ。
今日は特に時間的に余裕がありそうだったので、買い出しついでにレイジを連れ出してみた。
ケイトん家のパン屋は中央広場を挟んで反対側、商店が集まる北側の大通りにある。ちなみにこの通りを更に進むと『きれいな川』を挟んで貴族達が住む豪邸が立ち並ぶ。その中でも特に目立つ城のような建物がこの町を治める領主様の館だ。
中央広場を越えると肉・魚・野菜・チーズ・スパイス・革や金属…様々な匂いに交じってパンの焼けるいい匂いがしてくる。もちろんケイトん家のパン屋、その名もケイトベーカリーだ。パン屋がこの町でここ一つという訳ではないが、付き合いから特にこの店を懇意にさせて貰っている。
ケイトは幼馴染であり親友だ。元々は母親同士が友人で、同い年だった私とケイトも自然と仲良くなった。私の母さんが他界した今も家族ぐるみで付き合いをさせて貰っている。
店の扉を開けるとチリンチリンというドアベルの音と一緒に店を満たしていたパンのいい匂いが一気に溢れ出てきた。
「ルーシー!おはよう」
「おはようケイト」
待ってましたとばかりに三角頭巾とエプロン姿のケイトが迎え出た。いつものようにハイタッチを交わす。
ケイトは美人だ。一緒になって鼻水垂らしながら河原のカエルを追い回して遊んでいた頃には全然気付かなかったが、歳を重ねるにつれあれよあれよという間に出るとこは出て、引っ込む所は引っ込んで、目鼻立ちの整った文句の付けようのない美人に育った。
今では同じく美人の母親エマさんを差し置いてケイトを目当てにパンを買いに来る客も多い。友人として誇らしい反面、そばかすも消えず癖っ毛を強引に三つ編みに束ねたちんちくりんの私は劣等感を禁じ得ない。普段はあまり考えないようにしているのだけれども。
「やあケイト」
「レイジさんもおはよう」
レイジを連れ添って来るのは初めてではない。二人も軽く挨拶を交わした。
ケイトの美貌を前に挙動不審になる男も多い中、レイジは相変わらずだ。今も表情筋の死んだ顔で何か考えてるのか考えてないのかわからない、ぬぼーっとした表情をしている。少なくとも異性としてケイトは刺さっていないようだ。この男の興味を引くには私達では若すぎるのかもしれない。
「いつものできてるよっ」
「ありがと」
私はケイトが店の奥から持ってきたバケットの束が入った紙袋を受け取る。まだ暖かい。私が受け取りに来る時間を見計らって焼いてくれているのだ。支払いは父さんが何日か分づつ先払いでまとめて払っているので私は受け取るだけ。
「ところでルーシー、もうすぐクッキー焼き上がるんだけど食べてかない?」
「本当? 食べる食べる」
パン屋の娘が焼くクッキーがまずい訳がない。お菓子作りはケイトの趣味だ。それに付き合う形で私も毎回ご相伴に預かっている。
「レイジさんもどう?」
「…いや、今日は遠慮しておこうかな」
一瞬だけ逡巡してからレイジはケイトの誘いを断った。こんな美人の誘いを断るとは罪な男も居たものだ。
「じゃあパンは僕が届けておくよ。ゆっくりしておいで」
レイジが私の腕からバゲットを取り上げた。
「どこか行くの?」
「うん。先生とのとこ」
「ふーん…わかった」
先生というのは慈善事業で孤児院を開いているソフィアという老婆の事だ。レイジは暇があるとこの孤児院に出向き、先生を手伝って子供達の相手をしているらしい。らしい、というのはレイジから話を聞いただけで、私はその現場を見たことが無いし孤児院がどこにあるのかも知らない。
「じゃあまた、ケイト」
パンを抱えて店を出るレイジをケイトは小さく手を振って笑顔で見送った。
「付き合い悪いわねー」
ふんす、と鼻を鳴らすとケイトが苦笑した。
後の展開と矛盾する表現を一部訂正しました。詳しくは2023/10/19の活動報告を参照して下さい。