忍び寄る影(2)
「なんじゃ、レイジはおらんのか」
相変わらず艶やかな真っ黒の髪をかき上げ、ニルはエールを呷りながら不満そうに言った。相変わらず開店前の来客である。今度はバゲットを食べ尽くされないように気を付けないと。
「ちょっとね」
流行り風邪に似た病気が街で流行っている。症状も流行り風邪によく似ているが特に意識混濁が激しいとか何とか。
流行性に見えるが女子供が特に罹りやすいという特徴があり、ただの流行り風邪ではないらしい。今のところ死者は出ていないが注意するように役所から注意喚起が出ている。
ご多分に漏れずケイトも罹ってしまい、先日まで1週間ほど寝込んでいたが今ではベッドの上で冗談を言うくらいには元気になっている。
その病が貧民街でも流行り始めていた。既に今3人の子供が高熱に魘されており、レイジは暇をとって先生の手伝いに行っているのだ。私も行きたいところだが店を留守にするわけにもいかない。歯痒いところだ。
環境を清潔に保って栄養を充分に摂れば1週間から10日で治るという。レイジによれば例の大麦を牛乳で軟く煮た粥を食べさせているので栄養面は問題は無いだろうとの事。清潔面では不安が残るので私がシーツを貸し出して毎日取り換えさせている。そのシーツを洗っている私が罹っていないのだからやはり単純な流行り風邪ではないようだ。
…という事をニルに語って聞かせた。
「ふむ…女子供に意識混濁、か」
急に黙り込んだニルは考え事をしながらエールをちびりちびりとやっている。前みたいにバカみたいに飲んで暴れないのはいい事だわ。
ニルは閉店まで呆けたような顔でずっと一人でちびちび飲んでいたのだが。
「さて、案内せい」
日もすっかり落ち、開店の看板をひっくり返した頃。
最後まで客として残っていたニルがふらりと立ち上がって言った。
「案内って…レイジのとこ?いや私まだ皿洗いと掃除が残ってるし」
「そんなもん戻ってきたらレイジに手伝わせればよかろう。とにかく行くぞ」
私は酔っぱらったニルになかば引きずられながら夜の貧民街へと向かった。
「ねえ、聞いたわよ。レイジって魔法使いだったのね」
「???何じゃそれは。…まあ全然違うとは言わんが…」
道すがら得意げに話すと闇夜に溶けた真っ黒なニルからは微妙な反応が返ってきた。
「おや、こんな夜中にお客さんかい?」
孤児院のドアをノックするとソフィア先生が顔を出した。
「すみません、先生。レイジの…えと、友人なんですけどどうしても今会いたいって」
珍しくニルがしおらしくお辞儀をした。ニルにも一応礼儀という概念はあるらしい。
「レイジならもうすぐ帰るとこだよ。みんなだいぶ落ち着いてきてね。ああルーシーもシーツをありがとうね」
「いえ。助けになってるなら何よりです先生」
例の病に罹った3人はみんなが寝泊まりしている寝室ではなくこの教室?の方に簡易ベッドを作り隔離されていた。
伝染病ではないというが、用心に越したことはないと先生は言う。その三人の中にコニーとマリも居た。
「夜分に不躾な訪問をお許し戴きたい、ソフィア殿。私も多少の医学の心得がある。患者を診せては貰えないだろうか」
そんな話初めて聞いた。
「へえ、それは願ったりだ。お願いしようかね」
中では持ち帰るシーツを畳んで帰り支度をしているレイジが居た。
「あれ?どうしたんだいこんな夜中に二人して」
「いや何、悪い病気が流行ってると聞いて少し予感がしてな」
ニルはレイジに目もくれず、三人を診察していった。
「やはり…これはノイマンじゃな」
しばらくの間、今までの話とちょっと気色の違う話になるかもしれません。




