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その瞳が映す景色に、  作者:
第一部
9/40

ーーー


 四角く象られた窓から見る景色が、右から左へと流れていく。


 外を見るライのその青い瞳が、すっと流れる鼻筋が、精巧に作られた人形みたいなその顔が、窓から見える緑色の木々に映えて、まるで一枚の絵画のようだな、とスイは思った。


 ライが纏う、国立軍の軍服とは少し違う、濃紺の制服はこの国の数少ない国家魔術師の証だった。


 スイとライが座る席は個室になっていて、扉の外にもふたり、鉄道会社が手配した護衛が立っている。


 がたんがたん、と規則的に聞こえる機械音は確かに汽車が動いていることを伝えてくる。


 都を出てから数時間、スイとライは他愛もない事を話しながら向かい合って揺られていた。


「スイ、そんなに食べて、逆に嫌にならない?」


 窓からの外に目を向けていたライが、徐ろにスイを見て苦笑を浮かべた。


 汽車に乗って数時間掛かると聞いていたから、スイはチョコレートや饅頭や、焼き菓子を大量に持参していた。


 スイはその逞しい見た目に反して、甘いものがとても好きだった。


「いや、ならないな。ライも食べるか?」

「……ううん、私はいいかな」


 ふたりの間にある備え付けの机の上には、中身の無い包み紙が散らばっている。


「ライは好きな食べ物は無いのか?」

「私?」

「うん」

「好きな食べ物……、特にこれといって。出されたものは何でも食べるよ」


 少し考えたあと、ライは宝石みたいな瞳を僅かに細めて微笑んだ。


 施設に居る間ライは自由に外に出ることを制限されていたから仕方ないのか、スイは近頃ライがよく見せるようになった柔らかな笑みを見ながら思う。


 極端に自由を制限されていたライはそれが当然であるかのように、無欲だった。


「……討伐が終わったら、街に出てみるか?」


 ライくらいの年頃なら、可愛らしい服を着て、魔力制御の為の耳飾りなんかじゃ無い装飾品を欲しがるであろうに。


 スイは自ら何も求めないライに、人並みの欲を持たせてあげたかった。


 今回の討伐の街は、それなりに賑わって栄えているとヨウの言葉がスイの頭を過ぎる。


「…うん」


 ライは僅かに瞠目したあと嬉しそうに微笑んだ、ようにスイには思えた。


「失礼します。七桜様、藤壱様、もうそろそろ着く頃かと思います」


 扉の向こうから、鉄道会社の誰かだろう、声が聞こえた。


 ライもスイも、その声に目を合わせる。


「分かりました」


 扉に向かって、スイが返事をする。


 短くはない時間、座りっぱなしの体を解すように、スイは首を回した。


「……スイは、」


 不意に、ライの小さな声が聞こえて、スイはライを見据えた。


 先程とは打って変わって、ライは真剣な顔をしていた。


「うん?」

「…スイは、どうして私の護衛になってくれたの?他にも護衛対象の人は居たんでしょう?……私なんかで、いいの?」


 確かに、国の要人だったり、帝族だったり、第一軍が護るべき対象は数多く存在する。


 そんな中でも、青の一族の護衛は特に危険を伴う護衛対象だった。


 ライの言葉にスイは組んでいた脚を下ろして、思いを巡らせる。


「……どうして、か」


 あの日と同じライの右目の薄い青に、窓からの太陽の輝きが映り込む。


「……5年前のあの日、」


 晴れていた筈の空は鈍く濁って、ライの悲しみが降らせた真っ白な雪が舞っていた。


「…強く、思ったんだ。ライを護ってあげたいって。他の誰でも無く、ライを護りたいと思った」


 境界の無いように見えたその中で、今にも溶けて消えてしまいそうなライを掬い上げて、しっかりと形取ってあげたいとスイは確かに、そう思った。


「だから、俺は誰かに強制された訳でも無いし、ただ自分の意思でライの護衛になった」


 ライの青い瞳が揺らめいているように見えるのは、窓からの景色が流れているからなのか。


 それとも。


 不意に、がたんと大きく音を立てて車体が大きく揺れた。


 その振動に堪え兼ねて、ライの体がスイの元へと降ってくる。


「……っ」


 スイは確実に、その腕の中にライを抱き留めた。


 花のような甘い馨しい香りがまたスイの鼻腔を撫でて、優しい樹木を思わせる爽やかな香りがライを暖かく包む。


 ふたりの鼻先が触れそうな程近くにお互いの顔があって、スイも、ライも、互いにその目を逸らせないまま、見つめ合う。


 スイの灰色の瞳とライの青い瞳が交差して、互いの吐息が互いの顔をそっと撫でる。


「……ごめ、」


 先に居た堪れなくなったのは、スイだった。


 細く壊れそうなライの体を離そうと、ライの二の腕を掴んだ。


 ライはスイから瞳を逸らして俯いたのに、何故かライの小さな白い手だけはスイのシャツを強く握り締めている。


「……ライ?」

「七桜様、藤壱様、お怪我はありませんか?申し訳ありません、少し揺れてしまいまして」


 扉の向こうから聞こえた焦ったようなその声に、ライは漸くそっと静かにその手を離した。


「大丈夫、です」


 スイがライを気遣いながら、扉に向かって答えた。


「でしたら、良かったです。もう間も無く到着しますので、今しばらくお待ちくださいね」


 ゆっくりと、足音が遠くなっていく。


「ライ?大丈夫か?」

「……うん、ごめんね」


 ライは見つめていた自身の掌から顔を上げてスイを見上げた。


 ライの青い瞳が揺れた理由は、スイには分からなかった。


 言葉通り、間も無く着いた駅にスイとライは降り立つ。


 都よりも少し冷たい風がふたりの間を通り過ぎる。


 鉄道会社の護衛はスイとライに挨拶をすると再び汽車に乗り込んで、煙を燻らせて走り去っていった。


「藤壱スイ様、ですね?」


 はたと聞こえた低い声に、スイとライは揃って聞こえた方へと振り向いた。


 振り向いた先に立っていたのは、黒い髪を短く刈り上げて、金色にも見える明るい瞳を持つ青年だった。


 花壇に色とりどりの花が植えられているその中に、白いシャツに茶色いズボンを着こなす品の良い長身の青年が立っている。


 スイは、その顔に見覚えがあった。


 何の集まりだったか、名家では事あるごとに催しが行われる。


 それは誰かの誕生日だったり、記念日だったり、様々で、そんな青年もいつかの集まりの際に見かけたことがある。


 彼の名前は、確か。


「……シン、様?」

「はい、お久しぶりです」


 垂れ目気味の瞳を更に下げて、シンはスイのその問いかけに柔らかく微笑んだ。


 そんなシンはふたりへと近寄ると、スイの隣に立つライへと視線を移す。


 ライはゆっくりと、シンを見上げた。


「ライ様。僕は、白雲(しろぐも)家当主シンと言います。今回の魔物討伐は、白雲の屋敷から向かうようにとヨウ様から伺っています」


 白雲家、と聞いてスイは、はたと思い至った。


 ヨウの兄である人が当主を務めていた七桜家の分家のひとつ。


 しかし、数年前に前当主が魔物討伐の際に受けた怪我が原因で亡くなり、その後歳若い嫡男が当主を引き継いだと聞く。


「……よろしくお願いします」

「はい」


 ひとりしか居なかった白雲家の子息シンは、魔術師ではなく医者になっていて都で開業していた。


 しかし、突然に空の住人となった父に代わり、当主を引き継ぐ為に都から戻ってきていた。


「屋敷まではここから歩いてそれ程遠くありません。スイ様、お荷物を持ちましょう」


 スイの持つふたり分の荷物を受け取ると、シンは歩き出して、スイとライもその後を追い掛けて歩き始めた。


「スイ」

「うん?」


 スイの名を呼んだライが右手を差し出していて、それが意味することを理解したスイが、戸惑う事なくライの手を握った。


 いつも握っていたからだろうか、ふたりにとってお互いの掌が繋がっていることが当たり前になっていた。


「仲がよろしいんですね」


 シンの少し後ろを歩くふたりを振り返って、シンは微笑んだ。


 シンは今年で25歳を迎えるけれど、まだ伴侶と呼べる存在は居なかった。


 都よりも冷たい強い風が吹いている。


 大きな杉が立ち並び、その下には存在感のある黄色い金盞花が咲いている。

 

 濃紺の制服と軍服は目立つのだろう、通りを行き交う人々は皆スイとライを見ていた。


「今夜の魔物討伐が終わったら、明日にでも街に散策に行かれるといいですよ。スイ様が居ればライ様の安全は大丈夫だとヨウ様から伺ってますので」


 隣国と接するこの街には他国からの人間も多く居て、都では見かけない金髪や茶髪を持つ人々が大勢歩いている。


 珍しい果物やお菓子などを扱っている店も多く建ち並び、都育ちのスイとライには物珍しく感じる。


「そうですね。……無事に、終わったなら」


 今回の討伐要請である魔物は、月も高く上った深い闇の中に現れるのだという。


 魔術師とまではいかなくても、魔力を多めに持つ人間を誘うように攫っていくらしかった。


 気付いた時には既に姿は無く、履いていた靴や身につけていた物だけが残されているのだ、とシンが説明する。


 数ヶ月前から、都から魔術師が派遣されていたのだが、未だ討伐出来ずにいたところにライが施設を出ることとなり、白羽の矢が立った。


 ライのその小さな声に、スイもシンも返事は出来なかった。


 スイは無意識に、握り締めるライの掌に力を込めた。


「こちらです」


 シンが開いた大きな門を潜れば、美しく整えられた広い庭がスイとライを出迎えた。


 湾曲して立つ威厳ある松の木に、小さな池。


 ゆらりと泳ぐ赤と白が混ざった鯉を、太陽の光が照らす。


「ようこそいらっしゃいました、七桜様、藤壱様」


 丁寧に手入れされているのが分かる盆栽が飾ってある玄関に入ると、お仕着せを着た男性が立っていた。


「ライ様、スイ様、彼は父の代からずっと仕えてくれているセキです。何かありましたら、彼に」

「セキと申します。何なりとお申し付けくださいませ」


 白の混ざった黒い髪を綺麗に後ろに流して薄い黄色の瞳をしているセキが、スイとライの荷物をシンから受け取る。


「どうぞこちらへ。お部屋にご案内します」


 広い庭に面した廊下を渡って案内されたスイとライの部屋は隣同士だった。


「こちらはライ様のお部屋です。スイ様はライ様の護衛と伺っておりますので、恐れながらお隣にご用意させて頂きました」


 ライの身の安全の為に、スイは片時も離れないようにと義務付けされている。


 ライに充てがわれたその部屋は、大きな寝台と机や椅子、客室としての設備が整えられていた。


「討伐までまだ時間がございますので、どうぞごゆっくりとお過ごしください」


 セキはそう言うと持っていた荷物を置き、部屋を後にした。


「スイ」


 不意に、ライがスイの名を呼ぶ。


「どうした?」

「魔物討伐の時、」

「うん」

「私が耳飾りを外したら、離れててくれる?」

「……なんで?」

「…巻き込んじゃうから」


 ライの左右で濃淡の違う青い瞳が、スイを真っ直ぐに見つめる。


 一般の魔術師と違い、国家魔術師は基本的に単独で魔物討伐に向かうのだという。


 その強い魔力で、周囲に影響が出ないように。


 それ程までに、国家魔術師の力は強いものだった。


「……分かった」


 スイが頷けば、ライは見るからにほっとしたような顔を見せた。


 ひとりきりでの魔物討伐がどれ程、危険なものか。


 助けは一切無く、自身の力だけで討伐を必ず成功させなければならない。


 一般の魔術師たちが対処仕切れない魔物の討伐を行う国家魔術師は、魔物討伐の最後の砦だった。


 彼らが少しずつ数を減らしている理由は、ここにある。


 複数での対戦が常識の国立軍では、単独戦など有り得ない。


 たったひとりで、魔物と対峙する彼らの気持ちを考えると、スイは胸が痛んだ。


『……こんなことは、言いたくないんだけど』


 はたと、あの夜のヨウの言葉がスイの頭を過ぎる。


『…もし、もし万が一、ライが魔物討伐に失敗したら、』


 魔物討伐の失敗とは、つまり、死を意味する。


『ライの体を持って帰ってきて欲しいんだ。青の一族は息絶えてもなお、強い魔力を帯びるから』


 青の一族は死してなお、一定期間その身に魔力を宿したままなのだという。


 スイは知らなかった事実に、目を見開いた。


 満月が照らす夜の庭から、静かに虫の音が聞こえていた。


『……死んでまで利用されることは、絶対にしたくないんだ』


 なんて悲しい呪いを抱える一族なのだろうとスイは思う。


 生きている間も狙われ続け、死してなお、そんな呪いから解放されず利用されるなんて。


 ヨウの口ぶりから、死んでまで奪われていたことが容易く想像できる。


 スイは耐え切れず、ライから視線を逸らした。


 部屋の大きな窓から見えた青い空に夕焼け色の雲が浮かんで、時は少しずつ夜へと溶け始めていた。


――

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