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青い空に映える。
まるで吹雪みたいに、薄紅色が踊り散っていて、ライは何故か息が詰まる。
大きな川を挟むように植えられている桜の木を、赤く染められた橋の上から見ていた。
「……綺麗」
太陽の光を吸い込んだ川の水が輝いて揺らめいている。
形を留めること無く柔らかく変わっていくその中を、降り立った花弁たちが泳ぐように流れて行く。
四角や丸に抜き取られた窓からではなく、ライが桜の木を見上げたのは初めてだった。
暖かな風に混ざって、花の匂いがする。
「喜んでもらえたなら、良かった」
ライの隣には、橋の欄干に手を掛けて同じく、この季節にしか出会えない彼らを見上げるスイが居る。
スイは着ていた外套を脱いでいた。
「…連れて来てくれて、ありがとう」
「うん」
入学式を終えた後、桜を見に行こうと言い出したのはスイだった。
少し渋るライを、半ば無理矢理に連れてきてくれたスイをライはそっと見上げる。
濃紺の軍服はとても目立っていて、道すがら、背が高く端正な顔立ちをしたスイを熱く見つめる女性たちはとても多かった。
「露店も出てるから見に行ってみるか?」
「…うん、でも、」
「でも?」
ライは初めて、実感した。
やはり、自分は、異質なのだと。
開け放たれた鳥籠から、出てはいけなかったのかもしれない。
道を歩けば、学校の時に向けられたものとは違う、畏怖や嫌悪の混ざった視線が突き刺さった。
銀色の髪も、青い瞳も、多くの人々と違うライは、普通では無いのだ、と突き付けられたような気がした。
「……私が行っても、いいのかな?」
ライの呟いた声は、風にのり掠れてスイに届く。
ライは、スイを真っ直ぐに見上げることが出来なかった。
「逆に、どうしてライが行ったらだめなのか、俺には分からない」
スイの力強く、はっきりと低い声がライの耳を撫でる。
ライは盗み見るように、そっとスイを見上げた。
なんとなく予想していた通り、スイはライをその灰色の瞳で真っ直ぐ見つめている。
「……だって、こんな髪だし瞳だって、普通の人と違う」
「それは見た目の話だろう?髪も瞳も色が違うだけで、他の人たちと何も変わらない」
ライの青い瞳と、スイの灰色の瞳が重なる。
ふたりの前にも後ろにも、はらはらと花弁の雪が舞う。
「一定数はきっと、そう思わない人たちも居ると思う。でも、そうじゃない人だって必ず居る。だったら、受け入れてくれる人たちを探していく方が楽しいと思わないか?」
――スイも?スイも、受け入れてくれる?
どうしてか、そんな疑問が過っても、スイに訊ねる勇気は無くて、ライは曖昧にしたまま心の中に仕舞った。
「それに、俺はライの髪も瞳も、綺麗だと思うけど?」
風に靡くライの長い髪を、スイがその大きな掌で優しく掴む。
「そ、そうかな」
「うん。トウも言ってただろう、ライの瞳は綺麗だって。だから、堂々としてたらいいんだよ」
スイの掌から銀色が流れ落ちて、風に揺れる。
僅かに微笑んでライを見るスイから、ライは目が離せなかった。
「……うん」
「じゃあ、行くか」
スイはなんてことないように、外套を持ち抱えて歩き始めて、そんなスイを追い掛けるライの顔はほんのりと、色づいていた。
桜の花を間近で見たのもまた、ライは初めてだった。
七桜家の家紋の花弁は七枚だから、本物の花もそう思っていたけれど、実際には五枚なのだとライは初めて知った。
桜の花たちを屋根にするように、沢山の露店が並んでいる。
その通りを歩く多くの人々の着る沢山の色が、瓶に詰められた飴玉みたいに無数の彩りを誇っていた。
「すごい人だな」
ライはその人の多さに圧倒されて、言葉が出なかった。
先程は突き刺さっていた視線が、今度はあまり気にならないのはどうしてだろうか。
まるで興味も無い、と言わんばかりにライの前を通り過ぎていく人々も少なからず居て、ライは少し安堵する。
「ライ、逸れないように」
「え?」
ライを見下ろしたスイが、左手を差し出す。
見るからにゴツゴツとして骨張った大きな掌が、ライに向けられている。
「ほら」
差し出された掌が意味することを理解する前に、スイがライの右手を掬った。
包むように握られたスイの掌は、とても暖かかった。
「何か欲しいものは?」
スイの顔が先程よりも近くにあって、あの日と同じ、仄かに樹木を思わせる優しい香りがライの鼻を擽る。
混み合っているからだろう、スイが更に顔を近付けてくるものだから、ライの心臓は訳もわからず激しく音を立てている。
「あ、あれは何?」
慌てて見渡せば、真っ赤な林檎が棒に刺さっているものが目に入って、ライは思わずそれに救いを求めた。
「ああ、林檎飴だな。買いに行こう」
その言葉に整った顔を上げたスイは、溢れ返る人々の間を、言葉通り縫うように迷いなく目的の店までライの手を引いて歩いていく。
「おう、兄ちゃん。いらっしゃい」
「ああ、ふたつ貰えるか?」
人好きのするような笑顔で店主はスイを見て、その横に立つライを視界に入れた。
「はいよ。しかし、姉ちゃん、すっげえ美人だな。兄ちゃんの瞳もそうだけど、姉ちゃんのその髪も瞳も、この辺りじゃ見かけねえ色してる」
「綺麗だろう」
「ああ、まるで妖精みたいだな」
店主の視線に思わず、ライは握られているままの手に力を入れてしまう。
それに返すように、スイがライの手を強く握った。
「どれ、そんな妖精にはおまけしてやるよ。うちの店のは美味しいぞ」
「……ありがとう」
なんとか振り絞ったライの声は無事に店主に届いたのだろう、朗らかなその笑顔にライは何故か胸が痛くなった。
「じゃあ、ライ行こう。店主、ありがとう」
「おう、おふたりさん仲良くな!」
スイは袋に入れられたその真っ赤な宝石を受け取ってお金を支払うと、再びライの手を引いて歩き出した。
「ほらな、否定的な人ばかりじゃない」
「……うん」
川を見下ろすように備えられた長椅子に、ライから手を離してスイは腰を下ろした。
桜の花弁たちがふたりを見守るみたいに、木陰を作っている。
ライもスイの隣に座り、対岸を歩く大勢の人々をただ見つめた。
この世界には沢山の色があるのだと、ライの青い瞳に歩く人々の色が映り込む。
「……私、ずっと、普通になりたいって思ってた」
静かに、ふたりの間を、穏やかな風にのった溶けない優しい雪が舞う。
「小さい頃からずっと、青の一族なんだって言われてきた。でも、こんな力要らないから、誰も犠牲にすることのない、普通の女の子になりたかった」
ライの青い瞳は、対岸に向けられている。
川のせせらぎが、雑踏に混ざって微かに聞こえる。
「でも、こうやって、外には沢山の色が溢れてて、普通って何だろうって思ったの。私は銀色に青い瞳で、何色だったら、普通なんだろうって」
閉ざされて隠されてきたライは、世界にこんなに沢山の色が溢れているなんて知らなかった。
ひとつとして同じ形の花弁が無いように、人間もまた同じではないのだと初めて知った。
「だから、私も、普通じゃないかもしれないけれど、それで良いのかなって少しだけ思えたの」
ライはそっと目線を下げて、光を携えて流れる川の水を見る。
その長い睫毛が陰を作って、人間離れした美しさを感じさせる。
「…俺の瞳も、珍しい色だろう?」
ライを見つめているスイがそう言って、ライは顔を上げてスイを見た。
スイの灰色の瞳の中でも、花弁が舞っている。
ゼン帝国の多くの国民は、黒髪に暖色の瞳を持つ。
名家である程、それは顕著に表れると言われている。
ライの七桜家の当主であるヨウも、同じく青の一族の血を僅かに引くフウとカイですら、暖かみのある赤系の瞳を持っていた。
寒色の瞳を持つ者も珍しいけれど、その中でもスイの灰色はあまり見かける色では無かった。
「俺も、普通じゃない。でも、それはただ違うだけであって、間違いなんかじゃないと思うんだ」
スイはライから視線を外して、真っ直ぐに対岸を見つめる。
「何が間違いで、間違いじゃないかなんて、誰にも決められない。だから俺は、自分のこの瞳は間違いじゃないって決めたんだ」
そう言うと、スイはその灰色の瞳をライに向けて淡く微笑んだ。
「俺もライも、何も間違ってなんかいない」
スイを見ている筈のライの視界が、何故かぼやける。
鳥籠を出てから、分からない感情ばかりだライは思う。
「……うん」
ライはそう答えるのが精一杯で、震えそうになったその声にスイが気が付きませんようにとライは祈った。
「そろそろ帰ろう」
青かった空が微かにその色を変化させていて、時間の経過を感じさせる。
頬を撫でる風が少し、冷たさを孕み始める。
「うん」
立ち上がったスイが、ライを丸ごと受け止めてくれそうな程大きな掌を、そっと差し出した。
ライはその暖かく広い優しさに手を伸ばし、しっかりと掴んで立ち上がった。
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