白い花、青い蕾ーー4
「……腕、まだ痛い?」
ハク、と呼ばれた声に振り向けば、ライが青い瞳を下げて心配そうな表情で立っていた。ライの制服は今日もやっぱりボロボロで、白い頬には黒い汚れがついていた。
「大丈夫だよ、見た目ほど酷くないんだよ」
「……本当?」
「うん、この包帯が大袈裟なだけで」
ハクの左腕には包帯が巻かれていて、困ったように持ち上げてみせた。いかにも大怪我です、とアピールしているみたいで嫌だと言ったのに、どうやらライの父は心配性らしい。手当をしてくれたヨウに、ハクの抗議の言葉は一切受け入れてもらえなかった。
食堂の椅子に座ったハクに倣って、ライもハクの隣へ腰を下ろす。ライが自ら、ハクの隣に座ったのは初めてだった。
「……わたし、少し分かった気がするの」
ライが自分から何かを口にするなんて珍しい。そう思いながら、真っ直ぐ前を向いたままのライの横顔を見た。
「変えられないものを変えようとして、必死になって。変えられなくて、辛くて苦しくて、どうしようもなくなってた。でも、変えなくて……、変わらなくていいんだって気付いた。…うまく言えないけど。でも、ハクのお陰で、少し気持ちが楽になったの。…ありがとう」
言って、ハクを真っ直ぐに見て微笑んだライは今までのどんな表情よりも美しかった。固く引き結んでいた蕾が、微かに綻ぶみたいな。青い花が咲くのは、きっともうすぐだ。
「…どういたしまして。ライが笑ってくれるのが、僕は何よりも嬉しいよ」
何度だって躓く。その度に、起き上がって前を向く。現実が劇的に変わることは無いけれど、それでもハクの言葉が、想いが、少しでもライに届いたのなら嬉しかった。
静かに冬を耐え抜く、白くて青い蕾に水を注ぐみたいに。
―――
「じゃあ、ライ。また会おうね。先に、外で待ってる」
そう言って、今まで何度も触れてきた柔らかい銀髪を撫でる。ゲンでの生活にちっとも名残惜しさは感じないけれど、この髪の毛に触ることが出来るのも今日までかと思うと、とても寂しかった。今にも泣きそうな顔をしている彼女にとっても、ハクの存在が少しでもそう思ってもらえているのなら、ゲンでの生活も少しは救われる思いがした。
月日というものは、あっという間に流れていく。
ハクの養子先が七桜家に準ずる名のある名家に決まったのは、つい一週間前だった。ゲンでの修行を修了し国家魔術師としての資格も取得したハクは、ゲンを出たあとの引き取り先が決まるのを待っている状態だった。未成年のハクがひとりで暮らすにはまだ早いから、と相変わらず心配性のヨウに待ったをかけられたからだ。
まさかライと親戚関係になるとは思ってもいなかったけれど、これから外とゲンで離れ離れになっても小さな繋がりがあると思えばなんとか日々を送れそうな気がした。
ライと時を過ごすうちに、ただの憐憫の情だったはずの感情はいつしか形を変えていて。見ないふりをすればする程、募っていく想いにハクは気付いていた。日々を共に過ごせば過ごすだけ、ライを笑顔にしたいと思う。そんな想いの名前を、ハクはちゃんと分かっていた。
「…うん、わたしも外に出たら会いに行くから」
「約束だよ、待ってるからね」
宝玉みたいな青い瞳からは、今にも溢れそうに雫が盛り上がっている。久しぶりに見たライのそんな姿に、どこか懐かしさが込み上げる。あれから、ライが泣くことはなくなって。歯を食いしばって訓練を受けているのを、何度も見かけた。きっとこれからもっと、強くなるんだろう。
もう一度、ライの小さな頭を撫でて振り返らずに進む。目指す先は、きっと一緒だから。
―――
――潮風が鼻を掠めていく。
砂浜に立ち海を眺めるライが記憶を遥かに越えていて、ハクはその場を動くことが出来なかった。最後に会ったときよりも伸びた背丈、鮮やかな檸檬色のワンピースが海の紺碧色によく映えていて別人のようだった。そして、なによりもライのその表情が見たことのないもので。
そこには、恋をする女の子が居た。
潮風に揺れる銀色の髪の毛は、持ち主の心模様を表しているようだった。
隣に並ぶ背の高い彼は、ハクも知っているくらい国立軍の中でも一際目立つ存在だった。血反吐を吐くような訓練を繰り返し乗り越えて、最年少で軍入りした天才。初めの頃は出自のことで兄と共に何かと揶揄されていたけれど、そんなスキャンダルをものともせず、これまた最年少で軍の精鋭第一軍に所属した。第一軍なんて、ほとんど化け物みたいな奴らしか所属していない中、名家の出身で誰もが憧れる国立軍人。彼の整った容姿は一目を引くのに、人を寄せ付けないその冷たい雰囲気が逆に大勢の女性たちの興味を掻き立てた。そんな彼女たちの視線を気にも止めず、まるで何かを一心に追い求めているみたいに見えたその理由が、ハクには分かってしまった。そんな彼を、見上げるライの気持ちも。
5年前のあのとき、彼がライの護衛候補だったと耳にしてハクは納得した。その時、ふたりは既に出会っていたのだ。互いに、運命の相手として。
――ああ、遅かったんだな。
でも、見つめ合うふたりの姿にどこかで安堵している自分も居た。いつだって呪いのような青い血を恨んでいるみたいな表情をしていたライが、ようやくそれらを受け止めてでも一緒に居たいと思える誰かに出会えたのなら。そして、そんな前向きな心の変化の一旦をハクが担えるのなら。
そう思えば、ライの想いの背中を押すことだってハクは平気だった。
―――
――薄紅色の桜が咲き誇っている。
ふたりの門出にピッタリだな、とハクは空を仰ぎ見て思った。ライが外に出て、スイと出会い、幾度となく試練を乗り越えて、ふたりはようやく結ばれた。ライが連れ去られたと聞いた時は肝を冷やしたけれど、今となっては結果的には良かったのかもしれないとも思う。垂涎の的だった青の魔力は、きっともう存在しない方がいい。ただ、ライが魔力を無くしたお陰でハクの国家魔術師としての仕事は増えてしまったけれど、仕方が無い。
並んで微笑み合うふたりはとてもお似合いで、付け入る隙は無さそうだ。記憶を無くしていた筈のライが、姿を見ただけで思い出した唯一の存在。そんな彼もライを映す瞳が穏やかで、男のハクから見てもライを心から愛しているのが分かる。このまま長居しては胸焼けしそうだ。早めに退散しようと、来賓の誰かがふたりから離れたタイミングで近寄った。
「ライ」
声を掛ければ、左右揃いの色をした瞳がハクへ向けられる。ただでさえ美しい容姿は更に美しくされていて、目が眩みそうだ。
「ハク。来てくれてありがとう」
「うん。ライも、スイ様も、おめでとう」
「ありがとうございます」
「そろそろ、僕は帰るよ」
「そうなの?」
「うん。このあと、仕事も入ってるから。ライ、男は誰でも狼だからね。…いや、スイ様の場合は獣かな? 頑張ってね」
言えば、ライはこれ以上無いというくらい顔を真っ赤に染めて。隣に立つスイも、ほんのりと頬を赤くしていた。初心な反応を見せるライに思わず笑ってしまう。
「あはは、またねライ。今日は、おめでとう」
あの時よりも更に、雪の精に近付いたライへ背を向けて手を振る。切なさと喜びと、やっぱりちょっぴり寂しさが強いかな――。そんな色んな感情をごちゃ混ぜにして、ハクは歩き出した。
「あーあ、僕の運命の人はどこかなあ」
――わたし、雪は嫌い。
そんなことを言った少女はもう居ない。純白のドレスを纏った妖精は今までで一番綺麗な笑顔を見せて言った。
『私、とても幸せだよ。ハクと出会えて、スイに恋して。ありがとう、ハク。ずっと、私の大切な人』
空には満開の桜が開いて、青い蕾もまた花を咲かせた。それはもう、美しい花を――。
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