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七桜家の屋敷からライの通う学校までは、歩いてもさほど時間の掛からないくらいの距離にある。
スイはライの小さな手を握りながら、大人しく隣を歩くライを盗み見た。
あの時より伸びた銀色の髪の毛はひとつに括られていて、黒髪の人間が殆どを占めるこの国ではとても珍しい。
人形のように整ったその顔は、あどけなさを残しながらも更に美しく成長していた。
ライが保護されていた魔法施設は完全に世間から隔たれていて、その場所はリョクとヨウしか知り得ないのだという。
そんな場所に隠されるように保護されていたライがこの春から学校に通うことで、噂話を生き甲斐とする人間たちが浮き足だっているのだと、フウが溜息混じりに言っていたのをスイは思い出す。
――そうでなくても、目立つのに。
銀髪もそうだが、何より珍しいのが左右で濃淡の違う青い瞳だった。
青の一族の女性は皆、例外無く、左右で濃淡の違う青い瞳を持つと言われる。
先程から道行く人々の視線はその殆どがライに向けられている。
そんなライは、自分に注目されていることに気が付かないのか、淡々と歩いていた。
道の隅を流れる水路から、涼しげな水音が聞こえる。
歩き出せばそれなりに暖かく、今年もまた短い春が訪れていた。
「ここだ」
煉瓦造りの大きな門に、大きな建物。
それらには青々しく茂った緑が絡み付くように生い茂っている。
とてつもなく広い敷地を持つ国立学校は、10歳と15歳の二度、入学する機会がある。様々な学門の研究、教育が行われており、どちらの時に入学しても良いが、最長で在学できるのは8年間だった。
スイは10歳の時に入学し、普通学科を飛び級で13歳で卒業した。
10歳の時から軍と併用して通っていて、軍に正式所属する為に吐くほど勉学に励み、ここでもまた史上最年少で卒業した。
ここで漸く、スイはライの柔らかなその手を離す。
緑が溢れる校舎を見上げて立ち止まっているふたりの周りを、ライと同じ深緑の制服を着た少年少女たちが不思議そうな顔をして通り過ぎていく。
男子だけに限らず、女子もまた、ライを見つめていた。
「学校長には話が通っているから、一緒に教室まで行く。迎えも教室まで行くから、授業が終わった後もそのまま待っててくれ」
スイはそう言って、懐かしい門を通り抜ける為に歩き始めた。
「スイ」
初めてライに名前を呼ばれたスイは、内心どきりとしながら振り返った。
ライはその形の良い眉を下げながら、スイを見上げていた。
「そこまでしてくれなくても、ひとりで教室まで行けるし、帰りもここまで来れるよ」
「いや。何があるか分からないから、一緒に行く。帰りも俺が行くまで待ってて欲しい。校舎の中なら安全だから」
「……分かった」
「嫌だったか?」
「……ううん、そこまでしてもらうなんて、申し訳なくて」
なんだそんなこと、とスイは心の中で安堵した。
ライは魔法施設を出てから、まだ数日しか経っていないとスイは聞いている。
ライを取り巻く環境が目まぐるしく変わって、更に自分とは今日いきなり出会ったばかりで心から信頼するなんて無理な話だと分かっていた。
だからこそ、ライが新しい生活に集中出来るように、少しでも早く慣れるように、スイは出来る限りのことをしてやるつもりだった。
「俺のことは気にしなくて良い、ライを護ることが仕事だから」
「……うん」
「じゃあ、行こう」
再び歩き出したスイを追いかけるように、今度はライもしっかりと隣に並んで綺麗に整えられた芝生を踏み締めた。
通っていた頃と同じ独特な匂いがする、とスイは懐かしい気持ちになる。
書物の埃っぽい匂いや、校庭で運動に励む生徒たちの汗の匂い、たった3年間しか通わなかったけれど、在校中の思い出は色濃く残っているらしい。
そう考えているうちに、予め聞いていたライの通うことになる教室に着いた。
「ここがライの教室だ」
「ここ?」
「ああ」
スイが教室の扉の前に立つと、既に中には何人も生徒が居るようだった。
中からは楽しそうな声が聞こえてくる。
「……わ!」
スイが扉を開けようと手を掛けた瞬間だった。
中から扉が開けられて、出てきた少女が驚いて声を上げる。
肩まで切り揃えられた黒い髪の毛に、夕陽のように丸くて大きな橙色の瞳。
ライよりも少し背の高い少女は、深緑の制服がとても似合っていた。
「……悪い、」
「…あの、もしかして、藤壱家のスイ様ですか?」
「え?」
その橙色の瞳はスイを見上げたあと、スイの後ろに立つライに視線を移す。
ライを見ると、少女は驚いたようにその大きな瞳を更に大きくさせた。
「…そうだけど、何で俺のことを知ってる?君は?」
「私、七桜家分家の白水トウと言います。今年、七桜家の青の一族の末裔が入学するってすごい噂なんですよ!」
不思議に思ったスイがそう尋ねれば、少女はライを見つめたまま興奮したようにライに近寄りその手を取った。
ライは、驚きで固まっている。
「貴方がライ様ですね!私、ずっとライ様にお会いしてみたくて!わー、本物だ!噂通り、すっごい美人ですね!その瞳もきれー!」
「……ちょっと、落ち着いてくれるか?」
ライの手を握ったまま、トウは思ったことをそのまま口にする。
あまり人と関わらない生活を送ってきたライは、何も言えずに見るからに困惑していた。
そんなライを見兼ねて、スイはやんわりとライを庇うようにライの前に立った。
トウはライの手を離して、スイを見上げた。
「ごめんなさい、興奮しちゃって。私、小さい頃に本家の青の一族の話を聞いてからずっと、ライ様に憧れてたんです。私は魔力が少なくて、魔術師にはなれないから。七桜家に準ずる家に産まれたのに、情けないですよね」
代々魔力が多く、魔術師の中でも特に秀でた魔術を操る国家魔術師を輩出してきた七桜家は世間から一目置かれる存在だった。
本家である七桜家の、青の一族の血を引くライは、殊更に。
「…藤壱家のスイ様が護衛につくって噂で聞いてたから、直ぐに分かりました!ライ様、私も同じ組なんです!私のことはトウって呼んでください。これからよろしくお願いしますね!スイ様、学校でのライ様の安全は私にお任せください!」
トウは微かに見せた仄暗さを直ぐに隠して、持ち前の明るさでまるで何とも無いように微笑む。
ライがそんなトウのことを眩しいものでも見るように見つめていることに、スイを見上げているトウは気付かなかった。
「…じゃあ、ライを頼む。ライ、また帰る頃に迎えに来るから」
「……うん」
白水家といえば、確か本家直属の分家だった筈だとスイは頭の中で七桜家から細かく枝分かれする分家を思い浮かべた。
藤壱家、参梅家、伍菊家、七桜家はこの帝国で四大名家と呼ばれ、それぞれ数多くの分家が帝国中に派生している。
再びライを熱い視線で見つめ始めたトウに内心苦笑しながら、直属であれば信頼出来るだろうとスイは思った。
ライと同性だし同じ組のようだし、トウ自身ライに憧れていると言っていたところも信頼出来そうな要素だった。
この数分でも分かるくらい、どうやら明るい性格のトウと共に過ごすことで、ライの学校生活が少しでも楽しくなると良いとスイは願う。
少し不安そうにスイを見上げるライを後ろ髪引かれる思いでトウに託し、スイはその場を後にする。
深緑の制服が埋め尽くす中を濃紺の大きな背中が角を曲がるまで、ライはスイを見つめていた。
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