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燃えるように真っ赤な夕陽が、参梅家の広い庭を染める。
藍色の生地に深紅の紅葉が描かれた着物を身に纏い、突き刺すような夕陽に目を細めるのは、コウだった。
周囲の招待客たちの視線も、立っているだけで目立つ彼女に注がれている。
揃いの緑色を着て、そんな彼女に寄り添うように立つのは、コウがずっと、想い続けてきたスイだ。
彼は一心に、リンと話をするライを見つめている。
その灰色の優しい眼差しは、コウに向けられるものとはまるで違った。
コウは幼い頃にスイに一目惚れしてから、スイだけを一途に見つめ続けてきた。
だから、スイの気持ちがコウに向いていないなんてこと、コウ自身が一番分かっている。
分かっているのに、それでも、諦め切れなかった。
父であるトウが口にした、無謀とも思える奇策がコウの思考を埋め尽くす。
コウの着物の帯の間には、トウから渡された小瓶が入っていた。
『いいな?これは、――』
ただひとり、想い続ける日々は、今夜で終わりだ。
コウは胸を占める高揚感を隠して、リンと向き合うライ、ライを護るかのように立つスイの元へと、足を踏み出した。
夕陽が、欠け始める。
「スイ様」
コウがそう呼べば、彼がコウを振り返った。
「……コウ」
スイに倣うようにライもまた振り返って、その青い瞳をコウへと向けた。
コウを見る忌々しい青い瞳が、スイを見つめることが出来るのも今日が最後だと思うと、コウの口角は自然に上がる。
「今日は来て下さってありがとうございます」
「…ああ。誕生日、おめでとう」
「ありがとうございます」
スイとライの向こうから、リンの赤い瞳がコウを見ているのが視界に入った。
「スイ様、私、誕生日プレゼントが欲しいんです」
「……何が?」
「少しだけ、スイ様とふたりだけで、お話がしたいんです。リンも、ライ様と話したいことがあるみたいですし」
スイの灰色の瞳がコウへと注がれる。
この瞳が、これからはコウだけを見つめてくれるのだと思うと、嬉しくて堪らない。
「ね?私たち、誕生日ですし、今日だけお願いを聞いてもらえませんか?」
「……でも、ライの護衛は、」
「今日はうちで雇った護衛が大勢控えていますし、そんなに長い時間じゃないですから大丈夫ですよ。…ライ様も良いですよね?」
「……」
ライに畳み掛けるようにそう言えば、ライはちらりとスイを見上げた。
「…スイ、私なら大丈夫だから、コウ様とお話してきて」
「……ライ」
「良かった!じゃあ、スイ様、あちらに行きましょう」
スイの袖に自身の腕を絡めて、半ば強引にコウは歩き始めた。
最後に視界に入ったリンが、コウを真っ直ぐに見つめていた。
いつの間に、夕陽は全て欠けて、薄い青色の空には僅かに赤く染まった雲が浮かんでいる。
ーーー
コウは屋敷に入ると、予め用意されていた部屋の扉を開けた。
「スイ様、どうぞ。直ぐに、何か飲み物を用意させますね」
控えていた使用人に目配せをして、コウは部屋の中心に位置するソファへと腰を下ろした。
緊張がそうさせるのか、コウの掌には汗が滲んでいる。
「…スイ様、そんなに警戒しなくても、何もしませんよ」
扉の前に立ったままでいるスイに、コウは苦笑した。
「どうぞ、座ってください」
「……ああ」
そう言えば、スイはコウと向かい合うようにソファに座った。
コウに向けられるスイの眼差しはまだ、少し固い。
「スイ様とこんな風にふたりで話すのなんて、いつ以来でしょうね」
「…そうだな」
そう口にしながら、コウは初めてスイと出会った頃のことを思い浮かべた。
切れ長の灰色の瞳はまだ幼く、その整った顔は無表情で、まるで人形のようだなと、当時のコウは思った。
もう何年も前の、今日と同じように、コウとリンの誕生日会のことだ。
初めてスイを見たときから、コウは目が離せなかった。
感情の無いスイの瞳はぼんやりとしていて、覇気が無かった。
どこか投げやりにも見えた、そんな瞳が、力強く意志を持つようになったのはいつからだろう。
その眼差しを、コウに向けて欲しくて、コウだけを見て欲しくて、そう強く願うようになったのはどうしてだろう。
「お待たせ致しました」
コウの思考を遮って聞こえた声は使用人のもので、計画通り、トウが手配した飲み物が入っているらしかった。
磨かれた透明なグラスには桃色の液体が入っていて、飲み口には切られた林檎が飾られている。
「ありがとう」
トウはそう言うと、使用人が差し出すお盆の上からそのグラスをひとつ、手に取った。
「スイ様も」
「……ああ」
スイも同じものを手に取ったのを見て、コウはグラスを僅かに上に掲げた。
初めからずっと、スイのことが好きだった。
コウの全てを、スイが占めていた。
スイにも同じようにコウだけを想って欲しかった。
でも、違った。
唐突に現れた、当たり前のようにスイの隣に立ち、寄り添う、青い瞳を持つ彼女。
異常とも言える程の魔力を持ち、美し過ぎるその見た目は異質だ。
そんな彼女とスイが婚約目前だと書かれた記事を見たときは、コウは気が狂いそうだった。
――どうして、私じゃないの。
その灰色の瞳に映るのはコウでは無く、ライだった。
ふたりは、お互いを愛おしそうに見つめ合っていた。
スイのことをずっと前から見てきたのは、コウなのに。
湧き上がる怒りに、コウは唇を噛み締めた。
許せなかった。
「乾杯」
「……誕生日、おめでとう」
「ありがとうございます」
カチン、と甲高い音が響く。
スイがグラスに口を付けたのを見て、コウもまたそれを喉に流し込んだ。
甘く、桃のような風味が鼻腔を抜ける。
コウはそれを飲み干すと、スイとの間に置かれた机にグラスを置いた。
コウの目の前で、唐突にスイの体が、ぐらりと傾いた。
スイの手にあったグラスが、床に落ちて砕け散る。
粉々に割れる音がやけに、その部屋に響いた。
コウはスイの体を慌てて支えて、その顔を覗き込んだ。
灰色の瞳はしっかりと閉じられていて、スイの体はぐったりと力が抜けている。
「……スイ様」
コウはスイの名を呼ぶと、その大きな体を強く抱き締めた。
スイの整った顔が、コウの目の前にある。
コウはもう、緩む表情を抑えることが出来なかった。
「……これで、スイ様は、私のもの」
ーーー
風の音も、虫の声も、聞こえない。
スイはゆっくりと、目を覚ました。
開いた視界は薄暗く、淡い灯りが灯されている。
スイは体を起こすと、辺りを見渡した。
見慣れない部屋の寝台の上で、スイは兎に角、酷く曖昧な記憶を遡る。
今日もまたライと共に魔物討伐に向かっていた為に、コウとリンの誕生日会に出向くことが出来たのは夕陽が傾き始めた頃だった。
差し込む夕陽に照らされて、コウの着物の紅葉の柄が深く赤く染まっていたのを思い出す。
そのあと、コウに連れて来られた部屋で飲み物を飲んだ。
口に入れたその液体は、とても甘くて、スイの記憶は突然、そこで途絶えていた。
半ば無理矢理にコウに手を引かれたときの、ライの表情がスイの脳裏を過ぎる。
ライはどうしているだろう。
そう思うのに、スイの思考は揺れて、酷く鈍る。
体が、熱い。
「……スイ?」
徐ろに扉が開けられて、顔を出したのはライだった。
いつもはひとつに括られている長い銀色の髪は、ワンピースに合わせて緩く巻かれている。
「…良かった、起きてたんだ。急に倒れたって聞いたから」
ライはそっと後ろ手に扉を閉めると、寝台の上に居るスイへと駆け寄った。
「…もう、大丈夫?」
スイが居る寝台の上に座ったライから、ふわりと、甘い香りがした。
ライが右手でスイの頬に触れる。
「……うん」
スイを見つめる青い瞳に、ライの白い顔に浮かぶ桃色の唇に、スイの体は更に熱くなる。
「良かった」
「……」
「今日はもう遅いから、このまま泊まっていってって」
「……」
「…ねえ、スイ?」
ライが甘えるように、スイを見上げた。
投げ出されたスイの掌に、ライが自身の手を重ねる。
ライの掌は、温かかった。
「…今夜は、スイと一緒に、居てもいい?」
「……」
スイは、ライを真っ直ぐに見つめた。
ライの小さな顔が今にも触れそうな距離にある。
「……お願い、スイ」
スイは重ねられたライの小さな掌を掴み、ライの体を引き寄せた。
「……」
スイはまるで吸い込まれるように、ライの唇に自身のそれを重ねようとゆっくりと顔を近付ける。
ライの香りが、より一層、濃くなった。
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