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その瞳が映す景色に、  作者:
第一部
27/40

15歳、秋。


 リンが初めて彼女を見たときから、射抜かれて動けなかった。


 入学式のあと、廊下に佇む生徒たちの複数の視線は、奇異とも言える彼女に向けられていた。


 些か疲れたような顔をした彼女が不意に上げた視線と、リンの視線が重なったのは一瞬で、でもその一瞬でリンの世界は変わったような気がした。


 魔力も、整い過ぎた容姿も、彼女が纏う雰囲気も、その全てが別格で、全てが特別だった。


 そんな彼女と少しでも近付きたくて、ライが落としたハンカチを拾ったときは、リンは舞い上がる心を隠すのに必死だった。


「落としましたよ」


 なんとか平静を装ってそう声を掛ければ、彼女は僅かに瞠目したあと、まるで小さな花のように微笑んだ。


「…ありがとう」


 学校内では、常に七桜の分家の出であるトウが、まるで彼女を護るかのようにライに連れ添っていて、誰もがライと関わりたくて、しかし簡単に近付くことが出来ないでいた。


 リンもまた、なんとかライと接点を持てないかと考えていたところに、不意にその好機は訪れた。


 リンが放課後になんとなく訪れた図書室の本棚の間で、ライはその小柄な体を背一杯伸ばして、本を取ろうとしていた。


 いつも彼女の側に居るトウはおろか、他の生徒も見当たらない。


 リンはこの好機を逃すまいと、そっと彼女に近付いて後ろからその本を抜き取った。


 リンが本を彼女に差し出して見下ろせば、驚くライの青い瞳と目が合った。


「これですか?」

「……あ、ありがとう」


 近くで見たライの顔はとても小さく、大きな青い瞳は宝石かと思う程に透き通っていた。


 瞳を縁取る睫毛は、髪の毛と同じ銀色をしていて、人間離れした美貌を際立たせていた。


「…どういたしまして。今日は、おひとりですか?」

「……あ、はい。トウは先生に呼ばれていて」


 姉であるコウとは違って、人当たり良く見られる赤い垂れ目を更に下げてリンは微笑んだ。


 ここで警戒心を持たれてしまったら、せっかくのチャンスを台無しにしてしまう。


「…あの、以前にもハンカチを拾ってくれましたよね?」

「……覚えていてくれたんですか?」


 リンを見上げて呟くように言ったライの言葉に、リンは胸が弾む。


 まさか、ライがリンを覚えてくれているとは思っていなかった。


「はい。参梅家の方だってトウに教えてもらって」


 リンは緩みそうになる顔を必死に堪えて、ライを見つめた。


 ライは変わらずにリンを見上げている。


「参梅リンと言います。僕のことはリンって呼んでください」


 リンがライを見下ろしたままそう言えば、ライは僅かに微笑んで頷いた。


「同じ歳だし、敬語も無しで」


 リンは更にそう付け加えて微笑む。


 他の生徒たちよりも、誰よりも、ライと親しいのはリンなのだと周囲に見せつけたかった。


「……うん」


 ライは少し戸惑ったような顔をしたものの、なんとか頷いてくれて、リンにはそんな姿ですら可愛く見えて仕方なかった。


「ライは、本が好きなの?」


 本を読みながらトウを待つというライともっと近付きたくて、リンも適当な本を手に取りライの隣の席に座って尋ねた。


「うん。ひとりで居る時間が長かったから」

「……そうなんだ」


 既に開いた本へ視線を向けているライはなんてことないかのように言って、リンはその言葉にライの抱えるものの重さを思い知ったような気がした。


「…その、これからは、」


 リンは、何を言おうとしたのだろう。


 自身でも無意識に口を開いたリンへ、ライがゆっくりと顔を向ける。


「ライ」


 しん、とした図書室に、唐突に響いた声がリンの言葉を遮った。


 ライとリンは揃って、声のする方へと顔を向けた。


 図書室の入り口から真っ直ぐにライの元へと歩いてきたのは、この国の軍人を表す濃紺の制服を着た彼で、その灰色の視線はライに向けられたあと、隣に座るリンへと注がれた。


「スイ」


 リンを見る感情の無い灰色の眼差しは、彼を呼ぶライの声に導かれるようにリンからライへと移された。


「どうしてここに?」

「トウから図書室に居るって聞いた」

「そうなんだ。トウは?」

「まだ時間が掛かるらしい。先に帰ってくれって」

「そっか」


 ライは読んでいた本をそっと閉じると、ゆっくりと立ち上がった。


「じゃあ、リン。私、もう帰るね」

「……あ、ああ、うん。またね、ライ」

「うん、また」


 立ち上がったライがリンに声を掛ける。


 当然のようにライの持つ本を抜き取って、ライの隣に立つ背の高い彼はリンを一瞥すると無言のまま入り口へと歩き出した。


 そんな彼の背中を追って、ライもまた図書室を去って行く。


 ひとり残されたリンは、静かに思いを馳せる。


 青の一族の護衛に選ばれた、リンと同じ名家のひとつ、藤壱家の次男。


 切れ長の灰色の瞳は、まるで睨むようにリンを見下ろしていた。


 魔力が無いながらも、国立軍の精鋭第一軍に所属する優秀な彼のことは、リンも知っていた。


 幼い頃からスイに恋慕しているコウが事あるごとにスイに話しかけていて、そんな姿を、リンはずっと近くで見てきた。


 きっと、今年の誕生日会の招待状も渡すのだろう。


 彼が、コウに興味が無いことは一目瞭然なのに。


 リンはそんな姉を想像して、嘆息した。


 毎年、コウと合同で行われる誕生日会はリンにとって憂鬱なものでしか無かった。


 残暑の残る昼間を避けて夕方から開かれるそれは、この国の名家らしく名だたる者たちが大勢参加する。


 主役であるコウとリンに口先だけのお祝いを口にしたあとは、まるで興味もないと言わんばかりに背中を向けて雑談に精を出す。


 校舎の3階に位置する図書室の窓からは、校庭を門へと向かって歩くふたりの姿が見えた。


 濃い青色の空に、真っ白な雲が大きく浮かんでいる。


 リンは外を歩くライとスイの姿から視線を外すと、立ち上がって入り口へと向かった。


ーーー


「ライ」


 廊下を歩くライの背中へ声を掛ければ、ライと、彼女の隣を歩くトウもまた、振り返ってリンを見た。


「リン、おはよう」

「うん、おはよう。…あの、ちょっと良いかな?」


 その日もまた、廊下で雑談をする生徒たちの何人かの視線はライへと向けられている。


 度々、国家魔術師として魔物討伐に行く所為で、リンがライの姿を見ることが出来たのは久しぶりだった。


「どうかしたの?」

「うん、ちょっと……」

「…ライ様、私、先に行っていますね」


 リンがちらりとトウを見れば、気を利かせたのだろう、トウはそう言うと教室へと入っていく。


 開けられた窓から少し強い風が吹いて、ライの髪の毛を揺らした。


「実は、もう直ぐ、参梅家の屋敷で僕と姉の誕生日会が開かれるんだけど、良かったら、来てくれないかな?」


 リンは制服のシャツの胸元から一枚の封筒をライへ差し出した。


 ライの視線がリンの持つ封筒から、リン自身へと移される。


 青い瞳が、窓からの陽を受けて透き通っていた。


「……」

「スイ様には姉が招待状を渡しているし、参梅家でも護衛を雇うから安全だと思う。また来週までに返事をくれればいいから」

「…うん、分かった」


 静かにそう言うと、ライの白く細い指がリンの差し出す封筒を受け取る。


 ライがこういった、人の多く集まる場が苦手なことは知っている。


 しかし、久しぶりに参梅家本家の屋敷に現れたリンの父トウに、リンはきつく厳命されていた。


『必ず、青の一族を次の誕生日会に出席させろ』

『……どうしてですか?』

『どうしても、だ。必ず、参加させろ。いいな?』

『……はい』


 招待状を差し出したとき、戸惑ったようにライの青い瞳は揺れていて、そんな姿を見てリンの心はちくりと痛む。


 リンとコウが幼い頃から、参梅家の所有する山奥に作られた研究所に籠りきりで、ごく偶に本家に姿を見せる父の言うことは、いつだって、絶対だった。


 目元に酷く濃い隈を作り、リンを見つめたトウが過ぎる。


「……じゃあ、また返事するね」

「うん。出来れば、良い返事を待ってるね」


 ライはそれから暫くして、魔物討伐に忙しく会えない日々が続いた。


 学校にも殆ど来れなくなり、招待状の返事は一向に貰えなかった。


 夏も盛りが過ぎ、涼しい風が吹き始める頃、ライから参加の返事が送られてきたときはリンは、心から安堵したのを思い出す。


 正装を着るリンは今日、誕生日を迎える。


 大勢の招待客の声に混ざって、微かに虫の音が聞こえる。


「……見て、青の一族よ」

「…本当だ」

「隣に居るのは、藤壱家の、」


 リンの近くで囁く声が聞こえて、周囲の人々の視線が、一点に向けられた。


 リンもまた、彼らと同じ方向を見た。


 秋桜の咲き誇る広い庭の少し先、大きな門を通って姿を現したのは銀色の髪の毛を緩く巻き、緑色のワンピースを着た彼女だった。


 彼女の隣には寄り添うように、揃いの深い緑色の正装を着たスイが立っている。


 きっと、一目惚れだったのだと、リンは思う。


 あのときからそう、当たり前のようにライの隣に立ち、彼女を愛おしそうに、優しく見下ろす彼が、リンは羨ましくて妬ましくて仕方無かった。


 今日まで何度、ライと言葉を交わしただろう。


 それでもライは一向に、リンに靡いてはくれなかった。


 ライを見ていれば、嫌でも分かる。


 ライの想いは一心に、彼に向けられているのが。


「リン」


 いつの間にか、佇むリンの目の前にライが居た。


 久しぶりに近くで見たライは今日も、リンには特別に見えた。


「お誕生日、おめでとう」


 そう言って差し出された花束からは、仄かに優しい香りがした。


「……ありがとう」


 この想いは、届かなかった。


 出会った頃は固かったライの表情は、比べものにならないくらいに柔らかくなった。


 笑顔なんて程遠く、無に近かったライが嘘だったかのように、今は微笑みを浮かべてリンを見上げている。


 それはきっと、ライを護るかのように少し後ろに立つ彼のお陰なのだろう。


 彼女を笑顔にして、どんなものからも護るのは、リンで在りたかったのに。


 リンは張り裂けそうな胸の痛みを隠して、ライを見つめて微笑む。


 蝉の声は、もう、聞こえない。


ーーー

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