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その瞳が映す景色に、  作者:
第一部
26/40

ーーー


「おかえり……!」


 スイと共に七桜の屋敷に戻ったライを、ヨウが出迎えた。


 あのあとから、暴走を繰り返した近頃とは比べものにならない程にライの魔力は安定していた。


「……ライも、戻ってきてくれたんだね」


 久しぶりに見たヨウは濃紺の制服を着ていて、ライを見てそっと呟いた。


「……お騒がせして、ごめんなさい」


 ライがヨウを見上げて、掠れる声でそう言えば、ヨウは酷く穏やかに微笑んだ。


「いいんだよ、あの時はああするのが一番いいと思ったんでしょう。誰だって、故意に誰かを傷付けようなんて思わないからね」

「……」

「とりあえず、ふたりとも上がって」


 言われるがまま、ライとスイは玄関で靴を脱ぎ、ヨウの後ろを追い掛ける。


「ふたりとも、びしょ濡れだね。お風呂を用意させるから、入っておいで。そのあと、話があるんだ」


 ヨウが顔だけをライとスイに向けて微笑んだ。


 ふたりは頷くと、そのまま脱衣場へと向かった。


 開け放たれた窓からは、湿度の低い涼しい風が吹いている。


 虫の音が聞こえる。


 空は高く、茜色に染まっている。


 掠れたような雲が薄く浮かんでいる。


「それじゃあ、ライは前と同じようにこの屋敷で生活するってことでいいんだよね?」

「…はい」

「もう、ゲンの中で生きていくなんて、言わないでね」


 室内着に着替えてソファに座るライの前にはヨウが座っていて、ヨウはそう言うと悪戯に微笑んだ。


 ライの隣には、同じく室内着に着替えたスイが座っていて、スイからは微かに花のような香りがした。


「それで、ふたりに提案なんだけど、」


 ヨウはそこまで言うと、胸元から一枚の紙を取り出して机に広げた。


「……っ……」

「……ヨウ様、それは、」


 そこに書かれた、その紙を意味するものにライは目を見開いた。


 スイも驚いたように、ヨウを見たのが分かった。


「……私、は、」


 ゼン帝国の紋章が書かれた、正式な書類であるそれには、“婚約書”と書かれていた。


「…知ってる。ライが誰とも婚約も結婚もしないって思っているのは、知っているよ」


 ヨウが真っ直ぐにライを見据えて、穏やかに言った。


「でも、ふたりは想い合っているんでしょう?」

「……」

「ライ、子供を産み育てないふたりは結婚してはいけないなんて決まりは無いんだよ。ふたりがお互いを好いていて大切に想っていて、この先の未来を共に生きたいと願うなら、結婚したらいい」


 思ってもみなかったヨウの言葉に、ライはまるで声が出せなかった。


 もう、とうの昔に、諦めていた。


 誰かと、連れ添って生きていくなんてこと。


「……私、」

「もちろん、今すぐに決めなくたっていい。ふたりで、ゆっくり決めればいいんだ。ただ、どんな選択をしたって、僕はライとスイくんに、幸せになって欲しいと願っているよ」


 ライは隣に座るスイをそっと窺う。


 スイは真剣な顔をしていて、光沢のあるその一枚の紙を見つめていた。


「…それじゃあ、僕は今から討伐なんだ」


 そう言うとヨウはソファから立ち上がって、いつもの微笑みを浮かべてライとスイを見下ろした。


「ゆっくり考えたらいい。だめなことなんて、何ひとつ無いんだから」

「……はい」

「ライはまた明日、討伐だったよね。十分気をつけるんだよ、じゃあ、スイくん頼むね」

「…分かりました」


 ヨウは扉を開けて出て行って、その背中を見送りながら、ライの思考は戸惑いが埋め尽くしていた。


「……ライ」


 隣に座るスイがライの名を呼ぶ。


 その声は些か、固いような気がした。


「…俺は、」


 スイは、隣に座るライへと体を向けると、口を開いた。


「……俺は、結婚なんてしなくても、ライとこの先もずっと、一緒に生きていくことは出来ると思ってた。……でも、やっぱり、したいと思う。ライと未来を共にするのは俺だっていう、確証が欲しい」

「……」

「子供が居なくたって構わない。ライと一緒に居られるのならば、他には何も要らない」


 スイの灰色の瞳が、初めて会ったときと同じように真摯に真っ直ぐに、ライを見据えている。


「……少し、考えさせて、欲しい」

「…ああ」

「…したくない、訳じゃ無いの。ただ、」

「ただ?」


 ライの心に渦巻くこの気持ちは、何と言うものなのだろう。


 諦めていた、欲しかったものが突然に、ライの目の前に現れて、本当に手に取っていいものなのか、迷い、戸惑う。


「……本当に、いいの、かな」


 きっと、ライはそう長くは生きられない。


 スイよりも遥かに短い時間を生きるライは、スイよりも先に、居なくなってしまうだろう。


 そんなライが、スイの人生を奪っていいのだろうか。


「……また、ひとりで勝手に何か考えてるな」


 スイが少し苦笑して、ライを抱き寄せた。


 そして、ライが居なくなったあと、スイは。


 この、力強い腕はライでは無い誰かを抱き締めるのだろうか。


 そう考えたら、酷く汚れた醜い感情が、ライの胸を黒く染めた。


「ライ、俺は、自分で考えて、自分でライと一緒の未来を望んでる。一緒に生きられる時間の長さなんて、関係ない。生きている間は、ライと一緒に居たい。ただ、それだけだよ」


 スイがライをきつく抱き締めて、穏やかに見つめる。


「…違う、」

「?」


 至近距離で見上げたスイの灰色の瞳に、ライの顔が映っている。


「…私が居なくなったあと、スイは、」

「……うん」

「……私じゃない、違う、誰かと、」


 その先の言葉は、口にする前にスイの唇に塞がれて言えなかった。


「俺が、結婚したいと願うのは、一生ライだけだ。それは、絶対に変わらない」


 僅かに、怒ったような口調でスイが言った言葉に、ライは胸がいっぱいになる。


「……いいの?」

「いいも何も、俺がそう望んでる」


 心の底から、人を想う気持ちがこんなにも醜いものだとライは知らなかった。


 自身が居なくなったあとですら、スイを縛り続けることを望むなんて。


「……他には?他にも不安なことがあるんだろう?」


 スイがライの顔を覗き込んで、ライの視界いっぱいにスイの整った顔が広がる。


「……ううん」


 ライは自ら、スイの胸元に顔を埋めてスイの背中に自身の腕を回した。


 スイの体は温かくて厚くて、大きかった。


「……する」

「え?」

「…スイと、婚約、する」


 胸元から顔を離してスイを見上げてそう言えば、スイは酷く驚いたような顔をした。


「…い、いいのか?もう少し、考えても、」

「いい。スイと、結婚したいから」

「……っ!」


 スイが思い切りライを抱き締める。


 その強さに、余りの幸福に、ライは目が回りそうだった。


「……ライ、好きだ」

「…私も、好きだよ」

「ずっと、一緒に生きていこう」

「…うん」

「……ライ、愛してる」


 スイの顔がゆっくりと近付いてきて、ライは瞳を閉じた。


 重なったスイの温もりが、とても甘くて優しかった。


「……私も」


 いつの間にか姿を現した月だけが、ライとスイを照らし出していた。


ーーー


 緩く巻かれた黒い髪を指に巻き付けて、真っ赤な瞳を持つ彼女が忌々しそうに唇を噛み締める。


 彼女の手に握られたその雑誌は、力の限り思い切り真っ二つに破られた。


 “号外!青の一族最後の末裔、七桜ライと、藤壱家の天才、藤壱スイ。婚約書を提出し、受理される”


「……絶対に、許さない……!」


 見つめ合うライとスイを引き裂くかのように、ふたりの間は無惨にも破られて千切れていた。


「コウ」

「……お父様」


 僅かな灯りしか灯されていないコウの部屋の扉を開けて、姿を見せたのはコウの父トウだった。


 久しぶりに見たトウは、少し痩せたような気がした。


 薄暗い部屋の中でも、目元に残る濃い隈が目立つ。


「藤壱の息子のことを、好いているんだろう?」

「……」

「青の一族との婚約は、破棄させる」

「……え?」

「そうしたら、お前が藤壱と婚約すればいい」


 コウは真っ赤な瞳を見開いた。


「……本気で、言ってるの?」


 コウは静かに、トウを見つめた。


 自身の父でもあるトウの唐突な提案にコウは戸惑いが隠せない。


「ああ、本気だ。今度の誕生日会のときに、――」


 続いたトウの言葉は、コウにとって思ってもみない内容で、しかし、心から望んだものでもあった。


 コウは戸惑いながらも、スイと共に生きていける未来を想像して、その美麗な顔を破顔させた。


 だんだんと夜が深くなり、コウとトウの姿もまた闇の中に飲み込まれていく。


「……もう直ぐ、夢が叶う」


 呟いたトウの言葉がやけに、その場に響いた。


ーーー

白水家のトウちゃんは、桃、

参梅家のコウちゃんは、紅、

参梅家のトウ当主は、冬と書きます。

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