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その瞳が映す景色に、  作者:
第一部
19/40

ーーー


 月の無い漆黒の空に浮かぶのは、小さな星々。


 砕いたガラスが散りばめられたみたいに、沢山の星が輝いている。


 ライとスイの掌はやはり、繋がれていた。


 今までと違うのは、ふたりの指は絡められて、以前よりもしっかりと結ばれていることだろうか。


「ライ、大丈夫か?」


 銀色の髪を結い上げて、白地に鮮やかな青色の百合が描かれた浴衣を着ているライを窺うように、スイがその長身を屈めて覗き込んだ。


 スイも今夜は、藍色に染められた浴衣を着ていて、ライは初めてその姿を見たとき、スイの余りの秀麗に思わず固まってしまった。


「だ、大丈夫」


 葉桜に変わった道沿いに、沢山の露店が灯りを灯している。


 聞いていた通り、その前を沢山の人々が歩いていた。


 寄り添うように歩く男女、暗闇の中で露店の灯りに照らされる金髪の人々。ライとスイと同じように浴衣を着ている人も多い。


「花火が上がるのは川下の方だから、少し歩くけど行けそうか?」


 ライを気遣うスイの言葉はとても優しい。ライはスイを見上げて頷いた。


「うん、行ける」

「じゃあ、行こうか」


 ライが答えればスイは微笑んで、ふたりが繋がれている掌を力強く引いた。


「……本当にすごい人だね」

「有名な花火大会だからな。ライ、逸れるなよ」


 むせ返るような人混みの中を、ライの手を引いてスイがライを庇いながら進む。


 ライは少し前を歩くスイをそっと見つめた。


 仄暗い灯りに照らされたスイは真っ直ぐに前を向いて歩いていく。


 ふたりの下駄の音が、雑踏に紛れる。


「この辺りでいいか」


 そう言って、スイはライの掌を離した。


 着いた場所は川を見下ろすように土手になっていて、露店の灯りが無いそこはとても暗い。


 暗闇に慣れたライの瞳が、所々に座り込み寄り添う人々の姿を映し出す。


「ライはこの上に座って」


 スイが夜露に濡れた芝生の上に、ハンカチを広げた。黒い芝生に白いそれがとてもよく映える。


「……いいの?」

「その為に持ってきた」

「…ありがとう」


 躊躇しながらもハンカチの上に座ったライの隣に、スイもまた座り込んだ。ふんわりとスイの香りが広がった。


「そろそろかな」


 スイが夜空を見上げて呟いた言葉と同時か、大きな花がライの頭上に咲き乱れた。


「……わぁ」


 それは直ぐに流れていって、ちらちらと消えていく。


 そのあと直ぐに響いた初めて聞く大きな音に、ライの心臓が大きく跳ねた。


 花火がこんなにも音の大きいものだとライはこれまで知らなかった。


「……綺麗だな」

「…うん」


 スイの呟くようなその言葉に、ライは空を見上げたまま頷いた。


 顔を下げる暇もないくらいに、次々と夜空に大輪の花が咲いては直ぐに消えていく。


「……スイと一緒に来られて、良かった」


 ライの顔を、光の花が淡く照らし出す。


 夜空を見上げたままのライは、スイがライを見つめているのに気付かない。


「これからも、何度だって一緒に来よう」


 その言葉に、ライは空を見上げていた瞳をスイへ向けた。


 ライを見つめていたスイの瞳と、ライの瞳が重なる。


 “何度も”はきっと訪れない。


 スイと過ごせる日々には、期限があるから。


 ライはスイを見つめて曖昧に微笑んだ。


 滲む景色を隠すように、ライは再び空を見上げた。


『……見当たらないな。本当にこんなところに居るのか?人混みが苦手なんだろう?』

『…ああ、居るはずだ。だが、暗くて、見分けが付かないな』


 はたと、ライとスイの背後から小さく囁くように聞こえた声は、この国の言語では無かった。


 聞き慣れないその言葉に、ライが後ろを振り向こうとした瞬間。


「……ライ」


 ライの腕を引いて、スイが自身の胸に引き寄せて抱き締める。


 不意に訪れた温もりと、その腕の強さにライは思わず固まってしまう。


「……ス、スイ?」

「……しっ。声を出すな」


 スイを見上げようとしたライの頭を、スイがその腕の中に隠すように包み込んだ。


 スイの胸に押し当てられたライの耳元からは、スイの心臓の音が聞こえる。


『こんな暗闇では無理だ。藤壱も護衛に付いているだろうし、太刀打ち出来ない』

『……仕方無いな。今夜は、一時撤退だ』


 彼らは何かを囁くように言い合うと、足音はだんだんと小さく離れていく。


「……スイ?」


 もう先程の聞き慣れない低い声は聞こえなくなったのに、スイがライを包むその腕の力を緩める気配が無い。


 ライがスイの逞しい胸に手をついて顔を上げれば、今にも触れてしまいそうな程近くにスイの整った顔があって、スイはいつに無く真剣な顔でライを見つめていた。


 何故だろうか、そんなスイを見てライの胸は大きく波打つ。


「…どうし」

「ライ、好きだ」


 打ち上がる花火がふたりを照らす中、スイがライを真っ直ぐに見つめて口にした言葉に、ライはその青い瞳を見開いた。


「……え?」


 スイの灰色の瞳には、空に咲く花とライの顔が映り込んでいる。


「…ライのことが、好きだ」


 どこか花火の音が遠くに聞こえる。


 大きな音が響いているのに、やけにはっきりと聞こえたスイのその言葉の意味を、ライは咄嗟に理解出来なかった。


 これは、現実だろうか?

 スイが、ライのことを?


 スイが言った言葉のその意味をしっかりと理解すれば、余りの嬉しさに胸が締め付けられる。


「ほ、本当に……?」

「ああ。きっと、初めて会ったときから、ライのことが好きだった」


 真っ先にライに込み上げた感情は、歓喜だった。


 けれど、嬉しくなってはいけないのだ。


 いつかライは、この温かく大きな胸の中から出ていかねばならないのだから。


「……でも、私は、」

「ライが誰とも一緒にならないって決めてるのは、知ってる」

「……知ってたの?」

「それでも、構わない」

「……でも、スイは藤壱家の正式な血筋で……」


 スイの母親は確か、帝族だった筈だ。


 そんな高貴な血を引くスイにはきっと相応しい人との跡継ぎが望まれる。


「藤壱の後継はソラだから、俺には関係ないよ」


 スイと一緒になれない理由を必死で探すのに、スイは問題など存在しないかのように悉く一蹴してしまう。


「ライと結婚出来ないとしても、構わない。それでも、俺はずっと、ライの傍に居たい」


 スイの掌が、ライの頬を包むように触れた。


「ライの笑顔を見ると、俺も嬉しくなる。いつもライには笑っていて欲しいと思う。こんな風に愛しく思う人は、ライしか居ない」


 スイの腕の中で、ライの視界が揺れる。


 唇を噛み締めて込み上げる熱いものを隠すように、ライはスイの厚い胸に顔を埋めた。


「……ライは?ライは、俺のことをどう思ってる?」


 本当は。


 本当は、寂しくて堪らなかった。


 当たり前のようにスイが傍に居て、いつだってお互いの掌は繋がれていて。


 その温もりが、離れていく。


 それが正しい選択なのだと、頭では分かっているつもりだった。


 けれど、コウがスイを好いていると聞いて、スイの隣に寄り添うのがライでは無く、他の誰かになるのだと思い知らされたあのとき。


 ライを襲ったのは、強い孤独だった。


「……私は、」

「うん」


 必死に隠してきた想いが溢れ出て、誤魔化せない。


 ライはスイの胸から顔を上げて、スイを見上げた。


 この気持ちを伝えてしまったら、全てが変わってしまう気がした。


「……私が生きられる時間は、きっと、スイよりもずっと短い」

「…ああ。それでも、少しでも長く、俺はライと一緒に生きていきたい」


 間髪入れず、迷いなく、スイが言った。


「可能ならずっと、一緒に歳を取っていきたいけど、」


 ライの身に流れるその血が、それを許さない。


「ライが生きている間はずっと、いつだってライの傍に居たい」

「……」

「ライを、ひとりにはさせない」


 いつだっただろうか、青の一族の女性は総じて短命なのだと記述を見たときの衝撃を、ライはよく記憶している。


 幼い頃から制限を受けて育ち、自由になった今ですら護衛が付くような立場。


 何の為に生まれて、何の為に生きているのだろうと、何度考えただろう。


 それでも、スイと一緒に居ると安らいで心から笑う日々がライを少しずつ変えていった。


「……スイ」

「うん」


 コクとトキを犠牲にしたあの雪の日に、ライはひとり、誓ったことがある。


 護衛が必要なくなる成人を迎えたあとは、誰とも深い仲にはならない。


 青の一族を、ライで終わりにする為に。


 たったひとりで、短い時間を生きていくと。


 でも。


「……本当は、」


 花火が上がり、その光がライとスイを照らし出す。


「……ひとりは、嫌なの」


 トウやソウだって、いつかは誰かと一緒になり未来を歩んでいくだろう。


 だけど、ライは。


 たったひとり、取り残されたみたいにその場に立ち尽くすしか無い。


 そう考えたら、寂しくて寂しくて、千切れそうになる。


「……本当はずっと、スイと、一緒に居たい……!」


 ライの生きられる時間は短いけれど、その限られた時間をスイと共に過ごしたい。


 堪え切れずに、ライの頬を涙が濡らした。


「……ライ、一緒に生きていこう、この先もずっと」


 雫を吸い取るように、ライの目元にスイが唇を寄せた。


 スイの大きな掌が、ライの後頭部を包む。


「……嫌なら、言ってくれ」


 甘い熱の籠もった灰色の瞳が、ライを真っ直ぐに見つめる。


 その言葉が意味することを正しく理解して、ライは首を横に振った。


「……嫌じゃない」


 ゆっくりとスイの顔が近付いてきて、ライは青い瞳をそっと閉じた。


 ふたりの唇が、重なって離れる。何度も何度も、触れるだけの口付けをする。


「……ライ、愛してる」


 ふたりの唇が離れて、吐息と共にスイが呟いた。


「……絶対に、離さない」


 スイが更に強くライを抱き締めて、再び唇を重ねる。


 ライの閉じられた瞳から、一筋涙が流れた。


 ライは、初めて知った。


 心から欲した人と共に生きていられることの幸せを。


 束の間の、幸福を。


ーー

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