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その瞳が映す景色に、  作者:
第一部
17/40

ーーー


 酷く、寒い。


 ライはゆっくりと、目を開く。


 開いた先に広がった天井は、ここ最近で漸く見慣れてきた七桜家の屋敷のライの部屋のようだった。


「ライ、目が覚めたか?」


 掛けられた声はスイのもので、ライが声する方を見れば、スイはライが横になっている寝台の直ぐ隣で、椅子に座っていた。


 その手には本が握られていて、スイはそれをそっと枕元の小さな机に置いた。


「ライ、教室で倒れたんだ。覚えてるか?」


 酷く寒く、体がとても怠い。

 

 ぼんやりとしたライの頭がスイの言葉を理解するのに、数秒かかった。


「トウが直ぐに俺に連絡をくれたんだ。また落ち着いたら、お見舞いに来るって」


 起き上がれないまま、スイを見つめるライの額に、スイがゆっくりとその大きな掌を当てる。


「まだ、熱があるな」


 スイのひんやりとした掌がとても心地良くて気持ち良くて、ライはその瞳を細めた。


「医者が言うには、風邪だって。疲れもあるだろうから、今日はゆっくり休むようにってさ」

「……うん」

「…何か食べてから薬の方が良いな。ライ、朝食もあんまり食べてなかっただろ?」


 そう言われて、ライは今朝のことを思い出そうとするけれど、靄がかかったみたいにまるで思い出せない。


「今朝ライの顔を見たときも、なんとなく元気が無いなとは思ってたんだ。……直ぐに気付いてやれなくて、ごめんな」


 スイが切れ長の灰色の瞳を下げて、心底心配そうにライを見つめた。


「何か食べられそうなもの、持ってくる。ちょっと待っていられるか?」


 そう言って立ち上がったスイのシャツの裾を、ライは殆ど無意識に掴んだ。


「…どうした?」


 そうすればスイは直ぐに、ライのその小さな手を自身の掌で包み返してくれる。


 そうして、酷く優しく微笑んでライを見るスイに、ライは何故か無性に泣きそうになる。


 熱のせいだろうか、スイが居なくなってしまいそうで、寂しくて堪らない。


 どうせ、いつの日か、離れなければならないっていうのに。


「……行かないで」


 ライがなんとか絞り出した声は震えて、どうしてか視界が歪むのが分かった。


「…ここに居て」

「……分かった。傍に居るから、…泣くなよ」


 スイの大きな掌がライの頬を優しく拭う。


 その温かさに、ライは初めて自身が泣いていることに気付いた。


「どこにも行かないから、ずっとライの傍に居るから」

「……うん」


 スイはそう言うと、再び椅子に座った。


 ライの掌は大きな温もりに包まれたままだった。その力強さに、スイの言葉に、ライは心から安堵する。


 鉛のように重い瞼が、またゆっくりとライの視界を遮り始める。


 ライの意識は再度、少しずつ白に溶けていった。


 降り続いた雨は、止んでいた。


 ライは再びゆっくりと、瞳を開ける。


 開いた視界は真っ暗で、どうやら夜を迎えたようだった。


 静かなその部屋に、虫の音が響いている。


 幾らか軽くなった体を起こそうとして、ライの掌が何かに包まれているのに気付く。


「……?」


 暗闇に目が慣れて、その何かがスイの大きな掌だと理解した途端、朧げに思い出したスイを引き止めた自身の行動に羞恥が込み上げた。


 微動だにしないスイは、どうやら眠っているらしい。


 スイの規則的な呼吸が聞こえてくる。


 ふたりの手が繋がれたまま、再び寝台に横になったライはスイを見つめた。


「……スイ」


 ――好き。


 瞳を閉じているスイを見つめて、知らずライの本心が囁くように顔を出した。


 スイは、相応しい人と、例えばそう、コウのような、そんな人と結ばれるべきだ。


 そう考えるだけで、ライの瞳に熱いものが滲んで胸が張り裂けそうになる。


 この温かな掌を離すとき、ライはその痛みに耐え切れるだろうか。


 ライは静かにスイを見つめて、胸を突き刺す痛みを隠すようにその青い瞳を閉じた。


 ライの掌を包むスイの手が、ぎゅっと僅かに力を入れたけれど、夢現なライはもう気付くことが出来なかった。


ーーー


「ライ様!」


 寝台の上に座り窓から外を見るライの名を、部屋に入ってきたトウの声が呼ぶ。


 トウの後ろにはソウも続いていた。


「トウ、ソウ」

「良かった!もう起き上がれるようになったんですね」


 あの朝の涙が嘘のように、トウは微笑んでライの傍へと駆け寄った。


 ライの熱が下がったのは、倒れた日から二日後で、その間スイがずっと付きっきりで看病をしていた。


 もう大丈夫だと言うのに、スイが頑なにまだだめだ、と言うものだから、ライは今日も仕方無く寝台の上に居た。


「うん、心配してくれてありがとう」

「いいえ!早く元気になってまた一緒にお勉強しましょうね」

「…ライ様」

「ソウも来てくれてありがとう」


 ライがトウの隣に立つソウへと視線を向ければ、ソウは口を引き結んで何かを耐えるような表情をしている。


「……トウ様から聞きました」


 ソウの言葉に、ライは直ぐさまその言葉が指すことを理解した。


 ライはゆっくりと寝台から床へ降りると、今にも泣きそうな顔をしているソウの手を握り、柔らかく微笑んだ。


「そんな顔しないで、ソウ」

「……私だって、ライ様には、幸せになって欲しいって、思ってます、から……!」


 堪え切れずしゃくり出すソウに釣られるように、トウの瞳にも雫が込み上げる。


「…ソウ、泣かないでよ……!私だって、我慢してたんだから……!」

「……だってー、ライ様の顔見たら、我慢出来なくて…!」


 そんなふたりの様子に、ライの青い瞳も揺れる。


 こんな風に、ライのことを思って泣いてくれる人がふたりも居る。


 ライはその事実だけで、全てが満たされる思いがした。


「……ふたりとも、ありがとう」


 静かに聞こえたライの声に、トウとソウの視線がライへと集まる。


「……こんな私だけど、これからも仲良くしてくれたら、嬉しい」

「勿論ですよ!」

「私だって!」


 未だソウの手を握ったままのそこに、トウの温かい手が重なる。


 三人は目を合わせると、笑い合った。


 降り続いた雨は止み、焦げ付く匂いのする日差しが窓から差し込んでいる。


「…そういえば、ライ様は次の新月の夜にある花火大会は知ってます?」


 部屋の中にあるソファに、三人は座っていた。


 ライの隣にはソウが座り、向かい側にはトウが座っている。


 トウの言葉に、ライは首を横に振った。


「毎年、夏の始まりの新月の夜に打ち上げ花火が上がるんです。露店なんかも沢山並んで賑やかですよ。スイ様と一緒に行かれてみては?」


 学校へ通うようになり大分慣れてきてはものの、未だ賑やかな場所は尻込みしてしまうライは僅かばかり戸惑った顔をした。


 それにスイと共にそんな場所へ行ったらまた、騒がれてしまうのではと、あの雑誌の文言がライの頭を過ぎる。


「ライ様、大丈夫ですよ。花火大会は外国の人たちも大勢来ますから、ライ様の髪も瞳もそんなに目立たないかと」


 そんなライの様子を見て察したのだろう、ソウが微笑んだ。


「一緒に居られる間に、沢山思い出を作りましょう!」


 ライの背を押すように、トウとソウが力強く頷く。


「……そうだよね」

「はい!きっとスイ様も喜びますよ」

「…だと、良いけど…」

「絶対、喜びますよ!」


 この二日、常に傍に居てくれたスイがライの脳裏に浮かぶ。


 ヨウと、カイとフウの三人は未だに留守にしていて、屋敷に居るのは数人の住み込みの使用人とスイとライだけだった。


 夜は必ずライが眠るまで、スイはライの手を握ってくれていた。


 不意に、昨夜ライの意識が夢の中へと溶け切る寸前に、スイがライの頬を優しく撫でる感触を思い出してライは顔が赤くなる。


「ライ様、なんか顔が赤くなってますよ?」


 ソウが揶揄うように笑って、ライの顔を覗き込んだ。


「スイ様のこと、思い出しちゃいましたか?」


 トウがそう言うものだから、ライの白い顔は益々赤く染まる。


 そんな様子のライを見たトウが思い出したように、言葉を続けた。


「ライ様を保健室から手配された七桜家の車まで運ぶときなんて、もう本当素敵だったんですよ。スイ様がライ様を、こう、お姫様抱っこして!」

「あれはもう、絵画でしたね。他の女子生徒も窓からキャーキャー言ってましたよ」

「スイ様は、大切なものを抱えるように、ライ様を抱き上げて。ライ様を見る眼差しが、とても優しくて」

「……も、もう、いいから」


 はしゃぐようなトウとソウの会話に、ライは居た堪れなくなる。


 意識が無かったとはいえ、恥ずかし過ぎて。


「……だからこそ、おふたりには結ばれて欲しかったです」


 ぽつり、と、聞こえるか聞こえないくらいの、本当に小さな声でトウが呟いた。


「だから、その時まで、沢山沢山!思い出を作りましょう。その先もずっと、色褪せないくらいに」


 再び、微かに揺れる大きな赤い瞳を細めてトウが微笑む。


 そんなトウを見つめて、ライもまた静かに頷いた。


 深緑の紐で緩く結ばれたライの銀色の髪が、窓からの風に吹かれて仄かに揺れた。


ーーー

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