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掌編「風に舞い上がる食パン」

作者: 蓮井 遼


お読みいただきありがとうございます。また久しぶりの新作です。


物語は、埼玉県のとある市内から始まる。その日の関東地方の気象予報では、寒冷前線が覆い、分厚い積乱雲ができて、ところどころに激しい雷雨になると報道されていた。学校では、放課後の部活を少し早めに切り上げて、早々に家に帰るように指示されるところが多かった。高校生の伊奈タベタの学校もそうだった。サッカー部に所属していたタベタは、顧問の指導で、下校を早めるよう勧められると、学校の通学に自転車で一時間もかかるものだったから、早々に制服に着替えて学校をあとにした。タベタの親はどちらも遅くまで仕事で帰ってこないので、タベタは、晩御飯は一人でまた食べなければとわかっていた。

タベタはよく帰りの道でパン屋に寄り、食パンを買っていた。食べ盛りのタベタは、食パン一斤買ってもすぐに完食してしまうほどだった。この日も行き付けのパン屋に寄り、食パンを買うと、パン屋の店主のおじさんに「天気が荒れるから気をつけなよ」と気遣われ、食パンを一斤受け取った。タベタが自転車でいつもの道を走っていて残り半分くらいになってから、ついに大雨が降り、雷鳴が聞こえた。タベタはこうしちゃいられないとギアを重くして、立ち漕ぎした。道路でなく脇の砂利道を走っていると、雨によって土がぬかるみ、勢いよく自転車ごと転倒した。

「わあ」とタベタは道に倒れて、自分の手まで土にまみれてしまい、すごく惨めな気持ちになった。幸い、強い痛みは感じなかった。

「もう嫌だ、なんで俺ばかり・・もう、もう」

ようやく再び自転車を立て直すと、自転車の籠に入れていた食パンがないことに気づいた。

「あれっ?」

タベタが辺りを見渡すと、食パンは、紙の袋からはがされ、隣の田んぼの真ん中に落ちていた。タベタは、がんばれば、田んぼまで入り、食パンを取り戻せるだろうとは思ったが、そのためにまたぬかるみに嵌るのも癪だと思い、食パンを取り戻すのを諦めた。家の冷蔵庫のなかに食べるもの、有機のシリアルフレークの他に何かあったかなと考えながら、自転車を漕ぎ出した。

 田んぼには食パンが漬かったままになっていた。雷雨は激しくなり、遂にこの田んぼに稲妻が落ちた。すると、不思議なことに計り知れないほどの電気の刺激を受け、食パンに意識が宿った。食パンは自分の体の動かし方をわかってはいなかったが、田んぼの土のなかに埋もれているのは、嫌な触感があり、必死にじたばたしたら、なんとか田んぼの上に浮かべることができた。その食パンの動きを風の精が見ていた。風の精は食パンのそばに寄り、念じた。すると、食パンの声が聞こえて来た。

「行かなくちゃ」

風の精は食パンに質問した。

「ねえ、君、行くってどこに行くのだい?」

「はっ!なにか聞こえる。あなたは誰?」

「僕は風の精だよ。食パンくん」

「風の精・・・・風の精さん!お願い僕を連れてって」

「いったいどこに行きたいのだい」

「ホッカイドウというところに」

「北海道ねえ」

「なぜだろう。けれど僕はそこに行きたいんだ」

「お安い御用さ。それ!」

風の精が両手を挙げると、辺りに風達が集まっていき渦を成した。その渦が食パンを下から突き上げた。ぶわっと食パンは空高くに浮かんだ。風の精は雨の精にも協力を呼び掛けた。このパンを無事に運びたいとお願いしたら、雨の精も「あい、わかった」と食パンを濡らさぬよう気を付け、食パンは風の精に大空のなかで運ばれ、二時間と経たぬうちに北海道に着いた。

「どれ、君が見たかったのはここだろう!」

「ここは?」

「小麦畑さ」

「こむぎばたけ?」

「君はこの畑の小麦の粉から作られたんだ」

「僕はここから来たのか・・・」

「どうだい、満足したかい?」

「どうして僕はここに来たかったのだろう」

「懐かしさが君の意識に住んでいるからかな」

「懐かしさ・・」

風の精と雨の精は顔を見合わせていた。

「ねえ、食パンくん。君はこの先どうするんだい?」

「これから?僕はよくわからない」

「君は人の食べ物だ。きっと君は人だけでなく色んな生き物に狙われる」

「僕は食べられるために生まれたのか・・」

「いや、そもそも君以外のパンは生まれていないというか、意識を持っていないよ」

「えっ、そうなの!?じゃあどうして僕だけこうしているの」

「それは偶然があるから君に意識が宿ったんだ」

「偶然って何なのさ」

「気まぐれのことさ」

「気まぐれ?」

「ほとんどのものは変わらないのに、ごく稀に変化が起きるものなんだ」

「そう。僕は気まぐれによってここにいるんだね」

食パンは麦畑に降りては、じっとしていた。雨の精は風の精だけ残してさっと空に帰って行った。

「風の精さん」

「何だい?」

「ここまで連れてきてくれてありがとう。偶然にもお礼を伝えてね。僕は普通のパンに戻るよ」

「どういうことだい?」

「ここから僕が作られたなら、僕は僕を必要とするところに戻るよ」

「そうかい。お別れだね」

「僕は唯一この景色を見たパンなのかな?」

「きっとそうだね」

 風の精は、また風の渦を作り、食パンを真横に吹き飛ばした。吹き飛ばされた食パンは、農家のビニルハウスに当たった。その食パンの匂いに農家の飼い犬のベブが走って跳んできた。お腹を空かせたベブは食パンを齧っては、齧り続け、食パンはベブの胃のなかに砕けて落ちて行った。

「おい、ベブ!」

 バオと吠え声を上げたベブは飼い主の声に反応し、すぐに飼い主の下に向かった。










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