人造・モラトリアム人間
12月の戀紬
冬月2月 人造・モラトリアム人間
適当に入ったチェーン店のファミレスで、待ち合わせの男を待っていた。場所を連絡して、30分以内に着くと返事が来てから1時間が経とうとしている。
後十分待っても来なかったら帰る。そう心に決めて、指で机を弾いた。
連絡があればまだいいけど、あの男にそんな高度な気遣いを要求しても無駄なのはこれまでのやり取りで学んだ。
「えー!?ツイッターもやってないのー!?」
苛立ち始めた頭に高い声が割って入る。隣の席の隣りの席の高校生くらいの女子の声だった。
「なんだーフォローしてもらおうと思ったのに」
「うん…なんかそういうの苦手で…呟くこともないし、通知とかもうるさそうだし…」
「趣味とか適当でいいんだよ。通知は切れるし」
「友達の最新情報とか気にならんの?」
「あんまり…」
3人の会話を、メニューを見るフリをして聞いた。
一人は黒髪ロングの大人しめな清楚系女子。あとの二人はバッチリメイクに明るい茶髪を巻いて、爪先も抜かりなかった。
私の後の客だけど、彼女らの席にはすでにポテトフライやオニオンリングが並べられている。もう夜8時を過ぎているが、今時の高校生がいそいそと家に帰る様子は全く想像できない。それにしたってファミレスでツマミとか…なんかちょっとズレてんな。いっその事深夜までやってるチェーンの居酒屋にでも行けばいいのに。
とか思いつつ私も彼氏との待ち合わせにファミレスってちょっとダサいか…
話題も話題。ツイッターとか、大人になればやってない人なんてザラにいるし、友達の幸福自慢投稿なんて見てたら病むっつーの。
やってて当たり前なんていかにも思考が子供っぽい。仕方がなくても、なんだか無性にイライラしてしまう。
こんな考え方こそガキっぽいって言われかねないな…
思い直して、ここに来てから二杯目の水を飲んだ。
「ヒカワさんって変わってるよねー。インスタとかツイッターやってないのもそうだけど。この間さぁ、道端に蹲ってなにやってんのかなーって思ったらコンクリートの隙間に咲いてた花、写真撮ってたんだよ?」
「えマジ!なんで?田舎にない花なの?」
「ううん、田舎じゃ普通なんだけど、都会でアスファルトの間に咲いてるのって珍しいなって思って。人工的じゃない感じが素敵だなって」
「へー…全然思わないわ…」
「最初さー、あたしヒカワさんって視える系の人かと思ったー」
「それな!幽霊とか視えるって言い出したらどうしようかと思ったわ!」
「え!?見えないよ全然!なんで?」
「だってさぁ、雨ん中傘さしたまんま立ちっぱなしでいたり、神社んとこの木をずーっと見上げてたりしてたじゃん!電波系っていうの?よく知らんけど。まあ話してると普通だけど、たまに精神どっか行ってると思うよね」
随分な言い様だ。部外者が悪意があるだろと決めつけることはできないけど、正直一緒に食事にくるような仲だと思えない。そうだとしたらこの三人の友達の基準を疑う。
それに…うんざりするほど聞き慣れた会話だ。
はっきり言葉にすること。同意を求めてもないのに否定すること。自分たちの立ち位置を正とみなして、他を負とすること。どこか見下げた姿勢でいること。
飾らない話し方、ざっくばらんとした言葉は好意的に見られることも多いけど、残酷で容赦がないとも言える。例えばヒカワサンが傷ついていたとしても、相手にその気がないことに対して責めるのは興醒めだし、相手の女のタイプ的に周囲との関係も悪くなる結果になり得るから、泣き寝入りするしかない。
かつて自分もそうしてきたのを思い出した。
フラッシュバックのように鮮烈に、学生時代のいつかの光景と感情が脳裏に焼き付けられる。
趣味を聞かれたから答えただけ。好きなものを聞かれたから答えただけ。
星や月、夜空を眺めるのが好きだと言ったら、何かを悟ったみたいに哀れんだ目を向けられた。
雪の日や雨の日に出歩くの、別に苦じゃないと言ったら、なんか病んでそうと言われた。
なんならわざわざ出かけるのが好きだと言ってやりたかった。
表立っていじめまがいのことをされたわけではない。親や先生がいじめと言おうが、私は否定しただろう。認めたくないと見栄を張ったわけではなくて、本当にいじめなんて大それたことはなかったのだ。
ただ、壊された心があったのは事実だった。
クラスの男子たちが、私の真似ー、とか言って物思いに耽って窓の外を眺めていた私の顔を誇張して作ってからかってきたり、勝手に幽霊だのなんだのが視える認定されて、女子たちに騒がれたり。
取るに足らない、ガキの馬鹿な揶揄いなんて気にするなと大人たちには言われたし、今なら本当にくだらないと非難できる。
当時…そんなふうに思えて、自分を自分として守る意思があったなら、傷つかずに、壊れずに済んだのだろう。
風情のあること、趣のあること、物思いにふけったり、自然を感じるとかいうやつ。そういうのが”イタイ“と言われるのを肌で感じられるようになった時、私の趣味はカラオケ、ショッピング、SNSになった。
幸いなことに、親の仕事の都合で中学の時に通っていた地域から、今の都会に引っ越してきたので私を知っている人間は誰もいない。
今の情報社会は侮れないから私が本当はどんな人間か探られるのでは、と心配だったけど、さすがに中学の同級生の中で私が通うことになった高校に繋がりのある人はいなかった。
私はそこで完全に今までの自分をリセットした。それは自分を守るために、否定されないために選んだやり方だった。偽って、隠して、欺くこと。
電車の中でセンチメンタルな音楽を聴きながら窓の外を眺める、なんてことはしない。Twitterとかラインを、いかにもたくさん見るものがあります風にスライドする。誰にともなく、繋がりがあるアピール。
そうして自分を削っていく。
数時間ごとに更新されていく”本日のトレンド“、特に好きでもない話題の芸能人たちのアカウントを見て回って、最後に友人たちの投稿。きちんとハートをつけることを忘れずに。生産性のない文字の羅列に、それでも目を通せば意味を理解してしまって、あらゆる人間の思惑と打算が詰め込まれたスマホが重くなっていく。止め時がわからないまま、心の底は速く駅について欲しいと願ってた。
馬鹿みたいだと思う。そんなに必死こいて、私は学生時代になにを求めていたのか。他人からの評価がそんなに大事だったのか、自分のちっぽけな価値観にうんざりする。
大人になれば、他人の趣味嗜好を嗤うことがどれだけシラけるかということにみんな気づく。テレビを見ないとか流行に乗らないとかで話に入れないこともないし、むしろハブろうとする方が非難される。そうやってかつて馬鹿にしていた側も変わるものなのに、その時間を待てなかった。
コスメや服がオシャレになったことも、いろんな人間とある程度会話できるようになったことも悪いことじゃない。むしろ“私自身”でいるより友達は増えたし、社交的にもなれた。自分が変わることで周りに受け入れられたかった。
それでも、どこかが軋んでいた。
大事な部分の歯車にずっと油を差さずにいるのに動いていられる、なんていう奇妙な状態。多分、大事な歯車だからこそ、重要なところには嵌めてなかった。カモフラージュできる代わりの歯車の裏で、動力とは切り離して動いていたんだと思う。
そうして心も顔も分厚く覆っていた。
結局待ち合わせにアイツは来なかった。
実際は十分以上待ったかもしれない。隣りの会話を真剣に聞いてしまっていたから、時間の経過がわからなかった。
ファミレスを出て、冷えた空気を吸い込んだ。排気ガスと砂ぼこりの匂いが鼻につく。
自分の中がいろんな色でぐちゃぐちゃになっていた。定まらないまま、やがて打ち消しあって真っ黒に塗りつぶされていく。そうなったら壊れてしまう気がした。
なにがどうに?そんなのわからない。
不安だけが大きくなっていることに重なる恐怖。
突き動かされるように、駐車場に停めた車に走った。
もう私は大人だ。
堂々と好きなものを好きと言っていいし、自分の望む関係が築けない人間とは縁を切っていけばいい。
その場で判断して見限るだけの見る目もある程度は養われてる。
狭くて汚い学校社会とは違う。暑苦しい見栄の張り合いも、他人と比べることもしなくていい。
なのに…責任は伴ど自由でいられる大人社会にいるはずの今も、変わらずこんなに息苦しい。
『雨の中傘さしたまんま立ちっぱなしでいたり』
『神社の木をずーっと見上げてたり』
『人工的じゃない感じが素敵だなって』
私はずっと…
ああそうだ…思い出したからだ…
隠し続けていたものを追いやって、いつのまにか成り代わってしまった歯車のこと。
カモフラージュが本物になってしまっていたんだ。
それはそれでいいと、諦めという名の納得も出来ずに、乱暴にハンドルを切った。
その場所にたどり着いた時には、22時半を回っていた。
2月の深夜、極寒のなかで田んぼの畦道をヒールの高いブーツで歩く。
ダウンジャケットを着こんでマフラーをして、手はポケットに突っ込んでいても指先の冷えは増すばかり。
タイツを履いただけでミニスカを着ている足の方がむしろあったかいのは、歩いてるからだろうか。
この道を毎晩歩いていた頃は、自分がミニスカなんか履く日が来るとは思わなかった。
足元を見て、嘲笑めいた息が漏れた。
さっきまでいた都会とは打って変わって静まり返っている。街灯のない夜のど田舎。
バレンタインとかいうやたら必死なイベントで盛り上がったガチャガチャした世界じゃない。
冬の寂しさと寒さから逃げず、真正面から向き合って受け止めている世界。
広大な夜空。砂粒ほどしかない星の澄み渡って潤った光。
ネオンの光なんてなくても、煌びやかな装飾がなくても、冬も夜もこんなに明るくてあったかい。
涙がこぼれた。
私はずっとここにいたかったんだと思い知った。
この夜空にいる自分を、あの時はずっと誰かに見つけて欲しかった。認めて欲しかった。
学生時代、少し無理をして人と付き合っていた。他人の目を優先した、自分自身の選択によって。人がつくり出した円滑な学校社会適応プログラムに則って、歯車を組み替えた。
安心する景色を見渡して、深く呼吸した。清々しい澄み切った空気が体を内側から綺麗にしていくみたい。吐き出した息は白く霞んで、夜空に柔らかくかかった。マフラーの口元のところが少し湿っていた。
肩にぶら下げていたショルダーバッグの中でスマホが鳴った。取り出して画面を見るとアイツから。運転中も何度もあったらしいが、全く気づかなかった。
待ち合わせに来なかったのはそっちだし、今更なんの連絡だ。
「もしもし」
不機嫌な声で、立て続けにかかってきた電話に出た。
「お前今どこ」
相手も不機嫌だった。
「帰省中」
「は?」
「アンタが来ないから家に帰ってきたの」
「家って…実家かよ。なんで?そんなに怒ってんの…?」
実は、少し珍しいことだった。待ち合わせに遅れているアイツを待たずに帰ったことは何度かあったけど、折り返しの連絡はいつもライン。電話が、しかも何回もかかってくるとは思わなかった。
だからと言って謝るまで許さないし、向こうも反省してる気はないようだ。態度は電話でも文面でも変わんないな。
「怒ってないと思う?」
「…別れてぇの?」
ふと息が止まる。
考えてなかった。そこまで話が進むのか…帰省したと言ったのはこの男には随分効き目があったみたいだ。
けれど別れたいのかと聞かれると悩む。それなりの付き合いだし、気が合う部分も合わない部分もちょうどいい程度だった。
うまく行ってたのだとしたら、それは私が適当な付き合いをしてきたからだ。この男の隣にいるのに相応しい女。
ちょっと破天荒で我が強くて、大雑把な感じ。たとえるなら、さっきの3人組女子高生の2人みたいな。
だけど私は、そうじゃない。
思い出してしまった。空の広さも星の美しさも、それが好きな自分がやっぱり好きってことも。だからと言っておしとやかで清楚な女の子ではないけど、そんな私をこの男はイタイと思わず受け入れてくれるだろうか。
大人同士の付き合いなのに、出会い方と時間の重ね方がいわゆる派手なタイプだったから、不安ではある。
「なあ。どうなんだよ」
「…私さぁ…カラオケとか居酒屋とかクラブ、嫌いじゃない。いけば楽しいし、騒ぐの好きだし」
不安、ってことは、やっぱ好きだとは思ってるんだよ。
でも別れるんだとしてもなんの後グサれもなく忘れられる気がする。自分がどうありたいかわかったから、今すごく穏やかで清々しい気分だ。
「……」
「でもやっぱ、こうして空を眺めてる方が好きだな。性に合ってる。アンタと無理して付き合ってたわけじゃないし、馬鹿騒ぎしてる私も私自身だけど、多分アンタが思ってる女じゃない」
空を見上げて言った。
冬の大三角と、そこからダイアモンドを見つける。
返答を待つ間、それらの星の名前を心の中で呟いていた。
「…俺空より海派なんだけど」
なんの感情も伺えない無機質な機械越しの声を、その言葉の意味をうまく受け取れなかった。
「……は?話聞いてた?」
ようやく理解して言う。返答を予想していたわけではないけど、あまりにも的外れなことを言われて拍子抜けした。苛立ちではない、困惑の声で尋ねると、相変わらず軽い声が耳元で続いた。
「聞いてた。今日の埋め合わせ、今週末な。海に連れてってやるよ」
電話の向こうの声はなぜか嬉しそうだった。海に連れて行ってくれるということは、別れる気はないのだろうか。しかも、埋め合わせなんて言葉がコイツから出るなんて。こっちの仕事の都合を聞かない一方的で偉そうなのは抜きにしたって、初めてだ。
電話の相手はホントにアイツだよね?
「なんで今の流れで海なの…?」
「俺が別れたいのか聞いたらいきなりデートの場所について文句言ってきたのお前だろうが」
「…デートの文句じゃないよ…私に冷めたりしてないの?」
「冷めてねーよ。冷めてたら電話なんかしねーよ」
「確かに…アンタめんどくさがりだもんね」
器用じゃないし連絡もマメなタイプじゃない。コイツとのやり取りなんて、デートの予定を立てるだけで終了。行く場所の派手さに比べたら随分あっさりしてる。
「そ。なのにめんどくさい系女のお前と付き合ってんだから不思議だよなー」
それはおっしゃる通りで。
「まあそういうわけで週末な。海でいいよな?」
「超寒いけどね。我慢するよ。空と同じくらい海も好きだよ」
「…あっそ。後お前、なんかごちゃごちゃ言ってたけど、俺と無理して付き合ってるわけでもなくて馬鹿騒ぎしてるお前もお前なんだったら、俺が思ってる通りの女だろ。知らない面があるってだけの話だバーカ。わかったら好きなだけ空眺めてから帰って寝ろ。じゃあな」
早口で言うだけ言ったあと、プツッと接続の切れる音。
電話が終わった後もしばらくその状態で、アイツのいった意味をゆっくり落とし込んでいく。それはさらさらの真新しい油みたいに、錆び付いた歯車を潤していく。
緩んだ口元を抑えられなかった。
いつも喧嘩じゃ私の方が言い負かすのに、こういう時にあんな言葉をくれるなんて狡い。
ちゃんと見つけてもらってたんだ。
いや…ずっと受け入れてくれてた。何がどうでも、“私”を。
学生の頃苦く葛藤していた思いは、この空に散りばめられた星みたいにちっぽけで、無限大の宇宙の中では取るに足らない些細なこと。空はいつだってそれに気づかせてくれる。
あれだけ急いて潰れそうになって車を走らせたのが滑稽だけれど、あの時今が良ければそれでいいと納得していたら、きっとこんなに温かい気持ちにはなれなかった。アイツのことを知らずにいた。
きちんと清算して、あの時の気持ちに区切りがついたし、自分がどうありたいかも、大切にしてくれている存在にも気づけた。
歯車が動き出す。
軋むこともなく滑らかに、規則正しい音を立てて廻る。
地面が足をちゃんと受け止めてくれる感覚を体に刻みながら、迷いのない確かな歩みを繰り返した。
今週末……多分待ち合わせに遅れてくるだろうけど、海なら、待っていようかな。どんだけ寒くても、なんかあったかくいられる気がする。
それに、なんで今日に限って電話してくれたのかも聞きたい。
…どうせ気まぐれだろうけど…
【人造】
自然にできるのでなく、人手を加えて造り出すこと。「―人間」。自然物を材料とする従来の製法とは別に、類似物を人工によって製すること。 Googleより
【モラトリアム人間】
年齢では大人の仲間入りをするべき時に達していながら、精神的にはまだ自己形成の途上にあり、大人社会に同化できずにいる人間。 デジタル大辞泉より