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悪魔平衡  作者: 有機
2/2

雨が降るから傘を差す



「東京上空、No.93発見。フェイズワンです」

無線から音割れのひどい男の声がする。

「後藤さん、指示を」

「フェイズワンなら簡単に溶かせる。翻訳を始めるまえに撃ち殺せ」

オペレーター室のスクリーンには、ふらふらとなみうつ海藻のような物体が写っている。戦闘機に積まれたカメラのとらえた映像だ。

その海藻のすぐ横に、海藻に沿うように同様の物体が出現し始めた。

「複製始まったぞ。急げ」

「加水分解ミサイル装填完了」

「いいぞ。発射しろ」

「はい」

そのとき、突然大きな爆発音がした。

と思うとスクリーンに映っている映像がぷつっと消えた。

「なんだ」

 後藤は怒鳴り声をあげた。「何が起きている!」

「分かりません。近くにいたORの襲撃を受けたのかもしれない」

「やはり、ORはトランサーを守ろうとするのか」

 彼は髪をかきむしった。

「落ち着け後藤」

 うしろのベンチで寝そべっていた男が言った。

「分かってるよムサシ」

 後藤は歯ぎしりをした。最近の癖だ。

「顎関節症になりそうだよ全く」

「ヘルニアの原因にもなるから本当にやめたほうがいいよ。それより」

 ムサシはむくりと起き上がった。

「例のトランサー性の男子高校生は?」

「様子を見させているよ。あいつは切り札だ、誰にも渡すわけにはいかねえ」

 後藤は思わず歯に力を込めた。

***

ORと呼ばれる構造物のことは誰もが知っていた。毎日ニュースはIUPCの保管したORの解剖結果やら出現予想やらを報道する。今、その天然の巨大物体はブームになっていた。

最初、東京に巨大な豆腐のようなORが出現したとき、人々はパニックだった。調査が進むと、それらについて3つのことがわかってきた。1つ、植物のようにエネルギーを使っての運動は行わないこと。2つ、人間に危害はないこと。そして、3つめ、原子でできていないということ。詳しいことを言えば、原子ではなく、はるかに巨大な最小単位で構成されているということだ。研究者はシステムと言っている。危険はない、ということで、人々は安心、どころかパワースポットのようにORを扱っている。宗教団体が所有を主張するORもあるくらいだ。

おれは東京のとある高校に通っているのだが、クラスのみんなの間でも話題の的で、朝くると廊下にいた数人の女子が今朝のOR出現予想の話をしていた。

「今度のORは群馬だってね」

「そうそう、グンマとかやばい」

「プライマーがでるのいつかな」

「このまえのやつは、予想から3日目だったからね」

こんな風に、ORというのはとくに危険性の見つかっていない未知なる構造物であり、人々の好奇の対象だった。

「やれやれ」

席についたおれの肩をポンとたたくやつがいた。ふりかえると、藤林カサが立っていた。

「若者はすぐ目新しいものに飛びついていかんな」

「ORのこと?ブームだよ」と俺。「猫ブームみたいな」

「そうやってまた、おれはトレンドには流されないみたいなクールな風吹かせちゃって。おお、寒いわー」

「うるさいな」俺は言い返した。「お前こそ女子っぽくパワースポットトークに花を咲かせてこいよ」

「えーだって」カサは肩をすくめた。「なんかあいつら頭悪そうで」

「お前ともだちいないだろ」

カサはふふっと笑った。

「ねえ、今日カラオケいこーよ」

「一昨日行ったじゃん」

カサはつまらなそうな顔をした。

「つまんねー」実際に言った。

藤林カサとは小学3年のとき以来の付き合いだ。何がきっかけでなかよくなったのか思い出せないけど、それがいまでも続いている。おれを取り巻く人間関係のなかで親を除いて最も長い付き合いだ。

「くぬぎ」

「あ?」

「じゃあ今日は買い物に行こう」

「やだよ」 

 おれは一人で帰るのが好きなのだ。

その日の帰り、おれはk駅のプラットホーム、5番乗り場で電車を待っていた。

高1の春、両親の仕事の都合で急に一人暮らしすることが決まったので、アパートを借りる手続きをろくに考えていなかった。そのため、学校から二駅も離れたアパートを借りる羽目になったのだ。

ひまだったので、コンビニで買ったペーパーバックを読んで待っていた。

周りは人で騒がしい。学生、会社帰りの人、外国人観光客、たくさんいる-

そのとき、なにか妙に胸騒ぎがした。

「5番乗り場、電車が参ります。危険ですので黄色い線まで下がってお待ち下さい」

みんながぞろぞろ動き出すなか、一人だけこちらを見ているのがいた。女だった。スーツを着ていて、髪は長くも短くもない。色が病人みたいに白かった。

おれはその不気味な女に気を取られながらも、停車した電車に乗り込んだ。女は乗り場のさっきと同じ位置にいて、微動だにせず、視線をこちらに向けている。やはり、あの女が見ているのはおれのようだった。


その夜、夢を見た。無数の蝶が飛んで行く夢。

その蝶はよく見ると、小さな粒々からなっている。

風が吹いた。粒と粒が結び付こうとする力が負けて、バラバラになってしまう。

朝起きると、夢のことはぼんやりとしか思い出せなかった。

朝起きると、7時だった。レンジで冷凍したハンバーグをあたためて、冷えたご飯とともにかきこんだ。

身支度を整えて、学校に向かおうと家をでると、おれはどきりとした。昨日駅で見かけた女がアパートの入り口に立っていたから。

なんなのだ一体。無視することを決め、きにしていないふりをして通り抜けようとした。

うしろからすごい力で肩をつかまれた。

「君は」俺が口をパクパクさせているうちにら女は口を開いた。

「何がしたい?」

おれは驚いて、そして呆れてため息をついた。

「そりゃこっちのセリフだよ。警察呼ぶぞ」

女は肩からてを離した。そして、「まずい、時間がない」とつぶやくと、おれのことなど目に入らぬ様子で身を翻して、どこかへ歩いていった。

おれは呆気にとられたが、そういえばおれもあまり時間がないのだということに気づき、駅まで急いだ。


生物教諭の加藤はクラスの中を眺め回した。

「DNAは核酸の一種。核酸は糖と塩基とリン酸が合体したヌクレオチドを何個も何個もつなげることでつくられる。DNAのうち2%がコード部分と呼ばれ、遺伝子と等価です。遺伝子を4つの塩基でα-アミノ酸をコードしている。残りの98%のDNAは非コード部分とよばれて、DNAのあるコードされた配列を転写後に染色体の別部分で逆転写して自己増殖する、レトロトランスポゾンという配列を始めとして、あまり意味のないとされてきたクズデータです。ですが、遺伝子の多様性を生み出すイントロンなどまだ見ぬ機能が隠されている」彼はごほんと咳払いをした。

「生物は、DNAのいれものであり、種の保存のために成熟すると、生物学の冷たい視線はそう捉えている。そういう風に考えると、身も蓋もない気はするがな」

7限の授業が終わった。帰ろうとすると、カサが絡んできた。

「生物意味わからん」

「そうか?なんか感動したけど」

カサは嫌そうな顔をした。

「引くわー」

「うるさいな、じゃあなんで理系にしたんだよ」

「本当は理系なんて風と共に去りたいよ」

「文転するなら早いほうがいい」

「いやよ、ださいもん」

「ださいか。じゃあ、もっと理科に興味持たなきゃ」

「えー」

「生物って不思議で面白いだろ」

「べつに。自分の存在の意義の無さを残酷につきつけてくる学問だな、としか」

「まあ、そうなんだけどな。そこがアンバランスだよな」

「アンバランス?」カサが首をひねった。

「たんぱく質は必要なときにつくられるように調節されるし、過剰にホルモンがでないように平衡反応が噛んでたり、ほぼ必然的に整備されてるだろ。すべては生存という目的のために、体のシステムは必然なものだ。でも、その生きるとか、種の保存とか、結局その目的の目的はなんだか、曖昧だよな」

「ふーん、じゃあさ」カサはふふっと笑った。

「こういう風に考えたら?」

カサは人差し指を立てた。

「この世界では、存在し続けることを美徳とする神様がいるの。その神様に従ってみんな動いてるのよ」

少し、カサのことを見直した。

「おお、なんか。文系だな」

「文系生物学でも開拓しようかな」

「ミトコンドリアのなかに、古代日本人の精神でも感じてれば」

「ばかにしやがって」

 カサは口を尖らせた。

「それより、今日こそ買い物付き合ってよ」

「やだ」

「つまらんやつやなー」

「つまらんやつで結構。じゃ、またあしたな」

カサは、ふんと鼻を鳴らした。行儀の悪い奴だ。

 だが、それもいつも通り。

 教室を出て、いつも通り、家に帰ってゆっくり寝る、はずだったんだが。

渋谷のスクランブル交差点を渡っているとき、また変な視線を感じた。後ろを歩く人混みを確認したが、それらしいやつはいなかった。最初に心当たったのは、今朝の女だった。おれなんかを尾行してなにになるのだろう。

そのときだった。なにかが、渋谷109と鄰のビルの隙間から飛び出してきた。おれのほうをめがけて。みんなもそれに気づいて、避けようと逃げ惑った。

おれは、というと。みんなより早く一目散に逃げた。

おれのほうをめがけて、と前述したが、正確に言えば、おれをめがけて飛んできたのだ。狙われていることに気づいたおれは人混みから、できるだけ離れようと走った。ステルス弾みたく、走るおれのあとを追跡する謎の物体は、よく観察する暇もないが、半径50㎝ほどの球形に、さきの尖った突起がついているのが分かった。

なにも考えずに走っていたわけではない。あの物体のはばより狭い路地があれば逃げ込もうと、走りながらまわりをみまわしていた。

しばらく走って、いかがわしい風俗店の裏路地に滑り込んだ。球体は、狙い通り、入り口にひっかかって入れないようだった。おれは、ひとまず安心した。だが、それも束の間だった。

球体は、針状の突起をこちらに向かって飛ばしてきた。おれは奇跡的に回避した。だが、状況は変わらない。球体は体内で突起を生産できるようで、再び針の先をこちらに向けた。万事尽くした。おれは諦めて座り込んだ。

球体をまじまじとみた。

「なんかかわいいな、おまえ」

球体は、突起をこちらに向けて、放った。

そのときだった。おれの前に、海藻みたいなものが現れた。海藻は、球体の突起をはじきとばした。

「え?」

なんだ、こいつ。

 おれは、驚きのあまり、舌を噛みそうになった。

海藻のまわりりにどこから現れたのか変な形のパーツがあつまりだした。それがなにか形らしい形をとりはじめ、溶け合うように、接合されていく。そして、それは最終的に人のかたちになった。一部始終を見ながら、おれはなにがおこっているのか把握できていなかった。

その人のかたちになったものは片膝を地につけた。と思うと、がこんとおとがして、背中に担いでいる大砲みたいなものを球体に向けた。球体が身じろぎするひまもなく寸時甲高い音をたてて、大砲から飛び出した、ビーム光線は球体の腹の部分を撃ち抜いた。

おれはあっけにとられてぽかんとしていた。

球体は地面にふらふらと着陸して、しばらく揺れ動いていたが、やがてぴたっと動かなくなった。

なにが起きたのかは分からなかったが、ひとまずおれは身の安全だったことに、胸を撫で下ろした。

とりあえず、命は助かった。

改めて、自分を救ってくれた人形を眺める。そいつも電池が切れたみたいにひざまずいたまま動かなくなった。観察してみると、女みたいに髪がながく、頭はおうかんみたいなものをかぶっている。ただ、手の形をしたものが心臓を貫くように、前面と背面に突き出ていて、不気味な感じだ。肩についているツインの大砲は、付属しているわけではなく、体に直接接合されているようだった。

なんなんだこれは。おれは首をひねった。

すると、その人形は、がらがらと音を立てて自壊し、再び離れたパーツは、上へ下へどこかへ散っていった。あとに残った海藻はゆらゆらと揺れながら、おれに近づいてきた。

おれは、びくりとして、後ずさりをする。次に海藻は、おれに飛びかかるように跳ねてきたので、おれはうわっと情けない声をあげた。信じられないことに、海藻は、おれのからだにふれると、吸い込まれるようにおれの体のなかに消えていった。

 どうなってるんだ、おれの体は。

 そのとき、ききー、と路地の入口を赤いバンがふさぐように止まった。その隣に、黒いバスみたいな大型の車両が停車した。

 なにごとか、と思ってみていると、赤い車から男女がひとりずつ、黒いバスから五人くらいの私服の男女が下りてきて、路地の中、こちらがわへ入ってきた。

 別に悪いことはしてはいないけれど、どこかへ無性に逃げ隠れしたくなった。だが、あいにく狭い路地に、そんな都合のいい隠れ場所はなく、いぶかしげに彼らをみているしかなかった。

 そこで、気づいた。彼らの中に、おれの知っている顔がいた。セーラー服姿の彼女は小首をかしげて、「クヌギ、やっほー」

「なにやってるんだおまえ。こんなところで」

 カサは、ふん、と鼻を鳴らして、おれに人差し指を突き付けた。

「おめでとう、君は能力を覚醒させました」

「能力?は?」

「君たちがORと呼んでいる化け物、オアを召喚する能力だよ」

 ふむ、とおれはあごに手を当てた。

「カサの言ってることが意味わかんなくておいてけぼりになるのはいつものことなんだけど」

 そう言って前置きした。

「まじで頭大丈夫?」

 カサは目を見開いた。

「え、信じてくれないの?」

「うん」

「なんで、だって君も見たじゃん、自分で召喚したやつ」

「うーん、でもな」おれはうなった。

「最近、徹夜続きなんだよね」

「いや、無理があるよそれは」

 うん、確かに無理があるね。おれは頭をかいた。

「現実主義なんだけどな」

「現実は塗り替えられていくものよ。だって、君は以前存在しなかったオアの存在を認めているでしょ」

 おれはうなずいた。

「納得した?」

「いや、納得はしてない。ていうか、この周りにいる人たちは誰なの」

「私のチームのひと。あなたには、このチームのメンバーとして、保護観察を受けてもらいます」

「保護観察って、なんか前科があるみたいなんだけど」

 カサは、彼らのほうを向き直って、

「はい、みなさん。無事、斎条クヌギを懐柔しました。クヌギ、行くよほら」

「懐柔って。まだおれは」

「覚醒した君を狙ってオアが次々目覚め始める。君に選択肢はないんだよ」

 カサはまじめな顔をして言った。

「ちょっと待て。本当にわけがわからない」

「いまはいいの。早く来なさい」

カサは俺の袖を強く引っ張った。ちなみにカサは男の俺より力が強い。俺はずるずる引きずられていく。

「こんなのはおかしい、きちんと説明してくれ。そのうえで理解したい」

「斎条クヌギ君」

 集団の中にいる、長身の男が口を開いた。

「事情はあとで話そう。我々は急がなくてはならない」

「はあ」

「とりあえず、車に乗ってくれ」

 俺はどうしたものか、とうなった。これでは、誘拐だ。

 カサに強引に連れられて、赤いバンの後部座席に乗せられた。

「どこに連れていかれるの」

「本部だよ」

「本部って何の」

「私たちのだよ」

 車は、勝手に走り出していて、街の中にいた。

 どこといって、変わったことはない。普通の景色だ。

「お前は、この人たちと何をしてるんだ?何にかかわってる?」

「化け物退治よ」

「化け物なんかぜんぜんいそうにないんだけど」

「それは、あなたが外を見るからよ。あなたが見ているから」

「コペンハーゲン解釈みたいだな」

「なにそれ」

 カサは、おれのほうを見た。

「おれたちは、見ているという行為をもっと致命的なことと考えるべきだってことだよ」

「意味わかんない、っていう点では、君も意味わかんないよね」

「見るってことは、観察対象に光を当てているということだろ」おれは頑張って解説した。

「つまり、おれたちは観察対象の条件を見るってことによって変えてるんだ。つまり、見る前のその物体の状態は見た後の状態と一致しないかもしれないってことだよ」

「へー、なるほどね」

 カサはうなずいた。

「でもわたしは、もっと簡単な意味で言ったんだけどな。平和は偽り、現実は塗り替えられていくっていう意味」

「同じだよ」

 おれは、さっきの光景を思い出していた。おれを襲ってきた球体のこととか、俺が呼び出したらしい、あの人形のことや、もっと以前から現れていたORという構造物。

 なんだか、疲れてきた。

「眠たい」

「もう10分で着くから辛抱してよ」

「無理」

「もう」

 おれはカサにもたれかかって、うとうとと、眠りに落ちていった。

「クヌギ、起きて」

 カサにゆすられて、おれは目を覚ました。

「おはよう」

「着いたから。ここだよ」

「あ、うん」

 おれは、開こうとしない目を無理やり開いた。窓のそとには、立派な高層ビルが連立している。

「あの真ん中のやつよ」

 カサは、ツインタワー型のビルを指さした。外観は鏡面加工した窓ガラスで覆われていて、西側側面には、つる性の植物がびっしりとはられていた。

「あれが本部?」

「うん。ようこそ、IUPC分類学研究所へ」

「IUPCって。お前らがそうなの?」

「うん、そうだよ」

 カサはにひゃりと笑った。いよいよわからない。

「降りてください」

 運転席から、ひどく低い声がした。見ると、さっき俺を取り囲んでいた男の一人がいた。ニット帽を目深にかぶっている。

「ごめん、ムサシさん」

 ムサシ、とカサが呼んだ男は、黙って車から降りた。

「さあ、続きは中で話そうか」

「ああ、たくさんお話をきかせてほしいね」

 俺は、鼻を鳴らした。

 研究所、とカサが呼んでいたのでそう書くが、研究所のなかに入ると、なんだかセメントみたいなにおいが鼻に飛び込んできた。

「なんだこのにおい」

 カサに訊くと、「刺激臭よ」と笑った。

 中は、研究所というイメージとはうって変わって、受付嬢が二人、カウンターに座って事務仕事をしており、ロビーには、腰をかけて長話できるような、おしゃれな模様の入ったソファが向かい合って並んでいた。俺は、そこに座るように言われたので、腰を下ろした。すぐ横にカサがどかっと座った。

「近いよ」

「なに照れてるの」

「こんなことするために俺を拉致したのか」

「拉致じゃないよ、任意同行よ」

 続けるのも面倒になったので、俺は前に座っていた、さきほどの長身男に話相手を変えた。

「事情とは何ですか」

「ああ。では、話そう」

 その人は深くうなずいた。彼は後藤守衛と名乗った。

「君の知るとおり、ORと呼ばれる構造物は、化学的に見て、どう考えてもおかしな性質を持つ。俺たちはそれを研究する化学機関として設立された」

「それは、報道でもやってますよ」

「だが、そんなものは表向きだ。我々はそんなことなど研究していない。俺たちがやっているのは別のことだった」

 へえ、と俺は思った。

「本当は何をする機関なんです?カサは化け物退治とか言っていたけど」

 後藤は複雑そうな顔をした。

「まあ、半分正解だ。報道では、ORは人畜無害だなどとされているが、あれは、ほんの一部、動くことのできないやつらだけだ。一人でに動いてかつとてつもないエネルギーを放出して、無差別に破壊活動を繰り返すものたちがいる。IUPCはモーターと呼んでいる。君がさっき襲われた、球体のやつもそのうちの一体だ」

「なるほど」

 俺は、深くうなずいた。

「なんだか、嘘みたいな話ですね。でも、理解はしました。一つ訊いていいですか」

「なんだ?」

「モーター、ですか。そいつらはなんでも無差別に襲うんですよね。でも、球体は俺を狙っていた」

「そうだな、君は特別だから」

「俺は、特別ですか」

「そうだ。君は、彼らに狙われやすい体質だ」

 俺は、ううんと首を傾げた。

「体質って何ですか、血糖値とかですか?LDLとか」

「それはよく分かっていない。とにかく、君を守ることが必要なのだ」

「守る」

 俺は少し考えて、「カサは」

 ちらりと彼女を横目で見た。

「こいつは、俺を守るための人間ですか」

「守るというより、監視役だ」

「カサは、いつからここに?」

「中学二年のころだ」

 俺はカサを見た。カサは、なんだか困ったような顔をした。

「あ、だから別にそのために近づいたんじゃないから」

「あっそ。どうでもいいよそんなの」

 俺は冷たくあしらった。

「ひどい」

 俺ははあ、とため息をついた。どこか何かによりかかりたかったけど、支えもないので、代わりにカサにもたれかかった。

「ちょっと」カサはあわてたように言った。

「なんだか、疲れました。明日も学校なんですけど、帰っていいですか」

「あ、そうだ。言い忘れていたが、君にも明日から、ここから通ってもらう」

「・・どこに住むかは自由にしてもらえません?」

 後藤が、面倒そうな表情をした。

「君の安全のためだ。藤林カサもここで暮らしている。君には気安い環境が整っているはずだ」

 文句はないだろう、ということか。俺はため息をついた。

「荷物は」

「手配済みだ。明日の朝には届く」

「抜け目ないですね」俺は断念した。何を言っても、言葉ではもう蒸し返せないほど物事が進んでいるらしい。

「学校も休んでもらいたいところだが」

「困ります」

「君なら、勉強で困ることはないだろう」

「いえ、そうではなくてですね。まだ、学校行事もたくさん残っているんですよ。文化祭に合唱コンクールに体育祭、遠足」

 俺は、肩をすくめた。

「青春っていうやつが俺にはまだ足りないです」

「俺はそれを軍学校で過ごした。と言っても、訓練の日々だったが」

 後藤はにやりと勝ち誇ったように言った。

「まあ、今のところは学校に通うといい。だが、必要になれば、君を退学させる措置もある」

「両親は許さないと思います」

「ご両親は、K県にご在住だったか。大丈夫、丁寧にきちんと対応するさ」

 ぴりりり、と電話の音が鳴った。後藤はポケットからスマホを取り出して耳に当てた。

「もしもし、いま来客中だ。ああ、」後藤の目つきが鋭くなった。「でたか」

 後藤はカサに目配せした。カサは驚いたように目を見開いた。そして、何かをポケットから取り出した。体育の時間とかで使うホイッスルだった。表面にきれいな花の装飾がされていた。

「分かった、すぐに向かう」

 後藤は電話を切った。

「すまないが、斎条クヌギ。話はまた日を開けてしよう。我々が帰るまでくれぐれも、この建物から出てはならない」

 俺は歯がゆい気持ちを覚えた。

「俺には業務を課すことはないんですか」

「君の力と俺たちの力はおそらく相性が悪い」

 後藤は、そのあと俺に一瞥もくれず、「用意しろ」とほかの人に言い伝えた。

「カサ」

「ごめん、私も行かなきゃ」両手を顔の前で合わせた。「お土産買ってくるね、プリン買ってきてあげるから」それじゃ、とカサは建物の外に出ていった。

「プリン、好きだけどさ」

はあ、とため息をついた。外を見ると、空は少し赤くなり始めていて、カラスのかーかー鳴く声が聞こえてきた。なんだかだんだん、眠くなってきた。最近寝不足なのだ。だが、きちんとベッドの上で布団をかけなければ風を引く可能性があるな、と思いながらも、次第に瞼がどんどん閉じていって、俺は眠りに落ちた。

 次に目を開けたのは、ガッシャーンと何かが割れたような轟音が鳴り響いたときだった。多くの人間の悲鳴が聞こえた。俺は、びくっとして寸時目を開いて体を起こした。

 一面の窓ガラスが割れていて、受付のカウンターが破壊されていた。受付嬢はその巻き添えを受けて倒れている。そして、そこにいたのは、女だった。見たことのある女だった。そうだ、この女は、俺の周りをうろついていたストーカー女だった。彼女の後ろには、巨大なカラスのような黒い鳥が跪くようにたたずんでいる。

「お前は、何がしたい?」女は口ずさむように言った。「お前は何がしたい」

 黒い鳥は吠えるように、コー!と鳴いた。

 やれやれ、護衛を一人ぐらい残すべきだったんじゃないのか。俺は肩をすくめた。

「逃げよっかな」俺は呟いて、建物の外に出ようと走り出した。だが、それより先に黒い鳥の巨大な翼が、玄関の上の壁をたたき割った。大量の瓦礫は完全に入口を封鎖した。

「お前は何がしたい」

 俺は、背中をまだ壊れていない後方の壁にもたれさせ、座り込んだ。

「何がしたいんだろうね、まったく」女に聞こえるように大きめの声で言った。

「では、あなたは何がしたいんだ?」

「私は、何もしない。ただ、揺れているだけ」女は意外と饒舌だった。

「揺れているのすら、私の意志ではない。揺れることに意味はない」

「俺も同じだ。ただ、ここにいるだけ。実存が先にあって、そこに目的はないよ」

「そう、お前と私は同じ。だが、お前は恋をする」

「恋?」

 俺は拍子抜けした。

「こんな怪物じみた絵面にそれほど似合わない言葉はないな。だけどうん、確かにそんなこともする」

「なぜ、お前は恋をする」

「それも同じで、恋をした理由はない」

 女の表情はぴくりとも動かなかった。

「そうか」

 黒いカラスは俺に向かって咆哮した。赤く光る眼に照らされて、俺はすこしびくりとした。そいつは、羽を大きく振りかぶった。あの鳥の羽で薙ぎ払われたら、きっと即死だろうな、とか思いながら、壁に体を預けた。

 カラスの左翼が俺に向かって振り下ろされた。

 ああでも、どうせ俺は死なないな。

 体の底から、何かが沸き上がるのを感じた。目の前にまた、あの海藻みたいなびらびらしたものが現れた。後ろの壁をすり抜けてオアの体の部品が集まり人の形に再構成された。心臓から突き出た巨大な手がこすれるような音をたてながら、黒いカラスの左の翼に組み付いた。カラスは、ぎぎぎ、と喉の奥からうめき声のようなものをもらした。

 俺は、カラスの頭部を指さした。何だかいたたまれなくて、「ごめんな」と俺は呟いた。

 オアは大砲を俺の指先の方向に向け、ビームを発射した。ビームはカラスの目と目の間を貫いて、おそらく脳を通って、後ろに抜けた。カラスは、がらがらと元の姿の見る影もなく粉々に崩れ落ちた。

 女は少し悲しそうな顔をした。

「さようなら、斎条クヌギ。お前はもう戻れない」

 その言葉を最後に、空間に溶けていくように、女とカラスの死骸は消えてしまった。

 はあ、とため息をついた。目の前には、散らかった瓦礫に、こなごなになったガラスが散らばっている。

 お前はもう戻れない。女が言っていた。どういう意味だろう。

「うう」

 女のうめき声がした。瓦礫の下敷きになっている受付嬢の発したものだった。俺は慌てて立ち上がって、彼女らの救助に専念した。瓦礫はそんなに重くなくて、意外とすぐにどかせた。頭部に瓦礫が当たったりして損傷したあともないし、大量に出血しているとかいうこともなく、命に別状はないようだった。

「大丈夫ですか」

 気を失っている彼女らをゆすって起こした。すると、二人の目が一斉にぱちりと開いて、こちらを見た。

「はい、みんなのカエデちゃんは、絶好調ですよ。あれれ、君は誰?」

「ほんまや、誰やあんた」

 なんだかしゃべり方に個性がある人たちだ。

「えっと、俺は斎条という者です。さっき受付の前を通ったと思うんですけど」

「はあ、私受付やってるときはたいてい自撮りしてるので。あと、カエデちゃんって呼んでね」

 受付やれよ。呼ばねえし。

「まあ助かったのー。死ぬかと思ったけん」

 もう一人が割とのんきな声で言った。

「でもとりあえず、ちょっと血が出てるし、消毒して、処置しましょう」

 俺はカバンのなかから、精製水とガーゼを取り出した。

「女子力ー」

「これは女子力なんですか」

 俺は、出血している傷口を水で洗い流した。

「しみるの嫌ばい」

 あなたは結局どこの人なんだ。

「大丈夫です、水なんで。消毒液を使うと傷の治りがおそくなることがあるから、水で洗って湿ったガーゼで覆ってたほうがいいんですよ」

「豆知識やなー」

「参考になりますー、映える映えるー」

 なんか疲れてきたので、残りは適当にガーゼを巻いて処置を終えた。

 方言交じりの受付嬢はふーっと息をついた。

「ありがとな、豆太郎」

「なんでそれが名前になるんですか」

「ちなみに私はカエデちゃん」

「うるせえ」

 ひどいよしくしく、と泣き出すカエデちゃんを横目に、

「質問してもいいですか」

「ええよ。でも、まずひとつこっちからや」

「どうぞ」

「あのオアはお前のか」

 方言交じりの受付嬢は地面に跪いているオアを指さした。




 




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