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吸血鬼



「なぁ後輩くん」


「はい、なんでしょう。先輩」


「吸血鬼っているじゃないか」


「いますね。それがいかがしましたか」


「吸血鬼に血を吸われた人間は吸血鬼になると言うではないか」


「言いますね」


「だから私も昨晩、吸血鬼に血を吸われてみたのだ」


「どうして先輩の会話の前提はいつも病みきっているのでしょう」


「だがどうだろう。まるで吸血鬼になったという実感がないのだが」


「その会話を繋げる必要はありますか」


「ある」


「後輩とはかくも哀れな生き物か。抵抗の一切が許されていない」


「実際のところ、君の目から見てどうなのだ。私は吸血鬼に見えるか。私が部室にやって来た時、『あ、僕の麗しの先輩は今日は吸血鬼なんだな』と思ったりしただろうか」


「私は健康な思考を持つ男子高生なので、『今日も先輩は当たり前のような顔で重役出勤してきやがったな』と思いましたよ」


「私に吸血鬼チックな雰囲気は感じなかったと」


「はい。強いて言うなら、先輩との付き合いの長さから、『相変わらず先輩はお馬鹿さんなことを考えているな』と一目で察しましたよ」


「君の観察眼が当てにならないということが露呈したな。私はいつだって有意義なことに思索を巡らせているというのに」


「その終着点が『吸血鬼に血を吸わせてみた』なのだから、呆れを通り越して感嘆のため息がこぼれます」


「同じ質問をするが、私は吸血鬼になっていると思うか。思う思わないに限らず、私のメタモルフォーゼの検証をして欲しいのだが」


「その検証に私は付き合わなくてはなりませんか」


「なりません」


「やはり後輩という立場は世知辛い」


「吸血鬼は日光に弱いと言うだろう」


「言いますね。致命的な弱点とされることが多いかと」


「私も今日はなんだかお肌がピリピリする気がするのだ。これはつまり私が吸血鬼になったという証拠か」


「今日の気温は35度。雲ひとつない快晴です。陽の下を歩けば誰だって肌がピリピリする、要するに日焼けをすると思いますが」


「つまり、吸血鬼になった証拠にはならないと君は言うのだな」


「太鼓判を押しましょう。他に何か思い当たることはないのですか」


「お。君も私の吸血鬼化に興味を示しだしたようだ」


「いえ、この無益な会話を早々に切り上げたいだけです」


「ふむ。では、私はお昼にトマトジュースを飲んでみた。これが非常に美味だと感じたのだが、これは吸血鬼化の証拠にはならないか。なるだろう」


「確かに吸血鬼は生肉やワインを血の代用品とすると言いますね。ですが、トマトジュースという話は聞いたことがありません」


「トマトジュースは見た目は血に似ているではないか。それに仕方ないだろう。未成年の私はワインを飲めないし、寿司以外の生肉を食せるお店など限られている」


「近頃は野生のイノシシが畑を荒らして大変だそうです。吸血鬼というのは人間ではおよびもつかぬ身体能力を持っているとも聞きますから、これは良い検証材料に……いや失礼。なりませんね。先輩なら吸血鬼にならずとも、野生のイノシシを素手で捕獲することなど赤子の手をひねるよりも容易い」


「君は私にジビエを生で食させるつもりなのか。それに失礼だと言うならむしろ後半の方だ。いくら私でもイノシシを捕獲したりしない。可哀想ではないか」


「捕獲できないと言わない辺り、流石は先輩です。恐怖すら感じます」


「話を戻そう。トマトジュースではダメなのか。あれは美味だったぞ」


「今時の女子高生とは思えない嗜好ですが、トマトジュースは先輩の好物でしょう。この暑さで喉がカラカラに渇いているところに好物のトマトジュースを口にした。だからいつも以上に美味に感じたのだと推測します」


「なるほど。君の言う通り、私はトマトジュースを好んで常飲している。トマトジュースが7、その他の液体が3、くらいの割合だ」


「人間の身体は約7割が水分だと言います。つまり先輩の身体の半分近くがトマトジュースだと言えますね」


「その仮説が正しいなら、私は吸血鬼ではなくトマトジュースではないか。それは困る、というより不本意だ。それではまるで格好良くない」


「その言い方だと、先輩は格好良くなるために吸血鬼に血を吸わせたことになりますが」


「事実その通りだ。それに、吸血鬼は様々な特殊能力を備えている。何より、見目麗しい婦女子の首筋に噛み付けるという権利は何物にも代えがたい」


「その権利は憲法によって保証されていません。むしろ禁止されていると言って良いでしょう」


「それは盲点だった。私は校則を破ることにすら抵抗を感じる誠実な女子。憲法に抵触するなど、想像しただけで怖くなってくる」


「真面目と言えば聞こえは良いですが、ただ単にチキンなだけだと思いますね。では先輩。吸血鬼は十字架やニンニクが苦手だと言います。その辺りはどうなのでしょうか」


「そう言われてみれば、私はニンニクが苦手だ。あの臭みはどうも受け付けない。これはつまり、私が吸血鬼であるということが立証されたと断言できるな」


「何故その程度のことで断言してしまうのでしょう。先輩は以前からニンニクを苦手としています。昨日今日始まったことではないでしょう」


「そう言えばそうだな。給食の献立がガーリックな味付けだった時の絶望感は今も記憶に新しい」


「では十字架はどうでしょう。あれも吸血鬼のウィークポイントとして重宝されています。そしてほら、ここに都合良く十字架型のキーホルダーが。どうです。何か不快感や嫌悪感を感じますか」


「感じる。これは確かに感じるぞ」


「ほう。具体的にはどのように?」


「君のあらゆる持ち物に十字架のデザインがされていること。またそれが無い場合は必ず十字架のキーホルダーを取り付けていること。高校生にもなった君がそんなものを持ち歩いていることに小さな嫌悪感と羞恥心を感じる」


「それは十字架ではなく私への感情では。そして私の感性を否定するのはやめていただきたい」


「だが、隣を歩いているとどうしようもなく恥ずかしいのだが。近頃は慣れてきたが、昔はかなり苦い気分にさせられていたものだ」


「つまり現在は思わないのですね。では私は遠慮することなく十字架がモチーフの物品を購入し使用していきましょう」


「私は寛容だからな。それが君の孤独を癒すのであれば、この胸の羞恥心に耐えてみせよう」


「ありがとうございます」


「だが心したまえ。君の嗜好を理解してくれる年齢層は少子化の煽りを受けて着実に少なくなっている。とても生きづらく感じることが増えるはずだ」


「おや。先輩にしては異な事をおっしゃられる。生きづらさとは、自分の思う通りに生きられないことです。周囲の表情をうかがって自分の個性を押し潰す。それでは人生をエンジョイできません」


「……これは驚いた。まさか君からそんな言葉を聞かされるとは」


「私もたまには良いことを言うのです」


「あぁ。本当に驚きだ。よくその顔面偏差値でそんな格好良いことが言えたな。恥ずかしくはなかったのか」


「まさかの反応。唐突な容姿批判」


「とは言え、私は博愛主義。君の言動ももちろん許容範囲だ。だが、私以外の人に同じことを言えば、迷わず通報されてしまうだろう。以後気をつけるといい。そういう格好良いことは、私の前だけで言うように」


「わかりました。警察沙汰は私も避けたいところ。今後格好良い発言を思い付いても、発言機会を吟味することにしましょう」


「よろしい。話を元に戻そう。全く。君といるといつも会話が脱線するな。後輩として舵取りの腕を上げたまえ」


「先輩の用意する会話の海が常に荒れているせいでもあるのですが。人魚がどうの吸血鬼がどうの」


「思春期が不思議に興味を持つのはむしろ平凡な思考だろう」


「実際に『なってみた』や『やってみた』などと発言するのは奇特に過ぎるという揺るぎない事実があります」


「さて、吸血鬼は蝙蝠や霧に変身することもできるらしい。だが、私はどうやっても蝙蝠になれないのだ。これでは辻褄が合わないな」


「いや、どうしようもなく合っているからだと思います」


「実はこれには非常に困っている。このままでは霧になってうら若き婦女子の寝室に忍び込むことができない」


「おや、婦女子の首筋への未練は断ち切れていないご様子。憲法への恐怖には打ち勝ったのですか」


「残念ながらまだ怖い。だが法というのは必ず抜け道がある。目に見えない小さな穴も、霧のように搔い潜ってみせよう」


「その熱量の半分でも分けてあげられれば、日本の地熱発電だけでこの世の電力事情を解決できそうですね。世界への貢献を真剣に考える気はありませんか」


「だが困った。私は現代社会が苦手なのだ。未だに憲法と法律の違いがよくわからない。さきほどから憲法が会話に頻出しているが、実は結構適当に受け流している」


「私の質問に答えてくれないことよりも、先輩の受験勉強に立ち込める暗雲の濃さに関心が吸い寄せられてしまいます。ですがそんな私から提案があるのですが。聞いてくれますか」


「モチロンだ。民主主義とは少数派の意見を大切にすることにこそ意義がある。縮こまることなく堂々と提案してくれて構わない」


「何故私が初めから少数派に組み込まれているのかが気になりますが、ここはぐっと堪えて話を続けましょう。先輩が執着する婦女子の首筋に噛み付く行為が憲法に触れる件ですが、きちんと合意を取れば無問題なのです」


「ほう。詳しく」


「無理やり噛み付くから罪に問われるのです。しっかり菓子折り持参で訪問し、婦女子だけでなくご両親にも正式な形で話を持ちかける。そして彼女たちがにっこり微笑んでくれた後で思う存分かぷりと噛み付けば良ろしい」


「これは青天の霹靂だ。君のような人物からこれ程までに建設的な提案を受けるとは。バカの考え休むに似たりとは言うが、休み続けることで得る無限の時間にはしっかりと意味があったのだ」


「褒められている気がまるでしないのですが、まあ良いでしょう」


「これは素晴らしい。では早速今夜、隣のクラスの吉田さんのお宅にお邪魔するとしよう」


「冗談全部で言ったはずがまさかの犯罪教唆、いや、変態教唆になってしまった。ここは吉田さんとそのご家族の理解ある対応に賭けるしかありません。ところで先輩」


「どうかしたかな。私は持参する菓子折りの選択に忙しいのだが」


「知ったことではありません。そんなことより、昨晩先輩の白いうなじに噛み付いたというのはどこの馬骨吸血鬼ですか。氏名、年齢、住所、そしてよく利用する人気のない裏通りなどを教えていただければ」


「ほう。君も吸血鬼になりたいのだな。この照れ屋さんめ。初めからそう言えば良いものを」


「断じて違います。ただ、私は無知の知を地で行く現代のソクラテス。知識欲の塊なのです。さあ、教えてください。さぁ」


「残念だがそれはできない。吸血とはまさに刹那の瞬間、儚く小さき命。それに、実は私もよく覚えていないのだ。朝になって首筋に痒みを感じ、鏡で確認したところ小さく赤い腫れが一つあったに過ぎないのだ」


「明らかになった真相のあまりの下らなさに私は腰が抜けそうです。あぁ、私は何ゆえ先輩の妄言を信じてしまったのでしょう。それによく考えなくても、本日先輩が暑さに堪らず黒髪を結わえていることで露わになっている首筋にそれらしい傷痕がないことに気づくのは容易いことなのに」


「こらこら。うら若き女子高生である私の首筋を凝視するとはけしからん奴だ」


「わかりました。もういいです。先輩の話の全てに興味を失いました。私は文字通り蚊帳の外にいましょう」


「これは珍しい。ゴキ◯リほいほいも一歩身を退くほど粘着質な君が諦めるとは」


「どう言われようと結構」


「だが、それは良くないな。君のねちっこい視線が私以外の婦女子に向けられては間違いなく警察沙汰。お巡りさんに連れられていく君を見るのはあまりに忍びない。だから」


「だから?」


「君が見ていいのは私のうなじだけだ。私は寛大だからな。それくらいは笑って許せる」


「なるほど。了解しました。しかし安心してください。私の視線が吸い寄せられるのは先輩のうなじだけです。では早速」


「おや、早速とは?」


「その首筋の腫れにムヒを塗らせてください。痒いままでは安眠の妨げになるでしょう」


「後輩らしい気遣いができるようになったようで私は喜ばしい。では塗ってもらおうか。ほら」













「という会話を今日先輩としたのです」


「うん」


「生返事ですね。体調が優れないのでしょうか。自己管理を怠るのは良くないですよ」


「あなた達の会話内容のせいで生返事になっているのに、どうして私が怒られなくちゃいけないの……?」


「近頃はとにかく暑い。お気をつけください。それではおやすみなさい」


「……おやすみなさい」


 電話が切れると同時に私の気持ちの糸も切れた。小テストの丸つけとか本当にどうでもよくなってくる。こう毎日毎日、若者の惚気を聞かされていると心が弱ってしまう。


「彼氏ほしい……」


 今日も孤独に呟いてしまった。クリスマスはまだ数ヶ月先のはずなのに、今から焦ってしまう。先日結婚したという同級生の喜ばしい連絡に苦笑いをしてしまったことがショックだった。


「お風呂入らなきゃ」


 せめて清潔でいよう。そう思った時、いつもの着信音が鳴り始めた。


「もしもし」


「もしもし。私だ。今日実は後輩くんと吸血鬼の話をしてだな」


「あぁ、そう。それは良かったわネー」


 全部知ってるけど。でも、もしかしたら彼女たちの会話に私の恋人探しのヒントがあるかもしれない。何とか気力を持ち直して、生徒の話に耳を傾けた。私は全く同じ話を三十分間かけて聞き終え、結局何の役にもたたなかったと後悔することになった。

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