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人魚



「後輩くん」


「なんでしょう」


「人魚っているじゃないか。知ってるかい?」


「そりゃモチロン。上半身が人間で下半身が魚の化け物ですよね」


「そう。有名なのは童話作家アンデルセンの『人魚姫』だな。だが、我らが日本にも人魚をモチーフにした昔話があってだな……」


「ありますね。日本書紀に記載があったとか。それも別に日本に限った話ではなく、世界各地に同じような伝説があるらしいです」


「ちょっと待て。私より詳しいのはやめたまえ」


「そんなことを言われましても」


「まぁ良い。私はその中でも、八尾比丘尼という伝説について話したいのだ。この八尾比丘尼という女性、若い頃に人魚の肉を食べたことで不老不死になったと言われている」


「正確には不死ではなく千年の寿命を得たらしいですが」


「だから私より詳しいのはやめたまえ。それに、たとえ私の知らない情報を知っていたとしても、お行儀よく黙して聞き役に徹するのが後輩のあるべき姿だぞ」


「はぁ。わかりました」


「いいか。絶対だぞ。絶対の絶対だぞ」


「わかりましたから、早く話を進めてください」


「あぁ、そうだった。それでだな、私は別に不老不死になりたい訳ではないのだが、何事も経験だと思ってな。今日の朝ごはんに人魚の肉を食べてみたのだ」


「おっと。話の前提が大きく破綻してますが、そこは掘り下げないのが華でしょうか」


「そうだ。後輩なのだから黙って聞いていろ。私は今朝、人魚の肉を食べた。だが、これと言って体に変化を感じないのだ。どういうことだろう」


「私はその質問に真剣に答えなくてはなりませんか」


「なりません」


「たった一年早く生まれただけでこんなにも理不尽な強制力を振りかざすとは。日本の縦社会恐るべし」


「それでどうなのだ。私は不老不死になったのだろうか」


「そう言われましても。先輩にわからないことを後輩である私がわかる訳もないかと」


「む。後輩であることを逆手に取った見事な切り返し方だな。その変わり身の早さ、紛れもなく私の後輩だ」


「お褒めにあずかり光栄です」


「しかし困った。結果がわからない実験ほど虚しいものもない。どうにかして私が食べた人魚肉の効果を確かめられないものか」


「では一度死んでみたらいかがですか」


「君はいきなり怖いことを言うな。それでもし人魚肉の効果がなければ、私はそのまま死んでしまうではないか」


「おっと、これは失礼」


「おまけに君は人魚肉に不死の効果はないとさっき言ったばかりではないか。もしそれを踏まえた上で私に提案したのであれば、先輩後輩の絆はここまでということになるぞ」


「朝食に人魚の肉を食べてきたと豪語する先輩との絆にどれほどの価値があるかは不明ですが、私がいなくなると先輩はお喋りの相手がこの世から消えてしまう。それは流石に哀れなので、ここは素直に謝罪しておきましょう。申し訳ありませんでした。私は決して先輩に危険なことをさせるつもりはなかったのです。ただうっかりしていただけなのです」


「色々と気になる発言はあったが、私は寛大だ。うっかりだと言うならその謝罪を受け入れよう」


「では、不老の効果から調べてみるのが得策でしょう」


「不老か。だが、私はご覧の通り花も恥じらう女子高生。きっとあと二、三年はそれほど外見の変化はないと思うのだ。そう仮定するとその検証方法では不老を確認するために最低でも数年を必要とするではないか。せっかちな私が我慢できる期間ではないぞ」


「女子高生は第二次性徴期ぎりぎりですから、人によっては検証できなくもないと思いますが、先輩に関してはおっしゃる通りでしょう。それに、これ以上先輩の背が伸びられては男子である私の立つ瀬がない」


「では、他に何かいい方法はないものか。そもそも、不老とはどこを基準とするのだ。肉を食べた当日である今日から私の成長、老化が止まるのか。それとも死ぬ間際の枯れ木のような状態になってから老化が止まるのか」


「不老なのですから、後者の線は薄いでしょう。やはり先輩はあと千年は女子高生として学校に通えるのではないですか」


「いくら女子高生の市場価値が高いとは言え、千年も数1や数2を勉強するつもりはない」


「千年あるんですから、頑張って数3を学んでください」


「無理だ。私は微分の時点であっぷあっぷしている」


「先輩の受験勉強に難破の兆しが見えたことは置いておいて、一つ思いついたことがあるのですが、発言しても良いでしょうか」


「モチロン。私は下々の者の意見にも耳を傾ける」


「少しばかり言いたくなくなりましたが、まぁ気にしないことにしましょう。私が思いついたことと言うのは、病気のことなのです」


「病気? それなら問題ない。私は生まれてからこのかた風邪を引いたことがない。予防接種など一度もしたことがないのに、インフルエンザに罹る気配すらなかった。私以外のクラスメイト全員がインフルエンザに侵された時も、私は一人元気に校庭を駆け回っていた」


「馬鹿は風邪を引かないという定説にこれ以上ない説得力を与えましたね。流石です」


「その褒められ方は腑に落ちないが、私は寛大だ。許そう」


「ありがとうございます。ですが、いかに先輩が頑健な肉体を誇っていようと、千年も生きていれば何かしらの病に罹ると思うのです」


「ふむ。確かに私とて超人ではない。そういったことも考えておかなくてはならないな」


「賢明なご判断です。では例えばですが、先輩が癌になった場合はどうなるのでしょう」


「ガーン」


「おっと。あなたが歳上であり、なおかつ女性でなかったら一発ぶん殴っているところです」


「しかしなるほど。癌は怖いな」


「末期でなくとも、癌は痛みを伴う病気です。痛みを和らげる治療は当然ありますが、完璧という訳ではないでしょう。もし先輩の症状が悪化の一途を辿った場合、先輩の苦しみはどこまで加速するか」


「癌で体は動かなくなっていくのに、千年は死ねない。不老と完全な肉体はイコールではないという考え方か」


「いかにも」


「なるほど。だが、私はそこまで気にしなくても良いと思う。癌の死亡率は年々低下しているし、千年のうちに癌はおろか、今ある全ての病気の治療法は見つかるだろう」


「先輩らしい前向きなご意見で安心しました。これなら先輩が癌になっても大丈夫ですね」


「いや、それとこれとは話が違うが」


「ですが、病気というのは新しいものも次々と生まれてきます。そういう意味では、先輩はこの世で最も病気に罹りやすい人間ということになりますね。どうしますか。口臭が殺人的に臭くなる病気にでもなったりしたら」


「君はどうしてそう後ろ向きなのだ。何も悪いことばかりではあるまい。生命とは進化するものだ。もしかしたら私は百年後には目からビームを放っているかもしれないぞ」


「進化とは環境に適応するために発生するもののはずですが。先輩は目からビームを放つ必要があるのですか」


「今のところはない。だが、鳥類は空を飛びたいと思ったから翼が生えたのだと思う。私だって目からビームを放ちたいと強く願えば、決して不可能ではないはずだ」


「目からビームを放ちたいと強く願う先輩の精神構造がとんと理解できませんが。それに、鳥類は空を飛ぶ前から骨格が変化し、その準備ができていたと言う説を聞いたこともある気がしないでもないです」


「ほう。つまり私の眼球はすでに高圧エネルギーを溜め込んでいるという訳だな」


「そのポジティブシンキングの半分でも分けてあげられれば、世界から自殺なんて悲しいものは消えそうですね。一人で独占していて申し訳ないとは思わないのですか」


「あぁ、ついに後輩くんは私の疑問を解消してはくれなかったか。結局、私が不老不死になったかどうかが分からず終いだった。議論する相手を間違えたかな」


「私の糾弾を無視して勝手に話を畳もうとしているので最後に質問しますが、先輩が食したという人魚の肉はどうやって手に入れたのですか」


「それはつまり、君も不老不死になりたいということか?」


「違います。上手くやれば私も先輩からお金を騙し取れると思いまして。参考までに聞いておこうと思ったのです」


「残念だがそれは教えてあげられない。利権とか関わってくるからな」


「これは新たな金脈の予感」


「腹黒い君が何か企んでいるようだが、おおらかな私は意に返さない。そうだ、一応まだ人魚の肉が余っているのだ。タッパーに詰めてきたから、君も食してみたまえ」


「御免こうむります。私は不老不死になんてなりたくありませんので。しかもご丁寧に竜田揚げにしているではありませんか。朝から竜田揚げなんて、胸焼けはしなかったのですか」


「では唐揚げにした方が良かったか? 確か君は竜田揚げを好んでいたと記憶していたのだが。昨晩からじっくり下味をつけておいた。かなり美味だぞ」


「先輩はやはり私の質問に答えてはくれませんね。先輩の手料理となると不安は拭えませんが、しかし、竜田揚げが私の好物であるのは間違いありません」


「なら良いではないか。ほら、口を開けたまえ。私が手づから食べさせてやろう」


「私の口より大きな肉塊を押し付けるのはやめていただきたい。ですが先輩のご厚意を無碍にする訳にもいきません。口裂け男になっても良いという気概で食してみせましょう」


「後輩の鑑のような素晴らしい心意気だ。では食せ。さぁ、どうだ。美味か? 美味だと言うが良い。たとえそれが美味ではなくとも、気を遣って美味だと言うのが後輩であり男である君の甲斐性だ」


「ご安心ください。これは忖度なく美味だと言えます。しかし困りましたね。これでは私と先輩はあと千年の時を共にしないといけないではないですか」


「おっと。君に私の手料理を食べさせることに夢中ですっかり忘れていた。これは仕方がない。私達は向こう千年間は一緒にいなければならないな。家族も友人も死に絶えていく中、私と君だけが生き続けるのか」


「私達の先達である八尾比丘尼はまさしくその境遇を嘆き、最期には尼となって洞窟にこもったと言います。しかし残念。肉食であり甘味好きである先輩が尼になることなど不可能」


「煩悩の塊である君も同じことだろう。私達が出家することはない」


「はい。ですから私達はきっと、今この時のような毒にも薬にもならない会話をしながら凡凡とした暮らしを続けていくのでしょう」


「それを千年か。それはなかなか退廃的だ。だが」


「だが?」


「君となら、退屈はしない気がするな」


「ええ。そうでしょうとも。私一人では孤独感に屈してしまうとしても、二人なら耐えられましょう」


「あぁ。では、永遠の手前、千年の時を二人で過ごそうではないか」


「良いでしょう。では、手始めに」


「手始めに?」


「残りの竜田揚げを先輩の手で食べさせてもらいましょうか。私は空腹なのです」


「了解した。ほら、口を開けるが良い。君が望むなら、私は何度だって料理を作り、食べさせてやろう」


「えぇ。そしてまた、意味のない会話の華を二人一緒に咲かせるとしましょうか」














「という会話を今日後輩くんとしたのだが」


「はぁ。それで?」


「む? それだけだが?」


「私が聞かされた意味ってなに……」


「では夜も遅い。また明日学校で会うとしよう。おやすみなさい」


「……おやすみなさい」


 ツー、ツーという音が虚しく響く。あの子たちの会話を聞かされることが、ここ数ヶ月の日課になっていた。持って帰った仕事もまだ残ってるというのに、何故こんなにも無益な時間を過ごさねばならないのだろう。ため息をつきながら机に向かう。


「はぁ……。私も彼氏ほしい」


 気づかぬうちに口に出してしまった。あの子たちの会話を聞くたびに思わされる。もう何年も彼氏はおらず、これから先もできる気がしない。仕事が忙しくて他のことに頭が回らないし、仕事場に出会いもない。


「あ、でもあの子たち付き合ってないのよね。今時の若い子ってホントわかんない……」


 毎日毎日、どう考えてもイチャついているとしか思えない会話をしているのに、あの二人は付き合う予定もつもりもないらしい。それが奇妙でたまらない。そして何より、何故その会話を私が聞かされなくてはならないのだろうか。普通はああいう会話って、当人たちだけのものにしたいと思うのじゃないの?


「あと、なんであの子は教師にタメ口なのかしら……」


 私は別に新任教師というわけでもない。他の生徒たちはちゃんと敬語で会話してくれるのに。


「はぁ……」


 やっぱり色々と納得できないことだらけで、ため息ばかりが増えていく。すると、着信音が嫌そうに鳴り始めた。


「もしもし」


「もしもし、先生ですか。実は今日先輩と人魚についてのーー」


 私は電話を切った。

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[良い点] 人魚 拝読致しました。 会話がテンポよく進んでいくところが良かったです。 また、ところどころに挟まれている笑えるネタが、楽しさを増しているように感じました。
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