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天閣の鍵を汝に與へん、凡そ汝が地面にて縛ぐ物は天閣にても縛ぎ、
地面にて解く物は天閣にても解くなり
(マタイ伝福音書・第16章)
狩人の息は髪さえ吹き動かせずに弱く、静かに肌寒い空気にて霜に凝り、かじかんだ指先に降りる。
目の前、傘の間に漂い渡っている毒茸の瘴気はあまりにも濃すぎて、視線を遮ってしまう。それでも、飢えている子供たちは阻まれず、お伽話でよく登場する勇敢な狩人を倣い、弓矢を持ってこの荒野に踏み込んできた。フテソは二十メートル外で悠々と反芻している子鹿を狙い、息を殺して腕を上げ、琴を弾くような優しい力で弓を引く。矢羽が頬に擦れ、指が弦から離れそう…
ヒューと、子鹿の蹄前までは一本の矢が射られた。が、その矢は外れ、子鹿を驚かして逃がしただけだった。しかし、あの矢はフテソのではなかった。
しがたなく、フテソは身を隠した傘の陰から飛び出し、すぐ追いかけていく。手がまだ弦と矢の交差点を離せず、いつでも弓を引けるために構えている。地面に生えて湿気をずいぶん吸収したワラビを踏み越え、傷だらけの靴がパタパタと響いている。だけど、その響きは一つだけではない。数本の蕈の木を隔てる向こうにいるのは、さっき矢を外した仲間だ。彼も同じ怖く逃げている獲物を追いかけている。
「またお前だ、ノバ!」フテソは顔をしかめて、見えつ隠れつする人影に怒鳴った。
「ごめん!瘴気のせいで、あまり見えなかったよ。」相手の言い訳しかもらえなかった。
どうせ初めてではないから、フテソはただ一息を嘆いてノバに無駄な話をもうせず、精神を全部獲物を追うことに集中する。まもなく黒昼だ。もし獲物を捕らえられないと今日も飢えるのだ。もう三日間食べていないので、やっと見つけた今の獲物を全力で追撃するしかしがたない。しかし、命のために狂ったように走っている子鹿も、全力でこの猛追から逃げ切るしかない。子鹿は続いて蕈の木の狭い隙間を通ったり、視線を妨害する蕈の叢で急速で曲がったりし、また突然と谷の下へリープし、谷の間で茂る蕈の傘面の上で狂奔し続け、執着な狩人を落とそうとする。
「アロペ、お前のところへ!」直ちに傘面にも降りたフテソは、大声で叫び、谷の下で待ち伏せていたもう一人の仲間を呼びかける。話が切った前に、一本のダガーが下から投げられたが、ただ子鹿の足を擦れて浅い赤色の傷と些少な痛みを残しただけだった。
「あっ、申し訳ないです!」アロペと呼ばれた女の子は、すぐ自分のミスを謝った。
「俺に任せろ!」このとき、ノバも傘の群れに来て、弓を引こうとする。
「アホ、傘の上に立つこともでき…」話を終わしもできず、濃い瘴気の後ろからすごく痛そうなぶつかり音と悲鳴がした。フテソの言う通りに、ノバが滑りやすい傘面から地面に転落してしまった。
だが、仲間の安否をかまう暇がない。眼前、この蕈の森の突き当たりがもう見える。子鹿はまたリープして地面に降り、逃走を続ける。すると、フテソも傘面から降り、地面に数回のとんぼ返りをして疾駆の慣性をようやく止めた途端、その勢いに乗って片膝をついて弓を引き、直線で少し遠くにある低い石垣へ逃げている子鹿を狙う。一息を吸い込んで、血液に回っている緊張と震える両手を落ち着かせる。そして、子鹿が飛び上がって低い垣を越えそうになる瞬間、指が弦を放ち、弦の張力に推される矢が瘴気を切り開いて子鹿の足に突き込む。
悲鳴が聞こえたが、子鹿の身の影はすでに石垣を越えてしまい、もう見えなくなった。
「フテソ!」まもなく、ノバとアロペも着いた。「えー、さっきの鹿は?」ノバが焦る声で聞いた。
フテソは何も答えずに、ただ一人で前に歩き出し、低い石垣へ向ける。ノバとアロペはお互いに顔を見合わせたが、どうしようもなくフテソに連れて石垣の前に来る。垣の外側を望んでみると、蕈の木がまばらな泥池なので、瘴気が少し薄まったようだ。泥池がおよそ十メートル延長し、そこからもう一つの蕈の森がある。命中された子鹿はその泥池に倒れたがまだ息があり、蹄先で重い体を前に引きずり、残った息で向こう側の森へ這っていく。ヒューと、フテソはもう一本の矢を放ち、重傷で虚弱な子鹿ののどを射殺した直後、その低い垣を越えて三日間に唯一な収穫を取りに行こうと思ったら、アロペに止められた。
「ちょっと待って、フテソ!これは『界』だよ、立入禁止って!」アロペが焦る声で言った。
「そうだよ!まもなく黒昼だし、もし…」ノバもフテソを阻止しようとする。二人は明らかに垣外に対して強い恐怖を覚えている。
「何をビビってんだよ!骸骨?骸骨は暗くならないと動きさえもしないし、この垣をどうせ越えて入れないし、まだ暗くないうちに行って帰れば大丈夫だ。つーか、もう三日間露の水を飲む以外に何も食ってないぞ!せっかく手が届けるところに来た肉を、このまま諦めればいいのかい?肉だよ肉!」
いつもの遊び仲間なので、二人はフテソの性格をよく知っている。どんなに説得しても無駄だと。しかも、自分の腹もペコペコして抗議の音を出している。また顔を見合わせ、フテソが垣を越えて子鹿の死体まで速く行っているのを心配に見るしかできない。フテソは大胆な話を簡単にできたけど、到底、初めて界を越えるので、実は焦慮してしょうがない。一心、早く獲物を取って村に戻って焼肉を作りたいだけ。しかし、子鹿の死体まで腰を折るわずかな距離が残っていないとき、フテソは恐れのあまり思わず止まってしまい、眼球が目にぞっとわななき、徒然と前へ見つめ…
骸骨だ!
怪異な顔が斜めに偏り、巨大な目に些少な腐敗した肉しか残らず、人間の形に似ている身体が暗赤色の腐乱の肉に覆われ…あるいは、表層の皮膚がなくなったせいで、腐乱の肉体が外に暴露し、吐き気を催す色とにおいを発散する。骸骨は蕈の森の突き当たりで立って三人を見つめ、曲がる脊椎で猫背し、両手が無力そうに垂れて両膝も少し屈している。こんなこぼれそうな体を引きずり、前に一歩を踏み出した。
「早く戻れ、フテソ!」アロペが恐懼の声で叫んだ。「獲物にかまうな!」
フテソは足元にある子鹿を瞥見し、まただんだん迫ってくる骸骨を見る。「ちくしょう、暗くなってないのに、なぜだ?」目叩く間もなく、フテソは腰を折って子鹿の死体を攫い、反方向に逃げ出した。
「あ、もう…」フテソが彼女の警告を無視したことに、アロペは不満と思っているけど、両手を胸の前に合わして祈るしかできない。
「まだ暗くなってないのに、いったいなぜだ?」骸骨が突然に現れることにも戦慄を覚えるノバは、情勢のため、手が震えるにもかかわらず、弓を上げて加速してくる骸骨を狙ってみる。
「早くしてよ、ノバ!骸骨がもうフテソに追いつくんだ!」アロペも緊張にノバを促す。
ノバの弓の弦が高らかな音をしたけど、射った矢がだいぶ外れた。ノバはすぐ二本目の矢を構え、心を落ち着かせる間もなく、またパッと。今度はまぐれ当りで骸骨の左肩を命中し、骸骨を少し退けて追撃の歩みをなんとなく止めた。
が、その効果は長く維持できなかった。骸骨は右手を左肩まで上げ、肉に刺し込まれた鏃をさっと抜いて出した。腐敗の肉まで抜かれてどろりとする黒い血も少し溢されるも、骸骨はただその鏃を一瞥しただけで矢を横に投げ捨て、ちっともその劇痛に影響されなかった様子だ。もしかすると、こんな怪物はそもそも痛みなんて感じもしないかもしれない。矢を抜き捨てた骸骨はまた追いついてくる、より速いスピードで。ノバはまた矢を連発して骸骨を阻もうとするけど、運がもうついていなく、トンボが水面をかすめるように骸骨の肩か腕を擦れるだけだ。骸骨はより迫ってきている。
あと三歩の距離で、もう怪物に追いつかれてしまうと思うと、フテソは地面をしっかり踏み入れて、持っている子鹿を石垣に投げ越えてから、足の力を奮って飛躍し、幸い、骸骨より一歩先に『界』を飛び越えた。境域の地面に着いたら、フテソは直ちに身を反らし、意識もせずに手と足で自分の身を垣からなるべく退ける。心臓の動悸が全然止まれない。
「ちっ、だから!こんな命賭けのことをするなって…」やっと大難を乗り切ったから、ノバはどうしても不満を吐きたいのだ。
「お陰様だ!最初に外れなかったら、こんなところまで追ってきなくとも。」フテソは落ち着くふりに責任を問い返した。
「ね、確か、骸骨はあの垣を越えることができないよね?」大きく息をしているノバは急に不安そうに聞いた。依然と戦慄する手が弓矢を掴みしめている。
「確かにそのはずだけど…」アロペが続いて言った。だけど、あの骸骨はまだ帰っておらず、虚弱そうな両手が腰の高さの石垣に掛け、ぼんやりとしている目線が依然と呆れた三人を見つめており、首を垣内に伸ばしてみる。
突然、骸骨は細い手に力入れて垣の縁を強く握り、体を支え上げ、体が地面とほとんど水平している硬い姿勢になった。三人がまだ現状を意識できないうちに、骸骨はすでに垣を越えてしまい、境域内の泥池に跪き、そして、徐々に立ち上がり始めた。これがあまりにも突然しすぎて、眼前に何が発生したかを意識していても、脳内に根を張った常識は骸骨が『界』を越えたのだと、どうしても信じられない。アロペの叫び声がまだのどの途中にあるものの、骸骨はまた前へ飛躍し、地に座っているフテソにかかる。
「ふざけんな!」恐懼か驚愕、慌てている中、ポケットから小さいダガーを身の前に取り出し、目をつぶってしまう。長く経っても、予期通りの攻撃とその痛みを受けていない。少し時間で目を開く心構えを立てたけど、目に入るのは、骸骨が飛び出そうとする姿のままに止まってその心臓に矢に刺された模様だ。
振り返ったら、ノバが矢のない弓を持ち上げたまま。「今回こそ、心臓を…」ノバは魂を失ったように弱く話した。ノバの声が切るか切らないかのうちに、骸骨は前へ倒れて泥池に顔を埋め込んだ。今度は、確実かつ致命的な一撃だった。
「骸骨が界を越えた…これを、大人たちに報告しないと…」心臓の動悸も止まっていないアロペがどもって言った。「しかも、もうすぐ黒昼だ。村に帰らないと…」
「待て。」フテソが急に要求し、死んだ骸骨のそばまで行った。
「フテソ、何しに…おい、きもいよ!」ノバが言った。フテソは手にあるダガーで、死体の悪臭が発散すると腐敗の血液が流れる死体から何かを切り落としている様子で、両手も胸の前の服もその悪臭に染まってしまう。
「証拠なければ、骸骨が界を突破したって、こんなバカなことは大人たちが絶対信じないよ。」フテソは骸骨の首級を持ち上げ、身を回して二人と言った。その悪臭か骸骨の醜い顔面かどちらかのせいで、アロペはまた思わずに叫んでしまい、すぐ手を別の方向に向け、吐く衝動をなんとか抑えた。「終わった。帰ろう!」
密林の真ん中にいるが、村に帰る道をあまり迷えない。頭を上げたら、南方の天頂まで聳えているあの高塔をきっと見える。昊央という名の高塔を。
昊央の頂点は雲上よりも高く、朦朧としているスカイラインに隠されている。雉堞のような北境にある知られぬ村にて、誰でも昊央の最頂点がいったいどんな模様なのかを想像できない。たぶん頂点があるかどうかを肯定することさえできない。おそらく一生を経っても昊央の基盤を触れる機会もない。三人が知っているのは、昼になると太陽が昊央の後ろに没してしまい、そして、その厖大な影により形成する黒昼が雉堞を含める北域・淞荻のすべてを覆い被せる。
昊央で方位を判断しながら、三人は蕈の森の小路に沿ってちょうど暗くなった直前に密林を出て、雉堞の近くにある荒れる丘陵地に登った。突如の寒風が巻き過ごし、通常通りの風力だけど、通常でない硝煙の味が挟まれている。岡の頂に立っている三人は、眼球がまた愕然と双眼の中で戦慄し、谷地にある雉堞をぼっと見つめる。
「村が…」アロペは両足の力とバランスを失って跪座してしまった。村の一角がもう炎々たる烈火に呑み込まれた。その火焔の光は空に漂っている瘴気からなす濃霧の下に映し返り、朝日より明るく眩しいのだ。
「火が燃えるところ…あれっ?フテソ、お前の家の方向じゃん?」思考回路がすでに停止してしまったフテソに、ノバは余計に聞いた。
「姉…」魂の失ったようにささやくフテソは、どっと坂を走って降りて火災現場へ駆け出した、病気で臥床している姉を救いに。
「落ち着け、フテソ!君は今現場に行っても何もできないし、大人たちはきっとお姉さんを助けてくれるから、まず冷静になってよ!」ノバとアロペも坂を降り、一人がフテソの手を掴まり、一人がフテソの前で焦って勧告してから、かろうじてフテソを阻止した。このとき、普段には情緒をあまり表さないフテソでも大声で泣き出し、不意に手を離した。すると、持っていた骸骨の首級は落とされ、坂に沿って下へと転んでいる。
突然、ある綺麗で高貴そうな皮靴が転んでいる首級を踏み止めた。「泣くんじゃない。」他の村民と明らかに違う服装を着て、儀表堂々としている青年の男は、氷のような眼差しでフテソを睨み、足の下にある骸骨の首級を一瞥して興味なく蹴っ飛ばす。「貴様だろ?悪魔らを村に導いたのは。汚穢なリタリウス。」
「フテソは汚穢のリタリウスじゃあり…」初めて楯つくのは、もう唖然のあまりで何にも反応していないフテソでなく、アロペなのだ。
「アロペクス、我らラゴベス家の人にとっての未来は、蕈の森にはない。」相手は考えもせずにアロペの話を遮り、少し起伏もなさそうな声で訓戒した。「家に戻れ。」
「でも…」アロペの声には惜しみが聞こえる。
「でもなんてない。」相手は厳しく言った。アロペはフテソに振り返り、眼差しに決着をつけられない困惑が満ちるものの、最後にもひっそり手を離し、自らの兄に従って離れた。
「ノバ、家に帰ろう!」同時、遠くには一人の中年の婦人が村の入り口に立っている。婦人の背後には無邪気な笑顔をしている子供たちが連れており、ノバに手を振りながらノバの名前を呼びかけている。
「ママ、今日肉を食えるぞ、子鹿を捕えたから!」親しむ呼び声を聞いたら、ノバは母親と兄弟たちの元へ駆け出し、興奮の眼差しと止められない手足で肉を食える喜悦を語る。
「また蕈の森に行ってたの?そうだ、私塾に申し込んであげたから、明日からちゃんと先生に算盤を教わりな。税務員の資格を取れば、危ない森に入ることはないよ。ホランディアの長男なので、頑張ればきっとできると、母が信じるよ!」婦人はノバの乱れた髪をいじり、穏やかな声で伝えた。
アロペとノバが徐々に遠ざかる背後を望んで、惘然としているフテソはついて行きたいが、ひどく蹴躓いてしまい、顔がほこりまみれになるばかりだ。立ち直りたければするほど、手足がもっと指揮を聞かずに泥池の中で苦しくもがくしかない。慌ててしまった手足を落ち着かせ、跪座し上がり、面に着いた汚れを拭き落とした後、手を上げたら自分の周りに大人たちが立っていることを気づいた。大人たちの体の影は後ろで揺れている火焔から浮き上がり、本来より圧迫感をもたらす。その睥睨の眼差しならば、余計なことばで叙述する必要はない。まだ地面に滞るのは、自分を除き、衆人の忌諱になった髑髏だけだ。
「あの…火は?火を消さなくてもいいのか?」フテソはみなの後ろにある烈火を指し、気勢弱々しく聞いてみた。
が、火勢はにわかに拡大し、火を挟める煙が高騰して雲まで突き上がり、耳を痛める鋭い音をして鷲のように飛び上がった。その爆発による高熱の烈風に伴う火焔は、この場にいる全員の影を一瞬で消した、視覚残留さえ残らず。火焔はさらに毒蛇をなし、その口を大きく開き、一呑みで崩壊する空とわななく地平の果てにある一切を食い荒らす…