真夜中の銃声
乗り慣れた車に乗り込み、キーを回す。
なんとなくラジオをつけると知っている曲が流れた。
口ずさむうちに少し気分もよくなってくる。
通りを歩いている人の姿はない。
静かに車を走らせ、ユージンは五センチほどウィンドウを下げた。
フワァッと入り込んできた夜風が、半袖の腕を涼しくさせる。
火薬臭のない澄んだ風が、身に沁みるかのようで心地よかった。
ハンドルの端でリズムを取りながら信号待ちしているうちに曲が終わり、次のイントロが穏やかに流れ始める。
初めて聴く曲に耳を委ねているうち、歌に導かれてひとつの情景が頭に浮かんだ。
旅する若い娘たち。
ひとりは透き通るような肌の可憐な娘、もうひとりは手のつけられない跳ねっ返り娘。
二人は美しい姉妹でした。
(美しい、ね)
ユージンが最近知った姉妹は、ほとんど顔の見えないへんてこな姉妹である。
妹の方はともかく、姉の方は実に男勝りな気性の持ち主だ。
パースタウンの外れには川と接する道があり、夏の間には薬にもなる瑞々しい野草が茂っている。
ユージンはエンジンを切って車から降りた。
と、その瞬間、思わず自分の口から声が漏れていた。
「うわ。すごいな、今夜の……」
ソラ。
ここからは街明かりも遠い。
天には雲の影がひとつもなく、夏の星座が天一面に散らばり、ユージンの頭上を覆い尽くしていた。
街の地平線付近から反対側の山岳地帯まで、これほどまでにスッキリと星空を見渡せることもあまりない。
天を走る黄道に触れているのは、東から順に干草座、蜜蜂座、茨花座、鳥篭座、胡桃座、竹葉座。
この街で、自分の他にいったいどれほどの人が今夜の空に足を留めただろうか。
多くは繁華街で祭後の酒を煽っているか、すでに眠ってしまっているような時刻である。
北の空へぐっと頭を逸らせると、聖盾星が大虎座の尾から北中星を守っていた。
(まるであの風変わりな姉妹みたいだな)
北の中心星が妹だとしたら、聖盾星は姉。
今日の場合、悪者である大虎座の尾はユージンということになるだろうか。
(慣れてるさ、変わった客に絡まれるのは。もう祭は終わったんだ)
ユージンは本来の目的を思い出して、車の後ろから懐中電灯を取り出し眠り草を摘み始めた。
眠り草は気候にも強い種で、街外れまで来ればいくらでも生えている。
一〇分もすると、眠り草は両手にいっぱいになった。
これだけあれば数回分にはなるだろう。
満天の星空に多少後ろ髪を引かれながら、間もなくユージンは小型四駆に乗り込み家へと戻った。
(やっと寝れるよ)
夜道を運転し、あんな星空に動揺させられたおかげで目が冴えてしまった気もする。
家の中へ入ると居間の明かりは消え、ニナの姿もなかった。
キッチンの小さな電灯がつけてあるのは、ユージンやまだ帰って来そうもないジルへの心遣いだろう。
薄く漏れ届く明かりの中で掛け時計へ目をやると、〇時を回るところだった。
キッチンへ行き眠り草を洗うついでに手を洗って、水を汲んだやかんを火にかける。
摘んできたばかりの眠り草に湯をさして数分置けば、簡単な茶になる。
誰にも失敗しようがない方法だ。
ユージンは自分の茶碗を戸棚から出してきて眠り草をちぎって放り込み、疲れた体を食卓椅子に預けて湯が沸くのを待った。
眠り草の茶を飲んでベッドに入り、少なくとも一時すぎには寝てしまいたい。
ジルも帰ってくる頃だろうし、五時間も寝れば明日の仕事も祭の後片付けもなんとかこなせるはずだ。
そんなことを考えているときだった。
バ──……ッン
バ……ンッ
耳を疑いたくなる不吉な音が、外壁の向こうで轟いた。
いささか距離は感じたが、それほどはっきりとした音であった。
(銃声か)
思わずコンロの火を止め、ユージンは居間へ来て音がした方の窓から外を覗こうとカーテンを僅かに捲り上げた。
(なんだったんだろう)
ジルもまだ帰っていない。
ニナも弟妹たちも起きてくる気配はなかった。
嫌な感じが纏わりついたまま、ユージンは外の様子を伺った。
たちの悪い喧嘩か。強盗の類か。
一見平和そうに見えるパースタウンでも銃がらみの騒ぎは度々起こる。
どこの家にも最低限軍から支給されたライフル銃が置いてある上、単純に二十四歳以上の男子や一部の女子は軍事基地で徹底した射撃訓練を受け終えているのだ。
そこへ押し入ろうとする強盗たちは当然銃の類を携帯しているし、応戦する住民たちもこの国では銃の使い手であることがほとんどなのだから、最悪は銃撃戦になることを免れないわけである。
(大騒ぎにならなきゃいいけど──)
ユージンはだんだんと心配になってきた。
そして、悪いことに心配は的中してしまった。
街灯が照らす橙色の光の中へ、足音と共に黒いものが飛び込んできたのだ。
(人だ。二人……いや、三人)
ユージンは即座に窓の縁へ身を隠した。
いくつかの黒い人影が猛スピードで通りを駆けて行った。
動きは洗練されていて無駄がないように見えたが、シルエットから察するに着ている物は警察の制服とも軍服とも違っているようだ。
(──勘弁してくれよ、こんなところで)
二階のベッドではニナや弟妹たちが眠っているのだ。
ジルが留守である今、男手はユージンひとりということになる。
父親であればどうするか、ユージンは考えた。
警察に連絡しておいた方がいいだろうか、ユージンがそう思って窓辺を離れかけたときだった。
交差点になっている別の方向から大きなバックパックを背負った新たな人影が二つ駆けて来て街灯の中に照らし出された。
(あれって……)
視力は悪いほうではない。
目を凝らしたユージンが確信を得る前に、転がるようにして逃げ行く二人の姿は隣家の影に遮られてしまった。
街灯の明かりだけでは物の色も不確かだ。
けれどほんの一瞬だけ、見覚えのあるカタチの裾が風を切って消えていった気がしなくもなかった。
(まさかな)
夕方の出来事が脳裏に蘇える。
二つの紅色も、対照的な物腰や声も、ユージンにとっては鮮烈であった。
(慣れない街で逃げ回ったってさ──)
なにがあったのか事情の程は推測する術もない。
が、さほど道もわからぬ者たちが夜道を縫うように駆けたところで稼げる時間はたかだか知れているではないか。
ユージンはとうとうある種の覚悟をして窓辺を離れた。
物音を立てぬようにソファの後ろを通り玄関へと急ぐ。
用心のために靴箱の奥に隠してあるリボルバーを引っ張り出し、回転式の弾倉に六つの弾薬を押し込める。
玄関扉の前でユージンはグリップを握り締め、深呼吸をひとつした後で鍵をはずした。
数センチ開いた隙間から慎重に外の様子を伺う。
小さな庭を潰して作ったガレージに停めてある自分の小型四駆とジルの古い大型四駆が塀のように視界を遮っているが、たった数メートル先には街灯に照らされた裏通りが迫っている。
(もうどこかへ行ってしまっただろうか)
試射以外の実際の場面で射撃をした経験はユージンにはない。
仕事上当然手際はわきまえているし、知識も頭に詰め込まれている。
だが、その一方で時折複雑な気分にもなった。
生まれた時から銃があまりにも身近にありすぎて、同年代の青年たちの中でも自分だけが人より卑怯な慣れ方をしてる気がするからだ。