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俺が銃器店を抜け出した理由(ワケ)  作者: 榛原ユリト
第二章 眠れない夜の神話
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ユージン、姉を見つける

「ねえ! あの……ちょっと!」


 こんなに近くにいるのに、名前も知らなければ『お姉さん』と呼ぶわけにもいかない。

 ない頭を必死に巡らせ、咄嗟にユージンは叫んでしまった。


「おい! そこのオマエ! ボウズ!」


 声に出してみると、女に対しては最低な言葉である。

 『ねぇ!』よりも『ちょっと!』よりも、その言葉は二人に挟まれた空気を遥かに激しく振るわせた。


 小柄な暗い紅色は肩を怒らせて立ち止まり、両足を大地に踏ん張り、クルッと振り返る。


(う……いきなりの戦闘体勢かよ)


 ユージンはこの姉にアンサラーM63Tを売ったことを一時だけ忘れていたのだった。


「ご、ごめん、冗談ですって。追いかけても君がどんどん先へ行ってしまうから」


 彼女の懐が外套で完全に隠されているのが、なんとも怖い。

 もともと彼女は、8Eモデルのデュランダルの使い手でもあるのだ。


「誰かと思えば、銃器店の店員じゃないか」


 顔を隠していたフードをやや持ち上げ、姉は言った。


「そうです。覚えていてくれてよかった」


「忘れるもんか、その斑な茶金髪」


 陽に焼けた肌に映える碧眼にキッと睨まれ、ユージンの心臓は激しくバーストしそうになる。

 妹とは手応えがなにもかも正反対の姉であった。


「こっちは急いでるんだ。いったいなんの用だ」


 彼女は『ボウズ』と呼ばれたことには触れようともしない。

 ユージンの選択は間違ってはいなかったのだ。

 『お姉さん』と呼んでいたらどうなっていたか知れない。


 この状況では『妹』という言葉すら口にするのが憚られる。

 ユージンは一瞬躊躇し、それから後方を指差して言った。


「櫓のところに。待っててもらってるんです」


 ただちに姉は妹の姿に目を留めた。

 妹の方もこちらへ向かって頷いている。


「あのバカ、あんな目立つところに。だから出掛けるのは嫌だったんだ」


 独り言にしては大きすぎる舌打ち混じりで彼女は吐き捨て、ユージンが言い繕う間もなく櫓へと足を向けていた。


「なんであいつが銃器屋の店員と一緒にいるんだ」


 ユージンが追いついて隣に並んだところで姉が疑心溢れる素振りで言った。


「偶然にそこでバッタリ。本当ですよ」


 姉は外套の裾をバッサバッサと腿で蹴り上げながら、容赦なく人の背を押し退けて進んでいく。

 ユージンでさえはぐれないように歩くのが精一杯の速度だ。


「どうだか。残念ながら妹は軽い男の誘惑には乗らないぞ、覚えておけ」


「軽い……って」


 さすがにムッとし、ユージンは自分を追い抜いてズイズイ進んでいってしまう姉の後姿を睨みつけてしまった。

 そんな気持ちで妹を連れて歩いたわけではない。

 姉とはぐれて困っていたから、探すのを手伝っただけなのである。


 ようやくもう一度櫓の下で姉に追いた。

 人の波が途切れたところで振り向いた姉は、どこまでついてくるのだとでも言いた気な顔をしていた。


「礼は言う。だがもう店以外ではむやみに話しかけないでくれ」


 口の悪さはともかく、せっかく妹を見つけてやったのにずいぶんな言われようである。


「承知しました、すみませんでしたねお節介で」


 櫓の上までついていってやるつもりだったが、たちまちそんな気も失せてしまった。

 どうせ文句をつけられるだけなら、喜んでここで別れてやろう。

 姉はすでに片方の足を櫓の階段へ乗せている。

 が、思い出したように身を乗り出してユージンを呼び止めた。


「注文品の入荷というのは早められないのか」


「俺が自分で車を飛ばして運んでくるわけじゃありませんからね。業者に催促してみてもいいですが、難しいと思いますよ」


 苛立つ自分自身に対する軽い皮肉を交じえてユージンは答えた。

 アルガンという客からの注文がなければ、こんなところで姉妹に再会することもなかったのだ。


「……そうか。次の金曜だな」


「ご来店お待ちしてます」


 姉はコクリと頷くと、彼女らしい強引さで人の群れを掻き分け、暗い紅色の影のように階段を上って行った。






 夜気の中に立つと、射撃祭の熱が急速に引いていくのが肌伝いに感じられるかのようであった。


 結局、射撃祭の優勝者は去年準優勝だった肉屋のショーンが勝ち取ったらしい。

 準優勝はマークシティからやって来たエッサイという男で、去年の優勝者であるイアンは三位。

 あのアルガンも四位に入賞した……が、開催委員が何度もスピーカーで呼び出しても、彼は表彰式に姿を現さなかったらしい。

 規約に準じて棄権により賞は取り消しになり、五位だった美容師のクレアが四位の賞状と賞金を手にした。


 ジルは毎年恒例の射撃祭開催委員らによる打ち上げに呼ばれている。

 射撃祭の冷め切らない熱気は、飲み屋街の一角に残るのみになっていた。

 会場となった街外れの空き地では、空っぽになったステージや櫓やテントが暗闇の中でしんと明日の片づけを待つだけになっている。


 ユージンは二階にある自分の部屋の扉をそっと閉め、足音を立てないようにして階段を下りた。

 時計の針は、もう十一時を回ろうとしている。


 なのに、思いのほか居間の明かりが点いていた。

 四人の弟や妹はとっくに眠っている時刻だ。

 廊下を逸れ、なんとなく足先がそちらへ向いてしまう。


 薄いカーディガン姿の義母ニナが、ソファに寄り掛かり書き物をしている。


「まだ起きてたの? 先に寝ればいいのに。父さんの帰りなら遅いよ、毎年のことだ」


「ええ、もう寝るところよ。こんな時間にどこへ行くの?」


 ユージンのジーンズのポケットでチャラリと鳴った鍵の音に、ニナは敏感に気づいたらしかった。


 彼女の緩くウェーブが掛かった美しい黒髪は、片側でひとつに結わえられている。

 ニコリと優しく微笑まれると、ユージンはいつも弱かった。

 綺麗な人だなと思う。

 父親がユージンの母親が去った後の心の傷を彼女に癒されたのもわからなくはない。


「寝つけないから、風に当たりがてら、その辺で眠り草でも摘んで来ようかなと思って」


「またひどいの?」


 ニナが顔を曇らせる。

 家計簿でもつけていたのだろう、テーブルの上には電卓や請求書が広げられていた。

 夫婦二人と五人の子供では生活に充分な余裕があるといえないことはユージンもわかっていた。


「祭後のわりにはそうでもないよ。心配しないで、山には近づかないからさ」


 ユージンは微笑み返した。

 が、せっかくニナが子供たちのためにと腕を振るってくれた射撃祭伝統の雉肉料理も、味がまるでわからなかったのは事実だ。

 味覚がおかしいのも寝つけないのも限りなく続くわけではない。

 これといった特効薬があるわけでもないが、二~三日、体に淀んだ火薬や金属の臭いに耐えればいつも自然と抜けていってくれるのだ。


「そう……わたしは先に寝るけど」


「うん、すぐに戻るよ。明日はどうせ俺が祭の後片付けに行かされるんだろうから、早く寝なきゃ」


「委員の人たちにまかせればいいのにね。ジーンになんでもやらせて、自分はお酒ばっかり飲んで」


 ニナは小さく嘆息した。


「店の顔とか付き合いとかがあるんじゃないの? じゃあ行ってくるよ」


「遅いから気をつけるのよ」


 頷いてユージンは大きな通りに面した店側ではない、裏手にある家側の玄関を出た。

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