赤い飴の味がしない
「あれ、展望用に作られる櫓で誰でも登れるんです。俺も探すのを手伝いますよ」
「でも──」
「どうせ暇ですから」
(五時までは)
櫓を見上げた妹は、まだフードの内側で不安気な表情を見せている。
髪の色は姉の金髪とやや似た白金色で、瞳はミルクを数滴落としたようなやさしい碧であった。
顔のつくりも似ているはずなのに全体的に姉とはまるで正反対の雰囲気を漂わせている。
ユージンが先に進み、人ごみを掻き分けて妹が通る道を作ってやった。
「すごい人……」
「こんなもんですよ、毎年」
数歩進んでは後ろを振り返る。
ユージンは妹が離れずにぴったりと着いて来ていることを確かめながら進んだ。
妹も妹で、人ごみの中に姉の姿を求めてキョロキョロ見回しながら歩いているから、はぐれてしまいはしないかユージンは心配であった。
そうして二人は、なんとか櫓のあるところまで辿り着いた。
柱を組んだだけの簡易櫓ではあるが、お情け程度の屋根もついている。
高さは二階建ての家の屋根から見下ろす程度で、出店やステージと共にこの祭には毎年登場するお馴染みのものだ。
当然のように、櫓もまた人で混雑していた。
足元の見えるスカスカな階段を上りながらついてくる妹を気遣ってやりながら、ユージンは櫓の天辺まで来ると彼女を手すりのところまで導いた。
「ほら、結構見えるでしょ」
「ほんと」
競技エリアの一角にあるこの櫓からは、祭会場がおよそ一望できた。
上から改めて眺めると、毎年のこととはいえやはりこの人出には目を見張るものがある。
ユージンの傍らで、妹は控えめにフードをずらして顔を上げた。
長い睫を時折震わせ、早速姉の姿を探し始めている。
「どの辺りではぐれたんですか」
ついこの風変わりな妹のことをあれこれ観察したい誘惑に駆られそうになり、慌ててユージンは意識的に視線を下界へと逸らした。
「露天の方やステージのある方へは行ってないと思うんです。競技場の傍で見失っちゃったから」
競技場のある場所を探すのに手間取りはしなかった。
決勝戦真っ只中のそこにはコの字型に分厚い人垣が出来ていて、広く開けた場所ではひとりの射手が銃を構えている。
今まさに撃とうとしているところであった。
「あの塊の中に居るんじゃ?」
「それはないと思います。たぶんわたしのことを探して──」
言った後で、妹はあっと言葉を飲み込んでいた。
どうやら自分のことを『わたし』と言ってしまったことにヒヤリと血の気が引いたらしい。
「別にもうあのお姉さんの弟だろうなんて勘ぐったりはしていませんよ。どうして男の振りなんてするんです?」
「理由は……ありません」
そう言って妹は決勝戦に沸く競技場から目を移した。
(ややこしい事情がありそうだな)
考えながら、競技場に立っている姿に一瞬だけユージンは気を取られた。
どうやら次に撃つ参加者は、先ほど競技用銃弾を届けたアルガンらしい。
男の射撃に興味がまったくないわけではなかったが、先ほど彼と交わしたやり取りを思い出したとたん急にどうでもよくなった。
手すりから離れ、アルガンのことを考えるのをやめたユージンは妹を促した。
「反対方向からも見てみましょう。もしかしたらこっちじゃないのかも」
妹は頷き大人しく従った。
逆側の手すりからはイベントスペースのステージと臨時駐車場が見えた。
ステージにはエリカ嬢が書いた垂れ幕が堂々掲げられている。
あの破天荒な性格をどれだけ自己抑制したらこんな正確で美しい文字が書けるのか、ほとほと謎であった。
「……どこへ行っちゃったんだろうお姉ちゃん。手伝わせてしまって本当にすみません、えっと──ランハ銃器店の店員さん」
妹が薄っぺらい肩を小さくして言った。
「ユージンといいます。あの店、俺の父親がやってるんですよ」
あんまりじろじろ見るのも困らせてしまう気がして、ユージンはすぐに視線を逸らし妹が身につけているのと同じ色の外套を人の波間に探し続けた。
だが思っていた以上になかなか見つからない。
「お父様の? どうりで」
視線の先がユージンと重なったり、あべこべになったりしながら、妹は妙に深く頷いてくれていた。
「なにか納得することが?」
「お仕事熱心な店員さんだなって。お店に行ったときに思ったから」
それは褒めてるのか? とユージンは顔を逸らしたときに苦笑いをしてしまった。
「生まれたときから親が銃器商人だと、一〇歳になるまでには自然とリボルバーやオートマチックの名前を一〇〇も言えるようになります。夏休みや冬休みは店の手伝いで宿題どころじゃありませんでした。自由研究に拳銃を一丁バラして持って行ったら、後で校長室に呼び出されたこともあったし」
まあ、と言って初めて妹は笑った。
「根っからの職人さんなんですね。お姉ちゃんも言ってました、あの店の店員はなかなかの目利きだって」
妹が懐から露店で買ったと思われる赤い飴を差し出してきたので、ユージンは「どうも」と言って受け取って口の中に放り込んだ。
予想はしていたが、やはり味がしなかった。
射撃祭前後は特に火薬や金属の臭いが体から抜けていきにくい。
だから仕方がない。
「父親に言わせればまだまだひよっこの身です」
職業柄、一昨日姉妹が購入していった拳銃の具合が気になったがユージンはそれについて問うのはやめにした。
もっと他の事を話したい気分だったからだ。
射撃祭の会場には不似合いな心境なのかもしれないが。
「あ、お姉ちゃんだ」
妹の明るい声に、ユージンは我に返った。
「どこ?」
「あそこに」
手すりの向こうを見下ろすと、足を止めては落ち着きなく辺りを見回す姉のものらしき外套が人波の中でヒラヒラ移動しながらこちらへやってくる。
櫓の上にいる妹の姿はまったく目に入っていないらしい。
「気づいてくれないかなぁ。ここにいるのに」
せっかく見つけたというのに妹が暢気なことを言った。
「呼んだら? この距離ならきっと届くと思いますよ」
けれど妹はブンブンと首を激しく横へ振る。
「だ、ダメですよそれは」
(はぁ──そう言われてるんだっけ)
ユージンは考えた。
その間にも姉の姿は櫓の脇を通り過ぎようとしている。
「じゃあ、俺が追うからここで待っててくれますか。もし俺が見失ったら、お姉さんの居場所を上から指で示してください」
「わかりました。いい考えですね、それ。お願いします」
妹はこっくりと頷き、早速手すりから身を乗り出さんばかりに姉の姿を目で追い始めた。
ユージンは妹の傍を離れると人ごみを掻き分け、櫓の階段を駆け下りた。
下へ降り、振り返って仰ぐと、妹がユージンに向かって手を振り競技場のある方向を指で示している。
(かなり切羽詰ってる感じだったな、姉の方は)
櫓の上からだとフードに隠された表情は一層見えなかったが、行動や仕草からそのことははっきりと伝わってきていた。
向かってくる人の流れに逆らう形で、ユージンは姉の姿を探した。
ただ姉の方は妹より拳ひとつ分以上は背が低い。
傍にいても見逃してしまうかもしれない。
「すみません……ごめんなさい──」
他人の肩をいくつも掻き分け抜けた先で、求めていた色がサッと目の端に翻った気がした。
ユージンはそれをすぐに追った。
近づくと紛れもなく暗い紅色の外套であった。