ユージン、迷子の妹と鉢合わせする
平らに均されているだけの砂利道。
ユージンはひたすら駆けていた。
小型四駆では二日目を迎えた射撃祭専用の臨時駐車場へは近づくことも出来ない。
目的地へ向かうには、祭り会場となっている空き地を囲う柵際に車を止め、道なりに戻りながらただ走るしかないのである。
左手には中型チタンケースの取っ手を握り、右手には伝票をはためかせ。
先程、夕方近くになってランハ銃器店に一本の電話が入った。
決勝戦のエントリー後に競技用の弾の不足に気がついたので、届けてくれないかというのだ。
この時期は毎年必ずといっていいほど我侭な参加者からの注文が飛び込んでくる。
文句を言っていたジルは、事も無げにユージンに弾の入ったケースを差し出したのだった。
『五時までだ。おまえの自由にしていいぞ』
ケースを持たされ、壁の時計を顧みると三時半過ぎを示していた。
決勝戦の開始は四時。
いったいユージンに何キロオーバーで運転しろというのか。
頭で計算する間もなく、ユージンは店の扉を飛び出すしかなかった。
そして臨時駐車場周辺は当然の渋滞である。
「……ハァ……ハァ……ハァ」
全速力の短距離走が、長距離走に負けず劣らずきついとジルは知っているのだろうか。
(五時まで自由時間をやるっていったってさ──)
それは決勝戦を覗いて来てもいいぞ、という父親の心遣いであった。
が、あくまでも交換条件である。
会場の正面入り口から入るのももどかしくユージンは木の柵を乗り越えると、持ち主が手放してしまって荒れ放題なままで放置されている古い牧草地を一気に突っ切った。
腕時計を見ると針は三時五〇分近くをさしている。
昔の牧草地を越え、飛び込んだ先は祭の会場になっているイベントエリアだった。
そこでは抽選会なるものが開かれていたが、スピーカーから放たれる進行役の声が聞こえるばかりで、ステージも、エリカ嬢の渾身の作である垂れ幕も視界にすら入ってこない。
ユージンは祭見物に押しかけた人々の間を縫うようにして競技エリアを目指した。
やっと待ち合わせの場所へついた時には、決勝戦開始一〇分前を切っていた。
競技場の一角に設けられたテントの支柱の傍に、その客は腕組みをして佇んでいた。
父親から伝え聞いた通りのサングラスを掛けた、黒のベストにレザーパンツ姿の男が。
ユージンは走る速度を緩めると、肩で大きく深呼吸をして息を整えた。
「ランハ銃器店です。お電話を下さったアルガン様ですね?」
客の前へ出ると、ユージンはたちまち店員の顔になった。
まさに決勝戦に残るべくして来た。
そんな体躯の男は、ユージンを見下ろして無言で頷いた。
映画にでも出てきそうな寡黙なハンターといった風情の豪傑である。
相手の徹底した無表情さにユージンはやりにくさを感じたが、こちらも店員歴二年の経験者だ。
「ご注文の品物をお持ちしました。競技用の銃弾三〇発です」
ユージンは握っていた汗をパパッと手早く払ってケースを開き、丁寧に収められた銃弾を渡した。
アルガンなる客はなにも言ってこない。
決勝戦にエントリーする前に弾ぐらい用意するものだが、それを怠った競技者にしては捻じ曲がった態度であった。
「四十二リダになります」
金を渡してくるときも領収書を兼ねた伝票を受け取るときも、終始客は無言だ。
余計な愛想を振りまけば、逆に睨まれかねない相手だ。
「ではご武運を。ありがとうございました」
客の反応が薄いあまり、ユージンは最後にひとり芝居でもしている気分になっていた。
アルガン氏は口元を結んだままでただ静かに頷くと、決勝戦が近づいていることを知らせるアナウンスに導かれて行ってしまった。
(なんだ、せっかく車を飛ばして走ってきたのに)
人の波間に溶けていってしまった黒い後姿を見送り、ユージンは軽く口を尖らせた。
店員としての手ごたえも味気もない午後の配達はひとまず無事に終わったのであった。
(あと一時間か……)
配達と引き換えに、父親から手に入れた自由時間は五時までである。
ちょうど決勝戦も始まるところで、自分は競技エリアに立っている。
これは出店でもなく、ステージでもなく、決勝戦を見ろというアロケイデ神の思し召しに他ならない。
ユージンは人の流れに任せて自分も的の見える場所まで移動しかけた。
が、まもなく足の運びが完全に止まってしまった。
ユージンの心臓をトンッと震わせてくれる見覚えのある外套が、人ごみの中でただひとつ、周囲とは別物のように静止しているのが目に入ったのだ。
こんなに晴れた初夏の夕刻に、分厚い外套を着込みフードを深く被っている人間など、いくら射撃祭最終日で大盛り上がりのパースタウンとはいえそうそういるものではない。
ユージンは二、三歩近づき、思い切ることにした。
「やっぱり射撃祭を見物することにしたんですね」
静かに声を掛けたつもりが、佇んでいた当人は暗い紅色の外套をぴらりと翻し、急に背筋を伸ばしたかと思うと、恐る恐る振り返った。
フードに隠れた顔を持ち上げてこちらの姿を確かめすぐに俯いたのは、二人組のうちの妹の方であった。
一瞬覗いただけではあったが、白い頬と肌の色に似合う薄桃色の唇が印象的な少女である。
(忘れてた。姉はともかく、こっちはあんまり喋らないんだった)
彼女は突然現れたユージンにうろたえているようだった。
どうしたらいいかわからずに助け舟を求めようとするが、周囲を見回しても頼りの姉は見当たらない。
声を掛けてしまった手前、ユージンが自らきっかけを作ってやらねばならなかった。
「今日はお姉さんはいないんですね」
妹の肩が威嚇する小猫のように怯えた。
分厚い外套越しでも華奢なラインが容易に想像できる。
彼女は鎖のついていない方の手を口元に沿えて考え込んでいた。
どんな事情があってのことかは知らないが、顔や体を外套で覆い、女であることをも隠しているような姉妹である。
けれど、ユージンが『お姉さん』と言ったことでどうやら軽く諦めがついたようだった。
最初は半信半疑だったかもしれないが、これでユージンが二日前に訪れた銃器店の店員だということが彼女にもはっきりとわかっただろう。
妹は顔を上げないまま、うっかりすると聞き逃してしまいそうな細い声を返した。
「……いいえ──あの……ちょっとはぐれちゃって」
「そりゃ大変だ。言えば開催委員が呼び出してくれますよ。近くに係員のテントもあるし」
「だ、だめですっ。そんなことしたらお姉ちゃんに叱られます」
ユージンと妹を除き、周囲では濁流のごとく人が流れていく。
空では、西の彼方が茜色に染まりかけていた。
(そりゃそうか──)
会話を交わしてくれても妹は一向に俯いたままである。
もし姉がユージンと似た年であれば、妹はその下。
声や身長から推測するに、二つか三つ違いといったところだろう。
この人波に圧倒されて立ち竦んでしまうのもわからなくはない。
ユージンは自分のお人よしぶりを改めて認めた。
決勝戦見物というわけには、いかなくなってしまったようだ。
「その服装、特徴あるから人ごみの中でもわりと見つけやすいと思いますよ。櫓に登ってみましょうか?」
「櫓……?」
妹がぽかんとしているので、ユージンは空が暮れ行く方向を指差した。
色づき掛けた陽を背に浴びた祭櫓が、今年も同じ場所に立っていた。