ユージンの腕前
彼女の祖母グウィネル夫人は、首都であるカルムシティを中心に現役で活躍している有名なカリグラファーだ。
その血を受け継いだエリカもまたこの街で達筆な若きカリグラファーとして名が通っており、野外イベントや舞台公演があるとよくこうして垂れ幕を書くのに駆り出される。
特に美しい字を書けるわけでもないユージンは彼女の腕前に毎度感服してしまうのだが、彼女が書く文字はともかく、情熱気質な本体はどうにかならないものか。
「じゃあそろそろ、俺も準備を手伝わないと」
「もう行ってしまうの? 急がなくても射撃の的は逃げなくてよ」
「店にも早く戻らなきゃ、父さんが待ってるし」
ユージンがきっぱり言ってやると、エリカは肩を落としてしゅんとした。
「そう──それならせめてジュースを配るのを手伝わせてちょうだい。これが終わればわたしは手が空くの」
「平気だよ」
「ダメよ、手伝わせてくれるわよね?」
「じゃあ、あの……お願いします。半分だけ」
ほぼ強制的にユージンはエリカに手伝いをしてもらうことになった。
カリグラフの道具を入れてある木製ケースの上は、たちまちずらりと並んだジュースで満載になった。
「今日はとってもいい日だという気がするわ」
「……俺は普通より下って感じかな」
「きっと鳥篭座の運気がいいんだわ。そうでしょうジーン?」
「……どうだったかな、でもたぶん──そうなんだと思うよ」
はしゃぐエリカに手を振り、ユージンはやっと騒々しいイベントエリアを離れた。
確かに今日の太陽は鳥篭座の味方なのだ。
カラドボルグM16チアー、ティソーンM88ダブチック、グラディウスP3S、ブリューナクPP……。
祭の開催委員会側で用意されたリボルバーや自動式拳銃には、「なぜこれを?」という疑問符が浮かんでしまうものもいくつかある。
競技エリアで行われる最終チェックのひとつに参加するユージンは、言われた拳銃を手にしてその通りに競技用の弾丸を的へ打ち込むだけだ。
勝手については、もっとずっと幼い頃に父親がするのを見ているのでイメージは掴めている。
三つの銃器店、三人の代表が同じ銃で試し撃ちをしてみて、特に調整すべきおかしな偏りが見られないかどうか。
的までの距離や角度を確認するわけだ。
外に設営された屋根幕とフレームだけのテントに置かれた試し撃ち用の拳銃を取り、ユージンは的までの距離三〇メートルの競技位置についた。
開催委員に指示された通りに的へと打ち込む。
修理後の試射に慣れているユージンにとっては技術的に難しいことはなにもない。
あっという間に、用意された最後の拳銃を握る時がやってきてユージンは苦笑いした。
アンサラーM63T。
(いじめだ)
競技位置に立ってスライドを引き、ユージンは心の中で毒吐いた。
紅色の外套を纏った二人のうち、姉の方が買っていったものと同じ銃を祭の準備で試し撃ちすることになるとは思ってもみなかったのだ。
三点射ちのシングルアクション。
午前中に美青年と見間違えたあの姉にユージンが説明したとおり、一度引金を引く毎に三発の弾丸が発射される高回転銃である。
ユージンは銃口を前方へ構えた。
試し撃ちの最後は、特製のレール上を移動する的を使った動体射撃である。
この銃を握った時から、ユージンの内にある集中力を支配する繊細な糸が複雑な振動で弾かれ続けていた。
これと同じ拳銃の弾倉に実弾を込めて射撃体勢を取るあの姉の姿を、いくら振り払おうとしても脳が勝手に想像してしまいどうにも邪魔をしてくれるのだ。
想像する限り彼女の姿はあの野暮ったい印象とは裏腹に、気高いまでに様になっていた。
ユージンは一度瞼を深く閉じて暗い紅色を振り払い、レール上を高速でやってくる的へ強引に気持ちを集中させた。
次の瞬間、右方から左方へ流れていく円のど真ん中に意識が吸い込まれる。
ドッ ドッ ドッ
息を詰めてはいたが、やはり強い火薬の臭いが鼻腔に流れ込むことは避けられなかった。
ユージンは眉間を鈍器で殴られたような感覚を覚えて、重さが一キロ以上はある拳銃をとうとう放り出してしまいそうになった。
「……ハァ」
競技用の弾は三発しか込められていないから、暴発の危険性はない。
たまらず息をつき右腕へ目をやったユージンは、よくここでグリップを放さなかったものだと自分自身を褒めてやりたくなった。
パチパチと手を叩く音が鼓膜を震わせていることに気がついたのはその後のことだ。
「ランハ銃器店の長男は射撃が得意だと聞いてはいたが、見事なものだ」
聞こえてきた声にユージンは振り返る。
軽快に拍手を寄越しながら歩み寄って来るのは、父親と似た年頃の射撃祭の開催委員長だったのだ。
「いいえ、それほどでもありません。最後に的をはずしてなければいいですけど」
「ほぼど真ん中だよ。最高得点だ」
彼に気を使わせてしまったわけでもなく、それは本当だったらしい。
修理後の試し撃ちでも一度にこれほど多くの拳銃を握り弾丸を撃ち込むことはない。
ユージンが周りを見回すと、何人もの開催委員が作業中の手を止めて拍手をくれていた。
「後でやってくる銃器店の二人にはプレッシャーだな」
開催委員長が愉快そうに笑い声を上げる。
ユージンも合わせてアハハと照れ笑いをしたが、その裏では別のことを考えていた。
おまえに銃器店を継がせる──そう言ったのは父親のジルである。
それは唐突に告げられた審判、運命の宣告ともいえた。ユージンが自分から願って歩み始めた道ではない。
だがもちろんそのことで、父親の面潰しになることをするつもりもなかった。
「これくらいしか特技がないですから僕には」
「明日の競技に出れば間違いなく上位に食い込む腕だぞ。だが、的の試し撃ちをした者は出場出来ない決まりなんだ」
「いいんです、僕には店で電卓を弾いてる方が合ってますから」
「ジルならここで『こっそり出場させてくださいよ』と手薬煉を引くところだ。だがこの様子じゃ彼はすぐにでも息子に越えられてしまうな。君の腕では、ジュピトル山の山賊たちも逃げ出しかねない」
山賊の話を持ち出してからかわれる辺り、ユージンはまだ子ども扱いをされる身なのだろう。ひとまず役目は終わった。
ユージンは開催委員長と別れの挨拶を交わし、拳銃をテントの係員に返すと駐車場に停めてある自分の車へと急いだ。
店に帰れば、また慌しく接客に追われるのだ。
イベントエリアにほぼ完成しつつあるステージ裏を、あえて小走りに通り抜けたことはいうまでもない。