エリカ嬢は今年も大活躍
「かしこまりました。あとはよろしいですか」
小柄な客は、ああ、と唸って頷いた。
金を受け取り、ユージンはほっとした。
なんだかんだいって、この二人にずいぶんと時間を取られてしまっていたからだ。
品物をつめた袋を手渡すとき、フードの縁がやや上がって小柄な客の日に焼けた頬がチラリと見えた。
「この街より西へ行きたい。バスかなにか通っているだろうか」
受け取りながら小柄な客が言った。
「西……いいえ、街を出たらあとは山へ続く道しかないですよ。バスも通っていません。その先へ立ち入ろうとする人間はこの辺りにはいませんよ、ジュピトル山には神々を守る山賊や竜魔が棲んでいると聞かされてこの街の子供たちは育つんです」
なにを言い出すのかと思ったら。
ユージンはますますこの二人組を変わり者だと思った。
郊外を過ぎれば、街の西にはその奥地に弓矢の神アロケイデの言い伝えが残る曰くつきのジュピトル山が聳えるばかりなのである。
「地図には山の向こうに湖があるとあったが」
「ええ。けれど観光を考えているのなら諦めた方がいいですよ。湖のあるレイクバレイへ道は通じてませんから。行き止まりで山の麓をぼーっと眺めるよりも、明日の射撃祭を見物する方がよっぽど楽めると思いますけどね」
「──なるほど。では一週間後にまた来る」
客たちが押し合いへし合いしている狭い店内で、小柄な客は外套を軽くはためかせて踝を返した。
その時、たまたま垣間見えた横顔が、ユージンの瞼に焼きついた。
日焼けした肌にやや目じりの上がった碧眼、つんと形の整った小さな唇。
男の目から見てもなかなかの美青年ではないか。
金色の前髪に目を留めたとき、続いて背を向けた長身が小さくささやいた気がした。
聞き違えていなければ、確かにとても細い声でこう言ったのである。
「待って、お姉ちゃん」
ユージンはガラスケースを前に突っ立ったまま、あっという間に客たちの波間へ溶けていった二人の後姿を見送ることしかできなかった。
(──お……お姉ちゃ──ん……?)
初めて発せられた長身の客の声も、男のものとは思えなかった。
チリンッ
ドアベルが軽やかに鳴る。おそらく、外套を纏った意味深な姉妹が店を出たのを知らせた音であった。
射撃祭の頃には、パースタウンの外からも大勢の人が詰め掛ける。
だが、中でもランハ銃器店で拳銃二挺と大量の弾丸を購入し、セラミック製の防弾ベストを予約していった姉妹はひときわ変わり者で、印象が強かった。
二人が立ち去る間際まで、ユージンはてっきり彼女らが男だと思っていたのだ。
ユージンは自分の赤い小型四駆を運転しながら、フードからチラリと見えた姉の横顔や、今時期に吹く軽やかな風にも似た妹の声のことをずっと考えていた。
こんなにも彼女たちのことが気になるのは、最も銃器店という場所が似合わなそうな者たちに、嬉々として実用的な銃を勧めてしまった自分が滑稽にしか映らなかったからかもしれない。
それは軽い後悔にも似ていた。
あの二人にアンサラーM63TやガラティンM12を売ってしまってよかったのだろうか。
防弾ベストのサイズを確認させなかった理由も、今ならわかる。
ユージンは重いサイドブレーキを力いっぱい引き、車を街はずれの空き地に作られた臨時駐車場へ停めた。
助手席に乗せてあった箱を抱えて均されただけの地面へ立つ。
さっそく緑の萌える清々しい葉ずれの音に重なって、明日のために野外へ設置されたスピーカーがピーピーとたてる不快な音が耳に迫った。
臨時駐車場を区切る柵を越えた向こうにはパイプの骨組みがむき出しの即席ステージが着々と組み立てられており、射撃祭開催委員会の係を始めとする街の人たちが準備のために右往左往しているのが見える。
そんな光景を目にすると、ますます祭り前の高揚した気分が煽られるのであった。
「やぁ、ユージン。今年の一番乗りはランハ銃器店か。ジルもとうとうおまえを寄越すようになったんだな」
慌しくしている中へ入っていくと、開催委員会の一員がユージンに声を掛けてきた。
「ええ、よろしくお願いします。これ、父からの差し入れです。ひとつどうぞ」
ユージンは抱えていた箱の中からジュースのビンを一本取り出して相手に渡す。
「ありがたい、午後になって暑くなってきやがった。明日はもっと暑いぞ」
ビンを受け取り、彼はニッと歯を見せて笑った。
毎年、それぞれの銃器店も準備の一端を担うことになっている。
ユージンたちの仕事は、競技エリアの最終チェックだ。
開催委員会以外のいわば銃の『プロ』たちの手によって射撃位置や的を確認し、本番前に競技用の実弾を打ち込んで祭の公平さをはかる。
と、いうのが目的らしい。
ここ二年くらいはジルが祭の準備をする間、ユージンが一時間ほど店番を任されていた。
が、今年からはおまえが行けよ、と数ヶ月も前からジルに言い渡されてあったのだ。
街外れに設けられた祭の会場は大きく三つのエリア──メインとなる競技エリア、ステージのあるイベントエリア、出店の並ぶ屋台エリア──に分かれている。
競技用とはいえ、実弾を撃つこともあって競技エリアは会場の中でも最もはずれに設置せざるを得ない。
仕事中の開催委員たちにジュースを手渡しながらそちらへ向かっていると、イベントエリアのかなり目立つところで必死に地面へ這い蹲っている若い女の姿が目に入った。
青紫色のワンピースは土まみれになることを免れず、半袖を更に捲り上げてノースリーブにする張り切りようでひたと役目に打ち込んでいる。
やがてユージンの気配に気づいた彼女は、薄茶色の豊かな巻き毛をフワリと背中へ流して顔を上げた。
ワンピースと揃いの色をした太いヘアバンドが彼女らしい。
「まあ、ジーンじゃないの。こんなところでファストフードのアルバイトなの?」
「まさか。競技場のチェックに来たついでに差し入れだよ、エリカさんにも」
ユージンはジュースを手渡そうとして躊躇った。
リスの尻尾をインクに浸したような筆を豪快に握った彼女の手が斑模様になっていたからだ。
散々考えた後で、ユージンは彼女の傍らに置いてあったトランク型の木製ケースの上へビンを置いてやることにした。
「嬉しいわジーン、あなたから差し入れだなんて」
「父さんからだよ」
エリカが握った筆をよそに両手を組んだので、そばかすのある頬にもピッと黒い斑が掠れて付着した。
ユージンは反射的に半歩下がってしまった。
「今年ランハさんがジーンを準備に来させたっていうことは、これから射撃祭の前日には毎年ここで会えるわね?」
「そ、そうだね」
そもそも、どうしてこのエリカ嬢に『ジーン』と愛称で呼ばれているのか、ユージンにはなにひとつ身に覚えがない。
彼女の父親がランハ銃器店を訪れるときに一緒にくっついてきていた──ただそれだけのはずなのだが。
「ところでこの垂れ幕、今年も見事だね」
ほのかに身の危険を察知し、ユージンはエリカの前に広げられている巨大な布を眺める振りをしながらもう二歩退いた。
「本当? ジーンもそう思う? わたしも今年は去年以上にいい出来だって思っていたところなの。見て、完成まであと一歩のところよ」
「この街でこんな風に射撃祭の垂れ幕を書けるのはエリカさんしかいないよ」
エリカはインクの掠れた頬をたちまち薔薇色に染め、瞳をキラキラと輝かせた。