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俺が銃器店を抜け出した理由(ワケ)  作者: 榛原ユリト
第六章 姉妹の祈り
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俺の祈り

(湖は……湖は……?)


 行けども行けども湖らしきものは見えてこない。

 亀裂を伝い、湖の水はみんな流れ出てしまったのかもしれない。

 それでもユージンは取りつかれたかのように湖を探し続けた。


 星明りに照らされる霧は白く、どんどん濃くなってきている。


 その先の地面に、まるで蜃気楼のような黒い塊がユージンの目に留まった。


(み……ずう……み──)


 フラリフラリとそこへ辿り着いたユージンの体からストンッと力が抜けた。

 バシャッと音がしたと思ったら、身を庇う間もなくユージンはその場に突っ伏していた。


 水の感触と温度が頬や首筋に伝わってきた。

 やっと瞼を持ち上げると、それはとても湖とはいえない小さな小さな水溜りに過ぎなかった。

 透明な水を湛えていたあの大きな湖は、地震の影響でこんなちっぽけなものになってしまっていた。


「──アロケイデ神、まだこの湖にいるのかな……助けて欲しい姉妹がいるんだ」


 うわ言のように、ユージンは最後の力を振り絞って祈った。


「妹は魔に宿られて苦しんでいる……姉は妹を守ろうとして命を落としてしまった──どうか、お願いだから──」


 瞼の裏に、紅魔と化したヘレナの姿と矢に倒れたラナの姿が映る。


「あの姉妹をお助け下さい。妹を魔から解き放ち、姉の命をお返し下さい。……どうか、どうか──お願いします……お願いだ、頼むよ! アロケイデ神! 頼むからさ……どうか……っ!」


 叩きつけた拳は、ユージンの顔に水しぶきを浴びせただけだった。


「頼むよ……ヘレナを自由にしてやってくれ、ラナを生き返らせてくれよ──……」


 けれど、いつまでも静寂が報復であるかのように、ユージンの耳へ浸るだけであった。


 不甲斐なかった。無力だった。


 所詮、自分はちっぽけな街の銃器店の息子でしかない。

 射撃祭で開催委員長に射撃の腕を褒められ、謙虚に答えたつもりが内心ではいい気になってはいなかっただろうか。


 自分の腕なら、姉妹の運命を支えられると思い上がってはいなかっただろうか。


 許されるがままに与えられた道を辿っていただけの自分を、もしかしたら変えられるかもしれないと、空回りの期待に身を任せはしなかっただろうか。


 しかも自分はレイクバレイの真ん中で死にかけているのだ。


 霞む視界に白さが増した。

 怠惰に瞬きを繰り返し、ユージンはそれでもなお祈り続けた。


「……ヘレナと、ラナを──どうか──……アロケイデ神よ──」


 それきり、ユージンの喉は枯れ果てた。


 周囲には光が溢れていた。

 ちっぽけな水溜りが黄金色に輝いて見え、ユージンはここが死の世界への入り口なのだと自覚した。


 ラナもここを通って行ったのだろうか。


 この先にもしも門番がいて、右と左、二つの扉のどちらかへ行かされるのならば──行き先はどこであれラナと同じ場所がいい。


 境界線の曖昧な道を視線だけで辿る。

 行き着いた先には分かれ道らしきものがうっすらと輝いて見えた。

 ユージンにもそろそろ終わりが近いのだろう。


(どうか、どうか……)


 細く筆で線を引いたような白銀色の一筋の光。

 緩やかな弧を描くそれが、ただ美しく、霧の中に浮かんで見える。


 それが、ユージンが瞼を閉じる直前に見た景色だった。



        *



 光の帯はさらさらと、淡く谷を染め森を渡っていった。


 しっとりと垂れ込めた霧は深く、激情によって抉れ、砕かれた大地をまるで癒そうとしているかのようであった。


 森の奥深くで恍惚としていた紅の魔獣の瞼が閉じ、再びゆっくりと開かれた。

 天を仰いでいた視線を下ろすと、首筋を矢で射抜かれた若い女が傍らでこと切れていた。


 魔獣は腹を空かせていた。


 こんな小さな肉でも、肉は肉だ。

 血の臭いに誘われて魔獣が口を大きく開く。

 牙の間に糸を引いた唾液がぽとりと女のすぐ傍に落ちた。

 そのとき。


 光の帯が辺りを取り囲んだ。

 目が眩んだ魔獣が巨体を痙攣させ、地面を震わせながらその場にくずおれた。


 ……今のはいったいなんだったのだろうか。


 気づいたときには、光の帯は森から消えていた。


 若い女の骸も消えていた。


 それどころか魔獣は動くことさえできなかった。

 視界に違和感があった。

 地面が近い。

 碧魔のことを想い、恋しさに涙しようとも叶わなかった。


 森の中に、もはや魔獣の姿を見ることはできなかった。

 羊歯の葉に埋もれるようにして転がる手の平ほどの宝玉が、月の光を浴びて紅に輝いているだけだった。



        *



 ──……うふふ、ユージンさんらしいね──


 重い瞼の奥で、聞き覚えのある声が軽やかに響いた気がした。


 ──まったく、底抜けのお人よしめ──


 もうひとつ、会いたかった声が胸にポトリと染み込む。


 ──ねぇ、お姉ちゃん。

 目を覚ましたらさ、言っちゃいなよ。

 この期に及んで強がるのはもうなしね──


 ──な、なにをだバカ。

 だいたいこの男がいけないんだぞ、親切なんだかお節介なんだかわからないギリギリであれやこれやと手を差し出してくるから──


 ──そこがいいところなんじゃない?──


 ──よくない! だいたいな、普通なら自分の怪我も治してもらうのが……──


 ──あ、目を覚ましたよ。

 お姉ちゃん──


 やっとこじ開けたユージンの視界に、華奢な白い手と、陽に焼けた指先とがチラリと見えた気がした。


 考えてみれば、ヘレナの声がすること自体がおかしい。

 まさかヘレナまで死んで同じ世界へ来てしまったのだろうか。

 そう思って見開いた景色は、妙に眩しすぎた。


「……うっ」


 白い光の強さに思わず顔を背けて再び瞼をきつく閉じる。


「大丈夫? ユージンさん、もうお昼だよ」


 コロコロと転がる声にはひどく現実味があった。


(──昼?)


 恐る恐るユージンは顔を上げて、もう一度目を開けた。


 逆光で相手の顔がよくわからない。

 天頂へ昇り詰めた陽が光の元だと気がつくのにしばらくかかった。

 ヘレナの声で笑う髪の長い少女がユージンのことを覗き込んでいるのだ。


「ヘレナ……」

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