薬師ユージン
「ユージンさんにもこんなところまでつき合わせてしまったし……わたし、お姉ちゃんとユージンさんの手を煩わせるばかりなのに。レイクバレイには辿り着けたけど、月虹がいつ出てくれるかなんて本当のところは誰にもわからないんだよね。ユージンさん、お姉ちゃんこの頃あまり眠れてないみたいなの。よく眠れる薬草ってある?」
妹の前でユージンは、銃器店の店員からすっかり薬師にならなければならなかった。
「あるにはあるよ。君が飲んでる薬みたいに煮出したり、お湯をさして飲むのが」
続けて飲みすぎると、いつかのユージンよろしく朝には大人の二日酔いさながらになってしまうが。
ヘレナはふいに起き上がり、胸の前で両手を組んだ。
「お願い、ユージンさん。それをこっそりお姉ちゃんに飲ませて欲しいの、そして出来れば──お姉ちゃんを連れて山を下りて欲しい」
ユージンは唖然として、薬草を掻きまわしていた手を思わず止めた。
やはり血だろうか。珍しく突拍子もないことを言い出したヘレナである。
「冗談だとしても、そんなこと言ったらお姉さんが悲しむよ。せっかくここまで来たのに、君をおいて自分だけ戻れるわけないじゃないか」
「でもここには山賊がいるし、わたしならひとりで大丈夫。ユージンさんが選んでくれた銃があるもん。魔から開放されたら山を下りて、そして街で落ち合えば──」
その時、ユージンの背後で地面を固く踏みしめる音がした。
「今、なんて言ったヘレナ」
立っていたのはラナだった。
怒りに駆られた顔で、小さく拳を握り締めていた。
「お姉ちゃん……」
ハッとして、先に悲しそうな顔をしたのはヘレナの方である。
「本当にひとりで大丈夫だなんて思ってるのか。ここへ辿り着くのでさえ、あれだけ大変だったっていうのにおまえは」
「わかってるよ。わかってるから、すごくすごく大変だったから」
「わかってなんかいるもんか。ユージンがいなければ、どうなってたかさえわからないんだぞ。ひとりで居るのは怖いくせに、そんな言い方」
「わたしのために怪我して欲しくないの、お姉ちゃんもユージンさんも」
「黙れ。その言葉をそのままそっくりおまえに返してやる」
「わたしなら大丈夫だよ」
「大丈夫なもんか! おまえが大丈夫じゃないのは、あたしが一番よくわかってるんだ!」
とうとうラナはテントの入り口を乱暴に跳ね上げ、妹を怒鳴りつけた。
「ラナ」
彼女を落ち着かせようとしたユージンであったが、無駄だった。
「あんたは黙っててくれ!」
手のつけようがない。
振り返りざま、もの凄い剣幕で怒鳴られてしまった。
姉を抑えられないのだとすれば、妹を落ち着かせるしかない。
「お姉さんは君の事が心配でたまらないんだよ」
開いたテントの隙間から、ユージンはヘレナを諭した。
「聞こえなかったのか? あんたは黙ってろって言ったんだ」
今一度振り向き、半ば呆れ顔でラナが目を吊り上げてくる。
「聞こえたよ。みんな心配で不安なんだから。俺もそうだ、そうやって喧嘩をする君たち姉妹が心配で仕方がない」
「良くないよ、空気」
「おまえが言うな」
ぽつりと言ったヘレナに、ラナが厳しい視線を向ける。
けれど、おまえのせいでこうなったとは言わないところは、さすがに彼女の姉であった。
「わたしだってつらいんだよ、お姉ちゃん」
「だったらなおさら置いてって欲しいなんて言うな。そんな言葉、二度と聞きたくない」
ヘレナは、「うん……」と小さく頷いた。
頭に血が上ったせいで眩暈がしたのか、起き上がらせていた体をパフンとブランケットに横たえてそのまま塞ぎ込んでしまった。
ラナもなにも言わずにテントの入り口を離れていく。
間に立ってしまったユージンは、向こうへと遠ざかっていくラナを追うことも出来ず、テントの中に篭るヘレナへ声を掛けることも出来なかった。
金属容器の中では薬になる葉が、まるでつい今しがたのラナのようにグラグラと煮立っている。
やや遠火にしてやると、色づいてきた薬湯は少しずつ静まっていった。
「……ゴメンね、ユージンさん」
力ない声がテントから聞こえた。
どう返していいものか、ユージンにはわからなかった。
「俺のことなら別に。勝手について来てるようなものだから」
「そうじゃないよ、きっと。ユージンさんは優しいから」
優しいわけではない。
目の前のことに流されやすいだけかもしれない。
だからいつもフラフラしている。
体はここにあっても、心がきちんと自分の足で立っていないからフラフラしている。
優しい、と言われる度に、ユージンは自分のことをそんな風にしか思えない。
自分というものが、いつでもわからない。
とその時、この景色の中に決してあってはならないものと目が合った気がした。
咄嗟に見直し、身の毛がよだつ思いがユージンを襲う。
ユージンは手にしていたスプーンを放り投げて立ち上がっていた。
危うく薬湯が入った金属容器に足を引っ掛けるところだった。
「どうしたの?」
ユージンの尋常ではない様子に、ヘレナが血相を変える。
「奴らだ」
脳内の警鐘が振れた。
ほとんど反射的にユージンは足元に置いてあったデュランダルを拾い上げ、スライドを引いていた。
戻ってきたラナも、ホルスターから抜いたアンサラーを握り締めている。
湖畔を取り囲む森の境界線。
その辺りで、弓矢を手にした野暮ったい服装の者たちがこちらへ目を光らせていたのだ。
彼らはいったいいつからそこにいたのか。
前方へ鋭く神経を張り詰めさせながらじりじりと後退してきたラナは、やがてユージンの傍で擦り足を止めた。
「抜かったな、偵察で鳴子は踏まなかったはずだが」
「なんて数だ。後ろ以外囲まれてるようなもんじゃないか、どうする」
ユージンの背後にはテントと湖しかないのだ。
素早く振り返ると、テントの中では不安げなヘレナがガラティンのグリップを震える両手で握っていた。
ひとりで大丈夫であるはずがない。
ユージンの傍らでラナがひと言、勇ましく放った。
「守るしかない」
彼女の横顔に、振り向かない強い瞳に、ユージンは魅せられた。
そして深く頷いていた。
例え心が震え上がろうとも、奥底にある思いは同じだったのだ。
デュランダルを掴む手に汗が滲む。
いつ、どこから、なにが飛んできてもおかしくはない張り詰めた空気の中でユージンは相手の動向を伺っていた。
が、悪いことに、山賊たちの中には他とは違う服装の者たちが数人いるではないか。
なんとそれが、ユージンにも見覚えがある者たちだったのである。
「ラナ、あそこにいる奴ら」
「ああ。あんた本当に目がいいんだな。そうさ、あの黒服の男たちは連邦政府に絡んでいる奴らだ。山歩きをするのに背広で来る人間なんて、あいつらしかいないよ」
まるで待ち伏せでもしていたかのように現われた彼らへの憎しみを込めて、ラナが小声で吐き捨てた。
山賊たちに紛れている黒い背広姿の者たち。
拳銃を手にたいていがサングラスを掛けており、ざっと数えただけで八人ほどがこちらを見据えて佇んでいる。
ラナとヘレナをユージン宅の玄関に匿った夜、彼女たちを追っていた数人の影のような男たちとその姿は一致していた。
「どうして君たちのことを追ってる奴らが山賊と一緒に」
「知るか。あたしだってその理由を今必死に考えてるところだ」
しかし、考えてもラナに思い当たる節はないようであった。
つまり、姉妹がレイクバレイへ向かうことはすっかり悟られていたわけだ。
彼らの中にアルガンの姿を見つけ、ユージンは絶句した。




