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俺が銃器店を抜け出した理由(ワケ)  作者: 榛原ユリト
第四章 星の辿る道
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ラナの意思

 解毒草はシュッと細長い葉を持つ薬草だ。

 特徴のある香りを持つ草だから、摘んで切り口を鼻へ近づければすぐにそれと判断がつくのだが、今のユージンに嗅覚はほとんど当てにならない。

 見た目だけで選別するには、少々難しい薬草なのである。


(これかな……いや、違うな。──これか? いや違う)


 身体中に澱む火薬と金属の臭いの合間に、ユージンは解毒草の香りを探した。

 集中力を拡散させてくれる邪魔なものが多すぎる。

 遠近問わず、そこら中で夏虫が羽根を震わせるせいで、音に対する距離感すらおかしくなりそうで次第に苛々してくる。


(あれはどうだろう)


 草を掻き分けて進もうとした先で月明かりにギラリと照らし出された鳴子があり、ユージンは凍りついた。油断がならない。


 止まりそうになった心臓に拳を打ちつけて気付けにし、触れぬよう慎重にそれを跨ぐ。


 ユージンは月光の細かな粒子を背中に浴びた。

 ぽっかりと開けた別世界さながらの一帯に、眠るような姿でカンパニュラの花が自生していた。

 その中へ膝を折り、ユージンは見つけた野草へ顔を近づける。


(これだな。……たぶん)


 長く伸びた葉先を千切って鼻へ寄せたが、やはり匂いは頼りに出来そうもなかった。

 もう少し大きく摘んで、月の光に透かしてみる。

 ユージンの目にはどの角度からも解毒草に見えた。

 その向こうには聖盾座が力強い輝きを放っている。


 解毒草を探し始めてから、頭上の覆う天体は少なくとも西に十度近く傾いていた。


「あったのか! 薬は?」


 テントに戻るなり、ラナが急き立てた。


「ああ、すぐに用意する。道具を。水と火も必要だ」


 スポーツバッグをテントの中から引きずり出しながら、ユージンはヘレナの容態を窺った。

 ラナの看病も追いつかず、少しも楽になった様子がない。

 早い呼吸が浅く繰り返され、頬は上気し、うなされて続けている。


 ラナは水筒に残っていた水を別のカップへ全て移した。


「バックパックの中身も好きに使ってくれ。あたしは水を汲みに行ってくる」


 空になった水筒を引っつかみ、ラナはユージンに忠告ひとつ与えさせず外へ飛び出していった。


(ラナ……)


 彼女の姿がたちまち闇の中へ消えていく。


 少しの間、走って行った姉の後姿を見送っていたユージンであったが、すぐに自分のするべきことを思い出した。


 スポーツバッグとバックパックでテントの入り口付近を囲う。

 家から持ち出してきたキャンプ用の小型ガスコンロに火を入れる時、思いのほか大きく音が響いてしまい、ユージンはギクリとした。

 急いで金属容器へカップの水を半分ほど移し、摘んできた薬草の葉先を千切っては次々に放り込む間も、ユージンは何度もテントの入り口から見えるヘレナの様子を確かめた。


「……お姉ちゃん……ハァ──」


 消えてしまいそうなヘレナのうわ言が、ほとんど止むことなく聞こえてくる。


「すぐに帰ってくるから。心配しないで」


「……うん、──お姉ちゃん……」


 ユージンの声が聞こえているのかどうか、よくわからない言葉ばかりが返って来た。

 ヘレナの閉じられた瞼の裏には、ラナの姿しか映っていないのかもしれない。

 葉先の煎じ薬が出来るのを待つ間、残された根の土を落とし、皿の上ですり潰したながらユージンは思った。


 たった二人でここまで来たのだ。

 それはユージンも認めている。

 例えあの時ユージンと出会っていなくても、姉妹はジュピトル山をこうして登っていたのだろう。


 けれど、自分たちの力だけではどうしようもない方向へ事態が転がる場合もある。


 まさに今夜のように。


 すり潰した方の根は傷口に直接塗り込む薬である。

 気が引けないわけではなかったが、ユージンはラナから『特例だ』と言われたことを思い出してテントへ潜り込んだ。

 薬を塗るだけのために帰りを暢気に待つ方が、かなりの確率で彼女にぶっ飛ばされかねないのだ。


「薬が出来たよ、沁みたらゴメン」


 ユージンはヘレナの細い足に巻かれた包帯をそっと解いた。

 傷口は赤く腫れ上がったままである。

 少し痛いかも、とひと言断り、ユージンは塗薬を乗せてそっと指で押しつけた。


「……ンう──」


 薬の痛みも半分は夢の中なのだろう。

 ヘレナは瞼を開くことなく、姉を呼び続ける。


 ラナが戻ってきたのは、ユージンが熱い煎じ薬に息を吹きかけてはスプーンでヘレナに飲ませている最中のことだった。


 一瞬、悪いものでも見たような表情をしたラナであったが、すぐに気を取り直したらしく、手の平を仰いでホイホイとユージンのことをテントの外へ追い払ってくれる。


「どうだヘレナ、少しは楽になったか?」


 水筒を置いて枕元へ膝をつき、ラナは妹の顔を覗き込んだ。ヘレナからの返事はない。

 ただ荒く呼吸を繰り返すだけである。


「傷口にも薬を塗った。煎じ薬を飲ませたばかりだからもう少し様子を見よう」


 ユージンからの説明を聞いて、よからぬ憶測がたちまちラナの頭の中を巡ったらしい。

 ユージンに詰め寄った彼女は無言でクルクルと表情を変えてみせた。

 が、そんなことを疑うのはくだらない状況下であったと考え自重したらしい。


「こんなことで死んだらただじゃおかないからなヘレナ」


 テントの中へと戻ったラナはヘレナの汗を拭いてやり、タオルを握り締めてうな垂れた。


 ユージンはラナが汲んできた水で次の薬を作ってやりながら、死ぬ気で……と言った彼女の言葉が強がりだと知った。

 ラナはずっと怯えていたのだ。

 死ぬ覚悟など出来ているはずがなかった。

 姉は妹と生きるためだけにこの旅を覚悟したはずだからだ。


 ユージンもラナも一心にヘレナの看病をした。

 ラナに代わり、何度もユージンは水を汲みに走った。

 その甲斐があってか、東の空が青白く染まり始める頃、あれだけ苦しげだったヘレナの呼吸も落ち着き、熱もずいぶん引いていた。


 うわ言を口にしなくなったヘレナの寝顔をホゥと眺めるラナは、疲れ切った様子で猫背のままあくびをする。


「よかった。昨夜よりいいみたいだ」


 ついうつらうつらしかけたユージンであったが、ラナの声に目が覚めた。

 最終的に上体をテントへ突っ込み、脚だけを外に出したままヘレナの看病に手を貸していたのだ。


「今のうちに薬を摘んでくるよ。もう少し必要だと思うから」


 だらしなく伸びていた格好から、重い体を起こして立ち上がる。


 外に出て息を吸い込むと、七月も半ばとはいえ空気はひんやりとしていた。

 溶けるように姿が見えなくなっていく星々が、夜が明けていくのを告げている。


「おい、ユージン=ランハ」


 虫の音が聞こえなくなった草地や辺りを囲う木々を眺めながら首の筋を鳴らしていると、テントの中からまったく愛想のない声に呼び止められた。


 それが低く唸る緊張した声だったので、ユージンはなにかあったのかと思い慌てて振り返った。


 入り口のところから、四つ這いになったラナが顔だけを出してこちらを見上げている。


「──その……ありがとう」


 目が合ったとたん、ラナは言いにくそうにそれだけを告げるとすぐに中へ引っ込んでしまった。

 面食らったユージンは振り返った格好のまま、遠くの木々の間で囀り始めた鳥の声を聞き、ひとり目を瞬いた。


(なんだよ。ほんっと、見掛けによらず──)


 恥ずかしがり屋なのだ。


 一気に肩から力が抜け、ユージンはフゥと息をついた。

 これだからお人よしでお節介な自分は、シュクラ姉妹から目が離せないのだ。


 数歩戻り返り、ユージンは逆にテントの中を覗き込んでやった。


「あのさ、無理を承知で言うけど」


 いきなり戻ってきたユージンにラナは目を丸くし、ヘレナの熱を見てやっていた手をピクリと震わせた。


「なんだ」


「一度街へ戻ったら? こんな事態だし、きちんと医者に見せた方がいいよ」


「そんなことしたら奴らに見つかる。ホテルを抜け出したことで、奴らはあたしらを探すことに躍起になってるに決まってるんだ。進むしか道はないんだよ、あたしらには。そうじゃなければ消される。何度言えばわかるんだ」


 予想通りの答えがラナから返ってきた。

 だがこの瞬間、ユージンの意志は固まっていた。


「それなら、やっぱり俺は山を下りるのはよすよ」


 昨夜からモヤモヤと持て余していたことを言ってしまったら、スッキリした気がした。


 アロケイデの神話は本当かもしれない。

 魔、宝玉──姉妹の生い立ちを聞いてユージンはそう願い始めていた。

 言われたことに対してラナはさらに慌てたらしい。


「だが……っ」


「今決めた。俺がそう決めたんだ。足手まといになるつもりはないよ。君たちが街へ戻らないって言うなら、月の明るいうちに必ずレイクバレイへ辿り着いてもらいたい。ヘレナを魔から解放すれば連邦政府も追う事をやめるんだろ、そして早く街へ戻ろうよ」


 ラナは黙り込んだ。

 握り締めた自分の手を口元へやり、視線をしきりにヘレナの寝袋辺りへ彷徨わせている。

 それから疑うような視線をこちらへ向けた。


 自分なりの賭けだった。

 ユージンの頭の中ではまるで勝算のない。

 本音を投げつけても、真正面で受け取ってくれるような相手ではないこともわかっている。


「確かに赤の他人かもしれないけれど、俺も君の妹を守りたいんだ」


 もうひと押し。それでダメだと言われたらそれまでだという覚悟で、ユージンは今思うことを打ち明けた。

 ラナはため息を吐いた。そして、


「──まったくあんたはどうしようもない」


 お人よしだなと付け加えて、笑顔の変化球をユージンにお見舞いしてくれたのだった。

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