無愛想な書簡
「そういえばそうか──あれ? じゃあ、スクールだって休みだろ」
「お向かいさんが農場の見学に連れて行ってくれるって。それでお願いしたの。天気予報では夕方から雨だって言うから雨具を持たせたんだけど」
戻ってきたニナが、やれやれと一仕事終えた顔で説明した。
ユージンはふうんと頷いた。向かいの家にはゼルの同級生が住んでいるのだ。
「ジーンはまだなにも食べたくない、って顔ね」
食事を終えたレイをイリアに預け、ニナはユージンのカップにコーヒーを注いでくれた。
「食べるよ。仕事中にへばったりしたら、父さんの鉄拳が容赦なくこう──」
拳を空中で素振りして見せると、「まぁ」と言ってニナは笑う。
「今日は少しのんびりしてから店に出るといいわ、父さんにはわたしから言っておくから。──ねぇ、ジーン。わたしの思い違いかもしれないけれど、なにか心配事があるんじゃないの?」
さっきまでイリアが座っていた向かいの席から、黒い瞳でニナがユージンの顔を覗きこんでくる。
ドキリとして、ユージンは思わずその澄んだ瞳から目を逸らし、手元のカップに視線を移した。
「別に。どうして?」
「なんだか、最近思い詰めてるみたいだから。もしかして射撃祭でなにかあった? いくら寝ぼけていたといっても、靴棚から拳銃を取り出すなんてあなたらしくないわ」
「なんでもないんだ。心配しすぎなのは母さんの方だよ」
「そうかしら──」
「心配しないで」
ユージンは笑って答えた。
ニナの顔を曇らせるのは、それだけで大変な罪悪だという気がしてならない。
血の繋がっていないユージンにいつも親切で、いつも大事にしてくれ、いつも礼儀正しく一歩先の領域を侵すことなく見守ってくれている。
それ以上近づいて、ユージンのことをめちゃくちゃにしてくれたことは一度もないのだ。
ユージンはその日いちにち、まるで調子が出なかった。
コルクボードに提げられた伝票は、呪い札のようにユージンの意識を引きつけ続けている。
昨日姉妹が取りに来なかったせいで、セラミックプレート入りの防弾ベストの伝票が一番上になっているのだ。
「ジーン、グラディウスの組み立てにいったい何時間掛けるつもりだ」
ハッと我に返り、振り返ると呆れ顔のジルが両手を腰に当ててため息を吐き出したところだった。
「えっ。も、もう終わるよ」
カウンターの内側、いつも伝票整理をするのとは反対側の巨大デスクの上で、ユージンはグラディウスP2を分解掃除しているところだった。
左手にストック、右手にドライバーを握ったまま、数分間も放心していたらしい。
「集中力がないな、今日は。商売に響くぞ」
ピシリ、とその通りのことをジルに言われてしまう。
「すぐにやる。あと二分」
「その状態からなら仕上げまでたっぷり五分は掛けろ。試射で暴発しても困るんだ」
返す言葉もない。
ユージンは小さくなって頷き、芋虫のようなネジを穴に押し込めた。
その時だった。倉庫側ではない方のドアが開いた。
「ねぇ、ジーン」
控えめに顔を覗かせた後で、デスクの傍へやってきたのはニナだった。
「なに?」
「お店宛の郵便物が一通こっちに混じっていたわ。あなたの名前が書いてあるんだけれど……差出人はないのよ」
「見せて」
店宛の郵便物は店の扉から届けてくれるよう配達員に言ってあるが、家宛のものと住所は同じだから、たまに混入することもあった。
飾り気の一切ない封筒をニナから受け取り、宛名を見る。
『ランハ銃器店 ユージン=ランハ 様』
こんなことは滅多にない。
ニナの言うとおり差出人欄は空白だ。
無地の封筒に、急ぎの文字で走り書きしたような筆跡。
よく見ると、あて先の住所も中途半端にしか書かれていなかった。
店名が記されているから、なんとかここまで辿り着いたと思われる手紙である。
ユージンは呆気に取られてしまった。
封筒を裏返してみたり透かして見たりしてみたが、まったく身に覚えのないものだ。
「これを終わらせたら開けてみる。ありがとう母さん」
ニナはコクリと頷いて微笑むと、「頑張って」と言い残して静かにドアを閉めていった。
相手が業者かなにかなら、差出人くらい記すだろう。
ユージンはグラディウスの組み立てに集中した。
手を抜かないように出来るだけ素早く仕上げた後でひと息つき、横に退けていた封筒を手に取る。
「なんだ?」
早速、興味津々でジルが覗き込んで来た。
「さあ」
「おまえも隅におけない奴だな」
背中を突かれても、ユージンは苦笑いするしかない。
「父さん、二ディロも出せば釣りが来そうなこの封筒のどこにそんなロマンスの要素があると?」
ユージンでも、その手の手紙を出すとしたらもう少し思いやりのある書き方をするだろう。
これでは役場から届く事務的な書簡以下の体裁である。
注意深くペーパーナイフを差込み、ユージンは一気に封を切った。
中に入っていた便箋もまた封筒と同じくなんの飾り気もない。
『これを急ぎ投函しなくてはいけないことを察して欲しい』
挨拶らしいものもなく、一行目からいきなり本題に入りかねない無愛想な文章が綴られていた。
(本当にひどく愛想のない──)
けれど三行ほど読んで、ユージンの心臓が突如跳ね上がった。
たちまち便箋と封筒をさっと伏せ、ユージンは椅子から立ち上がっていた。
「ゴメン父さん。ちょっと抜けるよ」
横から覗き込んでなんとか盗み見ようとしていたジルを押し退け、ユージンは手紙を掴んだまま倉庫へ篭った。
『先日は世話になった。連れが書けというので一応ここに礼を書いておく』
(──これって)
夢中で読みながら、ユージンの憶測は確信に変わっていった。
どうりで体裁も無骨なわけだ。
初めて見るラナの筆跡。ユージンは文章の続きを急いで読んだ。
『ところで例の物だが、どうやらそっちへ取りに行けそうにもない。そこで恥を忍んであんたにひとつ頼み事がある。例の物を届けて欲しい。場所は──』
最後にサインがあるわけでもない。
手紙を胸ポケットに捻じ込み、棚に収めていた段ボール箱から咄嗟に防弾ベストを一枚取り出すとユージンは倉庫から飛び出した。
「配達に行ってくる。これ、ひとつ追加で持って行くから」
在庫から持ち出した防弾ベストの伝票を走り書きしてポケットへ押し込み、注文品であるセラミックプレートの防弾ベスト分の伝票もそこへ押し込めた。
すぐに渡せるようにとカウンターの傍に用意しておいた注文品は、追加分の防弾ベストと一緒に小脇に抱える。
「なんだ。その客からの手紙だったのか」
ジルもユージンの慌てように半ばやれやれという顔をしていた。
「いや……まあ、うん」
「変わり者の客を引き寄せるのは、ある意味おまえの才能だな」
かっかっかっと笑うジルを尻目に、ユージンは店の扉から外へ出た。




