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俺が銃器店を抜け出した理由(ワケ)  作者: 榛原ユリト
第三章 差出人のない手紙
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眠り草の仕打ち

「このメロディ知ってるわ。好きな曲よ」


 無常にも信号で捕まってしまった。

 ラジオから流れる曲はユージンも知っていた。


「いい曲だよね」


 大人しくクラシックにも似た曲調。

 エリカ嬢のイメージとは真逆の雰囲気を漂わせる曲なのに、それを好きだとは不思議なこともあるものだ。


「そうだわ、お父様が今度注文したい品物があるって。ブリューナクって言ってたかしら、型番は忘れたわ」


「ロングガンなら軍支給のがあるのに。狩猟でも始めるの?」


「ううん、このところパースタウンにも素性のわからない人間がうろついていたりするからですって」


「──へえ」


「なにかあった場合に狙撃に使うのよ、足を撃てば警察に突き出せるでしょう?」


「──あぁ……まあそうだね」


「ここは弓矢の神に守られている街だから……」


「──あのさ」


 言ってしまってから、ユージンは自分の声にハッとした。

 放っておいたら、『それだけはやめてくれ!』と叫びかねなかった。

 それを寸でのところで飲み込んだのだ。


 叫びかけて守ろうとした言葉の背後では、シュクラ姉妹が不安気な表情で佇んでいた。


「……いや、ごめんエリカさん。今のは──」


 慌てて取り繕おうとしたが、顰めた表情を取り消すのは難しかった。

 ユージンは車を走らせて以来初めて、エリカ嬢へ振り向いていた。


「いいのよ、ジーン。青だわ」


 エリカ嬢は静かに言った。

 ユージンは再び車を走らせた。


「徴兵に応じようかしら、わたし」


 突拍子もないことをエリカ嬢は言い出す。


「どうして──女の人はほとんどいないんじゃないの?」


「ジーンも二〇歳になったら行くじゃない? 男子は強制ですもの。もし、そうしたらわたしのこと嫌いになって?」


 嫌いもなにも、好きでもない。


 男子には必ず、女子は申し出のあった者だけ、ヒースベルに生まれ暮らす者に与えられる三年間の徴兵義務。

 そうしてこの国は自国の守りを固めている。

 ユージンには、エリカ嬢がなにを言いたいのかがまるでわからなかった。


「ごめんなさいジーン。今のは忘れてくれる? ──さ、これでおあいこだわ」


 エリカ嬢はいつもの彼女らしく満面に笑みを湛えた。


(……してやられた)


 だがエリカ嬢の心遣いにホッとしている自分もいた。

 ハンドルを切りながら、ユージンはこの場において彼女が自分よりも一枚も二枚も上手であることを認めざるを得なかった。


 最寄のポストでエリカ嬢は無事に郵便物を投函した。

 彼女を乗せるのはポストのところまで──そう思っていたユージンも、先ほどの一件でなんとなく帰り道も送ることにした。


「そうだ、エリカさん。お客さんに訊かれたんだけど、レイクバレイへの行き方なんか知らないよね」


 グウィネル邸が見えてきた頃、思い立ってユージンは尋ねた。

 お喋り好きなエリカ嬢に、ダメもとでも聞いてみない手はないと思ったのだ。


「いくつかの噂なら聞いたことがあるわ。ジュピトル山の麓には封鎖門があって、その先にも道があるように見えるけれど、数十メートル先で絶えているんですって。方位にさえ気をつけてひたすら西へ渡れば、レイクバレイにはきっと着くんでしょうね。すり鉢状のくぼんだ盆地になっている場所がそうだという話だけど、誰も行ったことがないのだし」


 得られる情報はやはりその辺りが限度であるらしい。

 学校の教科書にも、射撃祭に向けて作られるこの街の観光ガイドブックにも大したことは書かれていないのだ。


「でも、無事に辿り着くなんてきっと不可能よ。その人もずいぶんと変わったお客さんね。ジーン、あなたから強く言って諦めさせてあげた方がいいわよ、間違いなく怪我することになるわ。山に入って戻って来られるわけがないもの」


「そうだね」


 ユージンは気掛かりでたまらなかった。

 姉妹は、そこまでバスが通っていないだろうか、とかなり頓珍漢なことを訊いて来たほどだ。

 もし山へ向かおうというのなら、先にもずっと道があると思い込んでいるに違いない。






 翌朝、目が覚めるとズシリと頭が重かった。


(眠り草の使いすぎだろうか)


 二階にある自分の部屋から台所へ下りると、隅に置いた食卓テーブルで四人の弟や妹たちがふざけ合いながらシリアルを食べていた。


「おはよう、ジーン」


 シンクで食器を洗っているニナは今日も朝から優しい声を掛けてくれる。

 昨夜は夕飯に一時間近くも遅れたのに、嫌な顔ひとつせずにユージンの分の料理を温めてくれた。

 ジルの姿は見えないから、もう店の方へ出ているのだろう。


「おはよ……水を一杯もらえる」


 かたや、自分は顔も洗わずにシャツを肩に引っ掛けただけの格好で、満足に目も開いておらず、苦いものを口に含んでいるわけでもないのにそれらしき顰めっ面である。

 まるで二日酔いのときのジルのようだという自覚もあった。


 ニナの笑顔がとたんに曇る。


「また眠れなかったのね」


「寝たよ。きっと寝すぎて頭が働いてくれないんだ」


 水を満たしたグラスをニナから受け取り、ユージンは一気に飲み干した。

 それでやっと少し体が覚めた。


 眠り草は手軽な薬草だが、使いすぎたり体調によっては副作用というカタチで服用者に軽い代償を与えてくれる。

 薬草にあまり詳しくはないニナにそのことを言えば心配されるのが目に見えているから、ユージンはずっと黙り通していた。


「ごちそうさま!」


「行って来まぁす!」


 カチャンッと皿が音を立て、上の弟と妹が騒々しく立ち上がる。

 ランハ家のいつもの朝であった。


「いってらっしゃい、車に気をつけるのよ。マーサ、ちゃんとゼル兄ちゃんについていって」


 手を拭き、慌てた様子で振り返るニナの長い黒髪が、窓から射し込む朝の光を明るく照らし返す。


「はぁい! 行って来ます、ユー兄ちゃんもバイバーイ」


「頑張って来いよ」


 ジュニアスクール二年生のマーサに手を振り返すときになって、ユージンはやっと少し笑ってやれた。


 あまりにも普段どおりで変わりのない光景に、ここはまだ夢の中なのではないかと錯覚してしまいそうになる。

 昨日のエリカ嬢との会話も、シュクラ姉妹のことも、遥か遠い場所にあるようなおかしな感覚である。


 ニナが二人を玄関先まで送りに行っている間にユージンは食卓椅子へ座り、末っ子のレイにシリアルの粥を食べさせてやっていた。

 イリアは母親がいなくなった隙を見計らって食卓から逃げ出し、テレビの前を陣取りにいった。


「イリア、幼稚園は?」


「今日は土曜日だよー、ゆーにぃちゃん」


 振り向くのも面倒くさいらしく、テレビに夢中のイリアが投げやりに応えてくれる。

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