ユージン、姉妹に手を焼く
「だから謝ったし、礼も言った。あとはおまえ用の防弾ベストが入荷するのを待つだけなんだ。人に迷惑を掛けたいわけじゃない」
「すみませんユージンさん、お姉ちゃんも悪気があって言ってるわけじゃないんです。ただちょっと口が悪いだけで」
「おまえが謝るな」
姉が唇を尖らせて妹からフイッと顔を背ける。
だがその先にはユージンがいた。
「──本当にそうなんだ。あんたにこれ以上迷惑は掛けられない。注文してあるものを受け取ったら、すぐにこの街を離れるつもりだ。だからどうかわたしたちのことは人には黙っていてもらえないだろうか」
「事情によるだろうな」
そう言ってユージンはリボルバーを掲げて見せた。
「必要があれば警察を呼ぶよ」
『警察』という言葉を口にしたとたん、鋭く姉に睨まれた。
その上、すかさず彼女は外套を跳ね除けて懐に手を伸ばしていた。
アンサラーか、デュランダルか。
いずれにしても握り締めたのは拳銃に違いない。
「さっき銃声が聞こえた。お客さんとはいえ、俺は街に騒ぎを持ち込むような人のために防弾ベストまで売りたくはない。発砲したのは誰なのさ?」
ギリ──と姉が奥歯を噛み締める。
数秒間、二人は相手の動作を警戒して睨み合った。
「おかしなこと言ってるかい、俺?」
「いや。正当だな、実に店員としてもっともだよ。あんたのせいで、今夜はなにもかもメチャクチャだ」
姉は言い捨て、拳銃を抜こうと腕に力を込める。
その腕にそっと触れたものがあった。
「……ユージンさんのせいじゃないでしょ。親切にしてくれた人に当たるのはよくない、お姉ちゃん──今夜は初めからメチャクチャだったじゃない」
姉が疲れたような口調の妹を気に留めた隙に、やっとユージンも姉から視線を逸らした。
拳銃を握り締め睨み合う緊張感の中にいて、妹は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「泣くなよ」
妹の白い手へ、姉は日に焼けた自分の手を重ねてこっそりと告げる。
「なにもかもをこの男に話せと? そんなこと出来るはずがないだろ。おまえにも、それはわかるな」
「うん……でも、ここで撃っちゃヤダ。ユージンさん、さっきの銃声、撃ったのはわたしたちじゃないよ」
涙を呑み、妹が顔を上げた。
「じゃあ追って来ていた男たちが?」
コクリ、と妹が頷く。
メチャクチャだというこの状況にとうとう呆れてしまったのか、今度は姉の方が顔を背けて塞いでしまっていた。
追い回す側の男たちが警察を呼んでいないというのも不自然な話なのである。
もしかすると彼らこそが最も警察が絡むとまずいと考えている者たちなのかもしれない。
ユージンは撃ったのが彼女たちではないことにホッとしていた。
少なくとも、悪い予感は当たらなかったのだ。
妹の落ちそうだった涙もキリキリと胸に沁みたが、睨まれた姉の鋭い目の方が瞼の裏にくっきりと焼きついている。
ユージンはリボルバーを握る力を緩め、腕を下ろした。
「まあ、男の振りをしたお客のことをところ構わずふれ回ろうとは最初から思ってないよ。近所で騒動なんて、こんな物騒なものを持ち出さなきゃならない夜は俺も御免だ」
ユージンはトンッと壁に背を寄りかけ、リボルバーを床の上へ置いた。
「銃器店の息子なんだろ。それを物騒だなんて、あんた変わってるな」
ぼそっと気のない声で言った姉が、金色の横髪に半ば隠された目をチラリと覗かせる。
「だからこそ思うんだよ。構造や威力だけじゃない、危ないものだってこともわかるから」
「銃器の専門家、その端くれか」
「端くれ──そうだね、気づいたらこうなってたよ。生まれてみたら、家が銃器店だった」
ユージンの皮肉に、姉も妹もフフッと笑い顔を見合わせた。
「こいつは生まれつき体に爆弾を抱えている。あたしたちは生まれてみたら、家らしい家がなかった」
姉がぽつりとそんなことを言った。
「『爆弾』って、重い病気かなにかを?」
「……ううん。病気とは違うんだけど、簡単に治るようなものでもなくて」
妹がそっと打ち明ける。
病気とは違う。
生まれ持ってくる他のなにかをユージンは考えたが、すぐには思い浮かばなかった。
常夜灯のほの暗い明かりの中で長い睫を震わせ、妹は自分の両手をぎゅっと握っている。
「まったく、追い回すなんてひどい奴らだ。君たちが犯罪者だっていうならともかく」
姉妹は再び顔を見合わせる。
「そうだな、本当にひどい」
姉は妹の頭を撫でてやった。
妹は大人しくされるがままになっている。
その光景は穏やかで微笑ましかった。
そして同時に、今にも消えてしまいそうな儚さを湛えている。
「ねぇ、もし付き纏われているんだとしたら警察に相談してみたら?」
これ以上のお節介を焼くつもりはない。
その境界線を見定めてユージンは言ったつもりだった。
姉の手がピタリと止まる。顔を上げた妹は不安そうに瞬きをした。
「どんな事情があるのか知らないけど、二人だけで悩むようなことじゃないんじゃないかな。そしてちゃんと専門の人に診てもらって……」
「警察だ? とんでもない!」
姉は立ち上がり、バックパックを拾い上げた。
「やっぱりあんたに話したのが間違いだった。ろくなことにならない」
突然怒り出した姉の行動がユージンには理解不能だった。
「そんなにムキになることないじゃないか。追い回されてるなら、警察に相談するのは普通だろ。君たちがあの男たちのことを警察に告げることのどこに問題があるっていうんだ」
「おい、行くぞヘレナ!」
眉を急角度で吊り上げ、姉は妹を促した。
「あ、お姉ちゃん今あたしの名前──」
「いいんだ」
姉はきっぱりと言い、ユージンに詰め寄った。
「勘違いがないように言っておく、こいつは生まれつき体に別の生き物を飼っているんだ。バルトルから国境を越え、あたしたちはこいつの体を『魔』から解放するために旅をしている。あたしの名前はラナだ。シュクラ姉妹の名を聞いたらそこから先には立ち入らないことだな。あんたがあたしに売ったアンサラーM63Tでその心臓を撃ち抜かれたくなければ、だ」
ラナと名乗った姉は、ユージンの左胸に拳をトンッと押し付けた。
その声は押し殺されていただけに、暴発を宣告された銃火器のような静かな危険に満ちていた。
北方に隣接するバルトル共和国連邦は、内部紛争が多い国として知られている。
東部では麻薬や密輸武器が氾濫するような、連邦政府も統制に窮する荒れた国だ。
ラナとヘレナ、二人の姉妹はそこからやって来た者で、とりわけ妹の方は。
「体に『魔』を宿しているって……そのせいで追われてるのか?」
妹のヘレナはユージンと目が合ったとたんに顔を背けてしまった。
姉のラナはただじっとこちらを見据えてくる。
説明を加えてくれる様子は微塵も感じられなかった。
「信用はしない。あたしらの身の上は口封じのための保険だ。これ以上追っ手が増えるようなら、真っ先にあんたを疑うからな」
「わ、わかった。誰にも言うつもりはないって、そのことはさっきも言ったろ?」
もし突きつけられているのがラナの拳ではなくアンサラーだったなら、ユージンの手も思わずリボルバーに伸びていただろう。
口を開きかけた姉を、不意にヘレナが遮った。
「お姉ちゃん、脅かすのはよくないよ。ユージンさんいい人だし。魔から解放されれば、あの人たちだってわたしを消そうとするのをきっとやめるんだから」
「おまえは黙ってろ」
姉に睨まれ、妹のヘレナはしゅんと首をうな垂れた。
「『消す』って……?」
ユージンは頭の中が混乱していた。
誰が味方で誰が敵なのか、整理する時間を少し貰えると助かるのだが。
『魔』と聞いて連想するものはいくつかある。
特にヒースベルでは神格化された生物、すなわち『魔獣』のことを指したりもする。
とても穏やかなものとはいえない。
目の前に佇むこんな可憐な少女の体に、いったいどれほどの『魔』が宿っているというのか、至近距離に居合わせているのだから、ひしひしと感じる身の危険の中で疑問を抱かない方がおかしいというものだ。




