表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

お花見はみんなで楽しみましょう。

 エリオットが魔物化したときのことは、二か月以上経った現在でも夢に見る。


 それまでテオが頻繁に見た夢に出てきたのは、魔物化したカーシュナーだった。だが十年も経てば、いかに強烈な記憶とはいえ薄らいでくる。そのおぼろげになってしまったカーシュナーの姿を、エリオットが補完してしまったのだ。

 おまけに妙に現実味のある夢で、その時イザードやイシュメルと交わした会話が一字一句間違わず再生される。エリオットを攻撃し、その身体を穿ったときの感触まで腕に伝わってきてしまう。エリオットを人間の姿に戻すために、魔物化を維持できなくなるような致命の一撃――殺さず、しかし確実に瀕死に陥らせる。そんな力加減の難しい攻撃を、テオができるわけもなくて。テオの魔術はどれも攻撃魔術、やろうと思ったら灰になるまで焼き尽くしかねない。……だからテオは、自分で致命の一撃を食らわせたカーシュナーを助けることができなかったのだ。


 土壇場になって渋ったテオを後ろに下がらせたのはイシュメルだった。散々強がっていながら、テオにはやはりエリオットを斬る覚悟などない。それを察して、イシュメルはテオの代わりに引き受けた。「魔物と戦うのは一番慣れている」、「テオの魔術は、エリオットを治癒するために温存しろ」とそう言って――失敗すれば愛弟子を殺しかねないギリギリの戦いを、イシュメルが繰り広げた。

 思えばそこに至るまで、率先して魔物化した人々と戦っていたのはエリオットだ。彼は毎回、慎重に力加減を考えて、ひとりの犠牲者も出さずに魔物化を解いていた。それはエリオットの天性の才能だったのかもしれないし、神経をすり減らしながら巧みに攻撃の威力を弱めていたのかもしれない。どちらにせよ、それはとんでもなく難しいことなのだ。


 対象が魔物化した人間、さらに親しい友だというだけで手が震えたテオとは違う。エリオットはいつも冷静に対処していた。キースリーの非道に怒り、悲しんではいたけれど、それで躊躇うことはなかった。

 弟子にできたことは、その師匠ができて当然。イシュメルもまた落ち着いていて――的確に、エリオットに致命の一撃を与えた。迷いのない、ともすれば力を加えすぎたのではと血の気が失せるような、苛烈な斬撃だった。


 人の姿に戻って地に倒れたエリオットに駆け寄って、呼吸を確かめる。浅くはあるが、エリオットは息をしていた。テオが急いで治癒術を施すと、うっすらとエリオットは目を開き、血まみれの顔で疲れたように笑うのだ。


『……ほんと、手加減なしなんだな』


 カーシュナーの夢は、テオが彼を殺して終わる悪夢だったけれど――エリオットのことを夢に見るときは、こうやって彼が笑って終わる。そういう意味ではハッピーエンドだ。

 吉夢かと聞かれると、とても頷くことはできないけれど。


 目が覚めて身体を起こす。相も変わらず、自分は部屋のベッドできちんと寝ると悪夢を見るらしい――そんな風に苦笑しつつ、テオは本日一発目のくしゃみをする。起き抜けは特に花粉症の症状が出やすいのだ。





★☆





 小型オーブンの中から、香ばしい匂いがしてきた。

 匂いに気付いて目覚めたチコも、オーブンをじっと見つめて離れない。チコも食べたいのだろうか。端っこの部分を少しくらいなら、食べさせてやっても大丈夫だろう。


 チン、という音と共にオーブンが停止する。オーブンを開けて、ミトンを装着して中の天板を引きだした。そのうえには片手に乗る程度の物体が、整然と並べられている。


「おっ、良い感じ」


 もう少し冷ませばよかったのだが、熱さに悶えながら試しにひとつ手に取る。半分に割ると、外はかりっと、中の生地はふわふわだ。一緒に入れたチーズも丁度良い具合に溶けて、実に美味しそう。

 足元でキュウキュウ鳴いているチコに、きれっぱしを差し出す。勿論息を吹きかけて、熱は充分に飛ばした。チコはそれを受け取って、両手で掴んで一心不乱にかじりだす。本当にもう、齧歯類の食事は可愛くて仕方ない。ついついレタスとかも皿で出すのではなく、チコ本人に手渡して食べさせたくなるくらいだ。


 初めてにしては満足のいく出来栄えに、エリオットはしばし愉悦に浸った。そんなことをしている間に、リビングの扉が開いてテオが入ってきたではないか。


「おはよ、早いな」

「うん、ちょっと夢見が悪くて……って、良い匂いするね」


 すんすんと鼻を利かせるテオに、エリオットはキッチンシンクの上に置いてある天板を指差す。絶賛花粉症で鼻の利かないテオでも分かるくらいの芳醇な匂いなのだ。そこには手作りらしい、形も大きさも少々不恰好なパンが多数乗っていた。大体はロールパン状だが、中にはクロワッサンやベーグルもある。


「うわあ、これひとりで全部作ったの?」

「まあな」

「あれ、こんな魔装具うちにあったっけ?」

「この間の依頼の報酬でもらったんだよ。パン焼き器っていうのか? 折角だから使ってみたいだろ。普通のオーブンより速くできるし、火加減とか勝手に調節してくれるし、こりゃいいな」


 エリオットは言いながら、天板の隣にある機械に手を置く。この家のオーブンはシンクに固定されている大型のものだが、いまここにあるのはそれより遥かに小型のもの。パンを焼くためだけのオーブンだ。依頼人からもらったものだが、報酬で生活系魔装具をくれた人はそうそういない。裕福な家の人だったみたいだからこそだろうけれど、有難くもらっておいたのだ。


 するとテオは、指先だけパン焼き器に触れてじっと魔装具を凝視した。その眼差しは何度も見たことがある。普通目に見えないエナジーの流れを、テオは『視る』ことができる。今のテオの目は、それを『視ている』ときの目だ。

 ついで、テオはエリオットの右腕を掴んだ。まるで脈を計るような仕草だが、これもエリオットは見たことがある。というか、一連の事件が終わってからというもの、定期的にこれをされるのだ。エリオットの身体に蓄積されたエナジーの量を計っているのだとか、なんとか。


 エリオットは特にエナジーへの耐性が低いらしい。そんなに軟弱だった覚えはないのだが、本来エナジー消費量が少ないはずの車にすぐ酔ったのは、紛れもない証拠だ。一度魔物化したことで体内に蓄積されたエナジーはすべてリセットされたが、この近代化文明の中に身を置く以上、エリオットの身体は常にエナジーに蝕まれる。再び魔物化することも、ないわけではなかった。

 それを防ぎ、データを取るために、テオは定期的にエリオットの診察をするのだ。こいつは物体の中に閉じ込められているエナジーまで可視化できるらしく、いまエリオットがどれだけ毒を吸収しているのかを把握してくれている。


「……もしかしてこの魔装具、まずいくらいエナジー消費しているのか?」


 恐る恐る問いかける。万屋内にある魔装具は、どれもテオが一度いじっている。そうすることで普通の魔装具よりエナジーの消費を抑えられるのだ。

 けれど、このパン焼き器はテオがまだいじっていない。エリオットにはその魔装具がどれだけエナジーを食うのか分からないし、テオに視てもらうのをすっかり忘れていた。


 テオは微笑んで首を振り、エリオットから手を放す。


「いや、大丈夫。ごめんね、最近ちょっと俺、神経質で」


 テオは本当に、魔物化を恐れている。いや、魔物化を見たり、自分がそうなってしまうのはエリオットも嫌なのだが、テオの恐れはレベルが違う。

 心配してくれているのはエリオットもよく分かるのだが、不安げなテオというのはどうも調子が狂う。エリオットは努めて明るく笑う。


「気にするなよ。ほら、早く食べよう。焼きたてなのに、冷めたら勿体ない」

「そりゃそうだね。じゃあコーヒーでも淹れて……」

「あんたはその前に顔を洗ってこい」

「はーい」


 テオはくるりと踵を返して洗面所へ向かう。その間にエリオットはコーヒーを淹れ、焼き立てパンをいくつか皿に乗せて食卓へ運ぶ。

 戻ってきたテオは食卓につきながら、まだ大量に余っているパンを見やった。


「でも随分パンを作ったんだねえ。あんなにどうするの?」

「は!?」


 エリオットが驚いたように目を見張る。そしてじとっと半眼でテオを睨む。


「あんた……自分で言っておいて忘れたのか?」

「俺が何か言ったっけ」

「『春になったんだからみんなでお花見に行こう!』って言ったのはあんただろ」

「……あ」

「ついでに『お弁当はエリオットくんの作ったパンで』とも言ったよな」

「……そうだったね」


 がっくりとエリオットが頭を抱える。テオは冷や汗を流しながら「あはは」と笑ってごまかした。

 珍しく休日が重なった日があったから、みんなで花見にでも行こう。五日ほど前にそう言いだしたのはテオだ。だというのにこの男、今日出かけるということすら忘れていたとは。どうせ「久々の休みだから家でごろごろしていよう」とでも思っていたのだろう。


「す、すごいねエリオット、俺のことよく分かってる!」

「全然嬉しくないっての!」

「は……はっくしょん! うー、今日も今日とて花粉が……」

「……花見、行くんだろうなぁ?」

「勿論だよ、はは……行きますとも」





★☆





「おはよう、お兄様、テオ、チコ! いいお花見日和だねっ」


 元気の良い挨拶と共に、今日のお花見メンバーふたりが万屋に到着する。リオノーラとイアンだ。真っ先に出迎えたのはチコで、「キュウ」と鳴きながらリオノーラの顔面に飛び移る。慣れたものなのかリオノーラはそれを引っぺがして、チコを肩に乗せる。


「ふたりとも早いな。まだこっち支度終わってないのに」


 エリオットがキッチンから顔をのぞかせる。その手前では、黙々とテオが弁当箱におかずをつめていた。エリオットはきちんと昨夜から弁当の用意をしていたのだ。すっかり忘れてエリオット任せにしていたテオが、自主的に弁当作りを手伝っているというわけだ。が、エリオット的には「手伝って当然」だ。


「だって、お出かけなんて久しぶりだから嬉しくって!」

「開店待ちまでしましたものね。はい、これが飲み物とお菓子です」


 イアンが笑いながら、両手に持っていた重そうな袋ふたつをソファに乗せる。リオノーラの方も袋を持っているが、こちらはかさばっているだけで軽そうだ。このふたりには飲み物とお菓子の調達を任務として与えてあったのだ。確かに時間は九時少し過ぎ、市場の店はようやく開きはじめた時間だ。待つのが苦手なリオノーラらしい。


「お兄様、それお弁当? すっごいたくさんだね」

「そりゃお前、何人分だと」

「ねね、僕たちにも手伝えることある?」


 リオノーラはとことことキッチンに入って、エリオットの手元を覗き込む。エリオットはサンドウィッチを作っていた。食パンから手作りする徹底ぶりだ。具材を挟むだけといえばそれまでだが、なにせ膨大な量と種類だ。時間はかかる。今はひたすら、大きめのボウルいっぱいの卵フィリングをかき混ぜていた。


「休んでろよ。荷物重かっただろ」

「いいからいいから! 二人より四人でやったほうが早く終わるもん!」

「……そうか? じゃあリオ、トマト切ってくれ」

「はぁい」

「終わったらレタスな」

「了解であります」


 嬉しそうにリオノーラはまな板と包丁を取り出して、トマトをスライスしていく。本当に、食材を切るだけなら彼女は立派になったものだ。時間があればエリオットが料理を教えてはいるものの、そちらはなかなか身につかない。


 飲み物を冷蔵庫に入れてくれたイアンが、服の袖をまくりながら食卓へ近づく。食卓に並べられている大量の弁当箱は、まだ隙間が多い。テオがひとりで持っている皿からおかずを詰めているが、単純作業に飽きているのか、くしゃみをこらえているためか、動きが鈍い。


「なら、僕はテオさんをお手伝いしますね」

「うわーん、イアンくんありがとー。腕が攣りそうだったんだよ、慣れない作業はするもんじゃないね……じゃ、ちょっと俺は休憩に……」

「行くな、こら!」


 皿を押し付けて逃げようとしたテオに、すかさずエリオットが怒声を浴びせる。肩を落としたテオは諦めて、イアンとは別のおかずを箱に詰める作業を再開した。


 大人数のための食事を作るのは慣れているのだ。むしろその方が手際が良いとすら言われる。傭兵時代は二十人近くで生活していて、食事の世話は殆どエリオットが見てきた。それに比べれば、十人未満の食事などたいしたことではない。近所の奥さんなら卒倒するくらいの数の卵を消費しても、ドレッシング一本使い切っても、精神のダメージはないのである。……財布のダメージは大きいけれど。


 それから一時間ほどして、お弁当はすべて完成した。そこでようやっと、エリオットたち四人とチコは、大量の荷物を持って花見に出かけたのである。





★☆





 花見会場は例年、首都の広場が定番スポットだった。だから毎年この時期は花見客で広場はごった返して大変である。

 しかし、今回エリオットたちが向かったのはその広場ではない。なんと、首都コーウェンの外だ。


 首都の城壁から少し歩いたところに清流があるのだが、その川辺に野生の花々が咲き乱れる綺麗な場所があるのだ。エリオットは勿論その場所を知っていたし、春にはたくさんの花が咲くということも知っていた。傭兵時代はここの清流にお世話になったものだ。とはいえ、これまで結界の外に出てまで花見をしようなどという奇特な住民はいなかった。首都からそう遠くないけれども魔物もいるし、何より結界の安全を享受した人々にとって、結界の外は未知の世界だったからだ。

 しかし、今はもう結界もその役目を終えつつある。新たな魔物が生まれる可能性も低くなり、魔物は防衛隊の働きによって減り、人々は結界のない生活に慣れた。そうなると、「ちょっと外に出てみようかな」という気にもなるというものだ。


 そういうわけで、試験的にその清流沿いの花畑が「花見スポット」として指定された。周囲は防衛隊が警戒してくれているため、それなりに安全。首都内の広場の混雑を嫌った人が、外に流れ出たというわけだ。

 そうでなくとも、エリオットやテオがいるのだ。万が一のこともないと、リオノーラやイアンも信頼してくれている。


 城門を出て少し歩くと、柵で囲われた簡易広場が見えた。入り口は防衛隊の面々――姿勢正しいのでおそらくは元警備軍――が警護している。武器を持って巡回している者もいるのでなかなかに物騒だったが、一歩広場に入ってしまえば、そこはもう能天気なお花見スポットだった。予想していたよりも多くの花見客がいて、昼間だというのに酔って出来上がっている者もちらほら。そのまま川に落ちないと良いけど、とエリオットは苦笑する。


 広げられたシートの間を移動していくと、花に囲まれた特に綺麗な場所に陣取っている見覚えのある面々を見つけた。迷わずそちらに向かうと、シートの上に座っていた四人がそれぞれの表情でいっせいに振り返る。


「すいません、遅くなって。場所取り有難う御座います、イシュメル、スペンサー」


 エリオットがそう声をかけると、イシュメルは笑って首を振り、スペンサーも寡黙に手をひらひら振って「気にするな」と示してくれる。

 すると、声をかけられなかった残りの二人から抗議の声が飛んできた。


「おいエリオット、貴様なぜ私らに声をかけんのだ」

「最近私の扱いが酷い気がするんですが、気のせいでしょうかねぇ」

「わ、分かってるよ。イザードもヨシュアも、朝早くからありがとな」


 エリオットの中には、ジェイク、イシュメル、スペンサーの三人を頂点にした優先順位が定められているのだ。だから仕方がなかったとはいえ、素直すぎるエリオットにテオが後ろで苦笑する。


 エリオットとテオが弁当を作り、リオノーラとイアンが飲み物などを調達している間、四人はこの場所にシートを敷いて場所取りをしていてくれたのだ。前に同じような依頼を受けたことがあるが、あの時は街全体が祭りだったために暇つぶしも出来た。今回の四人の退屈さは計り知れない。

 事実、イザードは大きく溜息をついた。


「まったく、エルバートもテオもエリオットも、私に場所取りばかりをさせる!」

「その割には楽しそうじゃない? もうお酒の瓶が空になってるみたいだし」


 イザードの後ろに置いてあった空瓶を持ち上げてテオが軽く振る。予めイザードたちに花見の道具を一通り持って行ってもらっていたのだが、彼らは自前で酒を持ちこんでいたようだ。瓶の中身は空。四人の前にはそれぞれ杯が置いてあるし、確実に飲んでいただろう。四人とも酒には強いので、顔に赤みは殆どない。

 イシュメルが笑って席を詰め、エリオットが抱えている巨大弁当箱を受け取る。


「ま、場所取りという任は若手の新人か、そうでなければ年長の男がやるものだ。仕方ない」

「異議あり。私はテオドールより若いと思います」

「お前は『若手の新人』枠なんだろ」


 スペンサーに指摘されて、ヨシュアが言葉に詰まる。確かにこの顔触れの中では、ヨシュアがもっとも新参だ。

 シートの上にあがったリオノーラが、にっこりと笑う。


「若手の新人といえば、余興を考えるのもお仕事だよね!」


 ストレートに余興を要求されたヨシュアだったが、二度続けて彼は言葉に詰まったりはしない。リオノーラに笑みを返して、どこからともなく白いハンカチを取り出し――一瞬でそれを、赤い薔薇に変えて見せた。これには話を振ったリオノーラも驚く。

 リオノーラに薔薇を渡したヨシュアは、今度は一枚のコインを取り出す。


「そう言われると思って、仕込みは完璧ですよ。――さあ、皆さんご注目」


 ヨシュアの表の顔は、様々な手品を見せてくれる芸人だ。そのことを忘れていたわけではないのだが、こうもやる気満々で手品を見せてくれるヨシュアが意外だった。さっきまで不平たらたらだった割に、イザードも楽しそうである。

 時刻は昼少し前、料理も酒も甘いものもたくさんある。余興は質の高いものが揃っている。最高の花見ができそうだ。





 エリオットが作った弁当や菓子の類をつまみ、飲み物をちびちび飲みながらヨシュアの手品を観賞する。彼の手品はコインやカードを使うものが大半で、リオノーラやイアン、さらにチコなどを参加させながら次々と奇術を披露して行った。素人のエリオットが、多少優れた動体視力程度で見破れるはずもなく、素直にヨシュアの手品に見入っていた。花見の余興でやるには、ヨシュアの手品は本格的すぎたのだ。


 イザードたちが先に持ち込んでくれた荷物の中には、妙に大きな箱が紛れていた。手品が一通り終わったところでそれについて指摘すると、「よくぞ気付いてくれました」とテオが身を乗り出す。箱を開けてみると、そこに入っていたのはギターだった。

 ギターといっても、テオの部屋に置いてあるそれより少々小さい。これは本物のギターではなく、魔装具――要は玩具のギターなのだそうだ。さすがに本物の楽器は音も大きいし、人の集まる花見会場では迷惑だ。そう思ってイアンもヴァイオリンを持って来ていなかっただけに、そのギターの登場は意表を突いた。どういうわけか、これまた玩具のマイクまであるではないか。


 花見に来たら歌うというのはテオの中では定番らしく、唐突に歌唱大会が始まった。伴奏はテオだ。そういえばテオは、イアンに勝るとも劣らない音楽センスを持っていたことを思い出す。テオが弾いてイアンが聞くというのは、珍しい構図だ。

 どこでそういう情報を仕入れているのか、テオは流行りの歌から一昔前の曲までレパートリーが豊富だった。楽譜を持っている様子もないから、これはあれか、絶対音感の成せる耳コピなのか。歌う側が指定した曲は、全部弾けるのだから驚きだ。今更驚きもしないが、何でもアリにも程がある。


 イアンは音学校生らしく歌が上手いし、リオノーラは流行曲をポップに歌い上げる。やはり女の子がいると華やかだなと急に実感する。ヨシュアは妙にテオと気があっているので、まさかのデュエットだ。これが文句なしに拍手するしかない出来栄えだ。実は事前に音合わせをしていたのではないかと思うほどだった。最近の若者は歌う機会が多いから、歌唱力の高い人が多いものだ。

 年長組も、酒が入っているのでいつになく陽気だ。実は三人ともノリが良いのだ。スペンサーは彼らしく選曲が渋いし、イシュメルなどはこぶしを利かせて懐かしの歌を歌う。傭兵団でも、宴会で酒が入るたびに団員が大声で歌って騒いだものだ。イザードが盛大に音を外したところなど全員が爆笑して、テオの伴奏が止まるほどだった。


 まあ、そんな中でとにかく驚かれたのが――。


「エリオットくん、歌上手すぎじゃない?」

「歌が上手なお兄様って、なにそれギャップ! 素敵! もっと歌って!」

「声質も綺麗ですよね。羨ましいです」


 テオとリオノーラとイアンにべた褒めされ、さすがにエリオットも照れてしまう。テオは感慨深げに玩具のギターを爪弾く。


「意外すぎだよねぇ、前なんてイアンのヴァイオリンの弦をぶった切ったぐらいなのに」

「き、切ったんじゃなくて、あれは切れたんだろ!」

「絶対音痴だと思ってたのに」

「失礼だな!」


 楽器は得意ではない――というより触る機会がなかった――が、歌は傭兵時代からそれなりに歌っていたのだ。傭兵団でも歌と料理に関してはちやほやされていたので、それなりの自信はあった。


「まあいいや、思いがけない特技が発見できたから、さあエリオット次の曲行こうか!」

「え!?」


 エリオットが驚いて振り返った時には、テオはもう二曲目の前奏を弾きはじめていた。


「お、おいちょっと待て! 人前で歌うのはそんなに好きじゃない……」

「問答無用!」

「なんでだよ! ってかあんた、いつもの花粉症はどうした!」

「強めの薬を飲んだから、俺いまとっても元気だよ!」

「ああ、そうかよ……!」


 とはいえもう中断できる雰囲気ではなかった。そこにいる誰もが拍手して、あまつさえ他の花見客までが「歌え歌え」と囃し立てているではないか。もう怒る気にもなれず、自棄くそ気味にエリオットはマイクを握り直した。元より押しに弱いのである。





 あんなにあったはずのパンやおかず、お菓子、酒は、気付いたらすっかりなくなっていた。ひとり歌唱大会で喉を潰しかけたエリオットに、甲斐甲斐しくイアンが茶を注いでくれる。テオも満足――というより弾ける曲がなくなったのだろう――したようで、しれっとギターを箱に戻していた。


「くそ、何曲も何曲も歌わせやがって……!」

「あはは、楽しくてつい。まさか激しいロックから切ないバラードまで、なんでもござれだとは知らなかった」

「守備範囲が広いんだな、エリオットは」

「さりげなく誤解を招くような言い方はやめてください、イシュメル」


 エリオットの抗議の声に、イシュメルは笑って応える。


「懐かしいな。とにかく食べて飲んで歌う……そんな宴会、傭兵時代は頻繁だったというのに」

「とにかくジェイクは酒が入ると陽気になったからな。若い奴らは、ジェイクの無茶ぶりに毎度ひやひやしていただろう」

「大体の餌食はエリオットだったがな。女装させられたりして」

「ああもう、思い出したくもないことを……!」


 イシュメルとスペンサーの思い出話に、エリオットは頭を抱える。スペンサーがエリオットの肩を叩く。


「心配するな。似合っていたぞ、女装」

「嬉しくないですから!」

「なに!? お兄様、女装したの!? スペンサーさん、その話詳しく」

「リオ、やめろ。やめてくださいスペンサー」


 盛り上がっているエリオットたちを横目に、テオがくすくすと笑う。杯に少し残っていた酒を飲み干して、イザードも息を吐き出す。


「懐かしいと言えば……私たちも花見をしたなぁ。もう十年以上前か」

「悲しくも男三人でね。……なに、イザード、急にセンチメンタルだね?」

「たまにはそういう気分にもなる」

「カーシュナーがひとりだけハイテンションで、イザードがいちいちそれに突っ込みを入れて、俺は黙々と弁当をつついていただけのお花見だったよね、確か」

「楽しくなかったな」

「楽しくなかったよ」


 ふたりの言葉が重なる。それに苦笑して、テオはシートの上に足を投げ出した。


「でもまあ、あれだね……もう一回行っておけばよかったね。カーシュナーと、花見に」

「ふん。お前も十分センチメンタルではないか」

「誰かさんのせいでね」


 そんな様子を見ながら、空になった弁当箱を積み重ねて片付けているのはイアンだ。エリオットでさえテンションがおかしくなるようなこの場にあって、イアンのバイオリズムはいたって平坦だった。そんなチコを肩に乗せているイアンに、ヨシュアが声をかける。


「どうも若手の新人である私たちは、話に置いて行かれているようですね」

「仕方ないですよ。新入りなのは事実ですし、僕たちはエリオットさんたちと共有できる思い出を持っていませんから」

「おや、逆に諭されてしまいました」


 ヨシュアは微笑み、使い終えて散乱する紙コップをまるで手品の道具であるかのように重ねていく。今にもその紙コップの中からコインが出てくるのではと思うほどの手つきだが、実際はただ片付けているだけだ。


「では私たちは未来の話をしましょう。イアン、貴方はいつリオノーラ嬢に思いの丈を告げるのです?」

「!?」


 ガシャン、とイアンの手から滑り落ちた弁当箱が地面にぶつかる。イアンは顔を真っ赤にしてヨシュアを振り返った。


「な、なに……?」

「私がおふたりの護衛についていたときは、あんなに男気があったのに。ある意味、エリオットとセイラ嬢以上にやきもきしますね。口に出さずとも伝わる……そんなのは夢物語なんですよ」


 リオノーラは少し離れたところで、エリオットの女装話についてイシュメルとスペンサーから聞きだそうと必死だ。リオノーラの、エリオットに対する感情は「甘え」であり「敬愛」だ。イアンにもそれは分かっている。


「リオノーラ嬢は素敵ですから、彼女の婿の座を手に入れたいとする男性は多いはずですよ。いいんですか、彼女が別の男に取られても?」

「……僕は爵位の低い音楽家で、しかも母は妾の平民。リオノーラとはどう考えたって……」

「そんなことを言ったら、彼女は大統領の一人娘ですよ。彼女と釣り合う身分など、もうこの世には存在しませんって。エリオットさんは、貴方以外にリオノーラ嬢を任せるつもりがないみたいですしね」

「エリオットさんが……」


 イアンはぽつりと呟いてから、はっと我に返った。そして顔を赤らめたまま、再び片付けを始める。


「……ど、どうして急にそんなことを、僕に?」

「なに。護衛だったとはいえ、以前に貴方とリオノーラ嬢ふたりだけの時間をぶち壊したことに対する、ちょっとした贖罪です」

「ちょ、ええッ!?」

「これでも応援しているんですよ、心から。恋愛経験のなさそうなテオドールやエリオットよりは、その手の相談にも乗れますし、ね」


 暗に「頼ってくれていいんだぞ」と言ってくれている。楽しそうに笑っているヨシュアの横顔を見て、ごくりとイアンが生唾を呑みこんだとき――急にエリオットが立ちあがった。


「そ、そうだ、テオ、カメラ持って来てたよな? せっかくだしみんなで写真を撮ろう、なっ」


 その慌てっぷりから察するに、リオノーラの追求から逃げるための口実のようだ。不満げに頬を膨らませているリオノーラの様子から一目瞭然だった。

 とはいえ、その提案にはみな賛成だったようだ。テオが三脚を組み立ててカメラをセッティングしている間に、荷物を端に寄せて仲間たちが一か所に集まる。


 カメラを覗き込むテオが、「もっと真ん中に寄って」とか「イザードの頭が切れてるから中腰になって」とか注文を付ける。中央にはチコを抱えたリオノーラ。彼女に引っ張られて、両脇はエリオットとイアンで固められた。年長組は彼らの後ろに立ち、やたら背の高いイザードとイシュメルは中腰でなかなか負担の大きい姿勢だ。


「それじゃ行くよー」


 テオはカメラのスイッチを押して、エリオットの隣に滑り込んだ。セルフタイマーになっていたカメラのランプが点滅を繰り返し――そしてフラッシュが焚かれた。





★☆





「エリオット、昨日の写真、現像したよ」

「ああ、サンキュ」


 花見の翌日、朝一番にテオはエリオットにそう言って写真を手渡した。朝食の配膳を中断して、エリオットは写真を受け取る。チコは疲れが出たのか、まだケージの中で眠ったままだ。

 昨日の騒ぎがなんだったのかと思うほど、夜が明けてしまうといつも通りの日常が始まった。テオは防衛隊の仕事に出かけて、エリオットは家事をしつつ依頼をこなす。幸いなことにエリオットの声は枯れることなく無事だった。


 カメラが良かったのか、テオの腕が良かったのか、集合写真は見事な出来栄えだった。年長組の顔が酒でほんのり赤いのはご愛嬌というもの。


 テオはさらに数枚の同じ写真を持っていた。あとで全員に配るのだろう。案外テオもマメだ。


「にしても珍しいね、君が写真の現像を急かすなんて」

「早く見たかったんだ。悪いな、疲れていただろうに」

「いや、現像なんてスイッチ一つでできるんだけどね?」

「おい、だったら昨日のうちにやってくれよ」


 エリオットは溜息をつきつつ、リビングの壁際に配置されている棚の前へと向かった。そこの引き出しから、空の写真立てを取り出す。そこに出来たての写真を入れて、棚の上に置いた。


「こうしたかったんだ」


 それを見たテオがくすりと笑い、エリオットの頭を軽くぽんぽんされる。子ども扱いするな、と抗議しつつ、エリオットは朝食の準備を再開した。


 微笑むカーシュナーと、少し痩せているイザードと、不機嫌そうな少年のテオの写真。


 その隣に、花見の集合写真が並べて飾られた。その中に映る者は全員笑っていた。勿論、大人になったテオも例外なく。


「来年は、セイラさんが首都にいる間に、お出かけしようね」

「ああ」

「もういっそ、『ずっと一緒にいてください』ってお願いしたら?」

「……考えておく」

「お? なんだか今朝はやけに素直で積極的だね、エリオット」

「……さっさと食べて仕事行ってこい!」

「はいはい。じゃ、いただきまーす」


 万屋カーシュナーの春が、過ぎていく。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ