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じゃがいもごろごろ

 低い機械の稼働音が、耳に届く。天井近くに取り付けてある巨大な空調系魔装具が、温風を吐き出している音だ。もはやどんなに貧しくとも魔装具は一家に一台の時代になった今では、冬でも室内が寒いということはない。目には見えない力、エナジーを動力とする魔装具は押し並べて高性能だ。この空調系魔装具も、室内にいる人間を自動で察知して温度を調節し、人がいなくなれば勝手に稼働をやめる。手動で調節することも可能だし、時間を決めて稼働させることもできる。動力であるエナジーは尽きることがなく空気中に多く含まれているから、動力不足に陥ることはない。魔装具は夢のような半永久機関だ。

 とはいえ、外装――コンテナや、エナジーを動力に変える変換機は、ただの鉄の塊。そこにガタがくれば、当然魔装具は停止する。修理すればまた使えるようになるが、それができる魔装具技師は非常に数少ない。ただでさえ高度な知識や技術が必要だし、中には国家機密レベルの情報もある。魔装具の技術を独占しようとしたこの国、ベレスフォード共和国上層部の決定だ。庶民が魔装具を修理に出そうと思ったら、とんでもない時間とお金がかかる。そんなことをするくらいなら買い替える方がマシだ、というのが一般的な考え方だろう。


 けれども、下町の万屋カーシュナーは、『どういうわけか』魔装具に詳しい。どこからそんな噂を耳にしたのか、俺のもとには魔装具修理の依頼が大量に舞い込んでくるようになった。まあ、それはそれで稼ぎになって嬉しいのだけれど、あまり目立ちたくないのも本音だ。

 極力、下町の自宅で魔装具を引き取って修理するようにしていたのだが、今回の修理品はこの空調系魔装具だった。これを取り外して持ってくるように言うのは無理だったので、内心渋々と依頼者の家まで出向いて来たというわけだ。


 出てくる風はほどほどに暖かい。室温も上がってきた。うまいこと修理できたようだ。


「これで大丈夫でしょう。直りましたよ」


 ローテーブルを挟んで向かい側のソファに腰を下ろしている男性に、そう告げる。家の中だというのに分厚いコートとマフラーを装着していた依頼人は、ほっと息をついてマフラーを解く。


「本当だ、暖かくなってきた……いやぁ、助かったよ! 空調が壊れて冷風しか出てこなくなったときはどうしようかと思った!」


 男性の声に、俺は思わず笑ってしまう。最初この家に入った時の寒さと言ったら、巨大冷蔵庫の中に飛び込んだかのような低温だったのだ。ただでさえ涼しいこの国の真冬に、冷風だけを吐き出す空調――さぞや地獄を見たのだろう。


「それじゃ、ちゃんと稼働することも確認しましたし、俺はこれで失礼しますね。お茶、ご馳走様でした」


 ティーカップを受け皿に戻す。男性の妻が淹れてくれた、美味しい紅茶だった。紅茶なんて滅多に飲まないし、俺はもっぱらコーヒー派なのだけれど、たまには紅茶も良い。いつもマグカップで飲んでいるそれが、磨き抜かれた洒落たティーカップに注いであるだけで、ちょっとリッチな気分だ。

 暇することを告げて立ち上がると、男性も立ち上がった。


「ああ! ありがとな、カーシュナー。また何かあったときは頼むよ」


 男性の言葉に快く頷き、ソファにひっかけていたコートを羽織る。作業の邪魔になると思って脱いでいたのだが、思っていた以上に過酷だった――もう少しこの家でぬくぬくしていきたいが、さすがに依頼人宅に留まり続けるのも悪い。


 すると、どこへ行っていたのか、しばらく姿を見なかった依頼人の奥さんが現れた。帰り支度をしている俺に、彼女は持っていた紙袋を手渡す。


「カーシュナーさん、これを」

「え?」

「うちの庭で作ったじゃがいもなんです。お礼に」


 袋の中には、とても家庭菜園とは思えないほど立派なじゃがいもがごろごろと。土も払ってあって、市場に出回っているものと遜色ない。今時、自宅で野菜を育てるとは――凝った人もいるものだ。

 いや、こんな時代だからこそ。野菜はビニールハウスで完全自動栽培、魚はほぼほぼ養殖――どちらも魔装具の制御によって――そういう時代だから、自ら食べるものを作ることに、喜びを見出すのかもしれない。


「修理のお金も美味しいお茶も頂きましたし、これ以上受け取るわけには」

「カーシュナーさん、一人暮らしだと伺っていますから。お夕飯の足しにでもしてください」


 笑顔でそう言われてしまうと、反論もできない。何より、俺は押しに弱いのだ。


 紙袋を受け取って、俺は玄関の扉を開ける。外に出た途端、ふわりと白いものが目の前を落ちていく。雪だ。来るときは降っていなかったのだが、短時間で冷え込んだらしい。道理で寒かったわけだ。

 依頼人と別れて、うっすら雪の積もりだした道を歩き出す。近くにある小さな公園で、元気に子供たちが遊んでいる姿が見えた。この寒いのに、子供は元気だ。温かい紅茶を飲んだおかげで少しは温まっていた身体も、僅かな時間で再び冷え切ってしまう。


 ベレスフォード共和国の首都、コーウェン。この街には厳格な区画分けがされている。街の中央部には行政の中心である大統領府や、貴族の住む上流階級区、工業地帯や生鮮品生産地帯、そして繁華街があり――それを取り囲むように、住宅地が広がっている。その住宅地の最も外側、首都を守る城壁に接した場所に、下町は形成されている。所得の少ない者、商売に失敗した者、政府に目をつけられた者などが身を寄せ合う、貧しい地域だ。政府の目も殆ど届かず、治安も良くない。これが俺の住む場所だった。

 まあそんなことはどうでもいいのだけれど、俺の住む下町の東側と、依頼人の住む西側では、どことなく雰囲気が違う。やはり地域色というものは出るのだろう――比較的繁華街に近いこともあって、今回の依頼人はそれなりに裕福だったのだ。でなければ、わざわざ家庭菜園なんて面倒なことはしない。そんなのは節約にもならない、むしろ畑の維持にお金がかかるからだ。


 俺が家に帰るには、下町を一度出て、繁華街を横切らなければいけない。どうせ通り道だし、普段はあまり寄りつかない繁華街へ俺は立ち寄った。下町の市場で買い物は済ませているけれど、今日は懐も温かい。ちょっとくらい贅沢しても罰は当たらないだろう。


 すっごく高価な牛肉とか、滅多に食べないふわふわロールケーキとか、今なら勢いに任せて買っても――。


「……いやいや。大量にじゃがいももらっちゃったんだった」


 我に返って、紙袋の中を覗きこむ。嬉しいのだけれど、いかんせん数が多い。こんなにひとりで消費できるか、と内心で突っ込む。


「当分はじゃがいも料理かな。さっさと食べないと芽が出ちゃうし……うーん、手っ取り早く蒸す」


 シンプルイズベスト。バターを購入。


「炒めちゃうのもいいな」


 ベーコンを購入。家にある何かしらの食材と一緒に炒めれば、それなりのものができるだろう。


「でもポテトサラダっていう選択肢もあるし」


 マヨネーズは家にある。買わなくて大丈夫だ。


「ポタージュもありか」


 いや待て、じゃがいもを潰すのが面倒。ミキサーなんて便利な生活系魔装具はないし、惜しいが却下か。


「煮込むとしたらシチューかカレーか……うーん」

「おい」

「どっちも捨てがたいよなぁ、今日は寒いからシチューにしたいけど、カレーも最近食べてないし」

「おい、聞こえていないのか」

「ねえ、どっちが好き? シチューとカレー」

「悪いが私はハッシュドビーフ派だ。――って、違うわ!」


 耳元で大音量が響き、俺は思わず耳を塞ぐ。ちらりと後ろを振り返ると、良く肥えた――ぽっちゃりとした背の高い男が仁王立ちしていた。着ている警備軍の制服は、今にも留めているボタンが弾け飛ぶ勢いだ。


「ちょっと、俺はいまじゃがいも料理の話してるんだよ。なんとしてでもじゃがいもを消費しなきゃいけないの。ハッシュドビーフはじゃがいも使わないし、そもそも選択肢にない。イレギュラーはノーサンキュー、我が儘言わないで」

「知ったことか、私はハッシュドビーフが一番好きなのだ。……って、だからそういうことじゃない! 話を聞け!」

「聞いてる聞いてる。で、どうしたのイザード、こんなところで?」


 その男、警備軍治安維持隊のイザード・シェルヴィーは、憤慨したように腕を組む。


「それはこちらの台詞だ! 貴様、こんなところで何をしている」

「何って――食料の買い出し?」

「ここは繁華街だぞ! どこに誰がいるとも知れない……政府関係の人間に見つかったら」

「あっ、鶏肉安い。イザード、あれ買って」

「誰が買うか、子供か貴様!」

「ちぇ、ケチだなあ」


 これ以上話を捻じ曲げるとイザードが本気で怒りそうだ。こんな大通りで声を荒げられたら、それこそ注目の的だ。

 どうせこの辺りを巡回中に、買い物している俺を見つけたのだろう。本当にお節介というか、お人好しというか。俺の様子を見に行く口実として、『営業届の届け出のない店を取り締まる』という大義名分を掲げて、わざわざ会いに来るほどなのだから。――まあ、それもこの男の義理堅いところだ。俺を守ってくれていたエルバート・カーシュナーが死んで、その役目を自ら引き継いでくれた。そういう点では知らないところで俺はイザードに守られているし、感謝していないでもない。夕飯の献立の希望を聞いてやるくらいには。

 ハッシュドビーフは却下だけど。


「お前、ここ最近は貴族にまで客層を伸ばしているだろう。もう少し規模を小さくして、目立たないようにだな……」

「大丈夫だよ。貴族たちが俺のことを表立って口にするわけないって」

「なぜ言い切れる?」

「俺は営業届も出していない、素性の分からない下町の『万屋』だ。しかも、魔装具をいじることは禁止されている。法律違反を犯している俺に直してもらった魔装具なんて、誰が自慢すると思う?」


 イザードはぐっと押し黙る。俺は八百屋の前で立ち止まって、人参を手に取る。


「あれからもう、十五年近くになる。……そろそろ時効だよ」

「しかしだな……」

「政府にその気があるなら、とっくに俺は捕まっていると思うしね。ま、だから心配しないで良いよ」

「ふん、誰がお前の心配なんぞ」


 ここでとぼけても白々しいだけだ。笑いながら人参をカゴに入れ、隣にあった玉ねぎを持ち上げる。


「雪も強くなってきたし、早く仕事に戻ったら? 俺も買い物終わったらすぐ帰るしさ」

「……」

「あ、もしかしてお金出してくれる?」

「出さんわ! ったく」


 不機嫌そうに肩を揺らしながら、イザードはその場を去っていった。声の調子や仕草ほど怒っていないということは、長い付き合いだから分かっている。どうしても俺に申し訳なく思ってほしいらしい。俺がしおらしく謝ったり礼を言ったりして、何の価値があるのだろうか。


 今日の夕飯はシチューにしよう。カレーのお伴であるナンを買いに行くのが面倒臭くなった。





★☆





 右手にじゃがいもの入った紙袋、左手に繁華街で買った食材を入れた袋。これでも総重量はまだ右手に偏っている。いったいどれだけの数をくれたのだろう。俺だけじゃ食べきれないかもしれない。ご近所に配る必要もありそうだな。


 雪は静かに降り続いている。人々が歩いて雪が踏み固められた地面は、いくらか滑りやすい。両手が塞がっているし、転んだら顔から突っ込むしかなさそうだ。洒落にならないので踏ん張って一歩一歩慎重に歩く。

 と、異質なものが俺の目に飛び込んできた。白い雪の上に、なぜか鮮やかな赤が差してあるのだ。風が運んできたのは、鉄の匂い。――血液だ。


(かなりの出血だな。一体誰が……)


 近くに出血している人間はいない。どころか、誰もいない。その血痕は点々と路地の先へと続いていた。足跡らしきものもある。雪が降り始めてそれほど経っていないから、どちらも新しくて生々しい。図らずも俺の家の方向へ血痕が続いているので、追いかけてみることにする。


(刺された……のかな? だとすれば随分逞しい被害者だな。こんなに出血していて、歩けるなんて。普通はうずくまるだろ)


 この出血量に寒さだ。とうに失血死してもおかしくない。しかし白昼堂々、物騒なことだ。いくら下町でも、喧嘩以上のことを見るのはそうそうない。


 次第に俺の家に近づく。俺の家――というより、カーシュナーが見つけた空き家をそのまま使っているだけだが――木造の庭付き平屋。その玄関先に、何やら黒いような赤いような物体が置かれている。よくよく目を凝らしてみて、それが血まみれの人間だと気付いた。

 傍に歩み寄り、荷物を玄関の屋根の下に置いてしゃがみこむ。若い――ごくごく若い男だ。歳は二十歳前後といったところか。ベレスフォードではあまり見かけない色素の濃い髪の毛を持ち、身につけた黒いコートはところどころ破れてぼろぼろだ。この場で力尽きたのか青年は意識を失っていて、彼の倒れている下の雪は真っ赤だ。


 その青年が右手に握っているものを見て、俺は青年の肩を叩こうとしていた自分の手をひっこめた。


「これは、剣……ということは、傭兵か」


 死にかけている青年に手を差し伸べるのを躊躇しているわけではない。ただ、相手が傭兵というのは問題だ。俺なら、この青年の血を止めて傷を治せるだろう。――けれど、それをこの彼が望むのか。魔装具を拒絶した傭兵の彼が、魔装具によって救われることを。


 口元に手をかざす。浅くかすかだが、息がかかる。生きていた。


「……」


 その手を握り、人差し指だけ立てて、俺は青年の頬をつつく。頬にまで血がこびりついていた。すると青年は僅かに身じろぎする。意識は浅い場所を漂っているらしい、目も開けられそうだ。


「おーい、大丈夫?」

「……っ」


 傷は多いが――致命的なのは、脇腹の深い傷か。出血がいまも止まらずにいる。刃物の傷ではないだろう、おそらく首都の外の魔物にやられたか。よほど巨大な魔物に出逢ってしまったのかもしれない。今すぐ治癒すれば、命はつなげられるはずだ。


「さすがに店の前で倒れられていると困るんだけど、俺に何かしてほしいことあったりする?」


 傭兵としての誇りが、魔装具に救われることを拒否するならそれはそれだ。あまり気は進まないが、そこまでして彼の怒りを買うのも面白くない。墓の面倒くらい見てやろう。

 持っていたタオルで、傷の止血を試みる。これくらいなら、俺にも許されるはずだ。


 青年が薄く目を開ける。綺麗な緑の目だ。焦点は定まらず、目を開けても俺の姿が見えているか怪しいものだ。

 しかしこの若者、どこかで見た覚えのある――正確には、この若者ではなく、彼に似た誰かを知っている気がする。


 そういえば、外交交渉を担当するオースティン伯爵の一族は、こんな髪の色をしていなかったか。


 考え事をしている間に、止血する俺の腕を、青年が弱々しく掴んできた。驚いて顔を上げると、青年の手に力が込められる。


「……助、けて……っ」


 今にも消えそうな声。でも確かに、助けてと言った。傭兵の彼が、俺に。


 ――じゃあ、何も躊躇うことはない。元より、死にかけの人間を放っておけるほど薄情でもないのだ、俺は。

 それでもなんとなく、息を吐き出して本音は隠しておく。聞こえているかはともかくとして。


「まったく、今回限りだからね、タダなのは」


 止血していたタオルをそっと外して、そこにある傷に向けて意識を集中する。片手で眼鏡型抑制器を装着して、目を閉じた。


『heal』


 治癒を意味する単語を呟く。一瞬のうちに、青年の傷は塞がった。こういう術はつくづく便利なのだけれど、多用は厳禁。あとは治癒系魔装具でどうにかなるだろう。


「よっ……こらせ」


 自分より背の高い、しかも傭兵として身体を鍛えている青年を担ぎ上げるのは大変だったけれども、なんとか俺は青年を室内に搬入することに成功した。その頃にはすっかり気を失っていたものだから、重いったらありゃしない。入ってすぐのところにあるソファに青年を寝かせて、コートを引っぺがし、剣を壁際に立てかけておく。治癒系魔装具を持って来て起動させ、小さな傷を消していく。これも非常に便利なもので、掌に収まる程度の小ささの魔装具から放出される光を傷に当てると、たちどころに傷が失せるというものだ。本当は医者しか起動させてはいけないのだが、これを作ったも同然の俺には関係のないことだろう。


 治療をあらかた終えて、青年に毛布を掛けて俺は外に出る。放置していたじゃがいもや食材を室内に引き入れて、玄関先の物騒な血だまりを洗い流した。……明日の朝には完璧に凍結してしまっているだろうが、致し方ない。

 じゃがいもを冷暗所に押し込んで、その他の食材を冷蔵庫に放り込んでいく。時刻はお昼時だ。俺はお腹が空いたから何か食べたいけれど、傭兵の青年は眠ったまま。看病していたほうがいいのだろうか。


 ――自分の家で遠慮するのも馬鹿馬鹿しいので、パスタを茹でて手早く昼食を済ませた。匂いとか物音で目覚めるかと思ったが、青年はぐっすり眠っている。傷は癒えても、疲れは取れない。よほど疲労がたまっていたのかもしれない。俺も傭兵と関わったことがないので、よく分からないのだ。


 結局彼が目を覚ましたのは三時のお茶の時間のころで、エリオットと名乗った彼に頼まれて魔物討伐に乗り出すことになった。この討伐要請に俺が応じてしまったのが、後々のエリオットの不運の始まりだったのだろう。





★☆





 どうしてエリオットを家に住まわせることにしたのか、実のところ俺にも分からない。家族のすべてを失った彼に同情したのも真実だし、若い彼を近代化する都市に放り出すのは大変だろうと思ったのも真実だ。恩を着せて身の回りの世話をしてもらいたいとか、たまに持ち込まれる魔物討伐の依頼をやってもらいたいなんて下心があったのも本当なのだが、果たしてどれが一番強い理由だったのか分からない。

 ただまあ、結果的にだが――他人と関わるのを極端に嫌がっていた俺が、エリオットという他人と関わるようになったことで、イザードを安心させることはできたのかもしれない。ほぼ成り行きだったが、細かいことは気にしない。


 魔物の討伐を終えて帰宅したころには、日も落ちかけていた。野営暮らしの長いエリオットは、今では当たり前のように目にする魔装具を知らない。家の中が暖かいことも信じられなかったようだし、室内を明るくする光源系魔装具にさえ極端に驚いていた。彼にとっての灯りは、太陽の恵みと月の光、あとは火の温かさだけだったのだ。急に部屋全体が明るくなるなんて、不思議体験だったに違いない。

 リビングを出てすぐの部屋は、元々カーシュナーが使っていた部屋だ。彼が死んでからは使っていなかったが、家具はそのまま置いてあるし掃除もしてあった。お疲れのエリオットにすぐ使ってもらえるのは都合が良い。


「この部屋、使っていいよ。空き部屋だったんだけど、掃除はしてあるしシーツも新しいから安心してね」

「いや……ベッドで寝るとか、数えるほどしかなかったから。こんな良い部屋、本当にいいのか?」

「ごくごく普通の部屋だって」


 お気になさらず、といったふうにエリオットは手を振ってくるが、遠慮されても困る。これからエリオットにとってもこの家が自宅になるわけだし。


「着替えとかは明日調達するから、今日は俺の古着で我慢してね。とりあえず風呂入って、シャワーでも浴びてきたら?」

「風呂? シャワー?」

「お湯が出る魔装具。水浴びより楽だよ」

「す、すごいな……」


 呆然としているエリオットの背を押して、俺は無理矢理浴室へ連れていく。嫌でもなんでも慣れてもらわなければならないのだ。彼が文明の利器に呆然としている間に、一通り叩きこむのが得策だろう。


「着替えは後で持ってくるから、君はゆっくりお湯使ってていいよ。俺、夕飯の準備してるから」

「えっ、ちょ、魔装具の使い方とか分からないんだけど!?」

「大丈夫、スイッチポンで動くようになってるから」

「いや、スイッチってどれ――」


 エリオットが混乱しているうちに、俺は脱衣所の扉をぴしゃりと閉める。魔装具の種類は多種多様だが、ひとつひとつの魔装具は実に単純だ。一つの魔装具を使って二つ以上の作業を行うのは難しい。だからこそ、シャワーという名の魔装具はお湯を出すことしかできないし、冷蔵庫という名の魔装具は冷やすことしかできない。

 そういうわけで、「スイッチポンで動く」のは間違いではないのだが――キッチンに戻ったところで聞こえてきたエリオットの悲鳴のような声を聞いて、「さては出すお湯の温度間違えたな」と苦笑する。真水だったのか、それとも熱湯だったのか。


 二十分ほどして、エリオットがふらふらと風呂から出てきた。疲労を落としに行ったはずなのに、逆に疲労困憊状態だ、どうしたことだろう。あと五分出てくるのが遅かったら、のぼせて倒れているんじゃないかと心配するところだった。


 台所で料理をしている俺と、エリオットの目がばっちり合う。エリオットは気まずそうに、少し湿った黒髪を揺らした。


「あー……その、何か手伝おうか?」

「エリオットくん、料理できるの?」

「包丁と鍋と火があれば、それなりのものはできると思うけど」

「食材なくても?」

「そいつは大前提だろ、わざわざ聞くなよ」


 聞いてみれば、料理も洗濯も掃除も一通りできるらしい。といっても、洗濯は手洗いだろうし、掃除はほうきとちりとりなのだろうけど――家事ができるのは嬉しい。イザードがうるさいからこまめにやってはいたが、俺は元々そういう作業が好きではないのだ。エリオットと分担できるなら、それは良い。

 ――この時点では「家事は分担」と考えていた殊勝な俺は、どこに行ったのだろうか。


「料理関係の魔装具はあんまりないから、台所は君でも使えるよ」

「そうなのか。それじゃ、俺も何か手伝えるかも」

「でも今日は座っててよ。疲れたでしょ」


 俺の言葉に素直にエリオットは従って、リビングのソファに腰を下ろす。魔物の討伐をしたときの覇気や怒りっぽさは鳴りを潜めて、えらく大人しい。

 ――なんでもない顔をしているが、相当堪えているのだろう。涙ひとつ見せないのは感心するが、それが逆に不自然に見えてしまう。出会ったばかりで俺が何を分かっているわけでもないけれど、おそらくエリオットは感情豊かな性格だし、悲しみに対する感情が動かないのはおかしい。まるで麻痺してしまったかのようだ。


 彼が自然と喪失感を乗り越えてくれるのを待ってもいいけれど、いつまでもぼんやりしているのは良くない。彼が傭兵団の仲間たちを思い出す暇もないくらい、仕事を頼むという手もありそうだ。


 ――カーシュナーは、俺にどうしてくれたんだったか。両親を殺された俺に、カーシュナーはなんと声をかけてくれたか。

 カーシュナーを失った俺に、イザードはなんと声をかけてくれたのだったか――?


(励ますなんて、俺の柄じゃないのかもしれないな)


 しっかり者のエリオットは、ちゃらんぽらんな俺を見れば放っておけなくなるのだろう。むしろ、エリオットが俺を世話しているという意識になれば、少しは思い悩む時間も減るかもしれない。

 それが良いことなのかは分からないけれど。


 ちらりと、ソファに座るエリオットの横顔を見やる。眉をしかめて、思い切り何か考え込んでいる顔だ。……良い男は悩む横顔も絵になるよなぁ。


 俺も十年近く前は、あんな顔をしていたのだろうか。だとすれば、お人好しカーシュナーが俺を放っておけなかった理由も、分かるような気がする。

 で、俺もしっかりそんなカーシュナーの性格の影響を受けてしまったわけだ。


「ほら、ご飯できたよ。いっぱい食べて、今日はよく休みなね」

「あ、ああ」


 エリオットが立ちあがって、食卓の方へ歩いてくる。


(まあ、今日くらいは年上らしく振る舞っておくか)


 そう思いつつシチューをよそい、食卓へ持っていく。と、食卓に並べられた料理を見て、エリオットは沈黙していた。……結構頑張って作ったのに、なんか異常なものを見るような目をされるとさすがにへこむ。


「どうした? 突っ立っちゃって」

「いや……なんか、やけにじゃがいもの多い献立だなと思って」

「はは、でしょ」


 仕方ないんだよ。これから数日、我が家はじゃがいも料理がメインだからね。

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