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定年退職

作者: 潮海 啓

夫婦と言っても所詮は他人同士…そのことをかみ締めて日々もたせるにはどうすればいいのか考えてみたいですね

 こみ上げてくる怒りを必死に堪えて美智子は唇をかみ締めた。血が滲み出るくらい強くギュッと前歯で下唇をかみ締めて耐えた。幾度となくこうやって堪えてきた夫の身勝手さ…慣れたはずなのに慣れきらない思いをもてあましている自分が哀れで惨めだった。

 美智子の夫、雅彦は定年まじかのいい歳をして未だに子供じみた短気でキレやすい性格だった。自分の失敗は笑って誤魔化す癖に、他人のミスには厳しくチェックを入れてネチネチと言ってきた。しつこいくらいに何度も何度も責められてその度に美智子の胸の中には重いしこりと澱がたまってヘドロ状になった。


 こんな生活をどれだけ続けたことか・・・よく今までもった、いやもたせたと思う。銀婚式をとうに過ぎ・・・子供たちも独立して二人だけの暮らしになって尚、この性格は治るどころか益々度を越してきつくなってきた。「別れたい、別れてやる」と何度心の中で誓ったことか。それでも別れられなかったのは、美智子自身の生活力の欠如のせいだった。雅彦と結婚するときに、美智子は勤めていた会社を退職して専業主婦になった。雅彦の希望に合わせて決めたことだった。家庭に入り、笑顔の絶えない温かい家庭を作り・・・美味しい手料理でもてなし、旦那様と仲良く暮らしていこうと甘い甘い夢を描いて嫁いだ美智子の夢は、結婚後僅か一年もせずに潰えた。

 雅彦は結婚前の優しい仮面を破り捨てて、我儘で短気でキレやすい自我むき出しの気性をすぐに発揮してきた。それでも、子供ができたら少しは改めてくれるかも思い…その次は子供が大きくなったらと少しずつ飴を伸ばすように、自分を宥めすかしてグッと堪えてきた日々。

 

 子供たちも、両親の喧嘩が始まると暗い顔で部屋に入ってしまう。独立した今は滅多に来ない。

美智子の最も望まない形になりつつあった。こんなはずではなかったのに・・・と切ない思いで一人泣き濡れる夜が続いた。

そしてついに美智子は決意した!!雅彦が定年退職したら、私もこの家の妻を退職しようと・・・。

そのあとはどうなるか全く当てはなかった。でも、こうやっていつも怒りをこらえ堪えて老いを重ね朽ちていくのは、もっと耐えられなかった。私は私、私の人生は私のモノと思うと、勇気が出てきた。


 ついにその日は来た。いつもよりやや遅くなり、上機嫌で雅彦は帰ってきた。

食卓に座るなり美智子を睨んで呼んだ「おい、こっち来いよ」

 「何ですか、ずいぶんご機嫌だこと」

 「そりゃそうだ、今日で俺は定年退職したんだ。みんなが打ち上げをしてくれたんだぞ」

 「そうですか、まあそれはお疲れ様でした」

雅彦はふんと鼻をならした。「それだけか、今までお前や子供たちのために働いてやったんだぞ、お礼ぐらい言ったらどうなんだ、エッ」

ほーら、始まったと美智子は腹の中で思ったが、ニコニコと笑顔で応じた。

 「そうですね、今まで本当にお疲れ様でしたね。ありがとうございましたね」

 「そうだ、最初からそう言えば良かったんだ。大体お前はだな・・・」

ネチネチ言い募る雅彦の目の前に、美智子は一通の白い封筒を置いた。

 「なんだ」

 「見てくださいな」

雑な手つきでビリッと裂くように封を切り、中から取り出した用紙を見た途端、雅彦の顔が凍りついた。

 「どういうことだ、これは!!」

 「私も今日をもちましてこの家を退職させていただきます」

 「・・・!!」

美智子はゆっくりと微笑み、静かに頭を下げた。

 「子供たちにはすべて話しました。長い間お世話になりました」

呆気にとられている雅彦の前で、美智子はエプロンを外して足元のバッグを手に立ちあがった。

 「待て、待ってくれ」

雅彦の声を背に唇をキツク結んだまま…美智子は家を出た。ドアの閉まる音が小さく聞こえた。

妻だって我慢の限界があるのです。夫婦のあり方について考えるワンシーンを描いてみました

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