価値
「神子様を安全な場所へ!」
「兵以外の者を地下堂に避難させろ!」
混乱、という表現が正しいだろう。
ハインケル邸はにわかに騒がしくなった。
「お二人とも、こちらへ!」
人の波を縫って、イネスが那毬と誠の元へ駆けてきた。
後ろにケイもいる。
「イネスさん、ケイ師匠」
「あれは……」
「細かい話は後で!地下堂に行きますよ!」
「あれはやばい奴だ」
ケイの顔が強張っている。
その事実に、二人は非常事態であることを悟った。
「でも!あれも魔物では?」
そうであるならば対処しなければならない。
他ならない、神子である二人が。
「いえ、あれは魔物ではありません」
「災厄、と呼ばれている。竜という種族だ。時折こうして現れては、ひとしきり暴れて、食い散らかしていく」
「……食い散らかす」
「人をな」
「ケイ!」
イネスが嗜めるようにケイの名を呼ぶ。
子どもに訊かせる話ではないと思ったのだろう。
「まぁ、魔族の出現と同時に、活動が活発になる。いずれは相手にする必要があるが」
ケイはそう言って言葉を止めた。
「今は逃げたほうがいいだろうよ」
ケイ達は冷静に戦力を見極め、二人に竜に対抗する力が無いと判断したのだ。
そうして逃げろ、と言う。
それは敗北だった。
「じゃあ、あの人たちは……?」
自分たちとは逆方向へ走っていく兵達を見て、誠が尋ねる。
「あの兵達は……」
イネスが口ごもる。
誠達は、賢い。
それをイネスも知っていた。
だから、言葉をためらった。
「囮……」
那毬が呟いた。
「私達を逃がすための……囮、ですか」
彼らは、竜から逃げる那毬達とは逆方向、つまり竜へ向かって走っている。
その先では、兵達が陣を敷いていた。慌ただしく、竜との交戦に備えようとしている。
「……」
イネスが黙り込んだ。
「あぁ、そうだ」
苦い顔をして、ケイが肯定した。
その答えに、那毬と誠は足を止めた。
「走ってください!」
「嫌です!」
イネスの言葉に、首を振る。
「いま、訓練兵の姿も見えました。あんな、子どもが……」
小さな影が、何人か駆けて行った。
補給部隊として、組み込まれたのだろう。
「彼らは兵です!守るべきもののために、命を捨てることは覚悟の上です」
「でも!」
言葉が詰まる。
魔物を倒した、その実績がある。
けれど、それが何だというのか。
今この瞬間、二人は無力だ。
ここで、自分たちが死んではならないことも理解はできる。
死ねば、魔族や魔王を倒せない。
そうなれば、もっと被害が出るのだろう。
だからと言って、犠牲を受け入れられるだけの覚悟などない。
「行くぞ」
ケイが那毬を持ち上げ、小脇に抱える。
イネスもそれに倣い、誠を持ち上げる。
議論の時間が惜しい。
だからイネス達は、強硬手段に出た。
「生き延びて、魔王を倒せ」
ケイが言った。
「それが、死んでいく者達への、お前たちの責任だ」
その言葉が、鉛のように、二人にのしかかる。
力のない己自身を、こんなにも憎いと思ったことはない。
「神子は……そんなに偉いのですか。大事なのですか」
答えなど、とうに知っている。
けれど、訊かずにはいられなかった。
「あぁ。この世界で、何百人何千人犠牲にしても」
「それは、神子が、箱と鍵の神子が魔王を倒す唯一の武器だから?」
「……そうだな」
走りながら、ケイが答える。
息を切らしていた。
額には汗がにじんでいる。
「じゃあ」
誠が言った。
「俺たちに、価値はない」




