災厄の訪れ
彼らはそれを、災厄と呼んだ。
その日は晴れていて、雲一つなかった。
風もなく、過ごしやすい日だ。
王都へ同行する兵達が、ハインケル邸に着いたのが小一時間前の事だ。
その中には留もいた。
シャズも同行組だった。
ザインは道中の護衛を任されているとのことで、兵列に加わっていた。
「出立は二日後だ。各々準備を」
隊長の言葉に、各自が動き出す。
留はザインと共にハインケル伯爵の元へ向かった。
「ザイン教官」
「なんだ」
廊下を二人きりで歩く。
足音だけが響く中で、留がザインの名を呼んだ。
「お別れ、ですね」
感傷的な言葉だ、と言った本人である留も思った。
ただ、ザインと過ごした時間は、振り返れば案外長いものだ。
「私も王都への護衛として同行する。その言葉はまだ早い」
小言の一つ、言われるものと留は思っていたが、ザインは静かにそう言った。
「王都に着けば、離れることになるな」
それはなにも、留だけではない。
旧知の仲の兵も、ザインにはいるだろう。
今回ハインケル領の兵が十数人同行し、そのまま王都へ留まることになっている。
シャズも、他の訓練兵も一部共に行くことになっていた。
年単位の時を、このハインケル領から離れて過ごすことになる。
「ザイン教官」
留はもう一度、教官の名を呼んだ。
「ありがとうございました」
ザインが留を見る。
「私は任務をこなしているだけだ」
「はい。ですが、私にはとても良い教官でした」
厳しい教官だった。
けれど、理不尽な教官ではなかった。
現実的に、生き残るための術を教わった。
「……そうか」
無表情に、ザインが言う。
「お前は、いつまでたっても腕立てのできない、一番の落ちこぼれだったな」
教官として自信を無くした。
そう言って、ザインは苦い顔をする。
「他で評価してください」
「甘えるな」
横目で留を見て、また前を向く。
二人は扉の前に立った。
ハインケル伯爵の執務室だ。
ザインが扉を叩く。
入れ、と中から声がした。
「ザイン、留、入ります」
扉を開けると、ハインケルが立っていた。
窓から外の様子を眺めていた。
「帰還いたしました」
「ご苦労。変わりはないか」
「訓練舎での報告書をお持ちしました。兵の育成も概ね例年通りです」
「魔物討伐の影響は」
「討伐に参加した訓練兵は、やはり上達度合いが違います」
ザインの報告を、留は横で立って聞いていた。
「時に、留様」
ハインケルに名を呼ばれ、留は背筋を伸ばす。
ハインケルが振り返る。
「王都に行き、那毬様と誠様を支える。その意志に変わりはないのですね」
「え?」
「今後、戦いは熾烈を増します。その中で、お二人を守るものはあれど、あなたを守る人はいない」
それでも、そばにいる道を選ぶのか。
ハインケルは言葉を続けた。
「あなた様の力は、魔物の討伐においてどれだけ有効かわかりません。一介の兵としての活躍は、訓練兵であることを鑑みてもそうは望めないでしょう。そもそも兵は個ではなく、集団で成果を出すものです」
「……」
「お二人の側にいたいという気持ちはわかります。ですが、必ずしも望む形でお二人の側にいられるわけではない」
それは、留自身指摘を受けるまでもなく痛感していた。
側に、いられない。
距離的に近くにいようと、結局何の役にも立てないもどかしさを抱えていた。
「今からでも、別の道を選ぶことができます」
「私は……」
留が口を開いたとき。
ふと、窓に影が映った。
目を眇める。
雲の無い空に、一点の黒い染み。
「……?」
だんだん、その染みは大きくなっているように思えた。
留の様子に、ハインケル伯爵とザインが訝しむ。
留の視線を追って、3人は同じ光景を目にすることになる。
鐘が鳴らされた。
敵襲を知らせる鐘の音が響く。
にわかに外が騒がしくなる。
口々に、騒ぐ声が聞こえる。
「あれは……」
ザインがそう言ったきり黙り込む。
蝙蝠のような羽と、鱗を持った生き物。
大きな口には鋭い牙が並び、その爪は太く、凶悪だ。
空を飛行するそれは、長い尾をくねらせ、まっすぐハインケル邸を目指していた。
窓が、風を受けてきしんだ音を立てる。
それの羽の起こす風のせいだと知ったときには、誰もが顔を青ざめさせた。
「あれは……」
呻くように、ハインケルが言った。
「災厄、だ」
彼らはそれを、災厄と呼んだ。




