善悪
数日続いていた雨は、留達の帰りを待っていたかのように翌日には止んだ。
「行きましょうか」
イネスが振り返る。
那毬、誠、留もスカラバに乗っていた。
今日は獣車はなしだ。
湖まではそう遠くない。
「留さん、隣に来て」
「ん?」
言われた通り那毬の隣にスカラバを寄せる。
すぐに誠が、もう一方の隣にスカラバを寄せた。
「どうしたの」
「また、落ちても困る」
「そこまで間抜けじゃないですー」
二人の心配振りに不満の声をあげるが、留自身、どこか嬉しそうだった。
「大体騎乗訓練はいい方だから」
「腕力無いのに」
「不思議なことに」
三人で笑う。
那毬達は、留の秘密を聞けないでいた。
昨日、三人は那毬の部屋に集まった。
そこで留は謝罪と共に、話せないことがあるのだと二人に言った。
だから、二人は追及しなかった。
「留様は、寮でご友人などはいらっしゃるのですか?」
前方を行くイネスが尋ねた。
「恥ずかしながら、おりません。どうやら対人関係を築くのが苦手なようです」
あっけらかんと留が答える。
留達の実年齢は、訓練兵の少年少女よりイネス達に近い。
年の離れた友人の作り方など、留はよくわからなかった。
作る気もない。
「同年代の者と過ごす機会が少なかったからでしょうか」
申し訳ありません、とイネスが言った。
「……なんか、イネスさん雰囲気変わった?」
小声で留が訊く。
「俺はあの人わかんない」
「私も」
集落で、彼も人を殺した。
その時の様子を、那毬も誠も覚えている。
そもそも集落の話を持ってきたのはイネスだった。
「何にどこまで関わってるかもわかんないし」
「あー」
そっかぁ、と留は気の抜けた相槌を打つ。
「まぁ、一個人で動けない人だしねぇ」
彼は、王国の騎士だ。第三師団団長、だったか。相当上の地位の人間だろう。
命令が、個人の想いと乖離することなど、よくある話だ。
「庇うんだな」
「そう聞こえる?」
誠の言葉に、留は器用に片眉をあげた。
「私はこの世界の人間じゃないから、軽々しくその行為を悪とは言えないかな、って」
「そうか」
大人の意見だった。
誠もその言葉に異論はない。
「まぁただ、私には私の善悪の基準があるわけで」
続いた言葉に、首をかしげる。
「二人に辛い思いさせるなら、全部悪よ。どんな事情があれ、ね」
そう言って、留は綺麗に笑った。
「……男前だな」
「そうでしょう。まぁだから、やっぱ許せん」
大人ぶった意見など、正直くそくらえ、という心持だ。
那毬と誠の疲弊した姿を見た留は、それを悪と決めた。
「着きましたね」
前方から、イネスの声がする。
ひそひそ話をやめて、イネスの隣へスカラバを寄せる。
「相変わらず、綺麗」
山脈のふもとに広がる湖は、中央に丸く氷が張っている。
紅葉を映したような薄橙の水が、波もなく広がり太陽をその水面に移している。
「昼食の準備を行います。留様も休んでください」
「はい」
那毬達三人は、湖の周りを散歩することにした。
鳥が鳴いている。
鈴を転がすような高く澄んだ鳴き声だ。
足元には、相変わらず大きな草花が生い茂っている。
「やっぱ、まるで熱帯ね」
「アロエみたいなの生えてるぞ」
「熱帯っていうか……え、砂漠の植物じゃないの、アロエ。ん?砂漠って熱帯?」
「しらん」
「しらない」
彼らが持ち合わせる元の世界の知識は、彼らがこの世界に来るまでの二十余年で止まっている。新しい知識の習得もできはしない。
「パソコンの使い方、覚えてるかな」
「車の運転とか」
「こわいなぁ」
元の世界に戻るにせよ、不安はたくさんあった。
あまりにも長い間、この世界にいたせいだ。
「この世界もさ、綺麗だよね」
「自然豊かだ」
空には太陽が白く輝いている。二つの月も、山脈の影から顔を覗かしている。
「いい人もいる」
どんな魂胆があるにせよ、三人をここまで守り育てたのは事実だ。そこでかかわった人たちが、優しい人達だと、彼らは知っている。
「でも私」
那毬が水を蹴った。
しぶきが上がる。
「どんなに景色が綺麗で、人が優しくても」
目標がある。
元の世界に戻りたい、という漠然とした、けれど確かな目標が。
だから。
「私は、この世界の敵になるよ」
それは決意の言葉だった。




