第一章 始まりは終わりの一歩
第一章
この物語の主人公、天月 綾女は父親の仕事の関係で九十九回も転校を繰り返した。百回目の転入のとき父親の仕事がひと段落し、もう転校することも無く高校生活を、エンジョイできるようになった。百回目の学校は、私立雨音宮高等学校。その学校には、奇妙な噂が合った。その学校に入学して、綾女の人生が百八十度変わろうとしていた。
「席に着け」
「おはよう、あーちゃん」
「おはよう。てか、青井先生と呼べ、って言っているだろ」
あーちゃんの本名、青井 弓花。国語担当で、さばさばした性格で生徒たちに好かれている。残念ながら、二十五歳になっても彼氏の一人や二人できない、可哀相な先生でもあった
「皆、席に着いたな。それじゃ、昨日言っていたように、転校生を紹介する」
「あーちゃん、男それとも女」
「自分で確認しろ。転校生、入って来い」
教室のドアが、遠慮がちに開き入って来た綾女は、女みたいな顔立ちで制服が女物だったら、男だと分からないくらい可愛い子である。だが、女みたいな顔立ちでも、何とも言えないカッコイイオーラが、出ているため女子からも人気である。
「めっちゃ、可愛い」
「顔、小さすぎだろ。マジで、男かよ」
「静かにしろ」
黒板に綾女の名前を書き終えた青井先生は、教卓に手を置き静かになるまで待った。
「今日から、このクラスの一員になる――」
「天月 綾女です。転校ばかりだったけど、よかったら仲良くしてくれると嬉しいな」
笑顔を向けた瞬間、女子生徒達の黄色い叫び声と、男子生徒達の雄叫びが混ざり合って、廊下になりひびいた。
「五月蝿い」
耳を塞ぎながら言った、青井先生の声はクラス全員に聞こえなかったみたいで、五分間くらい騒がしいままだった。
「次は、天月に質問したい奴はいるか?」
数名手が挙がった。
「それじゃ、出席番号が早い三人だけな。後、名前と軽く自己紹介しろよ」
「はい! 一年五組一番 間崎 琴音、ピチピチの十五歳ですぅ。特徴は……棒高跳びが得意なところです。よろしくねぇ」
「琴音、棒高跳びが得意なことは、特徴じゃなくて特技だから」
「えぇ! 嘘」
教室中に笑い声が広がり、教室の空気が和らいだ。
「間崎、質問しないのなら、次に回すぞ」
「待ってよぉ、あーちゃん」
「だから、青――」
「綾女君は、彼女居るの?」
「おい、間崎。人の話を最後まで聞けよ」
半ギレ気味な青井先生に軽く謝り、綾女の方を向いた。青井先生でも、手に負えない問題児だけど、棒高跳びの記録は日本で一番の記録を、持っている琴音。
「それで、居るの? 居ないの?」
「残念ながら、居ないな。でも、出来たら良いな、って思っているよ」
この後、また女子生徒達の黄色い叫び声と、男子生徒達の雄叫びが混ざり合って廊下に鳴り響いたのは、言うまでも無い。
「次。早くしないと、授業を始めるぞ」
「……次、俺の番か。一年五組三番 伊藤 愁、歳は……ご想像にお任せする。それで、質問だけど」
「ちょっと、待て」
教卓に肘を突きながら、手に顎を載せもう片方の手を前に出し、愁の話を遮った。
「何で、歳を言わない。伊藤はまだ、十五歳だろ」
「あーちゃん、細かすぎ。だから彼氏の一人や二人できないのだぞ」
「伊藤が大雑把すぎだ! 第一、大きなお世話だ!」
「あーちゃん、そんなに早く怒っているってことは、カルシウムが足りない所為だろ。てか、怒るとしわが増えるぞ」
「誰の!」
教卓を、卓袱台返しする青井先生を、止めに入った女子生徒二人は、無理矢理話題を変えた。
「ところで、伊藤君は天月君に何を、質問しようと思ったの?」
「それは、何回転……転校したのか」
「何! 今の間は!」
突っ込まずには、居られなかった一人の女子生徒を放置して、もう一人の女子生徒が、勝手に話を進め出した。
「それ、あたしも気になるなぁ。何回転校したの?」
半ば、棒読みだったのは気にせずに話を進めて、と綾女に合図を送った。その合図が読み取れた綾女は、何事も無かったように話しを進めた。
「転校は九十九回で、転入がこの学校合わせて百回目だよ」
「うわぁ、すごいね。色々と、大変だったでしょ」
「まぁ、そうだけど。もぉ、慣れたから」
笑顔を向けられた、一人の女子生徒は顔を真っ赤にして、倒れてしまった。その女子生徒を、保健室に運んだりしていたら、青井先生の怒りも収まっていた。
「それじゃ、質問はここまで」
「えー!」
「五月蝿いぞ、伊藤Mの方」
「あーちゃん、その呼び方やめてくれよぉ」
「お前こそやめろ、内申点下げるぞ」
伊藤Mの本名、伊藤 実流。愁の双子の兄で、運動がからっきしだめだが、絵の才能があるチャラ男。愁の方は、野球部に所属していて一年生にしてレギュラー入りするくらい、運動神経が良い。
「伊藤Mは、置いといて」
「おい」
「天月の席は、委員長の席の隣だ。一番後ろの、窓側の席だな」
「はい」
足元に置いていた鞄を持って、自分の席に向かった。
「よろしくお願いいたしますね」
「こっちこそ、よろしく」
「それじゃ、授業始めるぞぉ。教科書開けろぉ」
「うちの教科書、見ますか?」
「あぁ、ありがとう」
スムーズに授業が行われていたが、授業が中断した。その理由は……
「青森!」
「ほーい」
「また早弁して、お前いい加減にしろ! 毎日毎日、一時間目に早弁するな、って言っているだろ! 他の先生方からも、苦情が来ているからやめろ!」
怒鳴り声とともに、手に持っている教科書が握り潰されて、怒りMAXの青井先生。でも、怒られている本人は、弁当を食べる手を止めない。
「今怒られている子が、青森 数也君です。見ての通り、毎日早弁しては先生方に怒られている子です」
「ふーん」
「まだ、自己紹介が出来ていませんでしたよね? うちは、野山 水仙と言います。分からないことがありましたら、何でも言ってください」
「そうする」
笑顔で見つめ合う二人だがまだ、青井先生が一方的に怒鳴りながら話しているのを、数也は左から右に聞き流しながら弁当を食べている状況が、今でも変わらずに続いていた。そして、授業の終わりの鐘が鳴り十分間の休憩時間になった。
「天月」
「はい、なんですか?」
ゆっくりと、綾女の方に近づいて来た。
「今日中に、教科書と制服が届くはずだから、明日から忘れ物したらマイナス一だからな」
「マイナス一……何のことですか?」
「あぁ、そうか。まだ、言ってなかったな。メンドくさいから、委員長にでも聞いとけ。それと、校舎内の案内もしてもらえよ。それじゃ」
言いたいことだけ言うと、そそくさと教室を出た青井先生を見ながら、深いため息をひとつついた。
「どうするかなぁ」
「天月君、どうしたの?」
「野山さん、それが」
さっき、青井先生と話していたことを、全部水仙に話した。
「なるほど、あーちゃん先生なら言いそうです。そう言うことでしたら、次の休み時間に校舎内を案内させていただきます。それと、学校のことで聞きたいことがあるのでしたら、歩きながら話させていただいても、よろしいですか?」
「あぁ、よろしく」
二時間目の始まりの鐘が学校中に鳴り響いた。綾女のクラスは、数学である。五十分後、二時間目の終わりの鐘が鳴り響いた。
「はい。今日は、ここまでですね。それと、夢宮さんだけ残ってください」
号令が終わると、クラスの皆は三時間目の用意を始めた。
「夢宮さん。まだ数学のプリント、提出してないでしょ?」
「あっ……ごめんなさい。部屋に置いてきました……」
「それなら、明日必ず持って来てくださいね」
「はい」
「それじゃ、もう行っていいですよ」
先生に軽く頭を下げ、三時間目の用意を始めた。
「今の子が、夢宮 舞花ちゃんです。見ての通りかなり忘れ物が激しい子で、毎日絶対一つは、忘れ物をして先生に怒られています。それに、大事な物は九十九%持ってきませんし、持ってきたとしても使わずに終わってしまいますね」
「へぇ。それは、可哀相だな」
「そうですね。次は、美術なので移動ついでに、中庭に行きませんか?」
「行こう」
美術の用意を持ち、階段を下りた。
「ここが、中庭です。裏庭、って言う人もいますが、大抵の人は中庭、って言います」
「綺麗だな。よく、手入れがされている」
「えぇ。園芸部の人たちが、毎日朝早くから起きて手入れをしてくださっているのですよ」
「へぇ。そうか」
花壇の前にしゃがみ込んで、喋っている上の階で大変のことが起こっており、綾女たちに火の粉が降りかかってくるとは、思っていなかった。
「ちょっと、男子達。コレ何で昨日捨てなかったの!」
「るせーよ。別に、いいだろ」
「よくない! ちっともよくない。教室中、雑巾の腐った臭いになる!」
「ちっ、ギャギャうるせぇメス豚だな。捨てりゃいいンだろ」
ヤンキー男は、汚い雑巾が入ってある、グロイ色の水が入っているバケツを持つと、窓の方に向かった。
「ちょっと、水道はそっちじゃなくて、真反対のあっちでしょ!」
「お前馬鹿。何で俺様が、わざわざ遠い水道まで、行かなきゃならねぇンだよ」
「そうそう。リーダーの言うとおりだ」
周りの取り巻き連中も、言い返してきた。ざっと、五十人くらいは居そうな人数だ。
「まさかだと思うけど窓から捨てるとか、そんな馬鹿な行動のオチじゃないよね?」
不気味な笑みを、リーダー的存在の男がしたと同時に、周りに居た取り巻き連中も、不気味な笑みを浮かべた。
「正解」
「それと、この学校には、植物園もありますよ」
「えっ、マジ! それなら、一回行ってみたいな。きっと、綺麗に育てられて居るんだろうな」
「えぇ。とっても、とっても綺麗ですよ」
体を綾女の方に乗り出した瞬間、水仙の頭の上から水か降ってきた。その場に居た綾女たちは、今起きている状況が分かっておらず、固まっている。その時、水か振ってきた方から声が聞こえた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい。私たちのクラスの男子たちが、本当にごめんなさい。ほら、お前も謝りなさいよ」
「イデッ! 何するンだ、このメス豚が!」
「いいから、謝れつってンだよ!」
窓の溝に、リーダー的存在の男の額を力ずくでぶつけた。もちろん、周りの取り巻き連中たちも、黙っておらず水仙に謝るどころではなかった。
「この水、雑巾の水ですよね?」
「たぶんな。この色的に、推理すると」
深いため息を吐いた水仙は、スカートのポケットからケータイ電話を取り出し、時間を確認してから、クラスの中で喧嘩が始まっているクラスに聞こえるように、大声で話し出した。
「あの、うちは大丈夫ですから、気にしないでください。行こう、天月君。授業が始まってしまいます」
「いいのか?」
何も言わずに、窓から顔を出している女子の先輩に軽く頭を下げ、学校の中に入らずに植物園がある方向に、足を進めた。
「すごい、見たことの無い植物ばかりだ」
「どうして、天月君がこの場所に居るのですか? もうすぐ、授業が始まる鐘が鳴りますから、うちのことは放って置いてくれても構いませんよ?」
「でも、今から行っても……」
話すのをやめた瞬間、二時間目の始まりの鐘が鳴った。
「野山さんと行っても、変わらなくなったから一緒に行こうな」
「……はい。あの、カッターシャツが肌に張り付いていて持ち悪いので、脱ぎますね」
「うん」
珍しい植物を見ながら、ふと気づいた綾女。脱ぐ、と言うことはTシャツ姿になると言うことで、でも今は二学期の九月なので、カッターシャツの下にはTシャツは着ない。と言うことは、今カッターシャツを脱げば、水仙は下着姿になると言うこと。
「ちょっと、待て!」
「ん?」
脱ぐ、と言うことが理解できた綾女は、植物から水仙へと目線だけではなく、体ごと水仙の方に向けた時、水仙の姿に綾女はまさに、開いた口が塞がらない状態であった。
「なっ! ……」
「どうしたのですか?」
「ちょっ! ……ちか……」
下からボタンを外したから、可愛らしいおへそが丸見えで、上の方のボタンは取っていないから、胸は見えない。だが、今盛りの高校生には見ているだけと言うのはかなりキツイらしい。そんな、格好で水仙は綾女に近寄って来た。
「野山さん……前閉めて……」
「へぇ?」
首を傾げ、四つん這いしながら近寄ってくるから、上の方のボタンは取っていないけれど、カッターシャツが揺れてチラチラと水仙の肌が見えるが、ギリギリ胸は見えない。
「野山さんは……女の子だから……」
「天月君。人と話しをする時は、相手の目を見て話しなさい、と言われなかったのですか?」
無理矢理、顔を上げさせられた綾女の顔は、真っ赤で水仙の手を振り払った。
「もしかして、うちのこと女としてみているのですか?」
その言葉で、余計に顔が真っ赤になった綾女を見て、水仙は笑い出した。
「何で笑っているの? 言いたいことがあれば、言えよ」
「はっ、はい……実はですね」
カッターシャツの残りのボタンを、全部とって胸を見せるように、大きくカッターシャツを引っ張った。
「む……胸が……無い」
「はい、そうです」
満面の笑みで答えた、水仙はカッターシャツを脱いだ。
「それじゃ、もしかして……男?」
「はい。疑っていらっしゃるのでしたら、下も脱ぎましょうか?」
「いや、いい……てか、何で女装する」
「天月君は、意外と冷静ですね。でも、何で、と聞かれれば……似合うからですね」
「……」
重たい空気が、綾女たちの場所に広がった。最初に、沈黙を破ったのは綾女だった。
「理由、ってそれだけ?」
「はい。他に、どのような理由が必要ですか?」
「いや、別に良いと思う……そう言えば、変えの服とかあるのか?」
「えーと……体操服が、あったと思います」
「それじゃ、授業が終わるまでその服着とけ」
さっき脱いだ、雑巾の水で濡れているカッターシャツを拾って、水仙に渡した。段々、臭いが濃くなっているのに気づいた綾女は、一歩一歩後ろに下がり、水仙と距離をとった。
「それじゃ、行こうぜ。かれこれ、二十五分くらいは経っているし」
「はい、行きましょう」
雑巾の水で濡れているカッターシャツを着て、第一ボタン以外は留めて走りながら後ろから、綾女に抱きついた。
「くっせぇ! 近づくな、離れろ!」
「女の子に対して、その言葉はダメですよ」
「女じゃ、ねぇだろ!」
美術室に着くまで、綾女をイジリながら歩いた水仙。
「すみません。遅れました」
「遅れました」
遠慮がちにドアを開けずに、堂々とドアを開けた。しかし、後ろのドアではなく、前のドアから入ってきたのである。
「やっと来た。二人とも、今までどこに居ていたの?」
「まぁまぁ、ゆっちゃん先生そんなこと言っていますと、旦那様に逃げられますよ」
「それは、大変。それじゃ、二人とも座って良いわよ」
ゆっちゃん先生の本名、泉川 由真。美術担当で、おっとりした性格でドジっ子なので男子生徒には大人気で、密かにファンクラブまで出来ている。そんな泉川先生は、結婚して今年で五年目になる。
「なぁ、野山……野山さん」
「はい、何ですか? それと、うちのことは呼び捨てでも構いませんよ」
「わかった。それで、野山が男だってことは、皆知っているのか?」
「はい、知っていますよ。知らない人は、転校生だけです。ある意味、うちはこの学校で何かしら有名人ですからね」
「へぇ。それじゃ、本題はここからで」
「えっ! 今のが、本題じゃないのですか?」
勢いよく席を立ったため、座っていた椅子が倒れる音で、クラスメイトのほとんどが水仙の方を向いた。綾女は、嫌な予感がしたのか、一人黙々と課題の絵を描き始めた。
「どうしたの、野山さん?」
「天月君……転校生が、うちの正体を知っても、動揺しないのです」
その瞬間、水仙の方を向いていた、殆どの人と課題の絵を書いていた人全員。つまり、クラス全員が、一斉に綾女の方を向いた。当の本人は……
「……」
課題の絵を描いている手を留め、顔を上げるわけも無く下を向いたまま動かずに居た。
「それは、凄い子が入ったのね。ところで、野山さん。どうして、野山さんから臭い匂いがするのかしら? しかも、制服も濡れているし」
「それは、少し色々ありまして、雑巾の水を頭から被ってしまいました」
「なっ! どこの生徒なの? 何年何組何番の子か、分かる? 私がガツン、と言って来てあげる」
「大丈夫ですよ、泉川先生。相手の先輩方も、ちゃんと謝ってくれましたから。なので、肩から手を離してください。肩が、とても痛いです」
「あっ……ごめんね」
肩から手を離し、少し落ち着き始めた。泉川先生の実家は、代々柔道や空手など武道を教えており、泉川先生も中学三年生まで習っていた。なので、そこらへんの男子よりも強い。
「野山さんが、ソコまで言うのなら、大丈夫よね」
二時間目の終わりの鐘が学校中に鳴り響いた。自分達の教室に戻り、次の授業の準備をして席に座ったと同時に、綾女の周りに人だかりが出来た。
「天月君、って凄い人だね」
「私、天月君のこと見直しちゃったよ」
「さすが男だな、天月」
次々と尊敬の言葉が溢れ出ている間、水仙は着替え中だった。
「てか、野山のはだ――」
「下品」
右ストレートが、男の腹に直撃した。右ストレートを行った張本人は、何事も無かった様に、綾女の方を向いた。
「すまない。コイツが下品なことを言って」
「いや、別に気にしてないから」
「そうか、ならよかった」
話しているうちに、意気投合している二人に向かって声を掛けてきた水仙。
「珍しいですね。椿君が、うち等以外と話しているなんて」
「水仙も、そうだろ」
「まぁ、そうですね。天月君、紹介させていただきますね。こちらは、一緒に委員会を務めさせて頂いている――」
「真利宮 椿だ」
「うち等は、幼馴染なのです」
「ちなみに、ソコで腹を抱えて呻き声を上げている奴も、幼馴染だ。おい秋羅、自己紹介しろ」
さっきの様子と違って、カッコよく決めようと痛いほど伝わってくる人は……
「俺の名前は、桜川 秋羅。仲良くしような」
白い歯を見せながら、無邪気に笑う顔を見てイラッ、ときた綾女はお返しに、極上のスマイルを返した。
「負けだな」
「負けですね」
そんなことをしていたら、四時間目の授業の始まりの鐘が鳴った。
四時間目の授業の終わりの鐘が鳴り、全校生徒はお昼ご飯を食べようとしていた。
「今日は、天月君が居ますから、学食にしませんか?」
「おっ。良いな、ソレ。俺は、賛成だぜ」
「椿君と天月君も、良いですよね?」
「良いよ」
「あぁ」
こうして、綾女たちは学食に向かった。
「綾女は、何にするンだ?」
「キムチ激辛麺大盛ラーメン、にする」
「マジか! あの、幻かつ伝説的存在のラーメンにするのか……やっぱり、只者じゃねぇな」
「天月君が、ラーメンにするのならうちも、ラーメンにいたします」
「俺は、蟹チャーハン」
「学食来たら、必ず頼むくねぇか。まぁ、それじゃ俺はA定食でいいや」
注文したご飯をお盆に載せ、空いている席に座った。
「なぁ、綾女。何時までソレ、入れるつもりだ」
「ソレ、ってどれのこと」
「ソレだよ! ソレ」
指を示した先には、セルフサービスのタバスコだった。
「あぁ、タバスコのことか。何時まで入れる、って全部無くなるまでだけど」
「馬鹿か、そのラーメン自体すっげぇ辛いンだぞ! だから、幻かつ伝説的存在、って言われているンだって。なのに、まだタバスコ入れるとかありえねぇよ」
「秋羅、人間と言う者は、甘いものを食べた後は必然的に辛いものを、食べたくなるものだ。まさしく、今の俺だな」
「意味分かンねぇよ! てか、甘いものを食べた後は、しょっぱいものだろ」
「秋羅、ソレも違うぞ。甘いものの後は、すっぱいものだ」
今までで一番真面目な顔で、ドヤ顔をした椿さん。
「違いますよ。甘いものの後には、絶対に甘いものですよ」
「ンなわけねぇよ」
そんなこんなで、騒がしい昼食となり、タバスコ一リットルを入れたラーメンを完食したと綾女の噂が広がり、余計に男女ともに人気が上がったのだった。
「ところで、何で真利宮は男物の制服何だ?」
「……えっ!」
鳩が豆鉄砲食らったような顔の水仙とは違って、笑い声を上げながら聞いてくる秋羅。
「何で、分かったンだ。真利宮、って女の欠片もね――」
「うっせぇ、愚図! 地獄に落ちろ」
「いっでぇ!」
肘が鳩尾に入り、秋羅は地面に蹲っている背中を全力で踏ん付けている椿。部外者が見たら、確実にSMプレイに見える絵である。
「真利宮だって、女子に見えるぞ」
「そうですよ。秋羅君が、異常なだけです」
「えっ! 俺が、悪者なの!」
話題が段々ズレ、結局椿が何故男装しているのか、聞けなかったのである。教室に帰った綾女たちは、五時間目の用意をしていた。
「そう言えば、他に聞きたいことはありますか? 時間が少しあるので、答えられますけど……どうしますか?」
「それじゃ、遠慮なく。さっきも聞いたけど、何で真利宮は男装なんかしているの?」
「直球ですね」
苦笑いをしているが、どこと無く寂しそうな顔もしていた。そんな顔をしながら、声は明るいトーンで話し出した。
「そう言うことでしたら、ご本人に聞いた方が早いと思いますよ。椿君」
「ん?」
五時間目の用意を、自分の机の上に置いてから、綾女たちの方に近づいて来た。
「何か、用か?」
「用、って程じゃないかも知れませんが、二つあります。一つは、秋羅君は呼んでいませんのに、どうして来ているのですか?」
「えっ! ヒッデェ扱い」
「もう一つは」
「スルーかよ! 俺の存在、スルーかよ!」
「……もう一つは、天月君から椿君に話しが、あるらしいです」
さっきまで、ギャギャ、と騒がしかった秋羅も、空気を読んだのか静かにして見守っている。
「そうか。天月、話、って何だ」
「学食でも聞いたけど、何で真利宮は男装している?」
「……」
何も言わず、黙っている椿の目を見て、綾女は話し出した。
「野山は、似合っているからです、と答えた。だけど、真利宮は誰かに言え、って言われても絶対に言わない性格だと思う」
「……」
まだ、何も言わず黙っている椿を無視して、綾女は話し続けた。
「ソコまで考えると、それじゃ何で真利宮は、男装する理由がある、と考えた訳だ」
「……そうか」
ようやく口を開いた椿は、鋭い目付きで綾女を睨みながら、話し出した。
「言いたいことは、それだけか」
人を馬鹿にしたような言い方で、綾女に喧嘩を売った。そして、さっきと真逆の立場になり、綾女が話し出す前に椿が無理矢理話し出した。綾女に、話しをさせないために。
「一日も経っていないのに、よくもまぁそんなことが考えられるものだな。感心するぜ、さすが天月だな。他人のことは、調べて知って……そんなに人を見下したいのかよ!」
「そうじゃない!」
「そうじゃなくないだろ! 羨ましいなぁ、何もかも完璧にこなせる天月が。本当に羨ましいよ。平凡な俺達は、天月にはゴミのように見えるだろ」
不敵な笑みを浮かべているが、椿の目は鋭い目付きのままだった。教室に残っていた生徒達は、コソコソと話し出した。きっと、綾女のことだろう。
椿が男装をしていることに首を突っ込む奴は、この学校にもチラホラ居た。だが、全員よその学校へと、転校して行った。ソレがきっかけで、この学校で椿の男装については誰も触れなくなった。
あそこまで、綾女のことを遠まわしに悪く言ったので、綾女は傷つき、泣き叫ぶと思っていたが……
「ありがとう。俺のことを羨ましい、と言ってくれてありがとう。羨ましい、と思うことは、俺をちゃんと見ている、ってことだろ。それも、一日も経っていないのに」
「!」
泣き叫ぶどころか、傷つきもしないで変わりに、椿に笑顔を見せた。
「一本、取られましたね」
「だな」
「……わかった。俺の負けだ、男装している理由を、教えてやるよ」
「それは、よかった。それじゃ、その話しはまた今度、ってことで」
「はぁ?」
間抜けな声を出したのは、椿ではなく秋羅だった。
「おい、秋羅。今の台詞は、俺の台詞だ。勝手にとるんじゃねぇよ!」
「まぁまぁ。細かいこと気にしていたら、すぐに剥げるぞ、椿」
「るせぇよ!」
右アッパーを、喰らわした椿。そんなことをしている間に、予鈴の鐘が鳴った。
「もうそろそろ、行きましょうか?」
「次、理科室?」
「はい」
教室を出た綾女たちは、校舎内を小走りで全部回り理科室に着くまで、世間話に花を咲かせた。
「えー。だから、この水溶液と混ぜる物質は……」
「……」
「……」
「……」
「……」
第一理科室の中は、理科担当の先生以外、誰一人として話していなかったのである。
「っとなるから。この答えが、分かる人」
「……」
「……」
「……」
「……」
静かなことは、大変良いのだが誰一人として、手を上げる人も居ないのだった。三分経っても、手を上げる人が居ないので、痺れを切らした理科担当の先生は、右の眉毛をピクピクしながら、話し出した。
「分かる人は、居ないのざますね……それならば、今日このクラスに転校生が来たざますね」
一斉に、クラスの皆は綾女の方を向いた。その、皆の眼差しが少し変わっていた。今日一日中、珍しいものを見るような眼差しだったのが、哀れみや感謝の眼差しになっていた。
「貴方ざますね。それじゃ、ウォーミングアップ、と思ってこの問題を解くでざます」
「……はい」
皆の、あんな眼差しを受けつつ席に立ち、黒板の方に歩み寄った。黒板の前に立っていざ、問題を解こうと問題を見たら……
「これ、普通の高校生が解けるレベルじゃね」
小声で言ったので誰にも聞こえてないが、クラスの皆はこうなることが分かっていたので、綾女にあんな眼差しを送ったのだった。
「どうしたのざますか? もしかして、こんな簡単な問題が解けないのざますか?」
「どこが簡単な問題、だ」
小声でも、睨みながら理科の担当の先生を見た。理科担当の先生は、綾女がチョークにも触れずに立ち尽くしているのを見て、楽しそうに笑っていた。そんな顔を見た綾女は、深いため息を吐きチョークを持った。そして、問題の答えを書き始めた。
「!」
問題の答えを書き始めた綾女に、ビックリしている理科担当の先生は、すぐに冷静になり答え合わせを始めた。綾女が書いた答えが、何処か間違えているだろう、と思っていたから。だが、綾女の答えは何処も間違えていなかった。今の高校生には、絶対に解けないだろうと思った問題を出したつもりだったが、綾女に解かれてショックで綾女の顔が憎たらしく思った。
「どうですか?」
「……いいでざます。座るのでざます」
「はい」
顔を歪ましている科担当の先生と、満面の笑みを浮かべている綾女の立場が逆転した。それから、気を取り戻した理科担当の先生は、綾女以外の生徒を当て楽しんだ。そして、授業の終わりの鐘が鳴った。水仙の号令と同時に、クラスの皆は一斉に第一理科室を出た。
教室に着くと、皆一斉に綾女の下に集まった。
「スゲェな、天月!」
「あんな、難問を解くなんて」
「あのアイツに、一泡吹かせるなんて、スゲェよ綾女」
「そうなのか、秋羅?」
席を立った綾女は、教室を出た。その後ろから、秋羅が付いて来た。クラスの皆は、六時間目の準備をし始めた。綾女が、向かった先はテラスだった。
「アイツはすぐ、俺達が分からない問題ばかり出して、ソレで困っている俺達を見て楽しンでいる。すっげぇ、ウゼェ」
「へぇ、ソレは大変だな」
「でも、綾女。きっとさっきので、目付けられたと思うぞ」
「何でまた」
壁にもたれ掛かっている、秋羅の方を向いた。
「アイツ、自分の思い通りにならない生徒には、とことん付きまとうから、覚悟しといた方が良いかもな」
「あぁ。それじゃ、戻るか。きっと、水仙達が心配しているだろうし」
「そうだな。てか、何でココに来たンだ」
出入り口の方に歩き出した綾女は、秋羅の横を通り過ぎた時、振り返り人差し指を口の前に持ってきた。
「秘密」
女顔で、大人っぽく笑みを向けられた秋羅の顔は、真っ赤に染まっていた。そんな秋羅に満足したのか、小走りで自分の教室に向かった。その後に、秋羅も付いて来た。
教室に戻ると、水仙達から質問攻めになったが、綾女達は笑って誤魔化した。ちなみに、水仙達は五時間目の終わり教室に戻ろうとした所に、青井先生に学級委員のことで、呼び止められていた。数分後、教室の前のドアが開いた。
「席に着けぇ」
「姫野先生!」
数人の女子生徒達が、黄色い叫び声を上げながら、姫野先生の側に駆け寄った。そんな、状況を見ていた男子生徒達は、面白くない様子。
「るせぇよ」
「ちょっとカッコイイから、って騒ぎすぎだ」
「お前等とか、眼中に無いつーの」
口々に言っている男子生徒達を、女子生徒達は無視して話しかけた。
「先生、私と付き合ってください」
「無理。てか、お前等テストの点数歴史・地理だけ、平均点も取れてないだろ」
「だって、平均点以上取ると……ねぇ?」
目で合図し、残りの四人もその言葉に同意した。
「それじゃ、今度のテストで平均点以下の人は、もう資料室に来なくて良いから」
言った瞬間、女子生徒達からは大反対の声が廊下まで届き、男子生徒達は大賛成で、喜んでいた。
「それで、このクラスで一番成績がよかった奴だけに、一ヶ月間資料室を何時までも来て良い権利をやる」
「嘘、マジで!」
「それって、ある意味チャンスじゃない」
「やっぱり」
ザワザワと、女子生徒達は話し始めたが、六時間目の授業の始まりの鐘が鳴ると自分達の席に座り、号令と共に立ち上がり授業が始まった。
「それじゃ、教科書を開けろ」
「綾女君」
「ん。何」
ノートを取っている手を止めずに、水仙の言葉に返事をした。目は、未だノートの方に向いている。
「あの先生が、姫野 静香先生。見ての通り、歴史・地理担当の先生で結婚しています」
「ふーん」
「それでですね。その結婚相手が何と、ゆっちゃん先生です」
「えっ! マジ」
ノートを取る手が止まり、ノートから目を離し水仙の方を向いた。
「はい」
「まぁ、分かるかもな。あんな、良い先生誰も放っとかねぇよな」
「誰でも、ゆっちゃん先生のことを、良い先生、と思っているとは限りませんよ」
「……何が言いたい」
ノートを取る手を動かしながら、さっきの声より少し低く重たい声で聞いた。
「……ゆっちゃん先生は実は、二・三年の先輩方に嫌われているのです」
「……」
黙ったままで話す雰囲気ではない、と感じ取った水仙は、続けて話し出した。
「本人……ゆっちゃん先生が言っていましたが、授業が成り立たないらしいです」
「他の先生は、そのこと知っているのか」
「いいえ。他の先生には言わないで、と言われていますから、言っていません」
「でも、そう言うことは女子達がやっていることだろ。なのに、何で授業が成り立たない」
「それは……二・三年の先輩方の殆どが、可愛い子ばかりで……それで男子の先輩方も協力しているみたいです」
「何だよ、それ!」
いつの間にか、ノートを取っていた手が止まって、水仙を見ていた。
「それでも、指で数えられるくらいの先輩方は、ソレに加わっていませんがその先輩方の殆どが三年生なのです」
「それじゃ……」
「ですが、大丈夫です。一年生全員、ゆっちゃん先生のことが大好きですから。もし、暴力などをしてきた場合は、ハムラビ法典に従いながら仕返ししますから、大丈夫です。うち等を敵に回すとどれほど恐ろしいか、思い知らせてあげます」
笑顔で怖いことを言う水仙が、どれほど泉川先生が好きなのか、再確認できた時間であった。でも、綾女はふと思った。どうして、一日も経っていない転校生の自分に、あそこまで話してくるのか、と思ったが口には出さなかった。いや、出せなかった、の方が合っているのかもしれない。
「お前達、さっきからコソコソ何を言っている。俺の話は、聞いて……無いよな」
もちろん、まだ授業は終わっていなく、罰としてプリントを数枚貰った。それからは、綾女も水仙もしっかりと授業を聞いた。そして、六時間目の授業の終わりの鐘が鳴った。六時間目が終わった後は、十分間の掃除をして帰りのホームルームもして、後は部活と自分の寮に帰る人に分かれた。
「綾女、帰るぞぉ」
ラリアットを掛けられ、廊下に倒れこむ拍子に、頭を打った。それも、力強く。やられたらやり返す性格なので、立ち上がり同じことを秋羅にやり返した。でも、力は秋羅の二倍である。
「仲良しですね」
「だろ」
「違う! 否定しろ、この馬鹿秋羅」
「えぇー」
「早く帰るぞ」
何だかムカついたので、倒れている明の顔を全力で踏ん付けて椿の方に、歩いて向かった。
「こんな馬鹿は、放っておいて先に帰る」
「はい、帰りましょう」
「おいおい、つれねぇな綾女。もう、俺と綾女の中だろ」
顔を全力で踏まれたのに、めげない秋羅に一つ確信が綾女の中に浮かんだ。
「秋羅、実はホモでマゾヒストなのか」
「なっ!」
「秋羅君、うち幻滅しました。秋羅君が……あぁ、言うのもおぞましい」
「ちょっ! 椿は、違うことに気が付いているよな……なぁ」
一歩、一歩椿に近づこうとすると……
「近寄るな、変態」
軽蔑した目で、秋羅を見た。そのショックで、廊下の隅にしゃがみ込んで一人自問自答をして、さらには現実逃避まで始めた。
「よし。日ごろのウサ晴らしも出来たし、秋羅を苛めるのもそろそろ飽きたし、帰るか」
「そうですね」
「それじゃ、秋羅を現実に戻してくる」
「あぁ。頼む、天月」
現実に連れ戻すことに成功し、綾女達は仲良く寮まで世間話をしながら帰った。
「何しているの」
コーヒーの入ってあるコップをコップとセットの皿の上に置いた女子生徒は、窓に手を触れさせて外を見ている男子生徒に尋ねた。
「いや。面白いものが見られてね……キミも見るかい?」
そのままの状態で、女子生徒に尋ね返した。
「別に良い。でも、貴方がほっとココア砂糖十杯入り、を飲まずに見ているのだから、よっぽど面白いもの。そう考えると、大体見当が付く」
コーヒーの入ってあるコップに手を伸ばした女子生徒は、コーヒーを飲まずにただ、眺めていただけだった。
「へぇ。さすがだね」
「いえいえ」
眺めていたコーヒーを、一口飲みまた皿の上に置いた。
「……」
「……」
無言のまま、どちらも話そうとしない。しかし、数分後女子生徒が口を開いた。
「一年五組 天月 綾女」
その言葉を、待っていました、と言いたそうな顔を女子生徒に向け、男子生徒は窓から手を離し、ほっとココア砂糖十杯入りが入ってある、コップの前のソファに座った。
「うん、正解。よく分かったね」
「えぇ、まぁ。でも、貴方が面白がる要素なんて……」
少し考え込む女子生徒を見ながら、目の前にあるコップを取り一口飲んだ。
「それが、あるんだよ」
さっきまで男子生徒が見ていたのは、綾女達が仲良く下校していた様子だったのである。
「まぁ、その話はおいおい詳しく説明してもらうことにして、いい加減にこの甘ったるい匂いがするココアを飲め! 貴方は、冷えたココアは飲まない、っていたでしょ。僕は、飲まないから。絶対、飲まないから!」
「まぁまぁ、そぉ怒鳴っちゃ駄目だよ。しわが増えちゃうよ、み――」
言い終わらないうちに、机を叩く物凄い音がして、男子生徒の続きの言葉が掻き消した。
「何か怒って、み――」
また、机を叩く物凄い音が、男子生徒の声を掻き消した。
「生徒会室では、生徒会副会長と呼びなよ、って何時も言っているでしょうが!」
平手打ちで、容赦なく男子生徒の頬を叩いた。その衝撃で、地面に倒れその衝撃でソファも倒れた。
「貴方はそれでも、生徒会会長ですか!」
「いたたた。お願いだから、平手はやめて。マジで痛いから」
起き上がり、副会長に叩かれた頬をさすった。
「こっちこそ、毎回同じことを僕に言わせれば、会長は気が済むの」
元のソファに座りなおして、残りのコーヒーを口の中に入れた。
「あははは。み……副会長は、手加減、と言う言葉知らないでしょ」
「早く飲め。会長の仕事は、たくさんあるの。僕と違って、何一つとして手を付けてないのだから」
叩かれた頬をさすっているが、段々痛みが引いてきたのか、元のソファに座り直した時は、頬をさすっていなかった。
「はいはい」
ほっとココア砂糖十杯入りを、口の中に入れた。
「……」
「……」
無言で、ほっとココア砂糖十杯入りを飲んでいる会長と、ソファに座っていても見える窓の外を見ている副会長達が居る部屋のドアを、ノックする音と共にドアが開き入って来たのは……
「会長達、隣に丸聞こえ。てか、茶なんか飲んでないで仕事しろよ。後、頼まれていた資料」
「ん。ありがとう、ゆ――」
その瞬間、さっきの机を叩く威力が二倍に増え、校舎内に居た生徒や先生方にも聞こえるくらい、大きな音で会長の続きの言葉がまた掻き消された。
「ごめん。蚊が、飛んでいたみたい。いいから、気にせずに続けて」
どす黒い笑顔を、会長達に向けた。その笑顔に、顔を引きつっている会長とウザイオーラを纏わしている男子生徒。
「えっと……ありがとう、会計」
「別に、仕事だから」
「そうだ、会計。書記さんを呼んできて。皆揃っているし、おやつにする」
その時、勢いよく部屋のドアが開いた。部屋の中に入って来たのは……
「おやつ、って聞こえたよぉ」
「早いですね……まぁ、いいか。書記さん、おやつ持って来てくれましたか?」
「もちろん!」
「今日のおやつは、何にしました?」
「今日はねぇ、ケーキにしたよ」
ケーキが入ってある箱を、テーブルの上に置き箱を開けた。
「本当ですか……」
「ウゲェ……」
「マジで、やったー。よくやった、姫宮先輩」
ケーキの甘いところが嫌いな副会長と会計、ケーキの甘いところが大好物な会長。
「会長!」
「ちちちょっと待って今のは、不可抗力であり、決してわざとじゃないよ」
「へぇ。会長は、言い訳も出来るくらい余裕なんだぁ。知らなかったな」
「ねぇ。何で、名前で呼んじゃ駄目なの?」
今まで会長に向けていた目を、首をかしげている書記の方を見た。そして、唖然とした表情のまま話し出した。
「そんなの、決まっているじゃないですか。ここは、生徒会室ですよ。寮とか教室とか、そんな場所じゃないんですよ」
「うん、知っているよ。ここじゃ、寮みたいにお風呂も無いし、第一寝る場所が無いよね。かと言って、教室みたいに勉強する場所じゃないよね」
「知っているのなら何で、分からないんですか。僕達は、全校生徒の中から選ばれたのですよ」
「うん。でも、ソレとこれとは別じゃない?」
「そんな……こと……無いと思います」
反論できない副会長に、優しく微笑みながら声を掛けた書記。
「ねぇ。だから、生徒会室でも教室でも寮でも、名前で呼ぼ。約束」
「……分かりました、菫先輩」
菫先輩の本名、姫宮 菫。三年四組二十八番、生徒会の中で最年長で、書記を担当している。毎年二月に女子グランプリを決めるイベントがあり、二年間連続一位の記録を持つ美少女。そんな菫にファンクラブが存在しない訳もなく、菫自身もファンクラブの存在を知っているので、ファンサービスが豊富である。一つ上の彼氏と付き合い始めてから、約五年が経ってもラブラブで卒業したら、彼氏の居る大学に行き野球部のマネージャーになる予定。菫の彼氏は、野球部の期待の星であり、今も野球部員でエースである。
「うん、よし。それじゃ、ケーキどれが良い?」
話しは、別の話しに変わったがそのことについては、誰も気に留めなかった。
「コレが良いです」
「コレ」
「……ユーちゃんとユリちゃんは、仲が良いよね」
百合ちゃんの本名、藤堂 百合。二年一組二十二番、生徒会の中で一番身長が低く百五十センチしかなく、副会長を担当している。気が強く、曲がったことが嫌いで男女平等に接しているので、生徒にも人気で先生方達にも人気である。まさに、学生の鏡である。そんな百合でも、頭が上がらない存在が菫である。ファンクラブも存在しているが百合自身ファンクラブの存在に気づいておらず、会員番号一番が会長で、二番が菫だった。
「誰が、こんな居奴と仲良しですか!」
「それは、こっちの台詞だ!」
「まぁまぁ、落ち着いて。ユーちゃんとユリちゃんが、同じものを選ぶと思ったから、同じケーキをちゃんと二つ持ってきたから。後、ナギちゃんが好きそうなケーキも」
「わかった。てか、菫先輩。ユーちゃん、って呼ぶの、やめろ」
「えぇ、いいじゃん。ユーちゃんの方が、可愛いよ。だから、いいでしょ?」
ユーちゃんの本名、藤堂 夕。一年三組二十番、生徒会の中で最年長で、会計を担当している。百合とは姉弟で、あんまり仲がよくない。でも、伯父がこの学校の理事長なので、百合と夕のどちらかが次の理事長となる。理事長が居ない時の代理が夕。夕は、理事長の座を狙っている。でもまだ、理由が分からない。ファンクラブの存在は、夕自身知らない。
こう言うところが、血が繋がっている証拠。
「駄目」
「むー。先輩のお願いは、聞かなきゃ駄目だよ。お姉さんに敬語を使うか、呼び方を代わらずにさせるか、どっちが良いの」
「……わかりました。そのままで良い」
「やったぁ。ナギちゃんは、別に良いでしょ」
ナギちゃんの本名、清水 渚。二年二組十七番、生徒会の中で一番告白の回数がダントツで会長を担当している。毎年二月に女子グランプリと同じで、男子は三月に男子グランプリがある。去年は、ダントツの一位で、二位との差が二百票だった。そんな渚に、ファンクラブが居ない訳なく、渚自身もファンクラブの存在は知っていたがわざと、知らない振りをしているのだった。
「うん、良いよ」
「それじゃ僕、飲み物入れてきますね」
「うん、お願いねぇ。お姉さんは、ケーキを配るよ」
「菫先輩、何飲みますか?」
生徒会室の中の少し小さめな、キッチンから顔を出して来た百合。
「お姉さんは、ロシアンティー」
「はい、分かりました。夕は」
先輩とはまったく違う態度で、密かに笑っている渚。そんな、渚に気づかない百合は聞いた。
「ブラックコーヒー」
「姉弟揃って、同じもの」
「何か、問題でも」
「……いえ、ないよ」
少し敬語になるくらい、迫力が凄く鋭い目付きだった。
「清水は、入るのか」
「うん。欲しいな」
「それじゃ、コップ持って来て。清水と僕の」
一旦キッチンに戻って、材料だけ出してから顔だけ出し、ちょうど百合達のコップが飛んできたので、両方ともキャッチし何事も無かったかのようにまた、キッチンに戻った。キッチンの中では、戸棚から夕と菫のコップを取り出し、さっきキャッチしたコップの側に並べ、コーヒー・ココア・紅茶を入れ、紅茶の中にはイチゴジャムを入れ、ココアの中には砂糖十杯を入れ、お盆の上に置いた。
「飲み物持って来たよ」
お盆を渚達が居る所に向かった。
「ありがとう」
コップを渚から順に配った。
「ありがとうね、ユリちゃん」
「サンキュー」
「どういたしまして」
最後は、自分の目の前にコップを置いて自分のソファに座った。
「百合は、ユリだな」
「!」
「うーん。お姉さんは、石楠花が良いなぁ」
「ちちちょっと待って、何でそんな話になるの。てか、僕が飲み物運んでいた時も何か見られているし、僕が居ない間何があったの!」
飲み物を入れていた百合が居ない間、何があったかと言うと……
キッチンに入って百合が、飲み物を入れていた時。
「ねぇ、ナギちゃん」
「ん。何」
「どうして、キッチンの方ばかり見ているの」
コップを投げた後も、渚はずっとキッチンの方を見ていた。
「そうだ。さっきのコップの時も、俺が取ろうとしたら清水先輩が横取りしたように取るから。そのことも含めて、聞かせろ」
「夕君、先輩にはちゃんと敬語を使いなよ」
それだけ言うと、またキッチンの方を向いた。
「今だけ敬語を使ったら、教えてくれるのか」
「うん。いいよ」
「分かった……分かりました。理由を、聞かせてください」
貴重な、夕の敬語を聞けた渚は、満足したのかキッチンから目を離した。
「ユリだよ」
「……」
「……」
さっぱり意味わからないことを言われた夕と菫は、声が出なかったほどビックリしていた。
「だからね。百合を花で例えたら、ユリだなぁ、って話し」
「そうかな。お姉さんは、石楠花の花言葉の方が合っていると思うよ」
「てか、アンナの花で例えたら、花が可愛そうだろ」
「まだまだ、餓鬼だねぇ。夕君は。僕と違って」
人を見下した感じの声と目付きで、夕を見た。そのことで、頭に来た夕は言い返した。
「何でソコまで、言われなきゃならないのですか」
「ユリちゃんの魅力が、分からないからでしょ」
「菫先輩は黙っていろ!」
横から口を出した菫に、マジギレした夕。人に見下されることが、一番嫌いな夕だから、ココまで怒っている。
「魅力、って俺達姉弟に関係ねぇだろ。てか、アンナの彼女とかマジ最悪。清水先輩だって、嫌ですよね」
「……俺は、百合が彼女なら嬉しいぞ」
「ナギちゃん今、俺、って言って……」
「それじゃ、あげますよ。アンナ姉でよければ」
「やめなさい、ユーちゃん」
マジギレしている夕を止める菫。マジギレしているのは夕だけではなく、渚もしていることに気づいたので、夕を一生懸命止めようとしている。渚は、マジギレすると言葉遣いが変わり、自分のことを俺、と言う。
「遠慮しとく」
「ほら、やっぱりあの姉が嫌なのでしょ。清水先輩、別に強がらなくてもよかったのに」
勝ち誇った笑みを、渚に向けた。
「いい加減にしなさい、ユーちゃん。ユーちゃんの、お姉さんでしょ」
「別に強がってねぇよ。ただ、姉弟だと結婚できねぇだろ。そうだろ、夕」
「っ……」
「それに、俺の百合が俺色に染まると思うと、嬉しくてたまらねぇよ」
「……」
とうとう、言い返せなくなった夕。悔しそうに、顔を歪ませて下唇を噛んだ。
「……ナギちゃん、口調変わっているよ」
「あっ、あぁ。ごめんね、菫先輩」
「うんん。珍しいね、ナギちゃんが怒るなんて。付き合っているわけじゃないのよね?」
「うん。そうだよ」
「それじゃ、何で百合ちゃんがユリなの? ユリの花言葉、ってたしか純潔・威厳・無垢だよ……あぁ。なるほど」
ユリの花言葉を思い出して、納得できた菫。
「ユリの花言葉と似ている。と思ったのがきっかけ」
「やっぱり、そうなの」
「うん。何でも知っているけど、本当のことは何も知らない純粋な子。そして、少し寂しがりや。百合を花で例えたら、ユリしかないでしょ」
優しく、色っぽい笑みを菫に向けた。
「うん。でも、何で急にユリの花言葉に似ている、と思ったの?」
「生徒会室・各教室・職員室・校長室などの花は、何時も誰が持ってきて、手入れしているか知っている」
「うんん……まさかっ」
「うん。花は園芸部が育てているのを持ってきているけど、全部百合がしているよ」
「そんな……だって、ユリちゃんにも仕事はあるのよ。誰よりもたくさん……それなのに、花のお世話までしているなんて」
「うん。今でも、お茶何か人に頼めば良いものの」
そんな言葉を言っていても、好きな人を見守っている感じの眼差しが、感じられる。
「そんなこと、やっていたなんて知らなかったよ」
「そりゃ、今も誰よりも早くに来て、誰も見ていない時にやるもん」
「そっか。だから、どんなに早く来ても、必ずユリちゃんが居た……でもさ、何でそんなこと知っているの? ナギちゃんは、ユリちゃんのことが好きなの?」
「好きだよ」
即答した渚に、一番ビックリしたのは夕だった。
「マジで」
「うん。そうだけど」
「だから、花の話になったのね。てか、それならそうと言ってくれれば良かったのに。去年の夏頃に、聞いたはずだよ、お姉さん」
やっと納得できた菫。まだ、信じられない夕。
「まぁ、まだ僕も恥ずかしかったからですよ。それより、僕から告白はしませんよ」
「……」
「……」
「だから、そんな顔で僕を見ないで下さいよ。てか、百合が好きです、って言うまで言わないつもりですから」
人差し指を口の前に持ってき、笑顔で言った。
「これは、ユリちゃんがんばらないとね」
「そうだな」
「飲み物持って来たよ」
お盆に飲み物が入っているコップを載せて、向かって来た。
「このことは、秘密だから」
そう言うと、百合の方を向いて話し始めた。
「まったく、大変な王子様に目を付けられちゃったね」
「そうだな」
この様なことが、百合が飲み物を入れている間に、起こっていたのだった。
「うんん。何でも無いよ、ユリちゃん」
「嘘です、絶対嘘です!」
「五月蝿い、姉さん」
出来立てのコーヒーを、飲み始めた夕。さっき、渚と百合のことで喧嘩したので、少し気まずいと思っていた。
「ちょっと夕。ここでは、藤堂先輩でしょ」
「あー……はいはい」
「もう。そうだ清水、そろそろ聞かせてくれる。天月 綾女の、面白いところ」
「そうだね。それじゃ、ケーキを食べながら、ゆっくりと話そうかな」
「クシュン!」
「おい、大丈夫か綾女」
学校から寮に帰って来て、そのまま綾女の部屋で話しをしていた。
「もしかして、天月君のことを誰かが噂、しているかもしれません」
「マジか!」
「秋羅君が、言わないで下さい。面白くありません」
「空気読め」
「うっ」
「ところで、何で野山達は俺の部屋に居る?」
出て行け、と言いたそうな目を、水仙達に向けた。だが、水仙はそんな目を気にせずに話し掛けた。
「まぁまぁ、硬いこと言わないで下さいよ。うち等はもう、天月君の友達なのですから」
「別に、いいが。それじゃ、真利宮。どうして男装しているのか、理由を聞かせてくれ。この部屋には、外野は居ない」
「あぁ、そうか。だから、あの時……いいぞ、聞かせてやる」
「椿君……」
不安そうに、椿を見つめる水仙。
「俺が、どうして男装を始めた理由は、水仙を……水仙に償いをするためだ」
「償い……」
「あぁ。水仙が似合うから、と言ったらしいがでも違う。それは、嘘だ」
「……」
「本当は、俺の所為だ……俺が、気づいてやれなかった所為で……」
「……」
無言で話を聞き、水仙達も無言で話を聞いた。
「始まりは、小学校低学年の頃だった。ある事情で水仙は、女の子の服……俺の服を着て登校した。やっぱり、服装に関して男女問わず聞いてきた。でも、仲良く男女とも遊んでいた。その日から、女装を始めた水仙。だが、中学年になると、男子は水仙と遊ばなくなり水仙は、女子とだけ遊ぶようになった。だけど、高学年にもなると男女とも水仙を無視し始めた。この時から、水仙は苛められた」
「……」
「俺がこのことを知ったのは、小学校六年生の卒業式シーズンの時だ。俺と水仙と秋羅は低学年まで一緒に遊んでいたが、中学年からバラバラの友達と遊んでいた。だから、俺はその時も友達と行動していて、噂とか全然知らなかった。でも、ある日聞いた。男女仲良く会話している内容が……水仙のことだった!」
「っ……」
「ちょっ! やめっ……」
胸倉を掴んで、綾女の顔に椿の息がかかるくらい、近づいていた。それを、止めに入ろうとした水仙を、手で止めた秋羅。
「分かるか……天月に分かるのか! あの時の水仙の気持ちが、どれほど一人で泣いたのか、どれほど助けて欲しいと願ったか……あんまりにも、可哀相だろ」
「……可哀相、と思う心があるのならそれは……人を見下しているのと一緒だな」
「!」
さっきまで、無言だった綾女は初めて椿に反論した。
「だってそうだろ、人を見下している人はその人は自分よりも劣っている、自分より不幸だ、と思っているからそう思うのだろ」
「違う!」
「違わない、だから真利宮・・・・・・椿は、その男女に言っただろ。椿は実は、自分のこと可愛い、って言っているの。世界中の誰よりも可愛い、自分と比べたものは全てゴミ屑以下よ、って言っていたよ、って言ったはずだろ。水仙のことで、溜まっていたストレスを水仙の悪口を言って発散させようと思っただろ」
「……れ」
「椿は、水仙のこと本当はき――」
「黙れ……黙れぇぇ!」
胸倉を掴んでいる力を、強めた。
「俺は……俺はそんなことしてねぇ、俺は……俺は、水仙を売ったりしてねぇ!」
「そう。だから椿は、後から後悔した。さっきのことを、もう一度やり直したい、って思ったよな。次は、水仙の悪口を言っていた奴を殴るそんな良い人、を演じたかったよな。水仙を売る悪い自分ではなく、水仙を助ける良い人の自分になりたかった。だから、自分が売った情報を、話している男女関係無く殴った」
「ああああああああああ……ああ……あああ」
胸倉を掴んでいた両手を離し、手を耳に当てて蹲り叫び出した。もう、見ていられなくなった水仙は、今度こそ椿の側に駆け寄ろうとするが、秋羅がまたもやソレを阻止した。綾女は、こんな姿の椿を見ても話すのを止めようとはしなかった。
「でもある日、ふと思った。見境なしに殴っても、意味が無い。それに、この噂の出所が自分だと分かってしまうかもしれない。ならば、一番初めに言った男女の記憶を無くしてしまえば、この噂の出所が自分だとばれる心配は無い。そう考えた椿は一番最初に言った男女の背後から殴り、意識不明の状態にした」
「ああ……ああああ……あああ」
「これが、椿の真実。椿が男装をしている理由か?」
「いや……いやだぁぁ!」
ヒステリックを起こしてしまった椿を見ても、冷静に対応する秋羅。でも、水仙がじっとしている訳も無く、椿に駆け寄ろうとしても秋羅が水仙の手首を掴んだ。
「離して、お願い。離してぇぇ!」
「駄目だ、水仙だって気が付いているだろ。椿がどんな思いを抱えていたか」
「いや、聞きたくない」
両手で自分の耳を塞ぎ、崩れるように座った水仙。だが、秋羅は推薦の両手を剥がした。
「聞け、今後の椿にも水仙にも俺にとっても、大事な話だ」
「どうして……」
「いやぁぁぁぁぁ!」
悲鳴に近い声が、椿の口から聞こえる。
「あぁ、壊れる。うち達の世界が、壊れていく」
「椿、お前は間違っている。そんな歪んだ友情、そんなので縛り付けられるな」
「言わないで、綾女お願い。言わないでぇぇ!」
「言いたいことがあるだろ、お前はもう自由だ。過去は消せない、だが未来は変えられる。椿が、一歩踏み出さないと誰も踏み出せない」
両手で耳を塞いでいる手を剥がし、椿の顔を無理矢理上げさせた。
「いや……一人は、いや……一人は怖い」
「大丈夫、椿は一人じゃない。水仙も秋羅も俺も居る。ずっと側に居る」
「嘘……真実を言ったら、嫌いになる……幻滅する、私を一人にする」
「しない。だから、言って良いよ。椿の全部を受け止めてあげるから」
その瞬間、溜め込んでいた涙が次々と流れ落ちた。
「もう、終わりだ……」
「水仙」
顔を覗き込もうとした秋羅は、水仙から涙が一つ二つ、落ちていることに気づいた。
「……綾女が言った通りなの。私は、水仙の悪口言った」
「どうして」
「だって、私の好きだった人が……私よりも、水仙の方が可愛い、って言っていたの、聞こえて。頭が真っ白に……その時に、水仙のこと噂してて……」
「うん。話してくれてありがとう」
優しい笑みを椿に向けた、椿は自分から綾女に抱きつき、綾女の胸で泣いた。
「仕方ないよね……もう、終わりにしよう」
「水仙……何しているンだ」
「別に、このままでもよかったのに」
「や、やめろぉぉ!」
手に持った、カッターナイフを綾女に刺そうとした瞬間。
「ごめんね、本当にごめんね、水仙」
「ど、どうして……どうして謝る」
「水仙は、何も悪くない……全部悪いのは私なの。水仙は、ただ私の私情に巻き込まれただけなの」
「違う、僕が悪――」
「ずっと、言えなかったの……水仙、許して何て言わない。ただ、謝りたかったの」
この十五年間の中で、一番良い笑顔を水仙に向けた瞬間、手に持っていたカッターナイフが床に落ちた。
「……た」
「え、何――」
「知っていた。水仙が、僕の悪口言っていたのなんて。でも、それでもよかった。椿は、まだ僕のこと覚えてくれていたことの方が、嬉しかった。椿の側に居られるためには、嘘をつくことだって出来た」
「水仙」
「こんな僕を知ったら、きっと嫌いなると思ったから、ずっと黙っていた。椿の男装のことで、とやかく言ってきた奴は、全部僕が脅して転校させた」
「どうし――」
仁王立ちしている水仙の顔を、覗き込もうとしたら、崩れるように座り込んだ。水仙の顔は、次々と涙が流れていた。
「そんなの決まっている、僕達の世界を壊して欲しくないから。壊れたら、僕達はまたバラバラになる。そんなの、もう嫌だ」
「水仙、私達……同じだね」
体を綾女から離して、水仙に抱きつき一緒に泣いた。数十分後泣き止んだ二人に、生暖かいタオルを渡した。その間、ダンボールから衣類などを出し始めた綾女。その横で、綾女の邪魔をしまくる秋羅で、綾女の部屋の中には笑い声が絶えなかった。一時間後、綾女の荷物が全部片付けられた時、秋羅が話し出した。
「もう、そろそろ風呂にはいらねぇと、夕飯食えなくなるぞ」
「そうですね。俺……うち達も、もう大丈夫ですし一階の階段下のテレビの前集合で、いいですか?」
「私……俺は、それでいいぞ。その方がある意味、ありがたい」
目の上に置いていた、冷たくなったタオルを取り、そのタオルを綾女に投げつけた。綺麗にキャッチした綾女は、次は洗濯機に一番近い秋羅に投げた。
「おっと……おい綾女、剛速球で投げるなよ。しかも、顔面に当てる気満々だったろう」
「大丈夫。きっと秋羅なら、取ってくれると信じていたから」
「綾女……」
「って、言うのは嘘で」
「俺の感動を返せ! 今すぐ返せ、利子付きで返せ」
「意味分かんねぇ。てか、どうやって返す。秋羅、マジ馬鹿だな」
話しが段々違う方向に行ってしまった。それでも、椿達は止めに入ろうとはせずに、温かい目で見ていた。
「馬鹿、って言った方が馬鹿何だぞ」
「それじゃ、秋羅もそうだろ」
「……あぁ、なるほど」
「理解するの、遅っ。それじゃ俺が問題出して、秋羅が答えられたら、認めてやるよ。秋羅は、馬鹿じゃない、って」
「よし、受けて経ってやる」
こうして、男同士の熱いかどうか分からない勝負が、始まり問題は漢字の読みである。
「それじゃ、本気、と書いて何て読む」
流石に、秋羅でも分かるだろう、と思って出した問題の答えが綾女の想像を、はるかに上回った。
「マジ」
「死ね」
自信満々に言った答えを、綾女が全否定したのだった。このやり取りを見ていた椿達も、笑いを堪えるのに必死であった。
「何でだよ、合っているだろ。よくマンガに、本気と書いてマジと読む、って言っていたぞ」
「それは、暇な人間共が勝手に作った読みで、国語辞典で調べてみろ。絶対載ってないから。まぁ、秋羅は正真正銘の馬鹿だ、ってことが分かったから良いだろう。呆れる通り越して心配になるぞ」
心配そうに秋羅を見つめる綾女の目に、さらに笑いがこみ上げ腹を抱えながら蹲っていた、椿達。
「そんな目で、俺を見るなぁぁ!」
猛ダッシュで、綾女の部屋から出て自分の部屋の中に入っていた。秋羅の部屋の前を歩いていた人達に、勢いよくドアを閉めたためジロジロと通る人に見られていた。
「人の部屋のドアは、丁寧に扱え、って言われなかったのか秋羅。お袋さんが泣いているぞ」
自分の部屋のドアの取って掴みながら、部屋の外に上半身だけ出して言ったのだが、秋羅から返事が返ってこないので、仕方なく自分の部屋の中に入った。
「秋羅の奴、自分の部屋に帰っちまったけど、よかったのか」
「……うち……もう無理……」
「……右に……同じ……」
その瞬間、椿達の大きな笑い声が、廊下中に響いたのは、言うまでもない。数分後、笑い声が収まり水仙が話し出した。
「ごめんなさい。いきなり笑い出してしまってでも、笑ったらスッキリしました。それじゃ、うち達もお風呂の準備をしに行きますね。それでは、また後出会いましょう」
「あぁ、また後で」
「俺も行く」
「椿」
立ち上がり、綾女の部屋から出ようとした時綾女に呼び止められ、綾女の方を振り返った。
「何だ、用事ならまた後の方が――」
「違うって。言い残したことがあったから、言いたかっただけ」
「言い残したこと……何だ」
「椿、って意外と涙もろいな」
「違っ!」
「椿君、早く行きますよ」
真っ赤な顔をして、否定しようとしたが、水仙に無理矢理連れ出されて、誤解が解けずにいた。皆が出て行ったので、部屋の中がシーンとしているのが居た堪れなくて、パジャマとタオルなどを袋につめて一階に下りた。
「遅いぞ、綾女。男なら、準備を早くしないと女にモテないぞ」
「別に、モテなくて良いし」
「うっわ。今の言葉、言ってみてぇよ」
テレビの前にある、長めのソファに腰掛けている秋羅の隣に、腰掛け話し出してから数分後、椿たちも来た。全員揃ったのでお風呂に向かい、男と女の暖簾が掛かっていた。
「椿君、また会いましょう」
「あぁ」
女と書かれてある暖簾の中に、中に入っていった。
「それじゃ、うち達も中に入りましょうか」
「そうだな」
「この学校の風呂は、温泉みたいだから一日の疲れも、一発に吹っ飛ぶぞ」
男とかかれてある簾の方に入り、自分の脱いだ服を置いてある籠の中に入れていった。
「綾女の腹筋、少しだけ割れているンだな」
「まぁな。ソレを言う秋羅も、地味に割れているよな」
「毎日、筋トレしているからな。実に、素晴らしい腹筋だろ」
「あー……はいはい。でも、秋羅よりもっと意外な人物が居るぞ」
「誰だ」
指を指した方向に居た人物は、キョトンとした顔で綾女達を見ていた水仙だった。
「何ですか」
「俺的には、流石に腹筋は割れてない、と思った」
「あぁ、やっぱりだよな。俺も、十五年近く一緒に居たけど、今一水仙の遣りたいことが理解出来ないンだよな。何で、腹筋割れてンだ」
「それは、ポッチャリ系も可愛いと思っていますが、やっぱりスラットしている子の方が可愛いと思いましたから。うちも、腹筋が割れるまでやるつもりは、無かったのです。でも……筋トレしてみると、意外とはまっちゃいました」
「なるほど。それじゃ、その髪も地毛」
服を脱ぐ手を止め、話し出した綾女達と比べて椿は、さっさと服を脱いでお風呂に入っていた。
「そうですよ。この長さになるまで、いろいろと苦労しました。親は別によかったのですが、親戚連中が切れ切れ五月蝿かったです」
「そらぁ、ご愁傷様」
「あははは。ところで綾女……天月君、どうしてうち達がこんな格好を、許されていると思いますか」
「綾女で良いよ。てか、そんなの先生達から、許しが出たからだろ」
「おしいですね。正解は、学園長にお願いを叶えてもらったからです」
「……願いを」
言っている意味が、分からない綾女の様子に気づいた秋羅は、推薦に向かって話し出した。
「水仙。ますは、その説明からしてやれよ。流石の綾女も、何が何だか分かンねぇよ」
「そうですね。それじゃ、その話はお風呂に入りながらにしましょうか」
残りの服を全部脱ぎ、お風呂場に入り体を流しアロマ風呂に入った。秋羅が言っていたように、家庭にあるお風呂ではなく、温泉である。
「そう言えば、綾女君はあーちゃん先生にマイナス一とか、言われていましたよね?」
「うん。明日教科書などを忘れてきたら、マイナス一とか言っていた」
「それじゃ、最初はその話からいたしますね。私立雨音宮高等学校では、十ポイント貯めれば、学園長に何でも良いので、一つだけお願いが出来ます。しかも、十ポイント貯めれば、何回でも可能です。うち達はソレで、三年間この格好で居ることを許可してもらいました」
言い終わると、立ち上がり露天風呂のある方に向かい、露天風呂のお湯に浸かった。その後から、綾女達も入って来た。
「そして、ポイントのとり方はかんたんです。良い成績を取ることです。例えば、テストで上位十位以内に入ること、部活でトップス三に入ることなどです。けれど、一位だけはプラス三ポイントもらえます。二位以下は、同じプラス一ポイントです」
「ついでに言うと、俺は二ポイントだぜ」
空の星を見ながら言った。釣られて、綾女も空を見上げた。水仙だけ空を見ないで、綾女の方を向いた。
「それと、マイナスの付け方は、先生によって違います」
「違う、ってどうして」
「忘れ物などをしても、見逃してくれる先生も居ますから。例えば、ゆっちゃん先生です」
「あぁ、なるほど」
「ポイントのことは、コレでお仕舞いです。質問はありますか?」
「無いかな」
今度は、綾女が露天風呂から出て泡風呂へと入りその後に、水仙達も入って来た。
「それでは、後一つだけ。六時から十一時まで、お風呂が入れます。七時から九時までが夕食タイムです。七時から九時までに間に合わなかったら、夕食は抜きだと思ってください。うちからは以上ですが、分かりましたか?」
「うん。てか、この泡風呂の泡ありすぎだろ」
「そこが、この泡風呂の長所だろ」
「……」
冷たい目線を無言で、綾女達に向けた。そんなことにも気づかないで、泡風呂の泡で遊んでいた。椿はと言うと……
「遅い……遅い、遅い、遅い。テレビも良い番組やってぇし」
怒りMAX中で、ソファに座りながら貧乏揺すりをし始めた。椿がフロントと呼ばれる場所に来たのは、今から約三十分前であった。フロントは、最初綾女達との集合場所だった所である。
「よし、決めた。この鬱憤を、一番初めに来た奴を殴ることで、発散させよう。うん、絶対やる」
計画を立てている時、綾女達はと言うと……
「朝ごはんは、朝の五時から八時までです。朝ごはんは間に合わなかったら学食や購買に行けば、食べられますから安心してください。学食と購買は、学校が開いた時からやっていますから、何時でも買いに行けます。後、寮のキッチンは何時でも使って良いですよ。購買や学食が嫌な人は、自分でお弁当を作れます」
あれから、泡風呂から出て体に付いた泡を流し、頭と体を洗い濡れている髪を拭きながら話した。
「わかった。色々とありがとう」
「いえ。人として、当たり前のことですよ」
「おーい。綾女、水仙早く行かねぇと椿がキレるぞ。なので、俺は先に行っているから、御武運を」
言いたいことだけ言って、自分だけ先にフロアに向かった。綾女達は、ゆっくりとパジャマに着替えて外に出た。
一番初めにフロアに着いた秋羅は、フロアに付いた瞬間、椿に右アッパーを食らったのだった。
夕食を食べ終えた綾女達は、また綾女の部屋に入った。
「食った、食った。今日も、美味かったな」
「秋羅君、ご飯五杯も食べていましたからね。幾ら何でも、食べすぎじゃないですか?」
「野生」
「うるせぇ、椿」
呟いた声も、聞き流さなかった秋羅。そこから、また喧嘩が始まったのは、言うまでもない。
「五月蝿い。今から学校の話を聞くから、邪魔するなら帰れ」
痺れを切らした綾女は、喧嘩している椿と秋羅に声のトーンを落として言った。だが今度は、罪の擦り付け合いをし始めた椿と秋羅を目で黙らせた綾女。静かになった頃を見計らい、水仙は綾女に紙とシャーペンを貰い、話し出した。
「それでは、話しますね。ポイントのことは話しましたので、この学校の関係に付いて話しますね」
「よろしく」
真面目な顔で返事をした綾女と違って、綾女に怒られて不機嫌な椿。でも、水仙の話はしっかりと聞くつもりだった。秋羅は綾女の冷蔵庫を勝手に漁り出し、フルーツ牛乳を取り出して勝手に飲み出した。
「それでは、話しますね。まずこの学校、私立雨音宮高等学校。通称雨校、と生徒達から呼ばれています。そして、小・中・高とエレベーター式なので、転校生は貴重な存在です。ところで、中学校と小学校を見ましたか?」
「見てない。でも、近くに無いのは知っている」
「そうですか」
真っ白の紙を縦向きにし、シャーペンで真っ白の紙の上に綺麗な正三角形を書いた。
「この正三角形の天辺が、うち等が居る雨高です」
正三角形の天辺に、雨高、と書き体を元の体制に戻した。
「そして、右が私立雨音宮中等学校。通称雨中です。左が、私立雨音宮小等学校。通称雨小です」
説明をした後、正三角形の天辺に雨高、と書かれている様に、右と左に雨中・雨小、と書いた。
「繋がっているな。雨小と雨中は、この学校と。しかも、正三角形で」
「はい。雨高の関係はココまでです。今の段階で、質問などありますか?」
「うんん。無いよ」
「それでは、次は寮に付いて説明させて貰いますね」
「寮……別に良いよ」
「雨高は、色々と変わっているから、聞いていて損はしねぇよ」
突然、話に割り込んで来た秋羅を見上げた綾女は、秋羅のもっているものが目に入った。
「てか、秋羅。勝手に人の飲み物、飲むなよ」
「良いだろ、ジュースぐらい、ケチケチするなよぉ」
軽くした打ちをし、目線を秋羅から水仙に向け直した。
「もういい。水仙……野山、次の話を聞かせてくれ」
「はい。あっでも、もう名前で呼んでくれても構いませんよ」
「分かった」
雨高の関係が書かれている神を、裏向きにして書き始めた。
「雨高は、部活で寮が分かれています。体育館を使って部活をしている。バスケ部・バレー部・バトミントン部・柔道部・剣道部達は、体育館自体が寮になっていて、二階が畳部屋。ココで、柔道部と剣道部が練習しています。三階が男子寮、四回が食堂やお風呂などです。五階が女子寮となっています」
学校を立体かつミニサイズで書いた隣に、体育館を書いた。体育館も、学校と同じように書いた。
「だから、体育館はあんなにデカイのか」
「はい。そして、学校の中を使って部活をしている。美術部・吹奏楽部・手芸部・けいおん部・演劇部・天文部・科学部・パソコン部・新聞部・園芸部達は、学校の左側に寮があり体育館が学校の右側です。そして、その寮はこの寮と中がまったく同じです」
学校の左側に、美術部達の寮を書いた。
「もしかして、あのデッカイ家ぐらいの大きさのだろ」
「はい、そうです。それでですね、雨高の中で一番多い部が、この帰宅部なのです」
「マジ、一番なの」
「はい。そして、雨高を東としたら、うち等の寮は北です」
紙から目を離して、綾女の方を向き笑った。
「そして、二番目が運動場を使って部活をしている。野球部・テニス部・アメフト部・陸上部・ソフトボール部・サッカー部・水泳部達は、この寮から反対側にあります。東西南北で言うと西です」
野球部達の寮を南に書くと、綾女にその紙を渡した。
「これが、雨校の寮の図」
「はい。絵が下手だと思いますが、気にしないで下さい」
「いや、物凄く上手いけど……たしか、学校の窓からでも十分に見えた、あの立派な建物。あれは、何だ?」
紙をじっくり眺めた後、紙から目を話して水仙に聞いた。
「やっぱり、知っていましたね」
手に持っていた紙を返してもらうと、また書きながら話し出した。
「それはですね。生徒会の寮です。立派ですよね」
「立派どころじゃないだろ。アレは」
生徒会の寮は、学校よりほんの少し小さいけど、他の寮に比べれば断然生徒会の寮の方が大きい。
「しかも、生徒会の人数、って少ないだろ。それとも、雨高は多いのか?」
「いいえ。雨高は四人で、どっちかと言いますと少ない方です」
生徒会の寮を西に書いて、顔を上げた。
「アンナに立派だからか分かりませんが、雨高の生徒は生徒会の寮には、近付かない様にしています」
また紙を、綾女に渡した。
「それじゃ、お浚いするけど。東の寮は、体育館を使っている部活と、学校の中を使っている部活。北の寮は、帰宅部。南の寮は、運動場を使っている部活。そして最後、西の寮がさっき言っていた生徒会。雨高の寮は、東西南北に分かれられているな」
「はい。そして、この東西南北の分け方にも意味があるのです」
「意味?」
貰った紙から目を離し、水仙の方に目を向けた。
「東西南北で別れた寮の成績、運動能力、その他諸々。大体同じなンだよ」
「……同じにする必要は」
「雨高では、体育祭や文化祭などの行事で、何かしら寮同士のバトルがあるンだよ」
突然口を挟み出した秋羅に、顔を向けた。秋羅はまた、綾女の冷蔵庫を漁り出し、カフェオレとイチゴオレと炭酸飲料を取り出し、椿にカフェオレを投げ渡し、水仙にイチゴオレを投げ渡し、秋羅は炭酸飲料を飲み始めた。その行動に唖然としていた綾女だが、秋羅を怒ることもせずに、コーヒーを持ってくるように言った。
「えっと、大事なことは全部話したと思います。まだ分からないことがあれば、何時でも聞いてくださいね」
「あぁ。そうする」
手に持っている紙を、自分の引き出しにしまった。
「それじゃ、俺達も戻るか」
飲みかけの炭酸飲料を、手で弄びながら立ち上がった。
「そうだな」
「ちょっと、待ってください。まだ、うち等の部屋の場所を教えていません」
「そっか。綾女、俺の部屋は綾女の部屋とは正反対だが、何時でも遊びに来いよ」
満面な笑みを浮かべている秋羅と百八十度違う、嫌そうな顔の綾女。二人の顔を交互に見ている椿達は、綾女達に気づかれないように笑った。
「うちの部屋は、綾女君の部屋の隣の隣です」
「俺は、この真上だ」
「そっか、分かった。後、花ありがとう」
進入祝いみたいな転入祝いで、椿と水仙と秋羅から貰った。花の種類を選んだのが、椿と水仙で代金全額秋羅が払った。
「どういたしまして」
「……椿は薔薇、水仙は向日葵だな」
「……」
「……」
突然意味不明の言葉を発した綾女に、椿達は唖然として何も言えなかった。
「……何だ、行き成り」
数十秒経って言葉を出したのは、椿だった。
「いや、椿と水仙から花を貰ったから、椿と水仙を花で例えるのなら、薔薇と向日葵だな、って話」
「!」
「そうですか。うちは、向日葵ですか。何だか、嬉しいです」
凄く喜んでいる水仙と違い、椿はほんのりと頬を赤く染めていた。
「てか、俺もその花に関わっているンですけど。てか、俺はどんな花」
「秋羅か……秋羅は、ラフレシアだな」
「笑顔で毒舌吐くな」
ラフレシア、と言う言葉が以外にもショックを受けている秋羅を放っといて、椿は綾女の部屋を出て行った。その後を追うかのように、綾女も出て行った。
「どうしたのでしょうか」
人差し指を顎の辺りにおいて、少し首を傾けて言った。
「さぁ、反抗期だろ」
「そうですか」
そんな会話を数分していたら、部屋のドアが開いた。部屋の中に入って来たのは……
「あれ、まだ居たの」
居ることを知っていたにも拘らず、そんな言葉を言いながら入って来たのは、この部屋の持ち主。綾女であった。
「綾女君。椿君は、どうしたのですか」
質問を投げつけたと同時に、壁を蹴る物凄い音が部屋中に鳴り響いた。
「あー……やっぱり、何でも無いです」
「そう。そう言ってもらえると助かるよ」
「何、何の話」
勝手に話を進めながら、秋羅の存在を軽く無視しながら綾女達は笑い合っているが、目が全然笑っていなかった。
「それでは、今日はココまでに致しましょう。お休みなさい、綾女君」
軽く頭を下げ、イチゴオレを片手で持ち片方の手は、秋羅の首根っこを掴み引っ張りながら、綾女の部屋を出た。ちなみに、綾女の部屋の壁を蹴ったのは、椿だった。
「ゆりちゃん、今日も遊ぼう」
「うん」
「……ん」
「ゆりちゃん、何して遊ぶ」
「えーとね……」
「……ちゃん」
真っ暗の中、幼い少女と少年が居た。楽しく遊んでいた。そう、遊んでいたのだ。
「誰かが、私を呼んでいるの。行かなきゃ」
「……で」
「何」
「行かないで!」
少女の足にしがみ付いた少年は、涙を流し始めた。
「置いて行かないで、お願い、僕を一人にさせないでゆりちゃん!」
「……」
「ゆりちゃんには、僕しかいない。誰も、ゆりちゃんを愛せない。ぼく以外、皆ゆりちゃんのことが、大嫌い何だよ」
不敵な笑みを浮かべ、涙を拭いながら立ち上がり少年の小さな手を、少女の頬に触れた。
「ねぇ、置いて行かないでね。僕は、ゆりちゃんのこと離す積もりは無いから。僕の愛しのゆりちゃん」
「ああああああ」
「ユリちゃん!」
起き上がった目の前には、心配そうにしている菫が居た。数秒して、今のは夢だったことが分かり始めた。そう、あれは悪い夢。
「大丈夫?」
「は、はい」
少し、乱れている息を整えながら答えた。どうやら、生徒会の仕事をしているうちに寝てしまった様で、枕代わりになっていた書類の紙は少しヨレヨレになってしまった。
「居眠りとは、副会長の名が泣くね」
「ちょっと、ユーちゃん。その言い方は、よくないわよ」
「オレは、思ったことを口にしたまで。やる気が無いなら、早く寝ろよ。はっきり言って、邪魔」
「ユーちゃん、この仕事は元々――」
「百合、起きましたか菫先輩」
ドアが開き入って来たのは、髪の毛から雫を落としながら近寄ってくる渚だった。
「出た。諸悪の根源」
「はい?」
状況が今一理解していない渚には、意味不明な言葉だった。
「これ、ユリちゃんがナギちゃんの、仕事をした分」
「……何で、真っ白なの」
「知らない。てか、寝かせてあげて。ココ最近、結構遅くまで起きているはずよ」
それだけ言うと、自分の席に座り仕事を始めた。そんな菫を横目で見ながら、目線を前に居る百合に向けた。
「うーん。それじゃ、もう寝るか百合」
「何言っているの、居眠りしていたのは謝るけど、もう大丈夫だからその紙返して」
「嫌」
即答した渚は、半ば無理矢理連れ出し百合の寝室まで、一緒に廊下を出た。
「なぁ、夢見ていた? もし、見ていたのならどんな夢だった」
「……分からない。もう、覚えてない。でも……男の子が居た。そして、とても怖かった」
「……」
それっきり、百合達話もせずに百合の寝室に着いた。
「それじゃ、もう休みなよ」
「うん……ごめん、迷惑かけて」
「気にしてないよ。お休み」
「お休み」
部屋のドアが閉まった後、お風呂に入る気にもなれずシャワーだけ浴びた。シャワーを浴び終わった後、凄く眠く髪を乾かさずに寝た。だが、夢で見た少年が最後に言った言葉が、どうしても胸に残っていた。
「ゆりちゃんの嘘は、何時かきっとバレルよ」
その少年は、百合の初恋の人でも合った。
その頃、綾女は中々眠れなかった。さっきあった、椿との会話が鮮やかに頭の中に残っているから。
部屋を出てすぐの場所で、綾女は椿を捕まえて耳元で話し出した。
「何、嬉しかった?」
「!」
顔を真っ赤にして、睨んでも綾女には効かなかったようで、耳元で話し続けた。
「本当に、そっくりだな。椿は、薔薇に」
「五月蝿い!」
今度は怒鳴ったが、しれも綾女には効かなかった。
「薔薇は綺麗だが、刺がある。そんなところが、椿に似ているな」
済ました顔で、耳元から顔を上げて椿を真っ直ぐ見た。
「五月蝿い」
とうとう手を上げたが、綾女は手首を掴んだまま、椿との距離を短くした。
「でもな、刺さえ取れば自由に触れるし、綺麗になる。まぁ、刺があっても綺麗だけどな」
「……に」
「ん?」
「だから、何、お……私は、刺何て取らない」
「あぁ、取らなくて良い。まだ、誰にも触らせたくない。俺だけが知っていれば良い。こんなにも綺麗な薔薇は」
「!」
顔中真っ赤にしながら立っている、椿の手首を離した。
「ソレと後。口調、直しとけよ。それじゃ、お休み」
そうして、自分の部屋に入った。
そんなことを、また思い出した瞬間、ふと思い出した。綾女には同じとは言いがたいが、似たような感情を持ったことがある。それが、恋なのかは分からないが、一つだけ言えることがある。その子のことが、この世の誰よりも、大切だった。
「コレで、役者は全員揃った」
双眼鏡を持っている手を、下に下ろした。
「これで、最後。これで終わらなければきっと……いや、絶対に終わる。終わらなければいけない、始まりは終わりなのだから」
こうして、綾女の高校生活が始まろうとしていた。