第三話・加速する現実感
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「…………。」
細く朝日が差し込む一室で、クロはパチリと目をさました。クロはそのままむくりと起き上がると、洗面台の方にゆらゆらと歩いていく。洗面所までたどり着いたクロは、そこで軽く顔を洗い歯を磨くと、鏡を見てため息をついた。
実際、この仮想空間のなかで顔を洗ったり歯を磨いたりする必要があるのかと言えば答えはNoだ。別に肌や歯が汚れるわけではないので洗う必要もない。言ってしまえばただの気分だった。
クロはため息をついた後、もう一度鏡を見る。そこに写ってるのは丸々太った豚のような男の姿。三年間慣れ親しんだ姿だった。クロは、別にその姿に文句があるわけではない。確かにその容姿のせいでなにかと面倒ごともあることにはあったが、まさしく自分でまいた種だったので特に気にすることもなかった。ため息の理由は別にあった。クロのため息の理由、それは現実での自身の容姿のことであった。三年間、鏡に写るのは仮想体の自分の姿。三年前まで毎日見ていた自分の顔なのに、三年見なかっただけで、クロはもうろくに自分の顔も思い出せなかった。
「はぁ、まぁ現実でもたいしたもんじゃなかった気がする。痩せてはいたけどそれだけだし、別に気にすることもないか。」
クロは一人そう呟くと、洗面台からはなれ手を振りウインドウを開いた。クロはそこからいつもの装備一式を装備すると、一度大きく伸びをして玄関に向かった。
「よし、いってきます。」
クロはそう誰もいない部屋に向けていうと、玄関を閉めてゲートの方に向かった。
「おうクロ豚ちゃん、今日もソロかい?」
ゲートへ行く途中、クロは男にそう呼び止められていた。クロは声の主の方に振り返ると、はぁっとため息をついた。
「カインズ、わかりきったことを聞かないでくれ。それとクロ豚やめて。」
クロに声をかけたのは金髪碧眼の背丈の高い男だった。カインズは白銀の騎士鎧を身に纏い、背中に大剣を背負っていた。ちなみにかなりの美青年である。
「まぁそういうなって!クロちゃんもそろそろパーティー組まないときついぜ?」
カラカラと気さくそうに笑うカインズだが、その目が本気で心配してくれていることを物語っていた。この男、なにかと冗談めかして言うので勘違いされがちだが基本的に真剣でいいやつなのだ。クロも、そんなカインズとはもう長い付き合いで、この世界が始まってすぐに知り合い今までよき友人として付き合ってきている。クロの容姿を気にしない数少ない一人だ。
「……まぁ、気が向いたらね。」
「かぁーっ、俺がギルドに入ってなけりゃ無理矢理にでも組んだものをよぉ。」
カインズは大袈裟なそぶりでそんなことをいった。カインズは今自分でいった通りギルドに所属していた。しかも攻略組でも上位のギルドだ。名を『魔導騎士団』という。人数自体はそこまで多くない中型ギルドだが、一人一人の能力が高く最強ギルドの一角を担っている。ちなみにカインズはギルドマスターでもある。
「お前ギルマスだろうに。」
「こまけぇことは気にすんなよ!それよりこれから攻略だろ?行ってこいよ。」
「はいはい、クロ豚ちゃんは今日も頑張りますよぉ~。」
クロはテキトーにそういうと、ゲートに向けて再び歩みを進めた。カインズは待ち合わせだろうか、その場に留まり手を振っている。
クロはゲートにたどり着くと、その前にたって口を開いた。
「転移、『トワイライトタウン』。」
クロがそう呟くと、クロの体を電子の光が包み込んだ。瞬間、クロの視界が即座に切り替わる。切り替わった視界に写った街並みは、先程までとは異なり夕暮れ時のような雰囲気のある山吹色の街並みだった。
クロはゲートから出ると、すぐに街の門の方へ歩き出す。ゲートから門までの距離が近く、門にはすぐにたどり着いた。そこにはパーティーメンバーと待ち合わせ中なのであろうプレイヤーが大勢いた。
「賑わってるねぇ。……見てても虚しいから早くいこう。」
クロはため息混じりにそう呟くと、すぐに門を出て迷宮の方に向かった。迷宮とは、次の階層に繋がる階段のようなもので、そこを攻略するのが攻略組の主な目的であった。迷宮には必ずボスモンスターがいるので、危険きわまりないことは間違いない。
クロは門の外に出るとすぐに走り出した。その速さは間違いなく人外のそれで、途中何体かのモンスターとエンカウントしたのだが、それら全てをぶっちぎって置き去りにし、一切の戦闘行為を行わずにクロは迷宮までたどり着くことができた。
クロはソロプレイヤーであるため、戦闘においては非常に精神をすり減らせることになる。精神が磨耗すれば、思考も弱まり致命的なミスに繋がりかねない。そこでクロは、迷宮までの戦闘を極力なくすことにしたのだ。結果、通常のプレイヤー達より長く深く迷宮に潜れるようになったのだ。
「さて、今日中にボス部屋までたどり着けるかな。まぁ、ボスは他の連中に片付けてもらうんだけどね。」
クロはすぐに迷宮へと入ると、辺りを警戒しつつそんなかる口を叩いていた。クロはスキルが使えないため、索敵も自身で何とかしなければならない、つまり完全にプレイヤースキルに依存しているわけだが。慣れてしまったのかクロは感覚で索敵をしていた。所謂気配というやつである。ゲームなのに?と思うかもしれないが、この世界はある意味完成されているようでその辺りまで抜かりがないのだ。クロはそのお陰で助かっているといってもいい。
「……おっ?早速お出ましかな。」
クロはチャキッと鞘に入ったままの刀を居合いのように構えて腰を落とした。全身に力を入れているにもかかわらず、体は一切震えていない。構えている刀も、ほんの少しの揺れも見せない。クロはそのまま微動だにせずに、ある一点に視線を集中させていた。
クロが見つめる先、クロのいる通路から正面のティー字になっている道の右の角。クロの場所からではその角の向こうは見えないはずだが、クロは明らかな確信をもってその角を見つめている。
しんと静まり返る迷宮内、クロは息を潜めてその瞬間を待っていた。程なくして、クロの見つめる角の向こうから、少し重鈍な足音が聞こえてきた。それはだんだんと近づいていき、どんどん大きくなっていった。
クロはさらに気配を消して、鋭い表情で角を睨む。
ーーーもう少し、……あと一歩。
クロは吸った息を肺に留めたままその瞬間を待った。そして、クロの睨む角からぬっと赤銅色の肌を持った鬼がその姿を露にした。
その瞬間、体にためていた力を一気に解放し、クロは全力で迷宮の床を踏み抜いた。バァンッと空気が破裂する音と共に、丸で弾丸のような速度で鬼に向かって飛び込んだクロは、鬼がこちらに気がつきその獲物を構えるより早くその大太刀の間合いに鬼を捉えた。
「ーーーふッ!!」
クロは鬼を間合いに捉えると、左脇に構えた大太刀を居合い斬りのように斜め下から振り抜いた。肺の中の空気を絞りだし、その一撃に全身をフルで動かした。
狙いは首。鬼は必死に急所である首を守ろうと腕を動かすが、もう既になにもかも遅かった。
ーーー殺った。
クロのその閃光のような一閃は、鬼の首に吸い込まれるように入っていきその首の肉を斬り裂いた。
瞬間、鬼の首が宙を舞った。
首を失った鬼はゆらゆらと力なく揺れると、そのままポリゴン片となってパリンッと砕け散った。たった一撃の攻防だった。
この世界のモンスターにも急所、所謂弱点というものが存在していた。それは首だ。この世界のモンスター、並びにプレイヤーは、首を落とされると確実に一撃死に陥るという設定のようで、首を落とせばボスモンスターでさえ一撃でしとめることができる。なので、モンスターに搭載されているAIも首を守りながら戦っているためなかなか急所をつくことはできない。今のように、不意打ちで狙うくらいでしか不可能なのだ。さらに厄介なことにAIには学習機能がついているため、その戦闘が長引くとそのモンスターはこちらの弱点にも気がつきプレイヤーの首を狙ってくることがあるのだ。現に、モンスターに首を落とされて一撃で死んでしまったプレイヤーというのは、存外少なくない。
「ふぅ、不意打ち成功っと。」
クロは大太刀を一振りすると、それを鞘に戻した。大太刀を戻したクロは、その場で一度軽く深呼吸をすると、アイテムを確認することなく迷宮を進んでいった。
その足取りは軽いもので、まだまだ余力を残していることがよくわかった。
次回もお楽しみに!