インゴ熱
「えっと、簡潔にまとめると、娘の風邪が直らない?」
女性が泣き止むのを待ち、話を聞いてみると、つまりはそういうことだった。
「はい、もうかれこれ、一月ほど立っているのですが、症状が悪化していくばかりで…熱も薬を飲ませたんですが、全然熱が下がらなくて…」
エンジュは少し考え込んで…
「それって医者の?」
「いえ、あの…。お医者様のは、高すぎて…」
「…………チッ」
エンジュは軽く舌打ちした。
この女性の話が本当なら、状況はだいぶ悪いかも知れない。あの熱冷ましが効かない病気はいくつかあるのだが、どれも症状が重くなる物ばかり……。それに、一月前からということは……。
思い過ごしだと良いけど…。
「あの、何かまずいことでも…」
エンジュが舌打ちした後、しかめっ面で黙っているので心配になったらしい。不安げに顔色をうかがっている。
「や、大丈夫、すぐ行く案内して。スカラ、レシィア、ごめん。しばらく出発できなさそうだから二人で……」
「待ってる。」
最後まで言わせず、レシィアが即答した。さらにスカラが、
「手伝う、たぶん……人手いるだろ。」
どうも、スカラはスカラで、熱が下がらないという症状から病気の見当をつけているらしい。
「…ありがとう。じゃ、行こう。人手は……要らないことを願うよ。」
その言葉に、よりいっそう不安げな表情になりながら、女性は「こっちです…」と家へ案内してくれた。
「…はぁ」
エンジュは、部屋の中で、ぐったりしている少女を見てため息をついた。いや、つくしかなかった。まさかとは思っていたが…
「……最悪の状況だ。」
そう呟いた後、女性―セイスというらしい―に尋ねる。
「これ、十日くらい前に、背中におっきな痣みたいなのでなかった?いくつか。」
「あ、ありました。最初に黄色くなって、だんだん赤くなって……でっでも、今は治って…」
「治ってるのか……だいぶまずいな…」
「あの、治りますか?」
おどおどしたセイスの声に、エンジュはいらだつ。
そもそも…
「熱出てからちゃんとおとなしく寝せておいた?安静にしてれば、これほどひどくなるのは珍しいんだけど。」
声に若干険がこもる。
おそらくこの子は…。
「す、すみません…こんなにひどくなる前は、私の仕事を手伝っていました…。」
その言葉にどうしようもないほど雰囲気が尖る。
やっぱりちゃんとに安静にして無かったのか…。
そして、口から出た言葉も、さっきと比べてもかなり険がこもっていた。
「あのさぁ、病気のときは、安静にしておくのが、一番なんだよ。分かってる?薬だけ飲ませていればいいってもんじゃないし、そもそも…」
エンジュが、最後まで言い終わる前に、遅れて入ってきたスカラが、頭に手を載せた。落ち着け、とでもいうように、少し力を加える。
仕方なく言いかけた言葉を飲み込んで、セイスを見ると、彼女は可哀想なほどしおれていた。
「少し落ち着いて、まわり見てみろ」
スカラに小声で諭され……やっと気づいた。
乱雑に放り出してある織りかけの布、少女の額に置かれている濡れたタオル、そして傷だらけのセイスの手に。
エンジュは近くにあった水の入った大きめの桶に手を入れてみる。
…冷たい。
普通この辺りの田舎の町は、川を中心に出来る物なのだが、この町は珍しく、少しあるかないと川がない。
こんな夏の暑い中、水はすぐ温まってしまうし、まして保冷器などは中央都市の、貴族と一部の裕福な家にしかない。
つまり、セイスは水が温まるたびに、水の入った重たい桶を持って、川まで往復しているのだ。
仕事も放り出して。
ただ娘の身を案じて。
「医者に診てもらうお金が必要だったんですよね?」
スカラが優しく聞くと、セイスは力なく頷いた。
「どうだ?」
「たぶんインゴ熱。……………末期。」
「この町封鎖してくる。」
流石、スカラは話が早くて助かる。
インゴ熱は、伝染性の病気だ。
安静にしていれば大抵の場合重症化することは珍しいが、ひとたび重症化すると、最悪死に至る。そして一番厄介なのが、感染力がかなり強いことだ。そんな病気が一ヶ月近く放置されていたなら、もう町中に広がっているはずだ。
「しっかし…、これ治るかなぁ…。」
「エンジュ、エンジュっ!」
エンジュが悩んでいるにもかかわらず、レシィアがやかましく話しかけてくる。
が、かまっていられないのでとりあえず無視。
「あんまりこれは見たこと無いんだよなー、って言うか、俺医者じゃな…」
「エンジュ、エンジュっ!!」
「うるっさいんだけど!ちょっと黙っててくんない!?」
「何がどうなっているんだ?突然スカラは町封鎖してくるとか言うし…。リンゴがいったい何だというのだ。」
「…………は?」
エンジュは呆然とした。
相方とのあまりの反応の差に。
いや……、誰もリンゴの話なんてしてないし。
インゴ熱は、この世界の病気です。実在はしない…。感染力は、インフルエンザより強いです。