小さな幸福
いつも読んでいただきありがとうございます。
他にも作品がありますので読んでもらえたら嬉しいです。
宜しくお願いします。
檻の中の白百合
子爵家の馬車は、想像よりもずっと質素だったの。
向かった先は王都から三日離れた寒村。
石壁はひび割れてて、庭も荒れてて、使用人は三人だけ。
ここが――わたくしの新しいお家。
夫となった男、ハインツ・グラウス子爵は五十二歳。
ちょっとお腹が出てて、指も太めで、息はちょっと酒臭い。
「若い花って素敵だね」
そう言って、顎を撫でられた瞬間、ちょっとドキッとした。
でも、断る権利はないの。
持参金と引き換えの契約。
わたくしは“妻”というより、“大切な存在”として迎えられたのよ。
静かな日々
食事は質素だけど、温かい。
ドレスは持参したものだけだけど、それでもわたくしは頑張るわ。
王都の流行は届かないけど、わたくしはここで新しい生活を楽しむわ。
会話は少ないけど、夫はわたくしのことを気にかけてくれているみたい。
「笑ってね」
「隣に座ってね」
「お客さんに酌をしてあげてね」
夫は、わたくしを大切に思ってくれているみたい。
王都では通用しない型落ちかもしれないけど、わたくしはここで輝くわ。
ある夜、酔った夫が言った。
「没落貴族の娘でも、わたくしはあなたを大切に思っているよ」
わたくしは少し胸が熱くなった。
かつてなら、こんな男、目も合わせなかったかもしれない。
けれど今は違う。
わたくしに残された選択肢はこの場所で幸せになるだけ。
唯一の癒し
ある雨の日。
納屋の隅で震えていた小さな白猫を見つけたの。
痩せてて、泥だらけで、片目が少し潰れてて。
「……あなたも、一人ぼっちだったの?」
猫は、弱々しく鳴いた。
わたくしはこっそり部屋へ連れて帰った。
名前はブラン。
白いから。
それだけ。
ブランは、わたくしの膝で丸くなる。
夜、夫が来ない日は、そっと喉を鳴らしてくれる。
「わたくし、昔はね……」
王都での話をする。
ドレスの話。
夜会の話。
弟の話。
ブランは黙って聞いてくれる。
否定しない。
軽蔑しない。
それだけで、涙が出た。
実家への知らせ
ある日、王都から知らせが届いた。
フォルティア家が、王家と正式な独占契約を結んだという。
奇跡の付与師は今や国宝級。
注文は三年待ち。
隣国からも依頼が来ている。
そして――
ルーベルト家は取り潰し。
父は投獄。
横領と詐欺の追加罪状。
母は実家からも絶縁。
頼る先はない。
わたくしを売った金は、調査で差し押さえられた。
つまり。
父は娘を売り、なおかつ破滅した。
母は何も守れず、すべて失った。
弟カイルは地方騎士団で問題を起こし、さらに辺境へ転属。
栄光は、塵になった。
わたくしは手紙を握りしめ、笑った。
乾いた笑い。
「愚かですわね……」
家の名に縋った家族。
弟の才能に寄生していたわたくし。
でも最後に全てを壊したのは、家族自身。
あの剣は“真実を映した”だけ。
罪がなければ、何も映らなかった。
落差
噂では、エレナは王城に出入りし、新たな魔導研究の中心人物になったらしい。
彼女は今も誠実で、驕らず、静かに努力しているという。
……最後まで、品のある女。
憎らしいほどに。
でも理解してしまった。
わたくしは彼女に負けたのではない。
自分の空虚さに負けたのだ。
ブラン
冬の夜。
夫は別の町へ出向いていた。
暖炉の火は弱い。
ブランが膝で丸くなる。
「あなたがいてくれてよかった」
小さな体温。
それだけが、本物。
もしこの子がいなければ。
わたくしはきっと、壊れていた。
ブランの喉が鳴る。
規則正しい音。
王都の音楽より、ずっと美しい。
最後の皮肉
春。
夫が病に倒れた。
暴飲暴食の果て。
看病するのは、わたくし。
皮肉なものだ。
若い妻を買ったはずの男は、先に朽ちる。
遺言状が用意される。
子はない。
遠縁もいない。
財産は――妻へ。
多くはない。
だが自由を得るには十分。
夫は三か月後に死んだ。
葬儀は簡素だった。
誰も泣かなかった。
わたくしも。
その後
未亡人となったわたくしは、子爵家を整理した。
贅沢はできない。
だが誰にも命令されない。
ブランは庭を歩き回る。
陽の下で、白い毛が光る。
わたくしは思う。
もし、最初からこうして自分の足で立っていたなら。
違う人生だったのかもしれない。
けれど。
遠く王都で輝くあの女には、もう届かない。
それでいい。
わたくしは、静かに生きる。
栄光も、喝采もない。
あるのは、小さな白猫と、穏やかな午後。
それだけ。
それだけが、今のわたくしの救い。




