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暗闇に灯るもの

作者: ふじ
掲載日:2025/12/11

1 目覚め


薄闇の中、引田悟はゆっくりと目を開けた。


――ああ、今日も生きて目が覚めたか。


心の底から湧き上がる重たい独白が、誰にも聞かれないまま空気に溶けていく。


枕元の眼鏡をかけ、手探りで卓上のスイッチに触れる。 弱々しい電球がぱっと灯り、質素な六畳間が照らされた。


ベッド脇の目覚まし時計は、午前十一時を指していた。


「せっかく透析がない日なのに、また寝すぎたな……」


つぶやいた声には、生気というものがほとんど感じられなかった。


そのときだった。


――カツン。


部屋の空気が、音もなく揺らいだ。 暗闇の向こうから、黒い影がゆっくりと姿を現したのだ。


2 悪魔の訪問


影はやがて、人の形をした“何か”へと姿を変えた。漆黒のコート、赤い瞳。


「やあ、悟。久しぶりだね」


「……誰だ?」


「悪魔だよ。君の心の底に沈んでいる“怒り”を感じて、会いに来た」


唐突すぎる名乗りだが、不思議と悟は怖くなかった。 むしろ胸の奥の黒い部分を当てられ、少しだけ安心すらしていた。


悪魔はにやりと笑った。


「ねえ悟。君が本当は何を望んでいるか、言ってあげようか?」


「……やめろ」


「復讐だよ」


悟の胸が、ずきりと痛んだ。


悪魔は続ける。


「君を追い詰めた人間たち。親、医師、元同級生、心ない言葉を浴びせた連中……全部、焼き払いたいんだろ?」


悟は否定しなかった。 否定できなかった。


「そのために、力をあげる。君が望むならね」


3 天使の介入


突如、白い光が部屋に差し込み、悪魔の姿を切り裂いた。


「もうやめなさい、悪魔」


そこに現れたのは、白い羽を持つ女性だった。 そのまなざしは、痛いほど優しい。


「悟さん、あなたは人を傷つける人じゃない。私はずっと見てきました」


「……誰だ?」


「あなたを守る天使です」


悪魔が舌打ちした。


「偽善の塊が。悟、聞くな。天使は綺麗事しか言わない」


天使は一歩近づき、悟の手をそっと取った。


「あなたはこれ以上、傷つかなくていいんです」


その言葉に、悟の胸の奥でさざ波のように何かが揺れた。


だが、悪魔の囁きも響いてくる。


「君はずっと耐えてきた。踏みにじられたまま終わっていいの?」


「……やめてくれ」


「本当は、認めさせたいんだろう?お前を見下していた全員に。  “お前らが間違っていたんだ”って」


その瞬間、悟の中で封じていた蓋が外れた。


4 黒い炎


悪魔が悟の胸に手をかざすと、黒い光が渦巻き始めた。


「これが君の力だよ。怒りが形になった炎だ」


悟の右手がゆらりと燃え上がる。 黒い炎は熱くない。ただ、心の底のドロドロしたものがそのまま燃焼していくような感覚だけがあった。


「行けばいい。君を傷つけた相手のもとへ」


悟の心拍が速くなる。 胸が熱い。


天使が、涙を浮かべて首を振った。


「悟さん……その力を使えば、もう戻れません」


「……わかってる」


悟は炎を握りしめた。


「俺は……俺を見下してきたやつに、少しだけ教えてやりたいだけだ」


「悟さん……!」


「“俺の人生を踏みにじったのは、そっちだろ”って……一度でいいから言ってやりたいんだ」


悪魔が満足そうに笑う。


「いいね、その覚悟だ」


5 天使の涙


悟が炎を向けようとした瞬間―― 天使が悟の前に立ちはだかった。


「悟さん……本当に、それでいいんですか?」


悟は動けなくなった。


天使の頬を、一筋の涙がすっと伝っていたからだ。


「あなたが誰かを傷つけたら……その痛みはあなたの心に残ります。  どうしても、消えません」


悪魔が叫ぶ。


「騙されるな悟!天使はお前の苦しみを知らない!」


だが悟は、悪魔ではなく天使を見ていた。


「……俺を、泣かせるなよ」


その一言で、悟の手の炎がふっと消えた。


6 選んだ道


悪魔は苛立ちを隠さず言い放った。


「後悔するぞ」


悟は首を横に振った。


「確かに俺は、たくさん憎んできた。でも……天使の涙まで利用するような人間にはなりたくない」


悪魔は舌打ちし、闇の中へ溶けていった。


天使は安堵の息をつき、微笑んだ。


「悟さん……ありがとう。あなたは本当に、優しい人です」


悟は照れくさそうに頭をかいた。


「優しいなんて言われたの、何年ぶりだろうな」


天使はそっと悟の手を包んだ。


「これからは、あなたを傷つける世界ではなく……あなたを癒す道を、一緒に探しましょう」


温かい光が悟を包み込む。


暗かった部屋が、初めて“朝”のように明るく見えた。


悟はその光の中で、ようやく小さく息をついた。


「……少しだけ、生きてみてもいいか」


天使は嬉しそうに頷いた。


「はい。あなたが望むなら、何度でも支えます」


光がゆっくりと収束し、部屋は静けさを取り戻した。


悟は天井を見上げ、目を閉じた。


――復讐よりも、もっと価値のあるものを見つけた気がした。


その日は、穏やかな眠りが訪れた。

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