表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

3. 結果よければ全てよし

ある日の午後、リノアはギルドの資料室の隅で、高く積まれた羊皮紙の束を前に、深々とため息をついた。


年に一度、各部署に割り当てられる「過去資料の整理」


聞こえはいいが、その実態は、誰も見向きもしない古い書類の山と格闘するだけの、単調で埃っぽい苦行に他ならない。


もちろん、リノアがこれを真面目にやるはずもなかった。


(…よし、と)


本来であれば、一枚一枚内容を確認し、項目別に分類して索引を作るのが正規の手順なのだろう。


しかし、リノアはそんな面倒なことは一切しない。


羊皮紙の束を年代別に大雑把に分け、太い麻紐で十把一絡げに縛り上げると、「〇〇年度・その他雑多・緊急時以外閲覧禁止」とだけ殴り書きした札をつけ、棚の一番奥へと押し込んでいく。


これでいい。


どうせ、次に誰かがこの資料を必要とするのは、数年後か、あるいは永遠に来ないかもしれないのだから。


その時、見つけ出すのに苦労するのは、未来の誰かであって、今の自分ではない。


完璧な仕事術だった。


その流れ作業の途中、ひときわ分厚く、歴代の担当者の怨念でもこもっていそうな革表紙のファイルが、彼女の指先に触れた。


タイトルは「素材倉庫 在庫管理台帳」


それが、彼女の平穏な午後を脅かす、新たな面倒事の塊だった。


パラパラとページをめくると、案の定、ここ数年まともに更新されていないことが判明した。


リストは担当者たちの手書きで、書き方も単位もバラバラ。


これでは、冒険者から「あの素材の在庫はありますか?」と聞かれるたびに、自分がこのリストと格闘した挙句、結局は薄暗い倉庫まで確認に行かされる羽目になる。


(うわ…これはダメなやつだ…。いつか絶対、終業間際に在庫確認を頼まれて残業になるパターンじゃないか…。面倒くさいけど、これは今のうちに、誰かにやらせておかないと…)


未来の自分の平穏を守るため、リノアはすぐさま行動に移した。


彼女は、「誰でも」「考えずに」作業ができるよう、非常にシンプルな在庫確認用の羊皮紙テンプレートを数枚作成する。


「品名」「ランク」「数量」「保管場所」の四項目だけの、簡素なリスト。


これなら、どんな脳筋でも間違うことはないだろう。


完璧な「他人任せ用ツール」を手に、リノアはギルドの談話室へと向かった。


案の定、そこにはソファにだらしなく座り、今日の夕食の相談をしているパーティ「赤き誓い」の三人がいた。


「あなた達、ちょうどよかった」


背後からかけられた声に、三人がびくりと肩を震わせる。


リノアは、作成したテンプレートの束をテーブルに置くと、有無を言わさぬ口調で告げた。


「師匠として、試練を与えます。このリストを使って、第一素材倉庫の在庫を全て確認し、夕方までに報告しなさい」


「そ、倉庫整理、ですか…?」


ダリウスが困惑の声を上げる。


そんな彼らに、リノアはそれっぽく、しかし完全に後付けの理由を続けた。


「ええ。これは、あなた達が日頃扱っている素材の価値を、その目で再確認するための重要な訓練です」


「な、なんと…!」


ダリウスの目が輝いた。


「師匠は、俺たちに戦闘だけでなく、冒険者の基本となる『資源管理』の重要性まで教えてくれようとしているのか!」


「きっと、素材一つ一つの魔力的特性を肌で感じろという、高度な魔法訓練なのですね…!」


エララが胸の前で手を組む。


「いや、違う!」


フィンが何かを閃いたように言った。


「これはギルドの物流を把握させようという、師匠からの経済学のレッスンだ!」


「(…まあ、好きに解釈してくれれば、それでいいか)」


三人は、リノアの適当な無茶振りを、自分たちの成長のための試練だと理解し、意気揚々と埃っぽい倉庫へと向かっていった。


***


倉庫整理は、想像以上に過酷だった。


舞い上がる埃、かび臭い空気、得体のしれない薬品の匂い。


しかし、三人はリノアの期待に応えるため、文句も言わずに作業を進めた。


「見てみろ!この『ゴブリンの耳』、師匠のテンプレート通りに書くと、Cランクで、数量が三十七個、保管場所は棚のB-3だな!」


「こっちの『マンドラゴラの根』も、Dランクで、十個、C-5よ!」


「ちくしょう、分かりやすいじゃねえか、このリスト…!」


彼らは作業を進めるうち、リノアが作ったテンプレートの合理性に気づき、さらに師匠への尊敬の念を深めていった。


そして、作業も終盤に差し掛かった頃。


彼らは倉庫の一番奥で、誰も開けたことのないような古い木箱を発見する。


中に入っていたのは、古びてはいるものの、非常に質の高い「古代竜の鱗から作った、対ワイバーン用の特殊な防護香」だった。


それは、数十年前にギルドに寄贈されたものの、誰も価値を理解できず、忘れ去られていた希少なアイテムだった。


「これも師匠の試練の一部に違いない!」


ダリウスは、その発見を報告書にきっちりと記載した。


***


夕方。


「赤き誓い」が完璧な在庫リストを手に、リノアへの報告を終えようとした、まさにその時。


ギルドの扉が勢いよく開き、王宮の騎士が血相を変えて駆け込んできた。


「大変だ!王都付近の街道に、凶暴なワイバーンが出現した!討伐隊を送るにも、準備に時間がかかる!そこで、冒険者ギルドに保管されているという、古代の防護香を至急貸していただきたい!」


ギルドマスターのギデオンも、主任のバルツも「そんなもの、あっただろうか…?」と首を傾げる。


ギルド中が混乱に陥る中、ダリウスが静かに一歩前に出た。


「――師匠。我々が本日発見した『これ』が、おそらくお役に立つかと」


彼が差し出したのは、例の「古代竜の防護香」だった。


騎士は防護香を手に、涙ながらに感謝して去っていく。


残されたホールで、ギデオンがわなわなと震えながら、リノアの方を振り返った。


「リノア…!お前は、このワイバーンの出現を予知していたというのか…!?そして、この事態を解決するために、あえて『倉庫整理』という名目で、若者たちにこの失われたアイテムを探させていたと…!?なんという…!お前の頭の中は、一体どうなっているんだ!」


ギルド中の職員と冒険者たちが、畏怖と尊敬の眼差しをリノアに向ける。


当のリノアは、壁にかけられた時計をちらりと見て、一つ欠伸をした。


(…ふぁあ。なんかよく分からないけど、面倒事が勝手に片付いたみたいで良かった。これで、今日も無事に定時で帰れるな…)


***


終業の鐘と共にギルドを後にしたリノアの足取りは、日中とは比べ物にならないほど軽やかだった。


彼女は、今日の自分の「機転」(面倒事を他人に押し付けただけ)に密かな満足感を覚えながら、いつもとは違う、少しだけ遠回りな帰り道を選ぶ。


今日の戦利品は、市場の隅で老夫婦が営む小さな店の「具だくさんポトフ」


大きな鍋でコトコト煮込まれたそれは、野菜の甘みが溶け出した、素朴で優しい味がする。


リノアは店主の老婆と「今日は冷えるねえ」「そうだね」などと二言三言言葉を交わし、温かいスープが入った鍋を大事に抱えて、自分の城である貸家の一室へと帰還する。


窮屈な制服を無造作に脱ぎ捨て、洗いざらしのワンピースに着替える。


ようやく、他人のための自分を終えて、ただの自分に戻る時間。


買ってきたポトフの鍋をテーブルに置いた彼女は、しかしすぐには食べ始めない。


ベッドの下から、一枚の巨大な羊皮紙を取り出した。


それは、彼女が暇を見つけては書き込んでいる、手製の「王都生活・最適化マップ」だった。


(…ふむ。今日の帰り道、パン屋の角で井戸端会議に捕まりかけた…。あのルートは午前中に限定すべきか…)


リノアは羽ペンをインクに浸し、地図上に赤い線で新たなルートを書き込み、「要注意人物」としてパン屋の女将の似顔絵(あまり似ていない)を小さく書き添える。


ギルドでの彼女の深謀遠慮は全て周囲の勘違いだが、こと「いかにして他人との接触を避け、最短ルートで食料を確保し、無駄なく帰宅するか」という一点において、彼女の思考は本物の軍師のように緻密で、執念深い。


地図の更新作業に没頭していると、窓の外から「にゃあ」と短い鳴き声がした。


(…来たか。腹時計だけは正確だな…)


リノアはため息をつき、棚に置いてあった干し肉の切れ端を手に取ると、窓を少しだけ開けた。


そこにいたのは、片耳の欠けた、一匹の野良猫だった。


彼女は、その猫に干し肉をぽいと投げてやる。


猫はそれを器用に咥えると、すぐに闇の中へと消えていった。


(…これでよし。騒がれる前に餌をやる。これは、未来の騒音公害を防ぐための投資だ。別に、可愛いとか、そういうことじゃない…)


誰に言うでもない言い訳を心の中で呟き、リノアは窓を閉める。


ようやく一人だけの静かな時間が戻ってきた。


彼女は木の器にポトフをよそい、ふーふーと息を吹きかけながら、スプーンで一口すする。


じゃがいもがほろりと崩れ、人参の優しい甘さが口の中に広がる。


(…うん、おいしい。今日の疲れには、これくらいがちょうどいい)


この一口のために、明日もまた、あの面倒な一日が始まるのかと思うと少しだけ憂鬱になる。


割に合わない気もするが、まあ、仕方ないか、と彼女はもう一口、スープを口に運んだ。


そして、もう一つのお楽しみが始まる。


ベッドの脇に積み上げられた、古びた大衆娯楽小説の山から、今日の一冊を選ぶ。


タイトルは『漂流王女と七つの海の秘宝』


彼女は、主人公の王女が仲間たちと絆を深めたり、困難な航海に挑んだりする場面は、斜め読みで飛ばしていく。


お目当ては、物語のクライマックス。海賊団に捕まり、絶体絶命のピンチに陥った王女が、偶然にも首から下げていたペンダントが「伝説の海神の紋章」であり、それを見た海賊たちがひれ伏して、忠実な部下になってしまうという、あまりにもご都合主義的なシーンだ。


(ふふっ…これだよ、これ。面倒な説得も、海戦も、宝探しの謎解きも全部すっ飛ばして、『伝説の紋章』一つで忠実な部下と船をゲット。うちのギルドの冒険者たちも、これくらい話が早ければいいのに…)


物語のご都合主義的な爽快感に浸り、最後の一滴までポトフを飲み干す。


お腹も心も満たされ、リノアは読みかけの本を胸に抱いたまま、ラグの上で猫のように体を丸めた。


窓の外では、穏やかな夜が更けていく。


(…よし。明日も頑張って働いて…さっさと帰って、今度はあのパイ屋さんのを夕食にしよう)


この誰にも邪魔されない時間こそが、彼女が面倒な仕事を乗り切るための、原動力なのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ