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Mercurial Alchemist ~水銀の錬金術師~

作者: Sheringford

巨大メーカーの研究所で庶務を務めるナオキは事故にあい、文明が未発展の異世界に飛ばされた。そこで知り合った錬金術師を名乗る老人は、水銀から金を生成しようとしていた。ナオキは現代の知識で錬金術を否定するが、たまたまナオキはトカマク型核融合炉の設計図を持っていることを思い出した。

Mercurial Alchemist ~水銀の錬金術師~



 俺の名前は、ナオキ。今年で二十四歳になる社畜……、とはとても言えない社会人だ。

 俺は日本人なら誰もが知っている超有名メーカーに勤めている。ウチの会社は巨大な機械を作ったり、最先端の実験機器を製造したりしており、大学や自衛隊も大のお得様だ。

 そんな会社だから、入社するのは天才・秀才ばかり。修士までしか持ってないと低学歴扱い。海外大の博士号だって珍しくない。

 じゃあ俺も天才かと言えば、そんなことは無い。辛うじてFランを免れた四流大学の学部卒。そんな俺が何でこの会社には入れたかって? 答えは単純。親父のコネだ。


 親父は最高学府を出て海外に留学。母校の大学教授に上り詰めた。当然、その分野の第一人者で、何本も論文を書いている。研究の片手間に政府の委員や企業の社外取締役などを務めた名士だ。ウチの会社の製品も親父の論文の理論が応用されている。

 兄貴はそんなオヤジに似て海外に留学中だが、俺は違った。特に理系の才能はトンとなかった。

 俺だって親父や兄貴のようになりたかった。キラキラと目を輝かせながら、実験の様子を語る親父に憧れていた。だが俺には破滅的に才能がなかった。特に理系の才能が絶望的だった。数学は三角関数で挫折したし、当然、物理や化学なんかはチンプンカンプンだ。

 かといって、国語や社会が得意ということもなかったが英語だけは、そこそこできた。そんな俺は何とか私立文系の適当な大学に滑り込み、オヤジのコネでこの会社に入社した。

 もちろん、研究職に配属されたわけじゃない。いわゆる総合職採用だが、かといって本社の経営企画室でバリバリやるといったことも期待されていない。

 会社も俺を持て余したんだろう。郊外にある研究所の総務課に配属となった。


 仕事は弁当の発注だったり、電球の交換だったりと、まあ何でも屋だ。総務の中でも面倒な給与計算とか、人事評価、組合との折衝なんかといった難しい仕事は本社の総務の連中がやるため、はっきりいって大したことはしていない。

 それでも不満はない。まあ、コネ入社なんてこんなもんだ。入れただけでもありがたい。事実、大学の同級生でこのランクの企業には入れた奴は誰もいない。給与も平均より高く、福利厚生も充実している。ぜいたくを言えば切りがないのを、俺はよくわかっている。



「ナオキ。悪いがこれを印刷に回してくれないか」

「ああ、わかった。何部いる?」

「五十部頼む」

「りょーかい」

 社内行事の秋のバーべーキューの参加人数を確認していたオレのもとに、後輩のシンジがやってくる。同期と言ってもあっちは留学帰りの博士様。年はあちらの方が六歳以上、上だ。それでも上下関係をあまり気にしないシンジとは、気安く話をしている。それはそれでありがたい。

 俺はシンジから渡されたペーパーをパラパラと捲る。A4にして百枚はある分厚い紙の束が、大きなクリップに止められていた。

 中を見ると、英文の中にギリシア文字が散りばめられた数式がびっしりと書かれている。かと思えば、設計図のようなものも含まれている。

「これ何の論文だ?」

「新しいトカマク型核融合炉についてだ。理論構築から設計まで一通り網羅している。今度の学会発表の目玉だ」

「へー、核融合炉ねえ」

 俺は感心しながらパラパラとペーパーをめくる。かつては親父のような科学者を目指した身。学校の勉強は苦手だったが、こういった科学の話を聞くのは大好きだった。子供のころは、科学雑誌を読み漁ったものだ。

「夢のある話だよな。これができればエネルギー問題は解決だ」

「そうだな。核融合発電が実現すれば、人類は化石燃料から解放される。それに金だって作れるぞ」

「金?」

 シンジの言葉に俺は怪訝な顔をする。

「ああ。水銀の原子番号は八十。金は七十九だ。つまり、水銀から陽子を一つ減らすことができれば、金に変換することができる」

「ああ、なるほど。確かにそうだな」

「核融合炉で中性子を加速させて、そいつを水銀の陽子にブチ当てて弾き飛ばす。それで金になる」

「へー。核融合炉には色々な使い方があるんだな」

 感心するオレにシンジは苦笑する。

「まあ、未来の話だ。今のところは夢物語だな」

 そういうと、シンジは自分のデスクに戻っていった。


 俺が今の仕事に満足している理由の一つ。こうやって、最先端の研究者とフランクに話ができることだ。科学好き青年としてはたまらない。お金には代えられない価値がそこにある。



 きーんこーんかーんこーん


「さて、そろそろ帰るか」

 定時になった。ホワイト企業のさらに窓際部署の俺は、残業することは無い。シンジに貰ったペーパーをカバンに入れ、帰り支度をする。明日の朝、印刷所に渡して、印刷を依頼するためだ。

 ちなみに、定時帰りのオレとは対照的に、エリート研究員のシンジは残業まみれ。というか、俺を除いた研究所全体がブラックでみな遅くまで残っている。エリートというのは、それだけ激務なのだ。


「お疲れ様でーす」

 俺はそんな研究員を横目に、そそくさと帰る。そして帰ってもやることが無いので、近所の居酒屋で一杯ひっかける。それが俺の定番だった。


「ふー、結構飲んだな」

 時刻は二十一時過ぎ。ほろ酔いと泥酔の真ん中あたりにいるオレは、ふらふらとお店を出た。

 研究所は郊外にあるため、クルマどおりはさほど多くない。それが俺の油断を誘った。

「……赤信号? まあ車もいないし……」

 そう思った俺は、おぼつかない足取りで、赤信号の横断歩道を渡ろうとする。

 横断歩道を半分ほど渡っただろうか。突如、横から強烈なライトを浴びせられる。次の瞬間、キーっというブレーキ音を聞く。俺が振り向くと、目の前には大型トラックが迫っていた。


 バン!


 俺の記憶はそこで途切れていた。




「あの、大丈夫ですか? どこかケガをしていますか?」

 頭の上から声がする。混濁した意識のまま、うっすらと目を開ける。

 そこには、透き通るような白い肌の少女が見えた。年の頃は高校生ぐらいだろうか。少女は三つ編みにした髪を二つに分けておサゲにしていた。その上に赤い布をかぶっている。

 服装も野暮ったい服を着ている。どこかで見たような……、そうだ、アルプスの伝統衣装のような恰好をしていた。だが明らかに普通の人と違うところがある。耳が長い。それはおとぎ話で聞くエルフのような耳だった。

「ん……、ここは?」

 俺は混乱する頭を振り払いながら上半身を起こす。少女は心配げに私を見ていた。

「ここはアストルという村のハズレです。村に出入りする街道からは大分は慣れてますけど……。あなたは山を越えて来たんですか?」

 改めて少女の顔を見る。スッとした綺麗な顔立ち。それでいてあどけなさが残っている。どこかのアイドルかと思ったほどの美少女だった。

「俺は家に帰る途中、事故に会って……。そこから記憶がない……。イタタ……」

「大丈夫ですか? お水をどうぞ」

 思い出そうとすると頭が割れるように痛い。少女は私に水筒を渡す。その水筒は、動物の皮で作られているようだった。少し違和感を覚えるが、グイっと水を飲む。

「とりあえず安静にした方がいいです。お医者様に見てもらいましょう。立てますか? 私の肩を使ってください」

「あ、ああ。すまない……」

 俺はよろよろと立ち上がると、少女の肩を借りる。少女は細身の見掛けとは違い、力があった。私に肩を貸したまま、歩き出した。


「私は人間の診療はあまりしたことないんだがな」

 俺は少女の家に連れられると、ベッドに寝かされた。ほどなく医者と思しき人物がやってくる。その医者は、長いあごひげに、麻のローブ、とんがり防止を身にまとった、魔法使いのような恰好をしていた。

 その医者は、何やら聞き取れない呪文のような言葉をつぶやきながら、寝ている俺のお腹に手を当てる。

 すると医者の手がほのかに光る。その光は瞬く間に強くなり、部屋全体が明るく照らされたようになる。

 驚く間もなく、俺は体温が上昇するのを感じる。全身の力が抜け、疲れが洗い流されるような感覚を覚える。

「どうやら人間にも私の術が効くらしい。とりあえず、治療はこれでいいだろう」

 俺は幻を見ているのだろうか。俺の常識で言えば、これは魔法。彼は魔法使いだ。ヒーリング専門の魔法使い。一体ここはどこなんだろう……。

「君、この薬を飲みなさい」

 俺は言われるがままに、木製のコップを受け取る。そこに満たされた苦い汁を飲み、再び横になる。

「我々と同じなら、薬が効いて眠くなるはずだ。お前のおじいさんがレシピを開発し、私が魔力を込めた薬だぞ」

「はい、ありがとうございます」

「起きて様子がおかしかったら、呼びに来てくれ」

「わかりました。そうします」

 そんな声が聞こえる。薬の成分は確かに効いている。俺は急に睡魔に襲われ、うつらうつらとする。そしてそのまま眠りに落ちた。



「……」

「あ、起きたんですね。よかったです。調子はどうですか?」

 空腹を覚えたオレはむくっと起きる。その様子に少女がすぐに気が付いたようだった。パタパタと俺のもとに近づく。

「ん? ああ。少し元気になった気がします。あとお腹がすきました」

「それは元気になった証拠かもしれませんね。今ご飯を用意しますね」

 そういうと、少女は嬉しそうに暖炉の方に向かった。


 俺は改めて部屋を見る。

 その家は、丸太で作られたログハウスの様だった。大きな一つの部屋の端っ子に俺の寝ているベッドがあった。仕切りは無く、家全体が見渡せた。

 少女は部屋の端にある張り出した暖炉の横にいた。暖炉の張り出した部分の上にお鍋が乗っている。現代で言うコンロ一体型何だろう。そこからいい匂いが漂い、俺の胃腸を刺激した。


「ウサギ肉のシチューです。人間のお口に合うかわかりませんが温まりますよ。私たちエルフの大好物です。ぜひ食べてください」

 少女はウサギ肉のシチューとやらをお皿に注ぐと、部屋の真ん中にあるテーブルに置く。いや、それよりあの子は今何と言った?

「……君たちはエルフ……、なのかい?」

「ええ、そうですよ。ほら、耳が長いでしょ? 人間と分かりやすい違いです」

 少女はキョトンとしながら私に説明をする。どうやら彼女にとって、俺が人間という違う種族であることは自明の事らしい。

 私はのそのそと立ち上がると、テーブルに着く。その間も少女は慌ただしく食事の支度をしていた。

 シチューの他にはパンと干し肉らしきもの。それに、お茶のようなものが並べられていた。

 よく見るとシチューは三つ並べられていた。というと、あと一人、少女の同居人がいるという事か。

「おじいちゃん。お食事にしましょう。旅人の方も目が覚めましたよ」

 少女がそう声を張り上げると、奥の扉から一人の老人が出てくる。老人は、ウェーブのかかった白髪に、先ほどの医者ほどではないが立派な顎ひげが蓄えられていた。顎ひげも真っ白だった。

 顔は掘りが深く、苦労の後がしのばれた。体は小さく、背筋は曲がっていた。


 おじいちゃんと呼ばれた老人は無言で席に着くと、俺の事を睨みつけてきた。俺はビビりながらも挨拶をする。

「あ、あの。どうも」

「うむ。旅のお人よ。何があったか知らんが、体調が悪いならゆっくり休んでいきなさい」

「は、はい。ありがとうございます」

 意外と親切でびっくりした。人を見かけで判断してはいけない。


「さあ、食べましょう」

 そういうと、席に着いたエルフは何やらお祈りをする。老人も目を瞑り、無言で少女の言葉を聞いているようだった。

 シチューを食べようと木製のスプーンを手に取った俺は、慌ててスプーンを置くと、目を瞑ってお祈りに形だけ参加した。

「いただきます」

 お祈りが終わったようだ。少女と老人が食事を始める。俺もそれにならって、ウサギ肉のシチューを口に運んだ。

 ウサギ肉のシチューは、いわゆるビーフシチューのような味がした。ただ、ウサギ肉は、どちらかと言えば鶏肉のような味わいだった。この世界にもデミグラスソースがあるのだろうか。というか、いったいここはどこなのだろうか。

「あの……」

 俺が口を開く。

「えーと、助けていただいてありがとうございます。俺はナオキと言います。その……、人間です」

 礼を言いながら、慎重に言葉を選ぶ。少女と老人も手を止めて、俺の話を聞く。

「正直言って、なぜここにいるのか全く分かりません。俺は仕事帰りに事故にあって……。気がついたらここに居ました」

 色々と聞きたいことはあるが、相手がどう出るかわからない。すると老人が口を開く。

「ナオキさんとやら。ここはエルフ族の村、アストルじゃ。人間の国とはだいぶ離れたところにある、エルフの国の奥の方じゃ。こんな田舎に、人間が来るというのは珍しい。ワシも人間を見るのは久しぶりじゃ」

 老人は硬い表情のままそう告げる。

「おっと、ワシの名はウルク。錬金術師だ。こっちは孫娘のミアじゃ」

「改めまして、ナオキさん」

 ウルクさんとミアさんがぺこりとお辞儀をする。慌てて俺もお辞儀を返す。ミアさんのニコッと笑う表情。なぜか俺は顔が赤くなるのを自覚する。


「ここから人間の国までは、そうじゃな。徒歩で二か月はかかるじゃろう。まあ、王都になら人間も住んでいるかもしれないが、王都までも三週間はかかる。ナオキ殿や、あんた歩いてきたわけじゃないんじゃな?」

 ウルクさんの問いかけに俺はコクリと頷く。

「はい。私は人間の国にいたのですが、気がついたらここにいたんです。というかですね、私の世界には人間しかいなくて……」

「人間しかいない……、とな?」

 俺の言葉にウルクさんは怪訝な顔をする。ミアさんも同様だ。

「私の世界には、エルフという種族はいません。というか人間しかいません。私にはここが違う世界、異世界にしか思えません」

 俺は震えながら言葉をつぐむ。改めて口にすると実感が湧く。俺は異世界に転移しているのかもしれない、と。

「ふむぅ……」

 ウルクさんは唸る様に考え込む。ミアさんは心配そうな顔で、ウルクさんの言葉を待っている。

「古い書物で見たことがある。神がこの世界を作った時、それは一つではなかった。いくつもの世界を作り、それぞれの世界では別々の進歩を遂げたという事じゃ。その書物には、エルフしかいない世界のことが記述されていたが……。そうか、人間しかいない世界か。そういう世界もあるのかもしれんのぉ」

 ウルクさんは顎ひげを撫でながら、そう告げる。俺にはウルクさんの言っていることが、何となくわかった。というか、そうとでも考えなければ、理解できないことだった。

「神の気まぐれか、それとも大いなる魔術の力か……。ともかくナオキ殿は世界を渡り、我々の世界に来たんじゃろうな」

「戻る方法とか……、ご存じないですか?」

 俺は一縷の望みをかけて、ウルクさんに問いかける。だがウルクさんはゆっくりとかぶりを振る。

「さあて。それは神の御業じゃ。我々ごときにはどうにもならんよ」

「そうですよね、あはははは……」

 俺は力なく笑う。絶望が俺を襲う。

「……えっと、とりあえずご飯を食べましょう! お腹がすいていると、ますます落ち込みますよ。おじいちゃん、ナオキさんにはしばらく家にいてもらいましょう? それでいいですよね?」

「もちろんじゃ。ワシもいろいろと調べてみよう」

「……はい。ありがとうございます」

 俺は絞り出すように言葉を出す。そして、食欲がない中、無理やりシチューを流し込んだ。



「おはようございます!」

 翌朝、目が覚めるとミアさんが笑顔を向けてくれた。

 昨晩はあの後、絶望で落ち込むオレにミアさんは寄り添って、励ましてくれた。年下に励まされて恥ずかしくもあったが、心細いオレにとって、それはとても嬉しいことだった。

 そして医者に貰った薬を食後に煽り、無理やり眠りについたのだった。


「おはようございます、ミアさん」

 元気なアミさんにつられて俺も笑顔になる。俺の笑顔を見て、アミさんはホッとしたようだった。

「気分はどうですか? 朝ごはんにしましょう」

 すでにテーブルにはパンとチーズ、そして昨日の残りのシチューが並べられていた。簡素な食事だが、この世界に身寄りもない俺にとってはありがたい。

 俺が席に着くと、ウルクさんも食卓にやって来た。

「ウルクさん、おはようございます」

「うむ。おはよう」

 寡黙なウルクさん。軽く会釈をしあう。


「さあ、食べましょう」

 ミアさんのお祈りが終わり、食事が始まる。おいしい。パンは硬いし、シチューもどこか癖のある味だが、疲れた体に食物のエネルギーがいきわたるようだった。

 だが落ち着いてくると、今後の身の振り方を考えなければいけなくなる。

 元の世界に戻れれば一番いいが、そうでないならこの世界で生きていかなければならない。いつまでもミアさんやウルクさんのお世話になる訳にもいかない。さて、どうしたものか……。


「ナオキ殿。今後の当てはあるのかな?」

 そう考えていると、ウルクさんからも同じ話を振られた。

「当てですか。ありません……」

 私が正直に答える。すると、ウルクさんは思ってもいないことを提案してくれた。

「なら、しばらくワシの仕事を手伝わんか?」

 それは願ってもない話。ただの居候も心地が悪い。何か仕事口があるなら、その方がいい。

「ええ、是非お願いします」

 そう頭を下げながら、昨日の会話を思い出す。

「そういえば、ウルクさん。錬金術師……、何ですか?」

「ええ、そうなんです。おじいちゃんは、エルフの国で一番の錬金術師なんですよ!」

 ミアさんがパァーっと明るい顔を俺に向ける。

「おじいちゃんは昔、王宮のお抱え錬金術師だったんです! 研究所の所長で、国王陛下の信頼も篤かったんですよ!」

 興奮気味に話すミアさん。元気な笑顔が可愛い。……おっと、今は仕事の話だ。何としても、ここで就職を決めないといけない。

「へー、そうなんですね。じゃあ今は引退されたってことなんですか?」

「うむ。いい加減、歳での。何かと堅苦しい王室付属研究所での勤務は体に応えての。もう徹夜で仕事をする体力もないんじゃ。そこで陛下から暇を貰い、今は自分の研究をこの田舎でしているという事じゃ」

 なるほど。どこの世界でも似たようなモノらしい。天才たちが集まる労働環境というのは、自然とブラックになるようだ。

「今はの。初心に戻って金を生成する方法を探しおる。やはり有力なのは、水銀から金を生成することじゃ。水銀に賢者の石という魔力を満たした物質を混ぜ、そこに硝酸や亜硫酸など混ぜる。古代の研究所によるとこれで金になるはずなのだが、どうにもうまくいかん。何が足りないのやら……」

 寡黙なウルクさんが饒舌に説明する。研究者が自分の専門分野だとしゃべりが多くなる。これもどこの世界でも共通らしい。

 だが引っかかることがある。

「えーと、新しい金の生成方法を探しているということですか?」

 その俺からすると素直な質問に、ウルクさんとミアさんがポカンとする。

「新しい……とは?」

「え? ウルクさんは錬金術師なんですよね。長年、金を作るのが仕事をされていたんですよね? 水銀で作ると効率がいいとか、コストが安いとかそういうことですか?」

 その言葉に、ミアさんが思わず吹き出す。

「まさかあ。そんな簡単に金なんて作れる訳無いじゃないですかー。そんな事が出来たら、誰でも大金持ちです」

「え!?」

「錬金術師が金の生成方法を探っていたのは、昔の話です。今の錬金術師っていうのは、色々な金属を混ぜて武器に適した固い金属を作ったりとか、肥料を調合したりとか、そういう仕事ですよ。昨日、ナオキさんが飲んだ薬、あれもおじいちゃんが開発したんですよ」

 ウルクさんも苦笑していた。

「ミアのいう通りじゃ。錬金術師というのは、陛下のご下命に従って、民草の役に立つ物質を作るのが仕事じゃ。金を作り出そうとしていたのは、もう昔の話じゃ。だがその過程で錬金術師は色々な物質の生成方法を編み出した。それが陛下のお役にたっている。まあ、副業が本業になってしまったという事じゃな」

 そうなのか。すると現代でいう所の化学の研究員ってところか。

「じゃがな。ワシも錬金術師の端くれ。余生は本来の目的である、金の生成に挑戦しようと思ってな。なに、若い奴は笑うが、やってみないとわからんじゃろう」

 ウルクさんは冗談めかしていたが、目は本気だった。俺はそこに、天才化学者の意地を感じ取った。

「わかりました。私でよければ協力します」

「うむ、頼んだぞ」

「よかったです! おじいちゃんを助けてあげてくださいね」

 ウルクさんは満足げにうなづいた。ミアさんも笑顔で喜んでくれた。


「とりあえず仕事場でも見てもらおうか」

 朝食を終えた我々は、そのまま職場見学会とあいなった。

 ウルクさんは母屋の隣の工房に俺を案内してくれた。

 工房には薪をくべて何かを溶かし混ぜ合わせる炉や、怪しげな液体の入った壺、それに動物や植物を乾燥させたと思われる干物が所狭しと並べられていた。

 さながら、中世の錬金術師の工房。まさにそのイメージ通りの設備がそこにあった。

「とりあえずナオキ殿は、材料の下準備をしてもらおうかの。例えばこの一角獣のツノのかけらと、竜の鱗を砕いたうえで、すり鉢に粉末にする。それにわしが魔力を込めて、賢者の石にする。まあ、そういう仕事じゃ」

「はい、わかりました。がんばります!」

「では早速頼もうかの」

 一角獣や竜というのが、何かの比喩なのか、それっぽい何かなのか、それとも本当にこの世界では実在するのかわからない。だが、振られた仕事の内容はよくわかった。

 俺は元気よく返事をする。これで働き口は確保できた。


 とりあえず就職が決まり、ホッと一息。だが、すぐに俺の顔は険しくなる。「そのー、早速で申し訳ないのですが、金は作れないと思いますよ」

「なに!?」

 その一言にウルクさんの顔も険しくなる。

「金というのは元素ですから、それ以上変化しないんです。だから錬金術は不可能という結論が俺の世界では出ています」

 俺は持てうる限りの知識をウルクさんに説明する。科学雑誌で得た知識をフル活用する。

 原子や分子の仕組み。さらに原子核や陽子、中性子といった素粒子についても覚えている限りの話をする。さらに広げて、強い力や弱い力といった、素粒子物理学にも話を繋げる。

 断片的でうる覚えな不正確な話だが、ウルクさんは熱心に聞き、鋭い質問を繰り出してくる。俺はタジタジになりながら、出来るだけ誠実に、というか理解している範囲で回答を行った。

「……なるほど。ナオキ殿の世界は我々の世界よりずいぶんと進んだ文明のようじゃな。そんなことまでわかっているのか」

「はい。ですから私の世界とこちらの世界、物理法則が同じだとすると、錬金術は不可能です」

「おじいちゃん……」

 さすがはエルフ族きっての天才化学者。この世界から数世紀進んだ知識をすんなりと理解する。だがそれは、同時に老化学者の夢を打ち壊すことにもなる。ミアさんの顔も暗い。

「だがの、ナオキ殿。ナオキ殿の理論だと元素はまた別の素粒子というので出来ておるのじゃろ? その素粒子の組み合わせを変えれば、金を作れるのではないのか?」

 その質問に俺はうーんと唸る。

「確かにそうですが、それにはもっと進んだ核融合という技術が必要なんです。核融合炉があれば、水銀の陽子を一つ弾き飛ばして、金にすることができるのですが……」

 そこまで行ってハッと気が付く。この世界に飛ばされる前に、シンジと話したことを。

「ミアさん!」

「は、はい!」

 突然、呼ばれたミアさんがびっくりして俺の方を向く。俺はミアさんの肩を両手で掴み、ミアさんを問いただす。

「俺のカバン! 俺が倒れていた時にカバンが一緒にありませんでしたか?」

「あ、はい。カバンなら、そのベッドのわきのテーブルに置いてありますが」

 俺はベッドの方を向く。そこには見慣れた通勤カバンがあった。


 俺はカバンをひったくるように取り上げると、中を見ると、印刷に回そうとした、シンジの論文が入っていた。

「ウルクさん、これです。これを見てください!」

 俺が論文を取り出すと、ウルクさんに渡す。

「……これは?」

 ウルクさんはぺらぺらと論文をめくりながら、俺に問いかける。

「これは新しいトカマク型核融合炉の設計図とその理論背景を記した論文です。俺の同僚が書いた、俺の世界の最先端の論文です。この理論と機械を使えば、水銀を金に変えられます」

 そこまで言って俺は気が付いた。英語で書かれた論文をウルクさんが理解できる訳無い。数学の記述方法だって、この世界と元の世界では違うだろう。何より、数世紀先の最先端理論をもとにした設備など、この世界で作れるわけがない。つまり、ウルクさんの夢の手助けにはならないのだ。


 俺は興奮した自分を責めた。だがウルクさんは顔を輝かせていた。

「なるほど、これはすごい……」

 ウルクさんは貪るように論文を読む。俺はポカンとしながら、ウルクさんに問う。

「ウルクさん、それ読めるんですか?」

「ああ、もちろんじゃ」

 英語なのに?

「内容、わかるんですか?」

「ああ、これはすごい理論じゃ」

 ウルクさんは、目を輝かせながら話をする。

「これでワシの、いや全エルフ族の夢がかなう。だがこの設備を作るには、大量の魔力が必要じゃ」

「……これ作れるんですか?」

 いや、無理だろう。二十一世紀の現代でも作るのが大変だ。というか、この世界の科学力では、建材一つとっても調達できないのではないだろうか。

「難しいが、やってやれんことは無い」

 マジか?

「設計図があるのじゃ。王都の魔術師を総動員すれば、何とかなるじゃろう」

 えっと、魔術って万能?

 心の中で俺が突っ込んでいると、ウルクさんは立ち上がり、旅支度を始める。

「ナオキ殿。ワシと一緒に王都に行くぞ! 国王陛下に直訴するんじゃ! それでこの装置を作って錬金術を大成するのじゃ」

 えー、本気?

「ナオキさん、すごい! ひょっとして前の世界でも有名な錬金術師なんですか?」

 ごめんなさい。タダの庶務担当です。



 果たして、王都に旅立った俺。なんやかんやで、トカマク型核融合炉は完成し、水銀から無限に金を生成できるようになった。

 技術者としてプロジェクトの指揮を執ったウルクさんは、その成功に狂喜した。

 もちろん、ウルクさんだけではない。国王様、というか国全体がその成功に大騒ぎだった。そして、この世界の構造そのものに、大きな影響を与えた。



「うーん、こんなんでいいんだろうか……」

 俺は王都の邸宅で昼からワインを飲みながら、考え込む。

 トカマク型核融合炉、改めナオキ式錬金機と名付けられた機械のおかげで、金を生成することができたエルフの国はこの世界で最も豊かな国になった。

 だがそれだけにとどまらなかった。エルフ族は頭がよかった。ナオキ式錬金機が無尽蔵に近いエネルギーを生み出すことを、すぐに理解した。

 エルフ族は核融合炉で生成された熱エネルギーを、どうやったかよくわからないが魔力に変換し、今ではこの世界すべてを支配する大帝国になっていた。

 その威力を前に、もはや金を生成するなど些末なことになっていた。

 今や錬金術師は、金を生み出す魔術師ではなく、核融合炉を管理するエンジニアの事を指す言葉になっていた。結局、錬金術師を本道に戻すというウルクさんの想いは通じなかったというわけだ。


 有り余る魔力で、人々の生活も一変した。徒歩での旅は、魔力で動く自動馬車、つまり自動車に切り替わっていた。魔力飛行機も発明されたが、すぐに魔力転移機に置き換わり、どんな距離でも一瞬で移動するようになっていた。

 夜は暗かった王都には煌々と明かりが灯る様になり、バラックに住んでいた貧民も、今では魔力で強化された建材で建てられたタワーマンションに住むようになっていた。

 整然と整備された大都市になった王都には、エルフのみならず、人間やオーク、ゴブリンなどあらゆる種族が行きかう国際都市になった。


「たった二十年ぐらいで、元の世界より発展してるなあ……」

 結局、俺は元の世界に戻れなかった。この世界でも、多少の波乱はあった。

 最初、王都の連中は俺から別の技術を引き出そうと躍起になっていた。拷問こそ受けなかったが、軟禁状態にされ、俺自身が軍事機密のような扱いを受けていた。

 だが、俺から有用な技術を引き出せないというのは、彼らもすぐにわかった。俺の価値はあのシンジの書いた論文、それがすべてということが明らかになった。

 そうなると、王都の連中も俺への興味をなくした。一応、王国に功労アリということで公爵として遇され、広大な邸宅と莫大な年金で遊んで暮らせるようになった。

 その代わり、国政に携わるとか、征服事業に参加するとか、そういうことは無かった。俺はただ、エルフの国が発展していくのを見ているだけだった。

 つまり、元の世界の生活と変わらない。規模こそ違えど、自分の力ではなく、コネのようなもので安楽な生活を手に入れたのだった。


 今日も俺はやることがなく、朝からワインを飲んでいた。目の前にある二百インチ相当の巨大魔力ディスプレイには、王都で人気の恋愛ドラマが映し出されている。

 俺がそれをボケッと見ていると、綺麗に着飾った女性が寄ってくる。今や公爵令嬢となったミアだった。

「あなた。あまり飲み過ぎないでくださいね」

「ああ、そうだな」

「これ、目を通してください。サインもお願いしますね」

「わかった」

 俺はミアを妻に娶り、ミアの故郷のアストルの領主として、領地を経営していた。

 とはいっても実務はミアが取り仕切っている。ミアの決定したことに、俺はサインをするだけ。しかし夫婦仲もよく、子宝にも恵まれ、領民にも慕われている。幸せな毎日が続いている。俺は幸せだ。



「公爵閣下、王都より連絡です」

「うむ」

 ミアに渡された書類にサラサラとサインをしていると、タキシードに身を包んだ家令、つまり執事長がやってくる。

「おめでとうございます。ウルク様が指揮をとられています、星間航行船がワープ実験に成功したとのことです。これで我々エルフ族は、外宇宙に進出できます」

「そうか、何よりだ。お父上に祝電を打ってくれ」

「は、かしこまりました」

 家令は深々と頭を下げると、部屋から退出する。


 俺は召使に、ワインのお替りを頼みながら、魔力ディスプレイを切り替える。

 テレビはワープ実験成功のニュースをトップに報じていた。


「うーん、星間航行かあ。この世界はどこまで進歩するんだろう……」

 俺はすでに記憶があいまいになってきた、元の文明の事を思い出しながら、新しいワインに口を付けた。



 了

表題の"Mercurial Alchemist"は、そのまま「水銀の錬金術師」です。一方で、Mercurialには「気まぐれな」という意味もあります。

初めまして。Sheringfordです。初投稿です。オリジナル長編恋愛モノを書こうと思っていたのですが、ショートしか思いつきませんでした。普段はPixivで二次創作を投稿しています。今後ともご贔屓に。

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