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【オムニバスSS集】青過ぎる思春期の断片

幸せに特化した欲張りな脳ミソで

作者: 津籠睦月

 幸せになるコツって『お金に(たよ)らない幸福を、どれだけ知っているか』なんじゃないかな?

 お金で買える幸せしか知らない人は、ギャンブルだとか詐欺(さぎ)だとか闇バイトだとか、おかしなことに手を()めて破滅していくもの。

 生活するにはお金が()るけど、幸せになるのにお金は要らない。

 幸せになるのに要るのは、脳ミソだ。

 

 学校に(かよ)(みち)途中(とちゅう)に、よくノラ猫さんがくつろいでいる脇道(わきみち)がある。

 ひとりで勝手に“ノラ猫の小径(こみち)”と名付けたその場所に、猫さんを一匹でも見つけられたら、今日はもうハッピーな一日。

 そういう“ささやかな幸せ探し”を、日々何気(なにげ)なく習慣にしている。

 購買(こうばい)の人気のパンが“最後の一個(ラスいち)”でギリギリ買えたら、ラッキー。

 小テストでちょうど勉強していた所が出たなら、ベリーナイス。

 そういう“ちょっとした幸運”って、平凡(へいぼん)な毎日の中にも(わり)()らばっている。

 だけど、あまりにちっぽけで地味(じみ)だから、(みんな)あまり意識できないんだろうな。

 

 幸福には“感度”がある。

 小さな幸せのひとつひとつを全部拾い上げられる人もいれば、どんなに大きな幸せに恵まれていても、それに気づきもしない人もいる。

 よく『幸せは自分の心次第(しだい)』って言うけど、それってたぶん、そういうことなんだろうな。

 幸せの感受性が低い人は可哀想(かわいそう)だ。

 どんな幸運が(おとず)れても、気づかないまま放置(スルー)して『()りない、足りない』って()え続ける。

 世の中、そんな幸運さえ受け取れずに苦しんでいる人もいるのにね。

 

 そもそも皆『何が自分の(・・・)幸せなのか』って、ちゃんと考えたことがあるのかな?

 流行(はや)りのファッションやブームを追いかけて「欲しい」「買えない」と(なげ)いている(みんな)を見ると、思う。

 それって本当に自分の(・・・)欲しいものなのかな?……って。

 誰かの作った“楽しげなイメージ”“幸せのイメージ”に(おど)らされて、お金と時間を無駄(ムダ)に消費させられていないかな?……って。

 トレンドが過ぎたら、もう興味(きょうみ)を失って捨てたり売ったりするのって、本当は好きでも何でもなかったからなんじゃないかな?……って。

 

 私は昔から“流行”や“人気”に興味が無い。

 そういうものを買ってもらえない家だったから、というのもあるけど……基本“他人にオススメされたもの”に興味を持てないのだ。

 自分の好きになるモノは、自分自身で見つけたい――そういうタイプの人間なのだ。

 

 流行(はや)りを過ぎたモノの中にも、おもしろいモノはある。

 流行りにもならなかったモノの中にも、魅力的(みりょくてき)なモノはある。

 むしろ(しゅん)を過ぎると安値(やすね)で買えたりして、おこづかいの少ない身にもありがたいのだ。

 勝手に流れて来た“流行りのモノ”には何の感慨(かんがい)も持てなくても、自分で見つけ出した“()り出しモノ”には愛着(あいちゃく)()く。

 難点(なんてん)があるとすれば、その“良さ”を誰かと共有(シェア)できないことだけど……元から“(ひと)りでも楽しめる”私には苦ではないのだ。

 

 独りだと楽しめない人間は、人の集まる“人気”のモノに自分を合わせるしかない。

 自分を持っていない人間は、誰かの意見を追うしかない。

 それもひとつの生き方だけど、(つか)れそうだな、って思う。

 めまぐるしく(うつ)り変わるトレンドを追わされて、()り回されて、自分のペースで人生を進めないなんて……マイペースな私には、とてもできない生き方だ。

 

 私はたぶん、すごく欲張(よくば)りなんだろう。

 私じゃない他の誰か(・・・・)の考えた幸せを、自分の(・・・)幸せだとは思えない。

 他の(みんな)と同じ幸せじゃ満足(まんぞく)できない。

 私が欲しいのは、この世にたった一つの、私だけの幸せの形だ。

 それは、他の誰でもなく、私だけが決められるんだ。

 

 高価なブランドバッグや宝石を、欲しいと思ったことはない。

 可愛(かわい)いモノやキラキラしたモノは好きだけど、雑貨屋(ざっかや)さんに売っている“何とか手の(とど)くバッグやアクセ”でも、私には充分(じゅうぶん)だ。

 “高価(たか)いモノを買える自分”を他人(ひと)自慢(じまん)したいなんて欲も無い。

 だってそういうの、(はた)から見たら普通に“カンジワルイ”人じゃない?

 一時(いっとき)見栄(みえ)と周りの人間の好感度――(はかり)にかけて見栄を選べるほど、刹那(せつな)の快感に()えるタイプじゃない。

 

 (なん)で皆、お金で買えるモノばかりを幸せだと思っているんだろう?

 私はそんな“お金があれば誰でも買える幸せ”になんて、興味が無い。

 まだ誰も味わったことのない未知の幸せを、自分の力で見つけ出したい。

 私、そんじょそこらの人間とは欲張りのレベルが(ちが)うんだ。

 

 幸せの感度を(ひろ)げれば、それが実はそこら(じゅう)に落ちていることに気づく。

 たとえば、体育館に()(ほこり)が、日の光でちらちら光るのを、綺麗(きれい)だな、って見惚(みほ)れる時。

 たとえば、(かさ)雨粒(あまつぶ)をぱらぱら(はじ)く音を、心地(ここち)良いな、って()()れる時。

 こんな“見つけづらい幸せ”に気づけるのなんて私くらいだろうな、って(ひそ)かな優越感(ゆうえつかん)(ひた)る。

 皆、お金さえあれば幸せになれると思って、幸せの感度を(みが)くのをサボり過ぎなんだろうな。

 同じ世界に生きているのに、こんな幸せを味わえずに終わるなんて、もったいない。

 

 お金が無いことを、不幸だと思っている人って、多い。

 だけど私は、それってちょっと違うんじゃないか、って思っている。

 不幸なのはお金が無いことじゃなくて、それで心に余裕(よゆう)が無くなることだ。

 

 お金が無いと、誕生日(たんじょうび)でも好きなケーキが選べない。

 種類やサイズが、希望のものよりワンランク、ツーランク下になる。

 だけど私は、あのケーキが食べられなくても、べつに良かった。

 それよりスポンジと生クリームを買って来て、お母さんと一緒(いっしょ)に手作りしたケーキの方が楽しかったから。

 思い出って、お金じゃない。

 柔軟(じゅうなん)な心とアイディアさえ有れば、高価(たか)いお金を出さなくても、それより“記憶に残る”思い出が(きざ)める。

 私はそれを、経験で知っている。

 

 なのに、何でだろう。

 同じ経験を()んだはずのお母さんが、今では何故(なぜ)かお金に(とら)われて、毎日ピリピリしている。

 お父さんが“余計(よけい)なこと”にお金を使うたび、私が何かに失敗して“お金を無駄(むだ)にする”たび、あからさまに不機嫌(ふきげん)になる。

 態度(たいど)と表情で家の中をギスギスさせる。

 その重苦しい空気に()れるたび、私がここにいてはいけないように感じる。

 学校に(なら)い事に、お金を“使わせる”ばかりで“増やせない”私は、この家の“お荷物(にもつ)”なんじゃないか、って()たたまれなくなる。

 きっと考え過ぎの被害妄想(ひがいもうそう)だろう、って自分で自分を納得(なっとく)させるけど、お母さんが嫌な顔をするたびに心が()らぐ。

 

 私には、大人のお金事情(じじょう)は分からない。

 (はたら)いて(かせ)いでいるわけでも、苦労して家計をやりくりしているわけでもない。

 だから「お金なんて無くてもいいじゃん」なんて、簡単(かんたん)には言えない。

 だけど、お金の無い不満ばかりで毎日をつまらなくするのは、何か違うんじゃないか、って思う。

 お金が無くても無いなりに、人生を楽しまなきゃ、生きていて(そん)じゃない?

 お金が()ろうと無かろうと、嫌でも人生は進むのに、ないものねだりの文句(もんく)ばかりで時間を(つぶ)すなんて……人生を楽しめていないにもほどが無い?

 

 可愛い文房具(ぶんぼうぐ)が買えないなら、シンプルな文房具をキラキラシールで盛り付け(デコレーション)する。

 欲しい本が買えないなら、図書館と古本屋をハシゴする。

 そうやって知恵(ちえ)工夫(くふう)で“入手困難(にゅうしゅこんなん)なお宝”を手にするのって、ゲームみたいで楽しい。

 きっとこの感覚って、ストレートに欲しい物を買える人には味わえないんだろうな。

 きっと私は、お金を持っている人たちよりよほど、人生を(かしこ)く楽しんで生きてる。

 

 お金に(とら)われないコツって『お金で買えない価値あるモノを、どれだけ知っているか』なんじゃないかな?

 だって、私のこの柔軟(じゅうなん)で幸せな脳ミソは、どれだけお金を()んだって手に入らないって、知ってる。

 どんな状況(じょうきょう)でも幸せを見つけることに特化(とっか)したこの脳ミソを、私はどんな宝物よりも愛している。

 

 今日もお母さんは、機嫌(きげん)の悪さを私にぶつけてくる。

 生活への不満で家の中を暗くする。

 でも、大丈夫(だいじょうぶ)

 家を出れば、今日もきっと、あの小径(こみち)に猫さんたちがくつろいでいるから。

 

 今日も私は、友達との何気(なにげ)ない会話に経済格差(けいざいかくさ)を感じて(へこ)む。

 でも、大丈夫。

 お金の()りない分は知恵と工夫で気分をアゲるから。

 

 どんなに(なげ)いても、(ねた)んでも、私を取り()環境(かんきょう)は、そう簡単に変わってくれない。

 だけど、大丈夫。

 どんな状況(じょうきょう)でも心を上向(うわむ)ける方法を、私は知っているから。

 毎日せっせと(みが)いて感度を(きた)えたこの脳ミソは、どんなささやかな幸せも(すく)える。

 だから、絶対幸せになれる。

 この世の誰より欲張りな私は、どんなちっぽけな幸せだって見逃(みのが)さないのだ。

Copyright(C) 2025 Mutsuki Tsugomori.All Right Reserved.

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