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ベテルギウスの夜・人類滅亡まで180日・すべてわかっていた

※ この作品は動画でご覧になれます

https://youtu.be/db_uZpS2MvI

「イヌマケドンTV」で検索

「ねえ、最近、空ばかり見てない?」


 学校帰り、正門の前。ぼくは空を気にしていたようだが、指摘されるまで自覚がなかった。


「そう?」


 ぼくが曖昧に返すと、彼女は小さくため息をついた。

 しまった、と思って言い直した。


「あ、ごめん、もっと私を見てってことだよね?」

「もう!」


 照れた顔が横目に映る。笑えばよかった。何か言葉を足せばよかった。

 でも、ぼくはそこで会話を切ってしまった。


 そして、目はまた空へ戻る。

 理由はわからない。ただ、どうしても気になる。空に文字が書かれているかのように、無意識に何かを読み取ろうとしている自分がいた。


***


 夜になって、最初に聞こえたのは子どもの声だった。


「お空が光ってる」

「夜なのに光ってる」

「すごいよ」

「ねえパパ見て」


 窓の外が明るい。夜のはずなのに、夕方みたいに光が残っている。カーテン越しでもわかるほどだ。胸がざわつく。

 テレビをつける前から、ぼくの身体は落ち着かなかった。理由はわからないのに、もう答えを知っているみたいだった。


『オリオン座の一等星、ベテルギウスで超新星爆発が観測されて一週間』

『専門家によれば、夜空は当面、夕方程度の明るさが続く見込みです』


 空は異様なのに、ニュースの声は淡々としている。その温度差が、かえって怖かった。

 街頭インタビューの男が、笑いながら言う。


「そりゃ明るくなって嬉しいですよ。だって二十四時間、遊べるってことですよね」


 その直後に、ニュースキャスターが言った。


『一方で、夜間の犯罪件数は増加傾向にあります』

『夜が明るくなっても、人の心は暗いままのようです』


 そう言って片づけるんだ、と思った。

 こんなありきたりな言葉でまとめていい事態じゃない気がしたのだ。ただ星が破裂して、光が強くなった。それだけのはずなのに、何か得体のしれない違和感を感じる。

 その「何か」を確かめたくなった。確かめないと、落ち着かなかった。


 次の夜、そしてまた次の夜も、ぼくは東京の繁華街にいた。

 ネオンが光っている。けれど空も同じくらい明るい。そのせいで、人混みと喧噪がいつもより派手に見えた。みんな、少しだけ自分のストッパーを外しているようだった。


 スマホを構える。角度を変える。


「この角度がいいかなぁ」


 うまく写らない。星は白飛びして、画面にノイズが走る。


「うまくいかないなぁ」


 シャッターを切った瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。

 目の奥に、何かを突き刺されたみたいな痛みが走る。


「あ、いててて……、また頭痛だよ」


 ベテルギウスが爆発して以来、突如として頭痛が襲うようになった。

 頭を押さえたまま、ふらついて薄暗い路地に入った。

 人目を避けるよう電灯の影に身を寄せたが、なんとなく視線を感じた。

 ふと見ると、そこには犬がいた。


「えっ?こんな場所に犬?」


 首輪をつけた柴犬だった。逃げ出してから時間が経っているのか、毛並みは少し乱れている。

 でも、目だけが妙に澄んでいる。


 犬はじっとぼくを見ていた。逃げない。吠えもしない。


「……お前、昨日もいたよな。……どこの犬だよ」


 一歩、犬が近づく。ぼくを見上げる。


「ワン」


 その鳴き声と同時に、「パチン」という乾いた音がした。

 視界が一瞬、白く飛んだ。


「うっ……!」


 反射的に目を押さえる。頭の中で光が弾けて、頭痛が波となって押し寄せる。


「いって……! な、なんだよこれ……!……やべ、マジでやべえ……」


 視界がぐらつく。路地の壁が、遠ざかったり近づいたりする。

 犬は、ただそこにいて、ぼくを見ている。


 ぼくは目を逸らし、息を止めて、犬から距離を取った。

 そのまま人混みに紛れ込む。何もなかったふりをして帰宅した。


***


 翌日、学校はざわついていた。


「校長、死んだんだって……」

「昨日の夜、誰かに襲われたらしいよ」

「犯人が誰なのか全くわかんないんだってさ」

「怖すぎ……」


 教室へ向かう廊下の空気は重かった。

 身近で殺人事件だなんて。


 一時間目が始まる前、彼女がぼくの席までやってきた。

 周りが校長の話をしてるのに、彼女だけはぼくの目を見ていた。

 

「ねえ、また目が充血してるよ」


 彼女の指が、ぼくの顔の近くで止まる。

 赤いのは自分でもわかっていた。欠点を指摘されたように感じて少し苛立った。


「ちょっと寝不足なだけだよ」


 嘘はついていない。眠れないのは本当だ。夜が明るいのもある。

 でも、それだけじゃない。


「また夜に写真なんか撮りに行ったの?」


 当たっている。

 だから余計に、これ以上踏み込まれるのが嫌だった。なぜなら、これはぼくの心の中だけの葛藤だからだ。どうせ話しても理解されず、軽く扱われて終わるに違いない。


「ほっとけって」

「もう、ハルのこと心配してるのに……。ちゃんと病院に行くんだよ」


 彼女はぼくの腕を掴んだ。力は弱いのに、なかなか離してくれない。


「それがウザいっての」


 予想通り、一時間目は自習になった。

 教師たちは職員室に集まって、会議でもしているのだろう。


 ふと廊下を見ると、コートを着た私服の警察が立っていた。疲れた目をしている。

 視線が合った瞬間、ぼくの目を見て、わずかに眉をひそめた。



 夕方、部屋に戻ってテレビをつける。ニュースはまだ続いていた。


『ベテルギウスの超新星爆発による影響は、地球からも未だ観測され続けています』


 ぼくは机に突っ伏し、頭を押さえた。


「まただ……、頭が割れそうだ……」


 目の奥が熱い。脈打つみたいに、じわじわと重い感じが広がっていく。

 そのとき、インターホンが鳴った。


「誰だよこんな時に」


 玄関を開けると、そこにはあの犬が座っていた。

 懐かれたのだと思ったが、よくぞこんなところまでついてきたものだ。


「……お前がピンポン押したのか?」

「って、そんなわけないよな。ざけんなよ、誰の嫌がらせだ!」


 ぼくはドアを乱暴に閉めた。

 しばらくして、ドアの向こうから、小さく「ワン」という声が聞こえた。

 かわいそうだが、我が家で犬を飼うことはできない。


***


 世界は、目に見えて荒れていった。

 テレビのニュース番組では、天文学者が深刻な顔で、とんでもない話をしていた。


「危険なガンマ線バーストが観測されています。

もしその強烈なビームが地球の方向を向いていれば……、地球は一瞬で住めない星になります。

公転位置を計算すると、半年後、その影響を受ける可能性があります。最後は、祈るしかありません」


 半年後。

 180日後に、人類が終わるかもしれないという話だった。

 大げさに言ってるだけだ。そう思いたかった。


 予想通り、その言葉は、あっという間にネットに溢れた。


《半年後に地球終了www》

《もう仕事行かなくてよくね?》

《どうせ世界終わるし、やりたい放題するわ》


 暴走する車。路上の叫び声。殴り合う人間たち。

 抑えられていたものが、遠慮なく外にあふれ出していく。人間の悪意が、堂々と姿を現し始めた。

 美しく神々しい青紫色の夜空と下界のコントラストが日に日に激しくなる。


 学校に、再び大勢の警察がやって来た。

 職員室前の廊下を通りかかったとき、担任とあの時の刑事が話している声が聞こえた。


「彼を疑う理由があるんですか?」

「話を聞きたいだけですよ……」


 誰が犯人なのかと、教室は妙に浮き立っていた。

 でも、放課後に呼び出されたのは、ぼくだった。


 授業が終わると、彼女が心配そうに駆け寄ってくる。


「……大丈夫?」

「すぐ終わるって。心配すんな」


 連れて行かれたのは、生徒指導室だった。

 机と椅子だけが置かれ、簡易的な取り調べ室みたいになっていた。


「校長が襲われた日の夜……、お前はどこにいた?」

「家にいました」

「誰か証明できる人は?」

「いません。親は夜勤なので……」


 刑事はじっとぼくを見つめる。


「最近、体調は?」

「……え?」

「目が赤い。寝てないんだろ」


 その言い方が、ぼくを犯人扱いしているかのように聞こえて腹が立った。


「関係あるんですか?」

「さあな。苛立って、誰かに当たったりしてないかと思ってな」


 その瞬間、目の奥がズキンと痛んだ。

 視界が赤く染まり、刑事の顔が歪んで見える。


「うっ……!」

「おい、大丈夫か?」


 ぼくは歯を食いしばった。


「すみません……、少し気分が……」


 横にいた教師が、慌てて口を挟んだ。


「刑事さん。今日はこの辺で勘弁してやってください。まだ子供なんで……」


 刑事は立ち上がり、笑いもせずに言った。


「また来るさ。世界もあと半年だ。せいぜいそれまでに思い出しておいてくれよ」


***


 夜。ぼくは、いつものようにひとりで街を歩いていた。

 この青紫色の夜空は永遠に続くものではないという。だから今のうちにたくさん見ておきたかった。やがて探している何かの手掛かりになるだろうから。


 ふとスマホが震える。彼女からのメッセージだった。


『また星の写真?私もそっちに行っていい?』


 ぼくは短く返した。


『来ないで』


 送信してから思った。ぼくは星が好きなんじゃない。たぶん、そんな単純な話じゃない。


 顔を上げた瞬間、視界の端に見覚えのある影が入った。

 あの刑事だった。


「何か探しものか?」


 ぼくは答えずに歩き続ける。


「まったく、未成年が夜の街をふらふらと……」


 まだ十八時だって過ぎちゃいない。

 これ以上、説教を聞く気はなかった。


 ぼくは、走った。

 後ろから、足音が追ってくる。

 案外しつこい。体力なら負けないとでも思っているのか。


 仕方なく路地裏に逃げ込み、角を曲がって、物陰に身を隠した。

 しばらくたっても周辺で足音は止まらなかった。まだ隠れていた方がいいだろう。


 そのとき、何気なく路地の入口を見た。

 すると、あの犬がいた。


「うわっ……、またお前かよ。なんなんだよ、本当に」


 犬は近づいてこない。ただ、じっと遠くからぼくを見つめている。


 次の瞬間、犬の目が赤く光った。

 いや、光ったように見えただけかもしれない。


 とたんに世界が急にスローモーションになる。

 周囲の音が遠のき、視界の縁から闇がにじむ。

 そういえば、この犬と目を合わせるたびに頭痛が起きているような気もする。ここから離れたほうがいいのだろうか。しかし、あの刑事が、まだ近くにいる。


「……う、うあ……!」


 足元が抜けたみたいに、底の見えない穴へと意識は落ちていった。


***


 次に目を開けたとき、そこは教室だった。


 近未来的な造り。窓の外には、地球じゃない星々と、巨大なリング状の惑星が浮かんでいる。

 空気の密度まで、どこか違う気がした。


 教師が、見慣れた星雲のホログラムの前に立っている。


「今日は先週に引き続いて『下等知的生命体の自滅現象』を取り扱う」


 教室がざわつく。


「先生、またLumina33ですか?」

「そうだ。何度も文明を崩壊させてきた星だから学ぶことは山ほどある。生存本能、そこから派生した快楽、承認欲求……、それらが彼ら自身を破壊へと向かわせる」


 スクリーンに「Lumina33」と表示された星。

 一見すると地球にそっくりなのに、誰もその名を口にしない。


 そのとき、ぼくの口が勝手に動いた。


「……また下等生物の過去のパターンの学習ですか?」

「歴史を学ぶことは重要だ」

「それもそうですが。ぼくらは上級生のように実験がしたいんですよ」


 誰だ、この「ぼくら」とは。

 でも言葉は自然に出てくる。ぼくは、ぼくのようでぼくでない。まるで、夢の中で客観的に自分を見ているようだった。


 教師は言う。


「では今回は君が主導してみろ。面白い実験でも思いついたか?」


 ぼくは、恐らく、あの星の別の名を口にしていた。


「Lumina33の横にある赤色超巨星Adeth、あれ、まだ残ってますよね。あの研究用の星」

「ああ。モニタリングも制御もされている」


 ぼくは話し続ける。


「じゃあ、こういうのはどうです?Adethを超新星爆発させて、①Lumina人が自滅するのが先か、②ガンマ線バーストで滅ぶのが先か、比べてみるとか」


 教室がざわつく。「ゲームみたい」と笑う声。

 教師は腕を組み、しばらく黙ったあと、言った。


「発想としては悪くない。ただし、本当にガンマ線バーストが発生し、そのビームが直撃したら……、Lumina33は完全に生物の住めない星になる」

「それも自滅現象ってやつのパターンでしょ?」

「……防御用のシールドだけ貼っておこう。彼らがどう振舞うかを見るだけにする」

「えー……」


 一部の生徒から落胆の声が聞こえた。


 授業が終わり、生徒たちが教室を出ていく。

 しかし教師は、ぼくだけを残した。


「君には、実験の事前準備をしてほしい」

「なんですか?」


 スクリーンに映し出される、Lumina33の映像。

 戦争。暴動。泣き叫ぶ子ども。祈る人々。

 ぼくは、それを映画みたいに眺めていた。


 教師は、慎重に言葉を選んでぼくに伝えた。


「君に補講を与える。Lumina33の生態系にウォークインして、星が滅ぶ直前まで、そこで生きてみなさい」

「……でも、 ぼく、恒星間干渉免許も持ってないし……。将来そんな仕事にだって就くつもりは……」

「ふっ、キミが言い出したことじゃないか。免許のある私が付き添えば許可は下りる。安心しろ。危機の直前に、私が君をここに戻す」


 その笑みは、優しさにも、意地悪にも見えた。


 教室の照明が落ち、よくわからない巨大な装置のシルエットが、闇の中に浮かび上がった。

 装置の中に入り、狭い空間にぽつんと置かれた椅子に腰を下ろす。

 不安が、一気に押し寄せてきた。

 これは、最初に想像していたよりも、ずっと重たい何かを自分に残す。理由はわからない。ただ、そうなると直感していた。


 プラズマみたいな光が視界を埋め尽くし、次の瞬間、ぼくは路地裏に立っていた。


 犬が、目の前にいる。


 冷や汗が背中を伝う。膝が震える。呼吸が、うまくできない。


「……ハァ、ハァ……。今の……、なんだ……? 夢……?」


 夢にしてはリアリティがあった。妙な郷愁を感じたおかげで、自分が誰なのかわからなくなりかけた。

 ぼくは、ふらつきながら犬に近づいた。


「お前が……、見せたのか?」


 犬は、小さく「ワン」と鳴いた。

 それだけ言って、まるでミッションをすべて終えたかのように路地の奥へ走り去っていった。疑問はすべて解決していないというのに。

 追いかけようとした、そのときだった。


「ここで、校長殺害の犯人が捨てたナイフが発見されたんだよな」


 背後から、声がした。


 振り向くと、刑事が立っていた。

 煙草を指先で弄びながら、ゆっくりと距離を詰めてくる。


「ナイフは、もうここにはない。犯人ってのはな、必ず現場に戻るもんだ。……やっぱり子供は単純だな」


 頭が、かっと熱くなる。


「しつこいなあ。指紋でも何でも取ればいいじゃないですか!」

「ふーん、指紋ね……」


 刑事は顔を寄せ、小声で囁いた。


「正直なところな……、どうせ、この世もあと半年で終わる。指紋なんて、どうでもいいんだよ。ここでおまえを犯人に仕立てても、誰も文句は言わないだろうしな」

「……何、言ってるんですか?」

「世界が終わる前に、殺人犯を検挙して。そのあと、パーッと飲みに行けりゃ、それでいいかなって思ってる」


 その目には、諦めと浅ましさが混ざっていた。


「ふざけるな!」


 刑事が腕を掴もうとした瞬間、反射的に振り払って走り出す。


「おいっ! また逃げる気か!」


 路地裏を飛び出し、荒れた繁華街に再び入った。

 人ごみに紛れてしまえばわからない。そう思ったからだ。


 逃げている間、頭の中で同じ疑問がぐるぐる回っていた。

 なぜ、ぼくなんだ。

 夜の街をうろつく高校生なんて、他にもいくらでもいるはずなのに。


 考えながら走っていたら、最悪のものにぶつかった。

 酒臭い息。絡みつく視線。

 映画でよく見かける典型的なヤクザものたち。


「おいおい、どこ見て歩いてんだ、坊主」

「す、すみません……!」

「謝れば済むと思ってんのか? あぁ?」


 ぼくは、精一杯、虚勢を張った。


「すぐに警察が来ますよ……」


 そう言うと、男たちは辺りを見回した。ぼくも来た道のほうを振り返る。

 しかし、追ってきていたはずの刑事の気配はない。うまく巻いたことが完全に裏目に出た。

 もう逃げ場はない。


「来ねーじゃねーか。殺すぞ、この野郎」


 拳が飛んだ。

 頬が焼けるように熱くなる。視界が傾いて、地面が近づく。


「今、人ひとりぶっ殺したって、半年後には帳消しだろ?」

 

 もう一発。

 口の中に血の味が広がった。


「やっぱ人殴るの、気持ちいいな」

「どうせ半年後おれら死ぬし、スカッとさせてくれよ」


 ここで、終わるのか。

 そう思ったとき、遠くから声が聞こえた。

 ぼくの名前を呼ぶ声だ。


「ハル!?」


 彼女だった。

 彼女は駆け寄ってきて、ぼくの前にしゃがみ込み、身体を庇う。


「やめてください! 警察呼びますよ!」


 男たちが下品に笑う。


「おお、彼女か。かわいいじゃねえか」

「お前も一緒に遊んでいけよ。どうせ世界滅ぶんだしよ」


 彼女は震えながらも、両手を広げて立ちふさがる。


「この人に、これ以上、触れないでください!」


 ぼくは必死で顔を上げた。


「……来るなって言ったのに……」


 その瞬間、遠くでパトカーのサイレンが鳴った。

 小さな音だったが、男たちの動きが止まる。

 サイレンは徐々に近づき、警告灯の赤い光が見え始めると、男たちは舌打ちして散っていった。


 助かった。しかし、そう思ったのは、一瞬だった。

 次は、あの冤罪をでっちあげようとしている刑事が来る。

 彼女は安堵した表情を浮かべるが、ぼくは落ち着かなかった。

 ここを離れようと小声で伝えたが、彼女は首を振った。


「今は、ここが一番安全だよ」


 そのときだった。


 遠くから、太いエンジン音が響いてきた。

 異様に大きくて荒い。


 暴走車だった。


 蛇行しながら迫ってくる。クラクション。悲鳴。

 避けきれなかった人たちが、次々と跳ね飛ばされる。


 進行方向は間違いなく、ぼくたちだった。

 想像もしていなかったような危険が次から次へと迫ってくる。

 こんな所に来るんじゃなかったと心の奥底から後悔したが、あまりに遅すぎたようだ。

 

「危ない!」


 考えるより先に、身体が動いた。

 横たわりながらも彼女を突き飛ばし、車の進路から外す。


 よし、彼女は無事だ。

 次は、自分が逃げる番。そう思って、顔を上げた。


 しかし、もう近すぎた。

 フロントガラス越しに、運転手の顔が見える。

 真っ赤に光る両目。何かに憑りつかれたような表情。


 そういえば、あの犬も同じような赤い目をしていたっけ。なにかに操られたような目だ。

 そう思った瞬間、背中に、重たい衝撃が叩きつけられた。


 身体が宙に浮く。

 時間が、ゆっくりになる。


 彼女の顔。

 驚く大人たち。

 青紫色の夜空。

 電球色のヘッドライト。


(ああ、終わるんだな。世界も、ぼくも、全部……)


 救急車のサイレンが、近づいてくる。

 誰かが泣いている。


 彼女が、ぼくのそばに来た。

 顔を近づけて、何度も名前を呼ぶ。


「ハル……、ねえ、返事してよ……!」


 不思議なことに、ぼくは平気だった。

 声も出たし、身体も軽い。さっきまでの痛みが、嘘みたいに消えている。


「泣くなよ……、おまえを守れたんだ、ちゃんと……。

……でも、なんだかおかしいんだよな……。ずっと前から、こうなるって知ってたみたいな……。

うん、まちがいなくわかってた……。そうだ。そのことをずっと探ろうとしてたんだ……」


 彼女の声が、遠ざかっていく。

 彼女の姿も輪郭を失っていく。


 そして、次に聞こえたのは、場違いなくらい軽い声だった。


「おかえり」


 気がつくと、ぼくは大きな装置の中にいた。

 椅子に座ったまま、荒い息をしている。手が、わずかに震えていた。


 モニタには、あの教師の顔。

 

「さて。星が滅ぶ直前のLumina33での体験。どれくらい、データを集められたかな?」

「……データ収集、なんてレベルじゃありませんよ」


 目を閉じると、彼女の泣き顔が浮かぶ。

 焼きついて、離れない。


「恐怖と……、諦めと……、それでも誰かを守ろうとする……、わけのわからない感情の塊……」


 教師は、黙って聞いていた。

 そして、淡々と言う。


「それだけですか?」

「それだけっていうか……、彼女はどうなるんですか?ぼくをひいたヤツや、あの、刑事も……」


 教師は、少しだけ頷いた。


「そうだね、でもキミが気にすることなのかな?キミはただの実験をしただけじゃないか?」

 

 何も返せなかった。痛いところを突かれた気がした。

 教師は、まるで、こうなることを予期していたかのように得意げな表情を浮かべたが、最後に救いの手を伸ばして締めくくった。

 

「でも、そこに気が付けば上出来だ。そこんところは、また今度ゆっくり掘り下げよう。今日はここまでにしようか」


***


 後日、ぼくが体験したことは、およそ一般化されて教室のみんなに語られた。

 下等知的生命体の社会では、動物としての生存本能が歪められ、やがて過剰な快楽を求めるようになる。それが文明の崩壊を招く。そんな話だった。


 理屈としては、間違っていない。

 でも、それだけで片づけられる話じゃない。ぼくが見たもの、感じたものは、そんな言葉に収まるようなものじゃなかった。

 そのことを先生はわかっていたはずなのだが、なぜか、みんなの前で細かく話すことをしなかった。


 授業のあと、Lumina33のことが気になって仕方がなくなり、ぼくは思わずモニタを操作して彼女を探した。


 Adethの光は弱まり、空は少しずつ、本来の暗さを取り戻していた。

 ニュースは相変わらず、淡々と告げる。


『ベテルギウスの異常発光は鎮静化の傾向を示しており、夜空は徐々に通常の状態へ戻りつつあります』

『ガンマ線バーストについても致命的な影響は観測されておらず、今回の騒動は結果として社会的混乱のみを残す形となりました』


 すべてを知ってしまったあとに、こんなニュースを聞くのは酷だ。全部ぼくたちが作り出したのだから。


 気を取り直してモニタを高台の公園へと移動させる。二人でよく来た場所だ。

 彼女は、そこで空を見ながら立っていた。

 

 手にはスマホ。

 画面には、ふたりで写っている写真。


 彼女は、小さくつぶやいた。

 風に消えてしまいそうな声で。


「……私のこと、見ててね」


 それは、いったい誰に向けた言葉だったんだろう。ぼくへの言葉のはずなのに……。

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