どうして人生はつらいことばかりなの?転生の秘密を知って気が付いたこと
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古びた病院。
夕陽が差し込む病室で、一人の年老いた男が、ひっそりと最期の時を迎えようとしていた。
「苦しい……」
やつれた頬、伸び放題の髪。
かすれた声は、誰の耳にも届かない。
男の傍には、親族も友人もいない。
ただ、窓からのぞく夕陽だけが、男にそっと寄り添っていた。
やがて、心停止を告げる警告音が病室に鳴り響く。
さして慌てる様子もなく、医師と看護師たちがドアを押し開けて入ってきた。
彼らは脈を確認し、慣れた手つきで淡々と遺体の処置を始めた。
男は自分が死んだことに気づかぬまま、空中から病室の様子をじっと見下ろしていた。
「おい、おまえら何やってんだ?」
ぼそりとつぶやいたそのとき、看護師のひとりが動いた。
枕元に置かれていたアザラシのキーホルダーに手を伸ばし、何のためらいもなくゴミ箱へと放り投げた。
「おい、それは大事なやつなんだぞ! 捨てることないだろ!」
男は怒りにまかせて叫んだが、当然のごとく誰の耳にも届かなかった。
「おい、聞こえてんのか、こら!」
魂となった男は、怒りをぶつけるように、病室の天井から声を張り上げた。
だが、医師と看護師は微動だにせず、まるで何も聞こえていないかのように黙々と職務をこなすだけだった。
「そうか。聞こえちゃいねえんだな……、オレはもう死んだってわけか……」
男は空虚に笑った。
「まあ、そうだよな。こんなもんだ……、どうせ、死ぬとは思ってたんだ」
七十を過ぎた男が、古いアパートの一室でひとり寝ていたある晩、急に息苦しさに襲われた。
このまま誰にも気づかれずに死ぬのはごめんだ。そう思って、深夜に自分で救急車を呼んだのだった。
「死んでよかったのかもな。どうせ入院費用なんて払えやしないんだから……」
男はしらけた表情で病室の窓から大空へと舞い上がった。
眼下には、かつて暮らしていた町が広がっていた。
「死んだら終わりじゃなかったんだな……。この先オレはどうすればいいんだ?」
男が空を漂っていると、ふいに過去の記憶が頭を巡った。
女手一つで育ててくれた母のことや、若い頃に出会った、最初で最後の恋人。
そして、アルバイトをしていた頃、いつも笑顔で話しかけてくれた小学生の女の子。
「おじちゃんは今日が誕生日だって言ったら、ランドセルにぶら下がってたキーホルダーをくれたっけな。
今さっき看護師に捨てられたけどな」
思い返せば、ほんのわずかではあるが、心を温めるような記憶が確かにあった。
しかし、男は自らの人生に納得がいってなかった。
「でもな、こんなはずじゃなかったんだ。オレはもっと何かでかいことができたはずなんだ……」
人生のどこを切り取っても、誰かに誇れるような瞬間は見当たらない。
男は、自らの人生を冷たく評価していた。
そのとき、男の目の前の景色が一変した。
地平線のかなたまで広がる、見渡す限りの波打つ黄色い砂。
焼けつくような太陽、風すら止まった静寂。
そこは、まさしく熱帯の砂漠だった。
「ここはどこだ、外国か? まさか死んでから海外旅行に来るとはな。夢のまた夢だったのに……」
最初でこそ異国の風景に心が少し浮き立った。
だが、どこまで歩いても、見えてくるのは同じ空と砂の模様。
観光どころか、目を引くものすら何もなかった。
やがて、男に激しい喉の渇きが襲った。
死んだはずなのに、肉体的な苦しみがやってきたのだ。
「もう歩けない、限界だ……。水……、水はないのか。自販機もないってのか……。オレはいったい、どこへ行けばいいんだ……?」
西も東も、南も北も、どの方角を見ても砂漠。
目指すべき場所など、どこにも見当たらない。
「まさか……、オレは地獄に落ちたのか?
ちょっと待てよ……、オレがいったいなにをしたって言うんだ。冴えない人生を送っただけだろ?
それでこんな罰が待ってるなんて、理不尽すぎるじゃないか!」
男はとうとう足を取られ、膝から崩れ落ちた。
そのまま前のめりに倒れ、熱い砂に顔をうずめる。
今まで感じたことがない疲れと絶望が、男の体に染み込んでいった。
「オレはいったい、何度死ねばいいんだ……」
ーーー
倒れこんでどれくらい経っただろうか。
ぼんやりとした意識の中で、気づけばあの焼けつくような熱さも、喉の渇きも、どこかへ消えていた。
「きっと大やけどだ」と思って、砂に押しつけられた頬。
恐る恐る触ってみたが皮膚は何ともない。むしろ、不思議なほど平気だった。
「砂漠で干からびて死ぬかと思ったけど、オレはまだ生きてる。どういうことだ?」
身体を起こし、男はあぐらをかいて砂の上に腰を下ろした。
死んだはずの自分がなぜか平然としていることに戸惑った。
しばらく遠くの地平線を見つめていると、ぼんやりとした揺らめきが視界に浮かび上がった。
ゆらゆらと蒸気のように揺れるその蜃気楼は、やがて、山小屋のような小さな建物の輪郭をかたちづくっていく。
「小屋だ……? こんな砂漠のど真ん中に? まさか、人がいるのか?」
男は立ち上がり、砂に足を取られながらも、小屋へと向かって歩き出した。
最初は小さな点のようにしか見えなかったその建物は、どれほど歩いたかも分からないほどの時間を経て、ようやく全貌をあらわした。
そして、男は思わず声をもらした。
「こりゃすごい。まるで、ガラス細工の美術館だ……」
男は目を輝かせながら、丸太づくりの小屋の近くまで駆け寄った。
小屋の周辺には、キラキラと輝くガラス細工の彫刻が、所狭しと並んでいた。
不思議なことに、小屋の一帯だけは砂が消え、短い草がぽつぽつと芽を出していた。
まるで砂漠の中のオアシス。いや、ぽっかりと異世界が浮かんでいるかのようでもあった。
男は小屋から少し離れた場所で立ち止まり、ガラスの彫刻ひとつひとつを見てまわった。
それらは人間や動物、植物などさまざまな形をしており、ガラス自らが神秘的な光を放っていた。
透明で繊細なのに、どこか体温を感じさせるような、温かみのある輝きだった。
「吸い込まれそうだな……」
いつまでも見ていたくなるほど美しかった。
どれだけ眺めていても飽きることがなく、むしろその光の中に入って、一体になってみたい。そんな奇妙な衝動が心の奥から湧き上がってきた。
男は辺りを見回した。
「おーい、誰かいないのか? この家の主人はいるか?」
男が小屋に向かって声を張り上げたそのとき、ふいに視界の隅で何かが動いた。
小屋のそばに置かれていた、アザラシの形をしたガラス細工が、わずかにふるえたかと思うと、その身体は柔らかい光に包まれ、本物のアザラシへと変化した。
「ようこそ!」
アザラシは男に挨拶をした。
「うわっ、しゃべった……?」
男は思わずのけぞったが、すぐさま脳裏に一つの記憶がよみがえった。
小学生の女の子から、誕生日プレゼントと称してもらったアザラシのキーホルダーだ。
「まさか……、お前、あのときの……?」
「そう。私はあなたが最後に感じた愛のカタチ」
「愛? そうだな。あの子にとっちゃ大事なキーホルダーだっただろうに。愛のこもったプレゼントだった……。
そんなことより、お前がこの家の主人か? このガラスの彫刻たち……、売り物なのか?」
ぶっきらぼうに男がたずねると、アザラシはにっこりと笑いながら首を振った。
「私は主人じゃない。主人はあなた。そして、私は、あなた」
「はぁ? オレがお前? 何言ってんだ?」
男は首をかしげるが、アザラシは気にすることなく平然と話し続けた。
「私も、この彫刻も、すべてあなた。あなたが作り出したもの」
「この彫刻をオレが作ったって? どういうことだ?」
「そういうこと!」
あまりに要領を得ない答えに、男は苛立った。
「おい、オレは死に物狂いでここまで歩いて来たんだ、冗談ならやめてくれ。オレは不安なんだ、いったいオレはどうなるんだ?」
男がたずねると、アザラシは並んだガラス細工の中からひとつを抱えて持ってきた。
「不安はいらない。次は、これ」
「それは、なんだ?」
そのガラス細工は、大きなドーナツのような形をしており、やはり魅惑的な光を放っていた。
アザラシはそっけなく答えた、
「これも、あなた」
男はますます混乱した。
これも自分であるという言葉の意味が、まるでわからない。
「すまないが、さっきから、お前の言ってることがまったくわからない。
バカなオレにもわかるように答えてくれ。お前は何者で、ここはいったいどこだ?」
アザラシは静かにうなずいた。
「私はあなたが愛を思い出すために、あなたに作られた存在。ここは、あなたの心の中」
「オレの心の中だって?」
男は辺りを見回した。そして苦笑いを浮かべた。
「なるほどな……、だから一面、砂漠ってわけか。何もない、乾ききった世界……。冗談だとしても笑えねえ話だな……」
男は若い頃、俳優を目指して上京した。だが、何年努力しても芽が出なかった。
四十を過ぎたころから、夢を語ることが恥ずかしくなり、五十を越えたころには「昔は無茶をしてね」と自嘲ぎみに話すのが、唯一の慰めになっていた。
六十を過ぎてからは、人と関わることすら避けるようになった。
夢を追った自分をバカにされたくなかったし、過去を忘れたふりをするのさえも疲れてしまったからだ。
「言い訳ばかりで、カッコ悪い人生だった。口では平気なふりしてたけど、内心はずっと焦ってた。
世界に取り残された気がして、怖かったし、虚しかった。たしかに、オレの心は砂漠そのものだよ……」
アザラシは何も言わず、ただ温かい目で男を見つめていた。
そして再び、大きなドーナツのような形をしたガラス細工の彫刻を両手に抱え、男の前に差し出した。
「これが、次にあなたが住む世界」
「次に住む世界?」
「そう。次のあなた」
「そうか、オレはやっぱり死んでいて、また次も生まれ変わることができるってことだな?」
「そう。何度でも生まれ変わる」
そのとき、ふと周囲に目をやると、同じようなドーナツ型の彫刻が山のように積まれていることに気づいた。
どれも淡く光っていたが、その光の色合いや揺らめき方は、それぞれ微妙に異なっていた。
しかし、その横を見ると、それらよりももっと眩しく輝くガラスの彫刻が置かれていた。
「おい、あっちにあるキラキラした人間の形をした彫刻はなんだ?」
アザラシは男の視線を追いながら、やさしく答えた。
「あちらは、大富豪の家に生まれて、生涯裕福に生きた人生。
その隣は、政治家の家系に生まれ、小さな町のリーダーになる人生」
「そうか、わかったぞ! ってことは、オレの来世はこれからバラ色確定ってわけか! 苦労してきたかいがあったってことだな?」
アザラシは一拍おいて、静かに首を振った。
「ちがう。それらは、すでにあなたが生きてきた世界」
「嘘つけ、そんなわけないだろ。そんなの覚えてない」
「本当。一度経験した人生は、もう選ぶことはできない」
男は戸惑った。
そんな煌びやかな人生を生きた記憶は、微塵も残っていなかったからだ。
男の記憶にあるのは、孤独で貧しく、長年の夢にさえ1ミリも手が届かなかった人生だけだ。
「そうか、わかった。じゃあ、お前が持ってるそのドーナツみたいな形のやつ。
お前が、オレの次の人生って言ってるやつ。それはどんな人生なんだ?」
アザラシは手にしていた光る彫刻を見つめた。
「これは、普通の家に生まれて、普通に成長して、普通の家庭を持ち……、普通に満足できる人生」
「なんだよ、それ……、つまんねえ人生だな。で、結局最後はどうなるんだ?」
「わからない。これは、あなたがまだ一度も選んだことのないパターン。だから、未来はわからない」
「どうせなら、もっと華やかで、人を圧倒するような人生を送りたいんだ。オレの人生がどんなだったか、お前も知ってるんだろ? 酷いもんだった。
だから今度こそ、大富豪になってみたいし、政治家とか大社長とか……。人の上に立って、思い通りに動かしてみたいんだよ!」
男の声には悔しさと渇望が滲んでいた。
報われなかった過去を埋め合わせるような未来を望む。それは、ごく自然な欲求だった。
アザラシは斜め上を見上げて、「うーん」と考えこむように唸った。
そして、ゆっくりと男の方を振り返り、やさしいまなざしを送る。
「それはもう何度も味わってる。似たような世界を……、たくさん……」
「嘘つけ! そんな記憶はまったくないぞ」
「ガラスの中をのぞけば、その人生がどんなものだったか、思い出せる」
男は、知られざる自分自身の過去に興味を持ち、その中のひとつの彫刻にそっと顔を近づけた。
吸い込まれそうなほど美しい光がゆらめき、やがてそれは具体的な映像に変わっていく。
華やかな食卓、飾られた部屋、重厚なスーツに身を包み、高級車のドアを開けられて乗り込む男の姿。
人々に囲まれ、称賛され、支持され、時に敵を退けたり、他国の政治経済すらも動かしていた。
まさに、力と富を手にした人生。
「これが、オレだっていうのか?」
「そう。確かに、あなた」
「じゃあ、あっちのも……?」
「そう、全部あなた」
男は改めて小屋のまわりを見渡した。
最初は小屋の正面だけだと思っていたが、建物の裏手にも同じような彫刻がずらりと並んでいた。
その数は、数えるのも気が遠くなるほどだった。
好奇心を抑えきれなくなった男は、ひとつ、またひとつと、ガラス細工の中をのぞいていく。
映し出される人生はどれも異なるが、どれも確かに自分自身を感じる。
「だから吸い込まれるような懐かしい気持ちになるんだな……」
朝も夜もない、心の内側の世界で、男は自らの過去生の旅を続けた。
そして、ゆっくりと全体を思い出し始める。
「だんだん思い出してきた。たしかにオレは、金持ちにもなったし、権力者にもなったことがある。
でもな……、すんなり行き過ぎると、あんまり心に残らないんだよな。
むしろ不自由さや、計画通りにいかない人生のほうが、なんだか心に残ってるんだよな……」
アザラシは嬉しそうに、ぽんっと尾びれを振った。
「そうでしょ? そうでしょ?」
「それにさ、ほんの小さなこと。
たとえば、公園で食べたパンが妙に美味しかったとか、軽い気持ちで人に親切にしただけで『ありがとう』って言われた瞬間とか……。
そんな小さな幸せのほうが、妙に深く焼きついてる時だってあったりするんだよな……」
「そうでしょ? そうでしょ?」
アザラシは嬉しそうに飛び跳ねている。
「そうか、オレはいろんな愛を味わいたかったんだ」
「そうでしょ? そうでしょ?」
このようにして、千を超える人生を振り返ったところで、男はふと過去生の旅を止めた。
どれも自分の記憶の奥底に眠っていた人生だが、ひとつだけ、妙に気になる彫刻が目に留まったからだ。
「なあ、ちょっと聞きたいんだが、これは本当に全部オレの人生か?」
アザラシはにこりと微笑んだ。
「そう」
「いや、この彫刻の中にある人生は、オレの母さんじゃないか? 母さんの人生が紛れ込んでいるみたいだ」
「それも、あなた」
「そんなの、おかしいだろ……?」
「おかしくない。全部、あなた」
男は言葉を失い、ただ彫刻を見つめた。
そのとき、不意にみずみずしさを含んだ風が頬を撫でるように過ぎ去っていく感覚があった。
気づけば、周囲の景色はすっかり変わっていた。
砂漠だった大地は、色とりどりの花が咲き誇る一面の花畑へと姿を変えていた。
赤、青、黄色、紫、何もなかった荒野に、春が訪れていた。
その中心に、おとぎ話に出てくるような大きなお城が威風堂々と佇んでいた。
お城の先には白く帆を張った大きな船が港に停まり、春風に静かに揺れていた。
「心はまるで、希望の船出ってわけか……」
アザラシが、花の中でガラスのドーナツを抱えながら男に向かって手を振っていた。
男がゆっくりと歩み寄ると、アザラシは手にしていたガラス細工、「平凡」が待ち受ける人生の彫刻をそっと地面に置いた。
「きれいだな。でも、こんなにも美しいのに、この前みたいな辛い人生を繰り返すんじゃないかって思うと怖いよ……」
アザラシは首を振った。
「怖くない。終わったらまたここへ来て、少し休めばいい。戻る場所がある」
男は少し苦笑いしてから、顔をしかめてアザラシに言った。
「本当か? なにか証拠を見せてくれよ?」
「わかった。あとで見せる」
男は、自らの胸の奥でほのかに灯る温もりに導かれるように、そっとガラスの彫刻に手を伸ばし、そして、溶け合うように一体になった。
都会の小さな病院。
病室の窓から、朝の柔らかな光が差し込んでいる。
窓際には誰が置いたとも知れぬ、小さなアザラシのキーホルダーがそっと置かれていた。
「これ誰が拾ってきたの? このまえ捨てたやつじゃない?」
「さあ、知らないけど……」
看護師たちが顔を見合わせていると、そばにいた妊婦がためらいがちに声をかけた。
「あの、それ……、私が子どもの頃に持っていたキーホルダーに、そっくりなんです。私に、もらえませんか?」
妊婦は看護師の手からキーホルダーを受け取り、そっと微笑んだ。
新しい一つの人生が、まもなく、静かに幕を開けようとしている。
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