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あの夏に残された記憶  作者: 紅福達磨


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12/12

夏の光

線香の煙がゆらりと漂い、どこか懐かしい匂いが鼻をくすぐる。

その香りに包まれると、胸の奥にちくりとした悲しみと懐かしさが蘇っていく。


あの夏、私は小学校六年生だった。

父は忙しく、私は夏休みのひと月ほど、祖父母の家で過ごすことになった。

祖父母の家は空気は澄み、土の匂いと緑の香りが混ざり合っていた。

朝は鳥の声で目覚め、昼は蝉の声に包まれ、夕方には薄紫に染まる空と涼やかな風が庭を撫でていた。

風に揺れる竹や松の葉の音、遠くの川のせせらぎ、道の脇で咲く野花の小さな匂いすべてが五感をくすぐる、豊かな時間だった。


祖母の声が縁側から聞こえる。


「葉月、朝ごはんだよ」


台所に入ると、祖母がふかしたばかりのご飯と味噌汁、そして庭で摘んできた野菜を切る音が聞こえた。夏の日差しに照らされた祖母の手は、小さくて皺だらけだが、それでも力強く野菜を刻んでいた。

私はその手元をじっと見つめながら、手伝えることはないかと、そっと包丁を握ってみた。

料理の匂いと音、祖母の温もりは、今思えばあの夏の一番の思い出の核だった。


昼下がり、祖父が庭先の段々畑へと誘ってくれた。


「葉月、今日は向こうの畑まで行ってみるか」


祖父の言葉に私は小さく頷き、草の匂いと土の温もりを足の裏で感じながら、山道を歩いた。

祖父はゆっくり歩き、時折立ち止まって、土の中の虫や葉の陰に隠れた小さな生き物を指さした。

私はそれを見て、小さな悲鳴をあげる。祖母はそんな私を遠くから見守り、小さく笑っていた。


_______________________________________________


お葬式の後、私は祖父母の家でしばらく座り込んでいた。

空気は静かで、風が窓から差し込む光を揺らしていた。

庭先の草や木々がそっと揺れるたびに、二十年前の夏の匂いと音が、まるで波のように胸に押し寄せる。


葬式で背後から聞こえた祖母の声が、今も心に残っていた。

怒るでもなく、叱るでもなく、ただ優しく、でも確かな存在感を持った声。

私は肩をすくめ、目を閉じる。

悲しみはまだ胸にある。だけど、祖母は確かに、私の傍にいてくれる。


縁側のそばに座ると、夕暮れの光が庭の草を金色に染め、遠くの山々は紫色の影を落としていた。

私は静かに手を合わせ、祖母の顔を思い出す。

笑った顔、少し不器用な仕草、そして優しく私を見守ってくれていた瞳。

その時、かすかに、庭の向こうから小さな足音のような、風が葉を踏む音のような、微かな気配を感じた。

きっと不思議な思い出たちは、静かにそこにいるのだろう。

ふと見上げた空に真っ白な大きな龍が一瞬見えた気がした。それはとてもきれいな黄金色の瞳であった。


胸の奥がじんわり温かくなる。

悲しみはまだあるけれど、孤独ではない。

祖母も、あの夏の不思議な子たちも、そして母の思い出も、すべてが私を見守ってくれていることを、肌で感じる。


私はゆっくり立ち上がり、縁側に置かれた日記や小さな箱を手に取る。

中には、二十年前の夏に祖母と一緒に作った小さな草船の欠片や、折り紙たち。そして祖母が書き留めたあの日の日記たち。

手に触れるたびに、あの夏の光景が目の前に広がる。

祖母が笑いながら手を伸ばして教えてくれたこと。小さな喜び、そして夜空に輝いた星々。


「忘れないよ」


私は小さく呟いた。

祖母のことも、あの不思議な出来事も、すべての時間を忘れない。

胸の奥でぽっと、小さな火が灯る。悲しみも寂しさも、その火に包まれて静かに温かくなっていく。


窓の外、風が木々を揺らし、葉の隙間から夕陽が差し込む。

光と影の間に、あの赤い着物の少女や修行僧のような影が、ちらりと揺れる気がした。

それはまるで、「前に進んでいいよ」と静かに背中を押してくれているかのようだった。


私は深呼吸をし、顔を上げる。

涙はまだ頬を伝うけれど、胸の奥には確かな光がある。

悲しみの中にも、見守られている安心感があり、過去と今がそっと重なっている。


そして私は、一歩ずつ、ゆっくりと縁側を降りる。

庭を通り抜ける風が、私の髪を撫で、土の匂いと夏の記憶が混ざる。

あの不思議な子たちも、遠くに行ったわけではない。

静かに、私の視界の端にいて、これからも見守ってくれる。


夜が深くなる前に、私は家の中へと戻りながら、心の中で誓った。

祖母のことも、あの夏の奇跡のような時間も、そして母のことも、忘れずに生きていく。

悲しみはまだあるけれど、前に進む勇気も、そっと胸の中で芽生えていた。


夕暮れの光が薄紫から深い藍に変わり、庭に残る影は長く伸びる。

小さな存在たちは、きっと私が迷わないように、そっと見守り続けてくれるだろう。

そして私は、もう迷わず、でも優しさに包まれながら、歩き出すのだった。

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