騎士管理部稀人(まれびと)勇者課所属のマリーサと申します
「勇者が現れた……」
それは、春の風物詩。
「初めまして。状況説明をさせていただきます、騎士管理部 稀人勇者課所属のマリーサと申します」
私はにこりと目の前の人に笑いかけた。
王都から半日ほど行った場所にある森……東方リコリタ村北部のプレシャの森に変な服を着た人が現れたと報告があった。
言葉は通じる。
文字も読める。
だが、森で暮らす知識などもなく、手荷物もほぼない。
現れる場所はプレシャの森だけとは限らないが、だいたい時期が決まっている。
春だ。
春になると、急に……所謂『勇者』と呼ばれる戦闘力がない人もいるため、今では『稀人』と呼ばれている、その人達が増える。
何度も何度も王命で『召喚儀式もしくはそれに似た行為を行うべからず』と出しているが、稀人は現れるのだ。
神と話せる者はこの国にはいない。
というか、この国は多神教だ。もしかしたらいるかもしれないが、魔王や魔族もただの他国、他国の人でしかないし、勇者を呼ばれてもさせることがない。
大変迷惑だが上(ここでは神を指す)が考えることだ。
大変、大変、大変に迷惑だが、上の者……神の誰かが毎年毎年、思いついたかのように勇者と呼ばれる人を召喚する。
おじいちゃん、ご飯は食べたわよ。
にっこり笑って馬鹿にしたい。
対応する者の身になって欲しい。
きっとこの声も、その神には通じているだろうが、彼ら? 彼女ら? には響きもしない。
新しいことをしたという実績だけで満足し、その後召喚? いや、元の世界で無理矢理失踪させられた人達の生活など考えもしないのだ。
目の前の今回の稀人さんが私の挨拶に応えてくれる。
「マリーサさん、初めまして。私は神政評価局 神政相談所 キャラペン王国担当の南と申します」
四角い小さな紙らしき物を差し出される。
神政?
「まあ、丁寧なご挨拶を頂き恐縮です。失礼いたします」
差し出された紙を両手で受け取る。
「大変申し訳ありませんが、私の所属する局からなにか連絡などはございませんでしたか?」
相手のその言葉に首を傾げる。
「局?」
最近では、王族も稀人に興味を示さない。
人、一人の人生を台無しにしているのに、興味を持たないとは何事だと思うが……
「申し訳ありませんが、わたくしでは分かりかねますので、少々お待ちいただけますか?」
これは、傍で見守っている騎士の方の仕事だろう、文官の私には荷が重い。
振り向けば、誰もが嫌そうな顔でこちらを見ている。
働けよ、お前ら。
「あ、マリーサさん、大丈夫ですよ。連絡が届いていなかった、気が付かなかった、忘れていたなどは常套句ですので。このままこの国の管理者、もしくは管理する権限を譲渡された方が現れなければ国ごとが調査対象となります」
調査、対象?
こてりと首を傾げる。
田舎の貧乏男爵家の七女として生まれて、これまで頑張ってきたけれど、調査という言葉を聞くと……
「ああ、査察にいらしたということですね」
「ご理解が早くて助かります」
「でも……どちらの神からのご依頼でいらしたのですか? 毎年春にご来訪なさる稀人さん達は、どなたも神の力の残滓すらないようなのですが……」
「神の残滓がない?」
ピキリと変な音がした気がする。
まあ、でもとりあえず仕事をしましょう。
「ミ、ナミさん……発音がたどたどしくて申し訳ありません。ミナミさん、とりあえずは座ってお話をしませんか?」
立ったままなのは申し訳ないし、私も辛いので、まずは受け入れ部署の面談テーブルを指し示す。
「スクルーナ副団長、少々お待ちください」
さっさと退席しようとする騎士を呼び止める。
スクルーナ副団長は忌々しげな顔でこちらを睨むが、おっさんの睨み顔など見慣れているので気にならない。
ちゃちゃと面談報告書に『この度の稀人は特殊能力あり。早急に王族対応が必要。本日中の対応が難しい場合は、国と王宮に被害が考えられる』と大きく記して手渡す。
それを見て、スクルーナ副団長が目を見開いた。
「これは警告です。握り潰しなど努々考えないように。必ず団長へお渡しくださいね」
私は、相手に尋常ではない力があるかどうかが見抜ける。
目の前のにっこりと微笑むお兄さんは、尋常ではない力を持っている。
この力で嫌な目にも遭ったけれど、今の部署に配属されてからは概ね快適だ。
渋々とスクルーナ副団長が動く。
「フィルさんとヨルドさんはそのまま待機でお願いします」
副団長を追おうとする二人に声を掛ける。
未婚の女と稀人を二人にすんじゃねーぞ、おら。という感情を込めてにっこり笑えば、こくこくと頷いてくれた。
彼らの目線が妙に上だが、気にする必要はないだろう。
「では、どうなるか分かりませんので、とりあえずは私の職務を継続させていただいてもよろしいですか?」
「はい、お願いします」
ミナミさんはにこりと笑う。
「ミナミさんは、朝食はお召し上がりになりましたか?」
「はい、いただいております」
「昼食はお持ちですか? お持ちでなければ、後で食堂へご案内しますよ」
にこにこと笑って言えば、ミナミさんは目を見開き、そして微笑する。
衣食住をまずきちんと整えるのが私の仕事。人によって違うので、選択肢を提示し相手が選べるようにする。
特に初対面の場合、時間帯にもよるが昼食の心配をするのは忘れない。気を遣われて嫌な気分になる人は少ないから。
「では、お願いします」
「はい、かしこまりました。まずはこちらの書類をお渡ししますね。一枚目をご覧ください。こちらは、現在のあなたの状況をお聞きする用紙です。文字が違う・わかならい・読めるけど書けないなどございましたら、記入はこちらでいたします」
稀人はほぼ文字の変換スキルを持っている。
ただ、これは『ほぼ』でしかないので、必ず聞くようにしている。文字が読めないというのは生活をする上で不安でしかない。
我が国は識字率はあまり高くはないけれど、やはり少しでも不安は少ない方がいいだろう。
「文字は、大丈夫そうです」
「では、こちらにお名前と、発見された時の状況など簡単にご記入ください。筆記用具はこちらをお使いください」
目の前の人が記入をしている間に、相手を不躾にならないように観察する。
まずは匂い。
大事にされていなかった人はだいたい臭い。
すぐに温浴施設の手配をして、衣服を着替えてもらう。だが、ミナミさんは心配いらないようだ。
手の先や顔面を見る。些細な傷などもなく、丁寧に扱われていたことがわかる。
こちらに来た時には男性・女性ではなく、『人間』に怯えている状況の者もいる。人間というのは悪辣な者も多い。私ではそういう悪辣な者を捕らえられない。
その後のお世話を気にしてあげることしか出来ないのが口惜しい。
「お名前は、とりあえずの呼び名で結構ですよ。元のお名前が発音しにくい場合などは簡略化していただいて大丈夫です」
しばらく待って、だいたいのことが書けたことを確認してから声を掛ける。
明らかな嘘を記入する人もいるが、私の職責的には関係がないので触れることはしない。もちろん面談報告書に『嘘を書いている可能性あり』とは記載する。
「では記入の途中ではありますが、後でお時間を取りますので次の話に移りますね」
「はい」
「お茶をどうぞ」
記入をしている間に煎れたお茶を、彼の目の前に置く。
自分の前にも置いて、先に口をつける。
「毒味が必要でしたら、仰っていただければいたしますよ」
若い女性などは疑心暗鬼になっている人も多いので、必ず声を掛けるようにしている。
ミナミさんは気にしていないようで、口をつけて飲み込んだ。
「では、二枚目の用紙をご覧ください。こちらは、しばらくの間の生活について記載しております。ミナミさんは我が国の騎士団にいったん身を置いていただきます。戦う必要はございませんのでご安心ください。五日ほどゆっくりしていただき、生活に慣れた頃から、あなたに合ったお仕事を探していきます」
「五日ものんびりしていていいんですか?」
「人によっては三日目くらいからお仕事探しをされる方もいらっしゃいますが、まずは睡眠不足を解消される方が先ですからね」
にっこりと微笑む。
「この国では、違う場所からいらした方のことを『稀人』とお呼びします。稀人の方は、三ヶ月までは国から生活の保障がされます。その三ヶ月の間に、合うお仕事を見つけて参りましょう」
両の拳を胸の前でぐっと握って微笑めば、ミナミさんがやさしく笑い返してくれる。
年の頃は二十代後半。真っ黒な髪をすっきりと整えていて、上下黒の変わった服がなぜかよく似合っている。
「朝は日の出から三の鐘が鳴るまでの時間なら朝食が食べられます。食堂のテーブルに大皿で料理が盛ってありますので、自分でとる形式です。詳しくは後で説明しますね」
「はい」
「記載通り、七の鐘から九の鐘までが昼食、十四の鐘から十六の鐘までで夕食が食べられます。あまり遅い時間に行くとおかずの種類が減りますが、人は少なくなりますので快適です。後は、別料金を払って取り置きを依頼することも出来ます。籠に入れて、部屋で食べることも可能です。食事の料金は支払う必要はありませんが、取り置きや別室で摂る場合は料金が必要です。ですが、利息なしでお貸ししますのでご安心ください」
「……ふふ、真っ先に食べ物のことばかりですね」
ミナミさんが笑う。
「空腹は辛いです。そのため、お食事関係は真っ先にお教えしております」
笑顔で告げる。
これらの書類は、私がこの部署に来てから作成したものだ。金が掛かるとブツブツ言われたが、見知らぬ土地で一人で暮らさざるを得ない人に口頭だけで教えるなんて不親切すぎる。
と思っていると、周囲……扉の外が煩くなってきた。
乱暴に扉が開かれ、キンキラ衣装の人達が現れる。
私は慌てて立ち上がり礼をし、頭を固定。
ここで勝手に顔を上げると物理で首が飛ぶ。
「貴公がいらしたのか……黒の君」
「ふっ、懐かしい呼び名ですね、アダーレ」
「……ご無沙汰している。して、今回はこの地に何用で参られたのか……」
「査察ですよ。前回同様」
「……査察、ですか」
国王陛下がミナミさんの言葉に動揺しているようだ。声だけだとよくわからない。
「この男は何者ですか、父上」
王太子殿下が声を荒げる。
敵か味方かまったくわからない人に初手から上から目線が出来るって、本当にボンクラだな。
私は礼をしたまま心の奥で苦笑する。
「……南の守護者殿だ。礼を失するな」
「はっ、南の守護など大仰な、ぎゃんっ!」
ん?
汚い声の犬が鳴いた?
俯いたままなので状況がわからない。
心の中で首を傾げていると、周囲をぐるりと奇声が通る。
「マリーサさん、顔を上げていただいていいですよ」
やわらかい声に促されて顔を上げれば、周囲は死屍累々。
……んにゃ、一応生きている人もいるな。
吃驚して口調がおかしくなる。
けれども、申し訳ないけど同情は湧かない。
意外と私って人非人だったのだな。初めて知った。
だって、この人達『男』『女』のただひとつで、人を見下してくるのだから。面倒なのよね。自分でどうしようもないことで文句言われても困る。
スクルーナ副団長、フィル、ヨルドが倒れているのも目に入ったが、この人達、許可も得ずに私の尻や胸を触るのだ。
性欲処理は専門のお店で金を払ってして欲しい。もちろん、自ら志願した女性がいる店でして欲しい。借金の形で連れてこられた女性の店でそういうことをしてもらうって、情けないと感じて欲しい。
最近では触ってもわからないように服の下にチェーンメイルなども仕込んでいた。歩くとシャラシャラ鳴るのが面白い。
「キャラペン王国への稀人斡旋は本日にて終了。これで私の担当する南方の国すべてが稀人召喚を終了することになりましたので、次元システムを変更しますね」
ミナミさんの目の前に光の編み物のような物が現れる。
彼が両手でばばばーと打ち込んでいく。
なんかよくわからないけれど格好いい。
『システムを終了してもよろしいですか?』
人ではない声が響く。
「はい、終了します」
ブォォンと、大きな蜂が団体で羽ばたいているような音が満ちる。
周囲に光。
私は堪えられずに両目を閉じた。
目を見開くと、真っ白な世界。
ここ、どこ?
「こんにちは、マリーサさん。状況説明をしますね。私は南方守護 朱雀隊の隊長、ハイドラですが、だいたいはミナミと呼ばれています」
私ににこりと微笑む人。……人?
私の力はまだ使えるようで、感覚が彼を人ではないと判断している。
瞬いた。
「ここは、私の職場の前庭です。突然ですが、転職される気はありませんか? 寮完備、三食隊負担、実働一日の三分の一、給与は能力給ですが、あなたの場合は主任クラスから始めることが可能です」
よくわからない単語が出、さらによくわからない状況のため、動きが止まる。
「とりあえず、私の執務室に行きましょうか。あちらの時間は止めたままなので、戻ることも可能ですがお勧めはしません。気になるところはどこまでもご説明しますよ」
ミナミさんはにっこりと笑うが、でも、なにかが違う。
「あ、赤い?」
そう、彼の姿がまるっと赤いのだ。
先程まで黒い姿だったのに。
「本来は赤が私の色なのです。お嫌いですか?」
首を傾げられて「そ、そんなことないですよ!」と慌てて否定してしまう。
「とりあえず、最初は食事からでしたね。食堂に食事を依頼しています。ゆっくり食べながら、転職についてご説明しましょう」
にっこりと笑われて、私も笑う。
ちゃんと働いていれば、見てくれる人はきちんと見ていてくれるのだな~と。
なんだか違う世界の人っぽいけど。
でも、気にしない。
その後、条件を聞いて喜び勇んで転職した私は、ミナミさんことハイドラ隊長の下で元気よく事務仕事を行っている。
お仕事楽しい!!
不用意に体を触られない環境、大好き!!
女ってだけで罵られない生活万歳!!
「喜びレベルが低過ぎます……」
ハイドラ隊長の呟きは、私に届くことはなかった。
◆ ──────────────── ◆
ミナミと呼ばれていた男が去った後、周囲は屍と屍寸前が溢れていた。
身体が無事なのは王と、騎士団長のみ。
王太子の頭部は激しく損壊していて、目も当てられなかった。
王が若かった頃、少しの時間を共にした黒の君はさらに力を溢れさせていた。
どこかの国のひと柱……神か神の眷属だろう彼は、人の子の自分に気さくに相対してくれた。
自分が若い頃までは、稀人の救済は第一王子の仕事だった。
きらりとなにかが光る。
テーブルに置かれた二人分の茶器。何枚かの手書き書類。そして、小さな紙。
ふらりと惹かれるようにその紙を手にすれば、この後、王家には男児が生まれないこと、国中の比率が女七・男三になること、勇者は二度とこの地を踏まないこと、女王が三代過ぎた頃にまた査察に訪れることが書かれていた。
王太子以外の王子がどうなるのか……
長女である美にしか興味のない王女が政務を取り仕切るのか……
強烈な目眩を感じるが、倒れられない。
若い頃に抱いていた世の理不尽への怒りは、いつの間にか消えていた。
それを、指摘されたのだろう。
王であり、男であるだけで、周囲は自分を優先してくれる。祀り上げられる。
周囲の側近も似たようなものだ。
「騎士団長……これが、読めるか?」
男気に溢れ、部下思いの男が生きているのは納得できた。彼の下の副団長が八つ裂きになっているのは……まあ、理解できた。苦情を無視していたのは自分だ。
「……いえ、わたくしには光の塊にしか見えません」
「そうか……」
この用紙のことは、誰にも理解されないだろう。
それならば、私も知らない振りをするしかない。
そうしながら、都度都度対処をするしかない。
――― 対処などではなく投げやりでしかないのだが、王は気が付いていなかった。
まずは、女王が立たねばならない。
それも……そうせざるを得ない場面まで……自分は介入したくない。
そんなふうに、王気が段々淀んでいることなど、騎士団長は気が付くこともなく……王を支えねばと心を改めていた。
屍が溢れる王宮の一室で。
◆ ──────────────── ◆
「勇者ってなんでしょうね?」
私は三時のお茶の時に、目の前の上司であるミナミさんに聞いてみる。
今まではなかったそうだが、私が人間で体力がないため小休憩を設けてくれているのだ。もちろん、その時間分は残っている。人の善意に甘えすぎるのは駄目! 親しき仲にも礼儀あり!
「勇者、とは?」
「前いた国に連れられて来ていた人達のことです」
「勇者とは、勇気ある者……が定説だな。だが、上からすれば、選んだ理由などない。ただの偶然だ」
「偶然?」
「いろいろな理由はあるだろうが、神にとって人種の命など人でいう蟻と一緒。たまたま、そこにいたから決めた。目に付いた蟻を摘まんだのと一緒だな」
「……すみません、今、めちゃくちゃ腹が立っているので口が開けません」
口を開いたら、罵詈雑言しか出てこないだろうから。
むぎゅっと口を結ぶ。
「勇者と呼んだ最初の理由は……世界を移行しても生き残れる心の強さがあったからだろうな。あと、なにか役目があるのだと思えば、潰れずに済む」
ミナミさん……結局私のみハイドラ隊長のご厚意でミナミさんと呼ばせていただいている、は淡々と言うが口調の奥に憤りが見える気がした。
奥の奥に隠された熾火。
「神って、なんでしょうね? 様々な力が使える? 力が使えるのはなぜ? 神というのは、信じる人がいるから存在する。なのに、神はその信じる者を下に見る、放置する……人から信じられなくなったら、神ではなくなる? 人が信じなくても、神は神?」
ぽつりぽつりと疑問を零す。
「……マリーサさんは、面白いね。信仰心、ね。東西南北で遊んでみようかな」
ふふっとミナミさんが微笑む。
そして、テーブルの中央の一口サイズのお菓子を摘まんで、ぽいっと口の中に入れた。
きっと、私も彼が手に取ったお菓子のように、たまたま……偶然に彼の下で働かせてもらえている。
私にとっては素敵な偶然。
彼にとってはただの気まぐれ。
でも、それでもいいかな~と思っている。
今は、働くのが本当に楽しいから。
なんで我慢していたのかわからない。
もっともっと上の人で、私に親切にしてくれる人……例えば騎士団長とかに時間を取ってもらって泣きつけばよかった。告げ口しておけばよかった。
きっと正義感に溢れた団長は一般人に手を出す騎士達を諫めてくれただろう。たぶん。
バリッと彼がお菓子を噛み砕いた。
その音は、不思議なことに部屋中に響いた。
おしまい
騎士団長の無事を祈りましょう……