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社会問題エッセイ

【クリスマスだからこそ考える】ローマ教皇がLGBTを“祝福”することについての意味の大きさ

作者: 中将

 ご覧いただきありがとうございます。


 無宗教者ですが、自称宗教研究家ですので今日はクリスマスと言うこともあり聖書における“祝福“について考えてみようと思います。


 特にLGBTの方をローマ教皇が祝福するということをテーマにしたいと思います。



質問者:

 ローマ教皇がLGBTの方を祝福するようになるだなんていい事じゃないですか?

 何がそんなに悪い事なんですか?



筆者:

 僕自身はLGBTの方に関して内面の問題なので基本的には何も問題無いと思っているのですが、キリスト教のトップであるローマ教皇が「祝福を容認」することには大きな意義があります。



質問者:

 しかし差別することは良くないことのような……。



筆者:

 一般に「結婚の祝福」と聞くと、結婚式披露宴に出席することやお祝い金を送ったり、拍手をするぐらいなノリだと日本では思うので、「差別」だと捉えられても不思議ではありません。


 しかし、旧約聖書において「祝福」と訳されているヘブライ語には、

「救済に満ちた力を付与する」と言う意味があるようです。


 その祝福の内容で代表的なものでは「子が生まれる」ということの中に見らており創世記1章28節では神が人間を祝福した(生めよ。ふえよ。地を満たせ)。

 などが存在します。



質問者:

 あぁ、なるほど。同性愛では基本的には養子などでなければ子供ができませんよね……。



筆者:

 創世記18章、19章でソドムとゴモラと言う町が神に制裁をされて滅ぼされた話があります。

 この制裁された理由についてはこの前後には書いて無いのですが、


ユダの手紙1章7節では、

「ソドム、ゴモラも、周りの町々も、彼らと同じように、好色に耽り、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされています」

 とあります。


 この「不自然な肉欲」と言うのが同性愛とされているのです。


 ちなみにローマ教皇庁も2021年は神が「罪を祝福」することは「不可能」と言う見解でした。



質問者:

 なるほど、聖書では街を滅ぼされるほど否定されているのに今回「祝福を容認」したというのは重いということですか……。



筆者:

 もっとも、聖書において否定されているからと言ってLGBTの方々を虐待・差別してきた歴史は悪しきものだと思っていますし、謝罪(贖罪)しなくてはいけないことだと思います。


 しかし、それとこれとは全く違うのではないか? と言うのが僕の感覚です。


 解釈を時代の様相に合わせてホイホイ変えていっては教理もメチャクチャになっていくでしょう。



質問者:

 ローマ教皇ともあろう方がそのあたりのことを理解していないとは思えませんけどね……。



筆者:

 カトリックはLGBTの方が結婚式を挙げることを一部では容認する立場を取っていましたがそのレベルで止めるべきだったのです。


 引き続き教会の正式な儀式としては結婚は男女間のものだとして同性婚は認めないという教義は維持しているようですが、事実上無いも同然だと思います。


 今回の「祝福決定」は信仰に敬虔な方ほど納得しないのではないかと思ってしましますね。



質問者:

 やはり世間の流れが影響しているのでしょうか……。



筆者:

 結局のところローマ教皇庁もスポンサーのお金の流れがありますし、ポリコレに逆らえなかったんでしょうね。


 また宗教はこれまで世界支配に使われてきました。

 キリスト教もその例外ではありません。


 ローマ時代に行われていたサトゥルナリア神を祭るための儀式の日とキリストの生誕のクリスマスを合わせたという話もあります。

同じ日にすることで親しみやすくするためとされています。


 ※キリスト生誕の正確な日付は聖書に記載が無い。



質問者:

 え……てっきり12月25日と記載があるとばかり思っていました……。



筆者:

 宗教について信じることで心の平安や不安の解消に絶大な貢献をしていることは間違いないために、否定はしません。


しかし、政治支配体制と密接に関係があることを決して忘れてはいけません。


 ヨーロッパの20世紀までのアフリカ支配においても、

「キリスト教を信仰していないのは人類ではない」と言う差別の下で奴隷が許容されてきました。

 そんなことはもちろん聖書には書かれていませんが曲解と押し付けされてきたのです。


 やはり宗教に関しては政治や社会に迎合して【変化】していく。そういう目線を棄ててはいけないでしょう。

 

 

質問者:

 しかし、このことから一体何が言えるのでしょうか?



筆者:

 例えばカトリックにおいても「免罪符」というものが発行・販売されて「救いの保障」されてきた歴史があります。

 

 極端なことを言ってしまえば統一協会の高額な「壺」と大差のない位置にある存在と思われます。


 偉い人の言うことをそのまま聞いてしまうことは大きく損をしてしまうことになりかねないということです。



質問者:

 筆者さんみたいに上の人の言うことをほとんど聞かずに生きていく姿勢もどうかと思いますけどね……。



筆者:

 全てを否定したいわけではありません。

 ここまでのことも個人的な見解ですし、押し付けようとも思っていません。


 ただ、しっかり咀嚼して考えておいたほうが良いということです。

 考えた上で偉い人の言うことと一緒なら別に問題はありません。


 実を言うと日本も「ザイム真理教」という「財政破綻論」を国民の8割が信じているという実情があります。


 そう言ったことからわざわざ日本人は苦しみに行っているという実情があるので、

 やはり抵抗していく上では正しい知識を身に着け、真っ向から反対していく姿勢が大事になってくると思います。

 


質問者:

 確かに日ごろから筆者さんの言うこと聞いているといかに日本が歪みきっているかが分かります……。



筆者:

 鵜呑みにしてしまうと、その歪みすらも自然と容認してしまうことになります。

 

 ただ本当に今様々なことで問題が波状的に殺到してきているので、中々その歪みに気づきにくい状況にあると思います。


 僕である必要はないですが、誰か信頼できる人物の信頼できる項目の意見を(鵜吞みにせずに)取り入れ、意見を発信していくことが少しでも「歪み」を修正できるきっかけになると思っています。



質問者:

 確かに発信せずに動かなければ変わる可能性は永遠にゼロですからね……。



筆者:

 そうなります。自分のできる範囲内でやれるだけのことをやることが先人と未来の人達のための活動だと思っています。


 と言うことでここまでご覧いただきありがとうございました。

 このように時事問題や政治・経済、マスコミの問題について個人的な見解を発信していきますので今後も機会があればまたよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 本文中に免罪符が出てきましたが、そもそも偶像崇拝を認めていない、神たる父以外を信仰の対象としてはいけないという教えに背き、権力におもねって、金のために常に教義を弄って来たのがカトリックです…
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