君は『小説』を書いているかい?
はいどーも!
なろうという世界の一市民。家紋武範でございます!
いつも下らないお話で、皆さんのお暇を頂戴しております。
さて、本日のテーマはこちらです。デデン!
「君は『小説』を書いているかい?」
ですね。
そもそも小説ってなんなの? 中説や大説はないの? ちょっとの説明ってこと? ノベルとかライトノベルは小説は果たして同じ意味なの?
って、みんな思ったことあるよね? でも今さら人に聞けないから、「あー、ねー」で話合わせようとしていたりする。
ではそもそも小説とはなんなのか? これ、中国から輸入した言葉です。大説もあります。大説は、四書五経などの政治のありかたが書かれたもの。
その大説に比べてみれば、小説ってのは、娯楽作品、民衆の歓心を引くもので毒にも薬にもならない。当時にしてみれば「下らないもの」「とるに足らないもの」という意味だったそうです。
「いや、それ小説だし」
「小説みたいなこというなし」
みたいな突っ込みが当時は流行したことでしょう。「アホかぁ!」的な感覚でね。
でもこの「小説」は一定の支持を得て、現在のような需要あるものへと変化していったのです。
我々が子供の頃は「漫画」も、そういう扱いでした。「漫画みたいなこと言うな」と、大人によく言われたものです。
いわゆる「荒唐無稽」「作り話」的な意味ですね。今じゃ漫画は一大コンテンツですから、バカにしたりするような人はいないとは思いますが、僅か40年前にはそんなことは日常茶飯事に言われたものだったのです。
ですから、大昔は小説もその扱いだったということですね。
で、英語のノベルは小説と訳されますけど、我々が大好きなライトノベルはどーすんだってことですよね。
「軽い小説」って、ますますおかしな意味になってきたぞ?
「大説」「小説」ときたから「微説」とかかな? って思っちゃうよね。
いや、そもそもね、ノベルもストーリーもノンフィクションも文字に起こせば「小説」というくくりになるわけですね。
だから、エッセイもライトノベルも「小説」とまとめることが出来るわけ。
「じゃあ家紋ちゃん、ボクらが書いてるのは小説でいいよね」
うん、いいですよ。
確かに文字を書くのは小説なのです。しかし、読みやすくするためにいろんなルールがありますよね。
曰く「字下げ」「三点リーダー偶数」「 」の最後に「。」を置かない」とかね。
これ以上にも、文章の途中で改行打ったり、文末に「。」を打たないとか、顔文字を使ってる、「w」の多様など、目を覆いたくなるものもたまにはあります。まあ未来は分かりませんよ? それが普通になるかもしれない。古い文化は駆逐され、新しい文化が起こるなんてことはよくある話ですからね。
で、話は起承転結の「転」になるんですけど、前にコロナウイルスパンデミックで、全世界が重苦しい空気に包まれた時期が有りましたよね。
芸能人の方々も多数亡くなるという痛ましいことも起こった、あの時期に、私は「アマビエ企画」なるものを立ち上げようとしておりました。
ここ「小説家になろう」には、多数の才能を持った方々も少なくありません。そんな方々に、無病息災の妖怪「アマビエ」を書いて貰い、「その他(その他)」にそれらを一つの作品として投稿し、全世界の無病息災を祈願するという企画だったのです。
私はその企画を立ち上げる前に、運営さんに確認を申し上げたのです。
「かくかくしかじかなんだけど、そーゆー企画やっても~、いいかな!?」
ここでワシは『いいとも!!』の答えを期待しました。ノリのいい運営さんならやってくれると思ったのですが、この回答。
「それ、小説じゃないよね」
ガビーン、ガビーン、ガビーン。
それを言われるとぉ! 確かに。確蟹~。
確かに小説ではなかったです。アマビエのイラストに対して、ごまかしごまかし200文字入力して「みんな、この難局を乗り越えよう!」とメッセージを送ったとて! それは小説ではなかった、と分かったのです。
私は原点に帰る必要があります。ここ、なろうに風呂敷包み一つで来た時、遠大な志があったはず。
一つでも多く文字を書け! 小説で人々の心を大いに沸かせろ! 目の前に道がない、険しい荒野だとしても、一歩、一歩、歩みを進めれば、その後ろには後進が進むべく道が出来ているはず。
影響を受ける人よりも、影響を与える人でありたい。
家紋武範は、常にそうあらなくてはならないのだから──。