五節/3
昨年、学校でとある事件が発生した。
植えられていた花々や樹木が、一斉に枯れたのだ。
誰も荒らしていたわけではなく、特殊な薬品を使っていたわけでもない。
なら、どうして枯れたのだ。
誰もが首を傾げる中、有志を募って調査をすると、前日に起きた事故が原因だと判明した。
環境委員の役に付いていた女子生徒が精霊術の構築を失敗し、暴発させてしまっていたのだ。
生徒自身は何時まで経っても咲いていなかったある花に掛けたつもりだったが、選択する範囲を間違えて校地全体になってしまったようだった。
彼女が使用しようとしたのは、植物の成長を促進させる術式。
失敗した結果、抑制させてしまったらしい。
それも、即時に知覚できる変化が起こるものではなく、ゆっくりと時間を掛けなければ分からないものだった。
レイフォードたちがこの一件に関わっていたのは、過剰に体内源素を消費してしまい気絶していた女子生徒を偶然発見し、医務室に運び込んでいたからだ。
事件発生の翌日、校長室に呼び出されたのは術者本人である少女とレイフォード、テオドールの三人。
事故の内容を詳しく聞かせてほしい、ということだった。
そうして、調査の結果と事故の経緯をもとに考察していくと、今回の件は単純に術式を解けば良いという問題ではない、ということが判明した。
術式は少女が独自に創り出したものであり、『対象に生存への意志がある限り、体内源素の循環効率を向上させ、成長を促進する』というものだったのだ。
しかし、それは『対象に生存への意志がある限り、体内の源素の循環効率を低下させ、成長を抑制させる』というものになってしまった。
対象となった植物たちは、過度な抑制の末、肉体と魂が剥離する。
少女がなまじ優秀であったため、強力な効果を発揮しており、もう直ぐ『死ぬ』ほどまで事態は深刻化していた。
善意で行った少女に、校長も責任を負わせる気にもなれず、全て植え替えることで解決しようとしていた。
しかし、少女が枯らしてしまったことに代わりはない。
罪悪感と無力感で苛まれる少女。
立ち会っていたレイフォードとテオドールは、どうにかできないのかと思案し、ひょっとしたらと、ある策を講じた。
結論から言えば、事件は解決した。
レイフォードたちの策は、効果的だったのだ。
オルガは、彼が『治した』ところを見ている。
あれは植物相手ではあったが、動物に出来ない道理はない。
だから、彼には出来るはずなのだ。
けれど。
「……出来るよ、出来るけど……それと今じゃ、条件が違うんだ」
オルガの手首に触れたまま立ち上がり、レイフォードはそう言った。
「あの時は、まだ寿命が残っていた。
魂を繋げて、成長を促成させれれば良いだけだったんだ」
あの時、〝眼〟で視えた植物らの魂は、剥がれかけていても繋がろうとしていた。
彼らは、まだ生きようとしていた。
彼らには、生きる力が残っていた。
彼らにとって、生きることが『正常』だった。
「……でも、シャーリーは違う。
寿命が残っていない。
たとえ、魂を繋げたとして直ぐに剥がれてしまう。
それが『正常』だから。
至るべき未来だから、僕には書き換えられない」
精霊術は《神秘》と云われるが、その実《贋作神秘》とも呼ばれる偽物である。
真なる神秘を模倣し、人の手によって再現されたもの。
それらは、世界の法則を一時的に書き換えることで、神秘──《奇跡》を起こす。
しかし、永遠には起こせない。
意図的に作られた欠陥を、世界が修正力を働かせて、無かったことにするからだ。
それこそが、《神秘》と《贋作神秘》の違い。
真実と虚構の差。
『人』では至れない、『神』の領域だった。
オルガが力無く手を離す。
紅葉色の瞳は、酷く歪んでいた。
「……オレに、オレたちにできることは何だ。
オレたちは、どうしたら良いんだよ」
彼の足元では、ルーカスとウェンディがシャーリーを抱えて俯いている。
彼らが笑顔で触れ合っていたのも数分だけで、レイフォードが答えを告げた頃には、優しく撫でるだけになっていた。
「僕に答えを求めるのは、貴方が現実を認めたくないから?」
「……そうだ、そうだよ。
諦めたくねェんだよ、失いたくないねェんだよ。
大切な友達なんだから……!」
彼の瞳から、初めて涙が溢れた。
悲しみか、悔しさか。
その激情の深さは、レイフォードには計り知れない。
けれど、分かってしまう。
共感してしまう。
『大切な人』を喪っているから。
何度も守れなかったから。
自分がどれだけ無力なのかも、自分がどれだけ罪人であるかも知っているから。
夢を見続けたい。
願いを叶えたい。
そんな虚構を信じたい心はよく分かる。
それでも、前を向かなければいけないのだ。
僕は、生きているのだから。
「なら、尚更だよ。
このまま死を認めず、嘆くつもりなの?
『そんなの嘘だ』って否定し続けるつもりなの?」
現実から目を背けるのは簡単だ。
目蓋を閉じて、耳を塞いで。
何も見えず、聞こえない場所で眠ればいい。
幸せな夢を見続ければいい。
しかし、そうしたところで何になる。
現実は非常だ。
時が止まるなんてことはあり得ない。
常に廻り続ける秒針は、残酷に時を刻む。
どれだけ嘆いても、否定しても、彼らは無情にも動き続ける。
初めから、夢を見る意味なんて何もないのだ。
「──真実を見て。
理想に塗り固められた虚構なんて見ないで。
貴方なら、自分のやるべきことくらい、もう分かっているはずだ」
彼が背を向け続ける『前』に指を指す。
真っ赤な夕陽。
彼を慕う二人。
彼の大切な友達。
それらが集まる『前』に。
「……ああ、そうかよ!
全く、無茶苦茶言いやがる『神様』だな!」
紅葉色に滲む涙を吹き飛ばして、彼は振り返る。
「……オルガくん」
「おう、心配掛けたな。テメェらも覚悟は出来てるんだろうな?」
「当たり前、オルガよりも先にね」
荒く二人の頭を撫で、肩を抱きながらしゃがみ込む。
すると、三人でシャーリーを囲む形となった。
「……シャーリー、今までありがとうな」
すっかり弱りきった小さな身体を、ゆっくりと静かに撫でる。
身体は冷え、呼吸も浅い。
生命の灯火が消えかけていることをひしひしと感じる。
目を背けてしまいたい。
共に生きる未来を描いていたい。
そんな弱い自分は、たった今捨てた。
だって、格好悪いだろう。
ルーカスとウェンディに、シャーリーにそんな姿は見せられない。
『前』を向くんだ。
光り輝く未来を、曇りない真実を見るんだ。
彼らに誇れる、自分であるために。
やがて、友の身体は動かなくなっていく。
銀色の瞳を伏せ、真っ白な体躯を茜色に染めて。
まるで眠るように、夢を見るように。
幸せそうに微笑みながら。
シャーリーは、息を引き取った。




